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王太子の正体

「ちょっと、下ろしてってば!自分で歩けます!」

「嫌だね。下ろした途端にとっとと逃げるに決まっている」

「逃げませんから!早く下ろして!」

「どうだか。君はしれっと嘘をつくからな」

「嘘をついたのはあなたでしょう?!」


 王宮に戻って来ると、フィルは馬車から降りるなりクリスティーナを抱き上げて歩き始めた。


 周りの目が気になり、必死で下ろせと訴えるがまるで聞き入れられない。


 じたばた暴れているとロザリーが駆け寄ってきた。


「アンジェ様!ああ、良かった。ご無事ですか?どこかお怪我は?」

「大丈夫よ。ロザリーは?怪我はない?」

「わたくしのことなど、よろしいのです。アンジェ様、さぞかし怖い思いをされたのでしょう?ああ、わたくし胸が痛くて…」


 するとフィルが、プッと吹き出す。


「ロザリー、気にすることはない。全くもってそんな心配は無用だ」

「はあ?どうしてあなたがそんなことを言うのよ?」

「じゃあ何か?君は囚われている間、ずっと怯えて震えていたとでも?そうだよなあ。まさか剣を振りかざし、バタバタと敵を倒すなんてこと、する訳ないよな?」


 うっ…とクリスティーナは言葉に詰まる。


 フィルはロザリーが開けた扉から部屋に入ると、ようやくクリスティーナをソファに下ろした。


「さてと。俺はこれから国王に報告に行ってくる。ロザリー、あとは頼むよ」

「かしこまりました」


 そして最後にグッとクリスティーナに顔を寄せた。


「またあとでな。俺の花嫁」

「はっ?!」


 目を見開くクリスティーナにクスッと笑うと、フィルは部屋を出ていった。


 *****


「もう、何がどうなってるのよ」


 湯に浸かりながら、クリスティーナはため息をつく。


 敵の要塞から王宮に帰ってくる間も、フィルはクリスティーナの質問をのらりくらりとかわし続けていた。


 先程ロザリーを問い詰めると「申し訳ありません、わたくしの口からは…」と困ったようにうつむくばかりだった。


「フィルが王太子様ってこと?じゃあ今までのあの人は?」


 考えたところで答えは出ず、のぼせそうになったクリスティーナは諦めて立ち上がった。


 *****


「やあ!アンジェ。大変だったね」

「…は?」


 ディナーの時間になり、身支度を整えてダイニングルームに行ったクリスティーナは、いつものように声をかけられて困惑する。


「あの、王太子様、ですか?」

「そうだよ。どうしたの?たった一日会えなかっただけで、もう顔を忘れたのかい?」

「いえ、あの、そういう訳では…」

「争いも落ち着いたし、早く君のお披露目パーティーを開くとしよう。俺の美しい花嫁としてのね」


「聞き捨てならないな。誰の花嫁だって?」

「フィル!」


 振り返ると、正装したフィルが扉から入って来るところだった。


「あの、一体どういうこと?」


 クリスティーナは、もはや何がなんだか訳が分からない。


「説明するよ。座って」


 促されて、クリスティーナは席に着く。


「まずこいつは、俺の従兄弟のアンドレア=ギルバートだ」

「ギルバートって、フィルが最初に名乗っていた?」

「ああ、母親の旧姓だ。アンドレアは母の兄の息子に当たる。俺と同じ二十一歳。つい最近まで海外にいたんだ」

「従兄弟…。だから二人はよく似ているのね」

「自分ではそうは思わないけど、どうやらそうらしい。俺の替え玉としてはちょうど良かった」


 するとアンドレアが、酷い言い方だなと苦笑いする。


「お前よりも爽やかさ五割増しで、完璧な王太子を演じてやったのに」

「どこがだよ?!どさくさ紛れに彼女に手を出そうとしておいて、よく言うな」

「結局出せなかったよ。夜になると無理やりお前に交代させられたからな。あーあ、俺もアンジェと同じベッドで寝たかったな」

「アンドレア!」


 フィルに睨まれてアンドレアは首をすくめる。


「えっと、つまり王太子様…いえ、アンドレアはフィルに代わって王太子のフリをしていたってこと?」


 クリスティーナの問いにフィルが頷く。


「争いが激しくなり、俺は他国と協定を結んで連合国軍を抑えようと奔走していたんだ。だが、王太子として動き回れば敵に勘づかれる。どうしたものかと思っていた矢先にこいつが帰国してきたから、ちょうどいい、と替え玉になってもらった」

「おい、言い方!」


 アンドレアが突っ込むが、フィルは構わず続ける。


「そして俺は動きやすいように、近衛隊に入隊した。君の遠い親戚のクリスとやらと同じ日にね」


 なにやら含んだ口ぶりに、クリスティーナは思わず視線を逸らす。


「このことを知っていたのは、国王と王妃、君の父上のジェラルド連隊長。それからロザリーと数人の付き人だけだ」

「お父様も?!」

「ああ。俺が近衛隊を抜けて各国へ赴く時は、手助けもしてくれた」

「そうだったのね」


 また知らない父の一面を垣間見て、クリスティーナは神妙な面持ちになる。


「君には黙っていて悪かった。それにこんな形で巻き込んでしまったことも。アンドレアは頭はいいけど剣の腕はイマイチでね。敵がこの王宮に潜んでいるかもしれないと分かって、父と母がアンドレアの身を案じたんだ。それを聞いたジェラルド連隊長が、君を花嫁候補としてそばに付かせるなんて話を持ち掛け、俺の知らない間に事が進んでしまった。本当に申し訳ない」


 頭を下げるフィルに、クリスティーナは首を振る。


「いえ。これは私が望んだことでもあったので」

「君が望んだ?王太子の護衛を?」

「ええ。私、どうにかして父とこの国の役に立ちたかったのです。たとえほんの少しでも」


 少しうつむいてから、クリスティーナは言葉を続けた。


「父は、とても責任感の強い人です。どんなに怪我を負っても自分の身を顧みず、連隊長として最前線で戦おうとします。私はそんな父が心配でした。いつか父の手助けが出来るようにと、日々剣の稽古をしていたのです。それにこの国は、地方に行けば戦火が広がっています。敵に怯え、食べる物も手に入らずに不安な日々を過ごしている人がたくさんいる、そう思うと胸が張り裂けそうでした。今回のことは、全て私が自ら望んだことなのです。王太子様の護衛も、敵国の捕虜になることも。ですからどうぞ、謝らないでください」


 胸を打たれて押し黙るフィルとアンドレアに、クリスティーナは静かに微笑んでみせた。


 *****


「アンジェ様、いえ、クリスティーナ様。黙っていて本当に申し訳ありませんでした」


 ディナーの後、部屋に戻ると、ロザリーが深々と頭を下げた。


「いいのよ、ロザリー。黙っていて正解よ。そこで口を割るようでは、この先私も信頼出来ないもの。それと、私の呼び名はアンジェのままでも構わないわ。好きに呼んでね」

「まあ、なんてお優しいお言葉。本当にありがとうございます」


 これからもよろしくね、と笑いかけてから、クリスティーナは寝衣に着替えた。


「今日はお疲れですよね。さあ、どうぞベッドへ」

「ありがとう、ロザリー。おやすみなさい」

「おやすみなさいませ、アンジェ様」


 ロザリーの言葉を聞き終わらないうちに、クリスティーナは深い眠りに落ちた。


 *****


 どれくらい眠っていたのだろう。

 ぼんやりと目を開けたクリスティーナは、壁の時計を見る。


 時刻は深夜の二時だった。


 (五時間も眠っていたのね)


 だが夜明けまではまだ時間がある。

 もう一度眠ろうと寝返りを打ったクリスティーナは、目の前に迫る端正な横顔に驚いて後ずさった。


 (な、なに、誰?王太子様?どっちの?)


 クリスティーナが混乱して見つめていると、んん…と顔をしかめながら、ゆっくりと目を開ける。


「あれ、起きてたの?」

「え、ええ、あの、はい。ところで、どちら様でしょうか?」

「ええ?寝ぼけてるの?同じベッドで寝てるんだから、君の夫に決まってるでしょ」

「おっっっと…」

「そんなにたくさん『つ』はいらないよ」


 クスッと笑われて、クリスティーナは恐る恐る尋ねる。


「あの、あなた、フィルの方?」

「方ってなに?他に誰がいるの?」

「いえ、その、アンドレアかと…」

「ふうん…。君と毎晩一緒に寝ていたのはアンドレアじゃない。俺だよ」


 そう言うと片肘をついて頭を支え、クリスティーナの瞳を覗き込む。


「君の無防備な寝顔を知っているのも俺だけだ」

「ひえ!な、なんてことを言うのよ」

「君が寝返りを打つ時、この唇から、ん…って甘い声がこぼれるのも知ってる」


 人差し指で唇をなぞられ、クリスティーナは顔を真っ赤にする。


「そ、それなら、最初の夜に、君に触れたりしないって言ったのもあなたでしょう?たった今、その約束を破ったじゃない」

「ああ、それはまだ君が俺を欺いていると知らなかった時の約束だからね。今となっては守る必要はない」

「どういう意味?私がいつあなたを欺いたっていうの」

「へえ、この期に及んでまだそんなことを言うんだ。それなら仕方がない。分からせてあげるよ」


 え?とクリスティーナが首を傾げると、フィルはいきなりクリスティーナの頬にキスをした。


「な、何を…!」

「油断は禁物、だろ?クリス」


 いたずらっ子のように笑うフィルに、クリスティーナは絶句する。


 (え、クリス?って、あの時の?男装して近衛隊にいた私のこと?)


「どうして…」


 思わず呟くと、フィルが面白そうに語り始めた。


「まさかあの時は、男に化けてるなんて思いもしなかったよ。君が女装して、いや、失礼。ドレスを着てこの王宮にやって来た時も、同一人物だなんて夢にも思わなかった。だけど君の剣術はひと目見たら忘れられない。近衛隊にいた時のクリスと、嵐の日にドレス姿で舞うように剣を繰り出していた君が、直感的に重なって見えた。そして君のあの口癖もね」


 あ!とクリスティーナは思わず口を押さえる。

 しまった、と顔をしかめていると、フィルは更におかしそうに笑う。


「それと夕べのディナーの時も、君はうっかり口を滑らせたよ」

「え?な、なんて?」

「俺がアンドレアのことを、アンドレア=ギルバートって紹介した時、君はこう言ったんだ。『ギルバートって、フィルが最初に名乗っていた?』って。俺がフィル=ギルバートと名乗ったのは、近衛隊に入隊したあの日だけだよ」


 なんてこと…と、クリスティーナはもはや呆然とする。


「という訳で、君に触れないと言った俺の最初の約束はなかったことにしてもらうよ。その代わりに、俺を見事に欺いたことを称えて、ずっと君をこの手で守っていく」


 いつの間にか真剣な表情を浮かべたフィルが、クリスティーナの頬にそっと手を添える。


 切なげに揺れるフィルの瞳に捉えられ、クリスティーナは何も考えられずに見つめ返す。


 やがてゆっくりと目を閉じたフィルは、クリスティーナの唇に優しくキスをした。


 初めてのキスにうっとりと胸を震わせたクリスティーナは、フィルが離れた途端、真っ赤になってうつむく。


「可愛いな。男にそんな顔を見せちゃいけない」


 そしてもう一度、今度はチュッと軽く口づけた。


「ちょっと、もう、恥ずかしいから!」


 ますます顔を赤らめるクリスティーナに、フィルはふっと笑みを浮かべる。


「隙だらけだな。油断は禁物だぞ?クリスティーナ」


 もはや言葉を失ったクリスティーナを、フィルは優しく抱きしめた。

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