自分の身は自分で守れ!王太子
その日は夏の終わりの荒れた天気の日だった。
朝から滝のような雨が降り続き、日差しはなく辺り一面は薄暗いままだ。
「外の景色も何も見えないわね。あ、雷!」
窓の外を見ていたクリスティーナが稲妻に声を上げた刹那、ドーン!と凄まじい音が響く。
「キャー!」
ロザリーは顔を伏せて身体を震わせた。
「大丈夫よ、ロザリー」
クリスティーナはロザリーをソファに座らせると、優しく背中をさする。
「も、申し訳ありません。お手を煩わせてしまって…」
「いいのよ。こんなに激しい雷鳴ですもの。怯えて当然だわ」
「ですが、アンジェ様はちっとも動揺なさらないのですね?」
「そうねえ。雷よりももっと怖いものがあるから」
え?と首を傾げるロザリーに笑ってごまかし、クリスティーナは心の中で案ずる。
(これだけ視界が悪いと見張りも役に立たない。それにこの雷雨。忍び込む物音や足跡さえ消してくれる。もし私が敵なら忍び込むのは今だわ)
王太子は隣の執務室にいるが、一人にしない方がいい。
そう思い、クリスティーナは立ち上がる。
「ロザリー。わたくし少し王太子様とお話があるの。あなたは侍女達のお部屋にいてくれる?」
「え?はい。かしこまりました。何かあればすぐに参りますので」
「ありがとう」
ロザリーと別れてクリスティーナは一人、王太子の執務室のドアをノックした。
「殿下、アンジェにございます」
「どうぞ」
「失礼いたします」
深々とお辞儀をしてから入ると、広いデスクの向こうで王太子が顔を上げた。
クリスティーナを見て、にこやかな笑みを浮かべる。
「これは珍しい。君の方から私に会いに来てくれるなんて。どうかしたのかい?もしかして、私に会いたくなったとか?」
「いえ、あの…」
クリスティーナは部屋に二人きりなのを確認すると、声を潜める。
「殿下、このように荒れた天候では用心しなければ…」
「ん?ああ、雷が怖いんだね。おいで。私のそばにいるといい」
「いえ、そうではなく」
そこまで言った時、王太子の後ろの大きな窓の外に稲妻が走った。
と同時に、黒い人影が一瞬だけ浮かび上がる。
「殿下、伏せて!」
クリスティーナは左手をデスクについてヒラリと飛び越えると、王太子を自身の背中でかばいながら後ずさった。
バリン!と窓を割る音がしたが、それよりもはるかに大きな雷の音が響き渡る。
(助けを呼んでも無駄ね。聞こえやしないわ)
クリスティーナは覚悟を決めると、ドレスの下に忍ばせておいた短剣を握りしめる。
「誰なの?姿を見せなさい!」
割れた窓を睨みながら剣を構え、クリスティーナは敵の動きを待った。
外から雨と風が一気に吹き込み、クリスティーナの身体を打ちつける。
微動だにせず神経を研ぎ澄ましていると、ヒュッと何かが空を切る音がして、クリスティーナは反射的に短剣で払いのける。
トスッとデスクに矢が刺さったのを見ると、クリスティーナは一気に怒りを爆発させた。
「こんな至近距離で飛び道具を使うなんて、あなたどれだけ肝っ玉が小さいのよ?正々堂々と戦いなさい!相手はこんなにか弱そうなレディなのよ?それでも怖気づくなんて、この腰抜けが!」
ブッ!と背後で王太子が吹き出す。
やがてユラリと黒いマントの男が姿を現すと、クリスティーナは左手を横に伸ばして王太子を守りながら右手で短剣を構えた。
男はマントを翻してクリスティーナに飛びかかる。
その手には長い剣が握られていた。
キン!とクリスティーナは短剣で受け止め、王太子をかばいながら壁際へと後ずさる。
隙を見て、壁に掛けられている剣を掴もうとしていた。
(あと少し…)
するとすぐ後ろの窓がバリンと割られ、部屋にサッと誰かが入って来た。
(ええ?!もう一人いたの?)
さすがに手一杯だとクリスティーナが顔をしかめた時、意外にもその人物はクリスティーナを守るように敵の前に立ちはだかった。
「大丈夫か?」
「ええ」
背を向けたまま声をかけられ、クリスティーナは相手を見上げる。
(誰かしら。あ!近衛隊の制服!)
マントを着ているが、その下のロイヤルブルーの軍服には見覚えがあった。
(この身長と黒髪は…。フィルね?!)
顔は見えずとも後ろ姿だけで分かる。
クリスティーナに代わって敵と剣を交えているフィルの背中をまじまじと見つめていると、更に誰かが窓から飛び込んできた。
「もう、また窓から…。今度は敵なの?それとも味方?」
うんざりしながら、クリスティーナは剣を構える。
一気に襲いかかられ、ああ、敵なのねと独りごちて相手とやり合っていると、更にもう二人敵が現れた。
「一体何人いるのよ?!」
王太子をかばいながら短剣で戦うのには無理がある。
押され気味になったクリスティーナがグッと奥歯を噛みしめた時、壁際に辿り着いたフィルが掛けてあった剣を取り上げた。
「自分の身は自分で守れ!王太子」
そう言いながら、フィルは剣を鞘ごと王太子に投げる。
「ちょっ、フィ…、あなた!王太子様になんて口をきくのよ?!」
思わず名前を口走りそうになりながら、クリスティーナはフィルを咎めた。
「やれやれ。俺は読書が趣味のインドア派なんだよ」
王太子はため息をつきながら剣を引き抜く。
「仕方ない。久しぶりに一戦交えますか」
そして三人それぞれ、敵を相手に剣でやり合う。
最初に仕掛けたのはフィルだった。
相手の剣を弾き飛ばすと、受け取れ!と自分の剣をクリスティーナに投げてから、床に刺さった敵の剣を引き抜く。
クリスティーナはフィルの剣を右手でキャッチし、すぐさま敵の剣を受け止めると、懐に飛び込んで相手のみぞおちを短剣の柄で打った。
ウグッと敵が床に倒れると、フィルが驚いたようにクリスティーナを見た。
「君、一体…」
「敵はまだいるわ。油断は禁物ですわよ」
「え?」
思わず手を止めたフィルに代わって、クリスティーナは振り下ろされた敵の剣を受け止める。
手首を返して敵の剣先を下に向けると、すかさずフィルが下から剣をすくい上げて弾き飛ばした。
「おお、ナイスコンビネーション」
王太子が感心したように呟く。
「殿下、伏せてくださいませ!」
最後にクリスティーナが思い切り剣を横に払い、王太子と相見えていた敵の剣を弾き落とした。
「これで全員ね。ちょっと失礼」
そう言ってクリスティーナはフィルの腰に手を回し、ベルトに繋いであったロープを取ると、床に転がった男達を次々と後ろ手に縛り上げた。
ふう…とひと息ついたクリスティーナは、次の瞬間ハッとして扉を振り返る。
「国王陛下と王妃陛下は?!」
「大丈夫だ。ひと足先に連隊長とオーウェン隊長が部隊を引き連れて向かった」
「そうなのね」
それならきっと大丈夫、とフィルの言葉にホッとしたクリスティーナは、思い出したとばかりにフィルを睨んだ。
「フィ…あなたね。王太子様になんて無礼なことをしたか分かってる?」
「何が?」
「何がじゃないわよ!よくもあんな失礼なセリフを…」
「ああ。『自分の身は 自分で守れ 王太子』か?交通安全のポスターの横に書いてあったな」
「そんな訳ないでしょう!」
クリスティーナの剣幕に「おお、怖っ」とフィルが首をすくめる。
「殿下、本当に申し訳ありません。わたくしからお詫びいたしますわ。どうか今回ばかりはお許しを…」
そう言って頭を下げてから、クリスティーナは、ん?と首をひねった。
(殿下とフィルって…。似てる?)
控えめに王太子とフィルを見比べてみると、髪型や醸し出す雰囲気は違えど、顔はよく似ている。
(他人の空似かしら。それにしては…)
そこまで考えた時、バタンと扉が開いてドヤドヤと大勢の人が駆け込んで来た。
「王太子殿下!」「フィル!」「アンジェ様!」
連隊長にオーウェン隊長、そしてロザリーが一斉に口を開く。
「大丈夫。皆、無事だ」
王太子の言葉に一同はホッと胸をなで下ろす。
「ご無事で何よりです。国王陛下、王妃陛下もご無事でいらっしゃいます。直ちに敵の兵の取り調べを開始します」
「ああ、ご苦労」
父である連隊長と王太子のやり取りを聞いていたクリスティーナに、ロザリーが慌てて駆け寄って来た。
「アンジェ様!お身体がびしょ濡れですわ」
「え?ああ。雨が吹き込んできたから」
「このままでは風邪を召されてしまいます。さあ、お部屋へ。すぐにお湯を用意いたします」
「ありがとう」
ロザリーに促され、クリスティーナは王太子に失礼いたしますとお辞儀をしてから部屋をあとにした。
*****
「…アンジェ」
聞こえてきたかすかな声に、クリスティーナは目を覚ます。
「殿下?」
「ああ。夜中に起こしてすまない。これから話すことを落ち着いて聞いて欲しい」
はい、と頷くと王太子はベッドに入り、クリスティーナのすぐ近くに横たわった。
敵に攻め込まれた時は酷く荒れた天気だったが、今は雨も止み、静かな闇が広がっている。
あの後、縄で縛った敵の兵を調べたところ、かなり正確な王宮の内面図を持っているのが分かった。
敵の連合国軍は、この王宮のどこに国王や王妃、王太子がいるのかを熟知して兵を送り込んできたのだ。
国王達は早急に今後の戦略を練り始め、どうやらその結論が出たらしい。
二人きりになるチャンスを待って、王太子は今こうしていつもより近くで自分に話しかけているのだろうと、クリスティーナは耳をそば立てた。
「敵は既にこの王宮の内部を手に取るように把握している。そこで我々は、ここから少し離れた離宮に避難することにした」
「離宮、ですか?」
「ああ。ここから馬車で二時間ほどの所にある、こじんまりとした屋敷だ。出発は夜明け前の四時。最低限の身の回りの物だけまとめてくれ。急な話で申し訳ない。敵はいつまた襲ってくるかも知れず、一刻を争うからな」
「かしこまりました。仰せのままに」
「ありがとう。それから敵の目を欺く為に、移動中君は侍女達の馬車に乗って欲しい。父と母も、わざと質素な一番後ろの馬車に乗る」
「そうなのですね。では、本来国王陛下と王妃陛下の為の馬車にはどなたが?」
「カモフラージュとして、近衛隊員と侍女が乗る」
えっ!とクリスティーナは思わず身を起こす。
「侍女とは?まさか、ロザリーのことですか?」
「ああ。侍女の人数もなるべく減らしたいから、母の侍女と君の侍女の二人だけしか連れて行かない。そのどちらかに頼むとしたら、ロザリーだろう」
「それはいけません!」
声を潜めながら、身を乗り出してクリスティーナは訴える。
「ロザリーをそんな危険にさらす訳にはまいりません。わたくしが乗ります」
「しかし、それでは君が危険な目に遭うかもしれない。それに近衛隊員が必ずロザリーを守るから」
「いいえ。ロザリーは雷にも怯えて震えるほどか弱いのです。たとえ敵の手が及ばずとも、そのような怖い思いをさせるだけでもわたくしは耐えられません」
「だからと言って君が代わりにというのも…」
「同乗する近衛隊員が必ずわたくしを守ってくださるのですよね?でしたら何も問題はありませんわ。どうしてもお許しいただけないのなら、わたくしはロザリーと共にここに残ります」
それは!と声を上げてから、王太子は大きく息を吐いた。
「分かった。君の言う通りにしよう」
「本当ですか?!」
「ああ、君に口で勝てる人間などいないだろうな」
「あら、そんなことはございません。いつもはおしとやかに頷いておりますわ」
「どうだか…。とにかく今はゆっくり眠ってくれ。休めるうちに身体を休めなければ」
「はい。殿下は?」
「俺もここで休む。時間になったら起こすから」
「かしこまりました」
「おやすみ、アンジェ」
「おやすみなさいませ、殿下」
二人は束の間の休息を取った。




