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救出

「やあ、おはよう!アンジェ。よく眠れたかい?」

「え、ええ」


 朝食の席で、いつもと変わらず笑いかけてくるアンドレアに、クリスティーナは顔を引きつらせる。


「アンドレア、とっとと帰れ。いつまでここにいるつもりだ?」


 隣の席でフィルが呆れたように言うと、アンドレアは抗議の目を向ける。


「酷い扱いだな。お前の身代わりを立派に務めてやった恩人だぞ?」

「隙あらばクリスティーナに言い寄ろうとしていたくせに」

「隙がなくとも言い寄ってる」

「は?この…!今すぐ帰れ!」

「それがそうもいかないんだよなあ」


 アンドレアは悠々と両手を頭の後ろで組み、椅子に背を預けた。


「どういう意味だ?」

「フィル。俺が諸外国を渡り歩いていたのはなんの為だと思ってる?」

「女をナンパする為」


 違うわ!と声を荒げてから、アンドレアはまたゆったりと座り直した。


「各国の情勢を見て回ってたんだよ。戦を仕掛ける気配があるかはもちろん、庶民の生活、国王への信頼、国の政策や経済状況なんかもな。我がコルティア王国は、戦争こそ終結したが、まだまだ国民の暮らしは安定しない。これからやるべき政策について、諸外国を参考にしながら議論していきたいと、直々に国王陛下から仰せつかったんだよ、俺は」


 はあ…とフィルが大きくため息をつく。


「そういうことなら仕方ない。だがお前はそっちに専念しろ。いちいちクリスティーナに会いに来るな」

「ちぇ、なんだよそれ。婚約もしてないのに、我が物顔するなよ」

「クリスティーナは俺のものだ」

「へえー、もう男女の契りを交わしたのか?」

「バカ!お前と一緒にするな!」

「やれやれ、相変わらず奥手だな。それならまだ俺にも分がある。フィル、正々堂々と勝負しろ。アンジェの心を掴むのは、果たしてどっちなのかな」


 バチバチと睨み合う二人に、クリスティーナは口も挟めずにいた。


 (これから私、どうすればいいのかしら。もう王太子様のそばに付いて護衛をする役目も終わったことだし、屋敷に帰されるのよね?きっと)


 あとで近衛隊の詰め所に行って、父に聞いてみようとクリスティーナは思った。


 *****


「お父様」

「クリスティーナ?!どうしてここに」


 朝食の後、フィルが執務室に入ってからクリスティーナはこっそり王宮の裏庭に来た。


 木陰から窓の様子をうかがうと、近衛隊の詰め所に父の姿を見つけてそっと中に身を滑らせる。


 一人デスクに向かって書類を読んでいた父は、クリスティーナが呼びかけると驚いて立ち上がった。


「ここに来てはならんと言っただろう?!」

「ですが、もう私の役目は終わりましたわ。王太子様も王宮に戻られましたし、私も花嫁候補のフリをする必要はないかと」

「それはそうだが、ここは女の来る場所じゃない」

「用が済めばすぐに戻ります。お父様、私はこれからどうすれば?屋敷に帰ればいいのでしょうか?」

「うーん、それなんだがな。王太子様は特にそんなことはおっしゃっていない。それよりも、お前のお披露目パーティーをいつにしようかと考えていらっしゃる。国民の生活がもう少し落ち着いた頃に、と」


 は?と、クリスティーナは目を丸くする。


「お披露目パーティー?私の、ですか?」

「ああ。お前のようなじゃじゃ馬をどうお披露目されるおつもりなのか…。とにかく今は争いの後処理が先決だ。連合国軍は戦からの撤退を表明したが、しばらくは目を離す訳にはいかない。王宮に潜んでいたスパイも見つかり、取り調べが続いている。まだまだやることは山積みだ」


 ひとまずもう少しここにいて様子を見なさい、と言われ、仕方なくクリスティーナが頷いた時だった。


 急に外が騒がしくなり、旦那様!と声がした。


「どうしたのだ」


 ドアを開けると、ジェラルド家の使用人が馬から飛び降りてひれ伏す。


「申し訳ありません!先程リリアン様を馬車で市場へお送りしていたところ、野盗に襲われリリアン様が連れ去られました!」

「なんだと?!」


 クリスティーナはハッと息を呑んで駆け寄る。


「場所はどこ?」

「西の大通りから一本逸れた脇道です」


 それを聞くと、クリスティーナは使用人の手から手綱を奪って馬に飛び乗った。


「クリスティーナ!早まるな!」


 父の声を背中に聞きながら、クリスティーナは一気にスピードを上げて馬を走らせた。


 一目散に西の大通りに向かい、いくつかの脇道を覗き込みながら馬を走らせていると、見慣れた馬車が乗り捨てられているのを見つけて慌てて手綱をさばく。


「リリアン!」


 馬から飛び降りて馬車を覗き込むと、もぬけの殻の車内に白いハンカチが一枚落ちているのに気づいた。


 可憐な花の刺繍は、間違いなくリリアンの手による物だった。


「リリアン…今どこに?」


 込み上げる涙を堪えて立ち上がると、クリスティーナは馬の鼻先にリリアンのハンカチを差し出す。


「お願い、リリアンを探して」


 促すと、馬はゆっくりと歩き出した。


 小道を奥深く進み、更にいくつかの路地を曲がると、木造の小さな小屋が現れた。


「静かに待っていてね」


 クリスティーナは馬の手綱を小屋の裏手の木の枝に結ぶと、足音を忍ばせて小屋に近づく。


 ぐるっと全体を外から見渡すと、天井に高い位置に窓があった。

 丸太を足場にすれば手が届きそうだ。


 クリスティーナは慎重に丸太をいくつか登っていく。


 ようやく窓の下まで辿り着くと、そっと中の様子をうかがった。


 暗くてよく見えないが、大きな人影が見える。


 (一人、二人…、敵は三人ね。リリアンは?)


 大柄の男が三人、所在なげにウロウロしている後ろに目を凝らすと、リリアンが床に横たわっているのが見えた。


 (リリアン!)


 思わず声を上げそうになる。

 リリアンは後ろ手に縛られ、口にも布を噛まされているようだった。


 (可哀想に…。すぐに助けるからね!)


 クリスティーナはグッと拳を握りしめると、素早く小屋のあちこちに目を向ける。


 リリアンのすぐ後ろに小さな通用口があるのに気づくと、足音を忍ばせて丸太を下りた。


 手頃な石を拾い上げると、小屋の入り口に向かって投げる。


 コツン!という音に、男達が入り口から出て来た。


「なんだ?何の音だ?」

「分からん。気のせいじゃないか?」


 二人が外をウロウロし始めると、クリスティーナは通用口をくぐって中に入る。


「リリアン…」


 後ろから小さく呼びかけると、リリアンは目に涙をいっぱい溜めてクリスティーナを見上げた。


「しっ、静かにね」


 そう言って口に結わえられた布を解き、縛られた縄を短剣で切り落とす。


 小屋に残っている男が入り口の方に気を取られているのを確認すると、クリスティーナはリリアンを促して通用口から外に出た。


「お姉様!」


 リリアンはクリスティーナに抱きつく。

 クリスティーナもリリアンを抱きしめて頭をなでた。


「リリアン、怖かったでしょう。よく頑張ったわね。さあ、この馬で今すぐ逃げて」

「そんな、お姉様は?!」

「私のことはいいから。ほら、急いで!」


 リリアンに手を貸して馬に跨らせ、手綱を枝から解いた時だった。


「あ!こいつ、いつの間に!」


 男が声を上げて走って来る。


「リリアン、行きなさい!」


 クリスティーナは手綱をパシンと叩いて馬を走らせた。


「お姉様!」

「私は大丈夫。大通りまで走るのよ!」


 リリアンを見送ると、すぐさま後ろを振り返って短剣を握りしめる。


「おやおや、選手の交代ですかな?身代わりになるとは、美しい姉妹愛だな」

「あなた達、何が目的なのよ?」

「威勢のいいお嬢さんだな。本当に伯爵家の令嬢か?さっきの妹は怯えて震えてたぞ」

「リリアンを誘拐するなんて、この私が絶対に許さない!」

「へっ!さすがはぬるま湯育ちのお嬢様。俺達貧乏人の暮らしなんて想像もつかないんだろうな」


 三人の男達は、ニヤニヤ笑いながらクリスティーナに近づく。


「毎日ご馳走食ってんだろ?俺達が道端の草を食べてしのいでるっていうのにさ」

「割に合わねえよなあ。お前にも痛い目に遭ってもらわないと」

「さてと。どっちがいい?ムチで打たれるのと、俺達の慰みものになるのと」


 クリスティーナはグッと男達を睨みながら短剣を構えた。


「どっちもお断りよ!」

「へっ、それじゃあ両方味わってもらうとしよう」


 その言葉を合図に、三人は一斉にクリスティーナに飛びかかる。


 その手には太くてゴツいナイフや斧が握られていた。


 カン!と短剣で受け止めるも、すぐに振り払われる。


 (ああ、もう、やりにくい!ナイフって、どこがポイントなの?)


 剣なら狙う場所が分かるが、ナイフや斧とやり合うのは初めてだった。


 しかも男達は力任せに振り回してくる。

 何度か耐えたが、とうとうクリスティーナの手から短剣が弾き飛ばされた。


「ほらよ、捕まえた」


 一番大柄な男がクリスティーナの両手を背中に回してひねり上げる。


 クッと顔を歪めてクリスティーナは痛みを堪えた。


「さてと。まずは痛めつけてから、伯爵家に脅迫状でも送ろうかね」

「いくら巻き上げられるかな?クククッ」

「それにしても、なかなかの美人じゃないか。可愛がってやるよ」


 顎を掴んで顔を寄せてくる男の手に、クリスティーナは思い切り噛みついた。


「いって!この野郎…。調子に乗りやがって」


 男が大きく手を振りかぶった時、馬の足音と共に声が聞こえてきた。


「クリス、受け取れ!」


 顔を上げると、馬に乗ってこちらに駆けてくるフィルが剣を投げるのが見えた。


「フィル!」


 クリスティーナはフィルの投げた剣を足でカン!と真上に高く蹴り上げると、怯んだ男の手を振り向きざまに解き、キャッチした剣で一気に男のナイフを叩き落とした。


「くそっ、この女!」


 素手でクリスティーナに殴りかかろうとした男の前に、ヒラリと馬から飛び降りたフィルが立ちふさがる。


 ゴツッと鈍い音がして、フィルが繰り出した拳に男はうめき声を上げて崩れ落ちた。


「フィル!」

「無事か?」

「ええ、大丈夫」

「良かった。でもまだ二人いるぞ、油断は…」

「禁物!でしょ?」

「そういうこと!」


 二人は背中合わせになると、剣を構えて残りの男達とそれぞれ対峙する。


 同時に飛びかかられ、相手の武器を弾き飛ばすのも同時だった。


 フィルが三人を縄で縛り、なぜこんなことをしたのかと口を割らせる。


 三人は、戦で焼け野原になった故郷を捨ててこの地に辿り着き、あまりの暮らしの違いに愕然として、何かに怒りをぶつけずにはいられなかったと呟いた。


 フィルとクリスティーナは黙って男達の話を聞き、最後に金貨を渡して縄を解いた。


「良かったのか?本当にこれで」


 戸惑いつつも逃げていく男達を見ながら、フィルがクリスティーナに尋ねる。


「良くないのかもしれない。でも、私はこうしたかった」

「そうか…」


 二人は黙ったまま、しばらくその場に佇んでいた。

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