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父との対決

「お父様!」


 馬車から降りるなり、膝から崩れ落ちそうになる父に、クリスティーナは慌てて駆け寄って肩を貸す。


「どうなさったの?!」

「心配するな、大した怪我ではない」


 そう言って隠そうとする右腕を、クリスティーナが有無を言わさず掴んだ刹那、父はウッと呻いて顔をしかめた。


 ランプの灯りに目を凝らすと、父の軍服の右袖は赤黒く変色している。


「スザンヌ、すぐにお医者様を…」


 後ろに控えていた侍女に声をかけると、かぶせるように父が声を張った。


「いらぬ!この程度で医者など呼ぶな。悪い噂が立つ」


 クリスティーナの腕を振りほどき、ツカツカと屋敷に足を踏み入れる父のあとを慌てて追いかける。


「お父様、とにかく手当を」


 スザンヌが急いで取りに行った薬箱を受け取ると、父に続いて執務室に入る。


 ドサッとソファに身を投げるように座り込んだ父の隣に座ると、クリスティーナは手際良く袖をまくり、薬を塗り込んでいった。


 肩から肘にかけてザックリと傷口が開いており、まだ出血も続いている。


 医者を呼ぶべきなのは分かっているが、父の言葉を無下にも出来ない。


 クリスティーナは、苦悶の表情を浮かべる父の様子を横目で見ながら、清潔な白い布をきつく巻いていく。


「お父様、とにかく寝室へ。しばらくは安静になさいませ」

「ああ」


 するとノックの音がして、母のマリアンナと妹のリリアンが駆け込んできた。


「あなた!」

「お父様!」


 父はスッと表情を変えていつもの落ち着いた口調で言う。


「二人とも、こんな夜更けまで起きていたのか?夜半過ぎだぞ」

「だって、皆が慌ただしく廊下を行き来していて。お父様のお帰りも遅いし、何かあったのかと…」


 まだ十三歳のリリアンが涙目で訴えると、父は優しくリリアンの頭に手を置いた。


「大丈夫だ。それより早く寝ないと、幽霊に見つかるぞ?リリアン」


 リリアンが目を見開いて息を呑むと、父は愉快げに笑って部屋を出ていった。


 *****


 先祖代々、国王の近衛連隊長を務めてきたジェラルド家は、その活躍ぶりを称えられ伯爵の爵位を授けられた。


 クリスティーナ=アンジェ=ジェラルドは、そんなジェラルド家の嫡女として生まれた。


 父のハリスは、男子が生まれればもちろん自分の跡を継がせる気だったが、生まれてきたのはクリスティーナとリリアンの女子二人。


 その後は子を授からず、思い詰める母の気を紛らわそうと、クリスティーナは父に剣術や馬術を教わった。


 メキメキと腕を上げるクリスティーナに、段々父も本気で対戦するほどになる。


「なかなかやるな、クリスティーナ。今すぐにでも我が近衛隊に招きたいくらいだ」


 真剣を交えるキン!という音が響く中、父のハリスはニヤリと口元を緩める。


「油断は禁物ですわよ、お父様。ほら!」


 父の剣を正面で受けたクリスティーナは、そのまま剣を横に振り払うのと同時に、ふっと身を屈め、相手の懐深くに潜り込んだ。


 喉元に切っ先を向けられて、ハリスはグッと喉を詰まらせる。


「まったくお前は…。すばしっこくて手に負えん。男より背が低い分、対戦相手としての感覚も掴めんしな」

「ふふ。力では敵いませんが、意表を突く動きなら負けませんわ」


 血筋のせいか、父に劣らぬ剣の技を繰り出すクリスティーナは、自身もこうして日々鍛錬を積むことが嫌いではなかった。


 ここコルティア国は、十年前に隣国からの侵略を受け、国民の暮らしは一変した。

 緑豊かで広大な土地に穏やかに暮らしていた平和な国が、ある日いきなり宣戦布告を受けて攻撃されたのだが、対抗する戦力はほとんどなかった。

 ”平和ボケ”か?と揶揄され、あろうことか敵国は別の国と手を組み、連合国軍としてますます激しい攻撃を仕掛けてきた。

 コルティア国の軍隊はほぼ壊滅状態。

 そこを救ったのがハリス率いる近衛連隊だった。

 普段は王宮で国王の警備に当たっている近衛兵達を引き連れ、戦場の最前線に乗り込み、長きに渡る接戦をなんとかしのいだ。


 そしてしばしの休戦の間に、国の軍事力を強固なものにしようと、若い男子は皆軍隊に入隊することとなった。

 それまで酪農や農業、林業などが主な国民の営みであったが、今は誰もが武器を作り、質素な生活を送りながら再び始まった争いに耐え忍んでいる。


 最前線で戦うことはなくなったはずのハリスも、国境での争いが激しさを増したとの報告を受け、隊を率いて駆けつける。

 七日間ほとんど眠らずに戦い、その場を収めて帰って来たが、無傷では済まなかった。

 国王への報告を済ませ、夜中に屋敷にたどり着いた時には意識は朦朧。

 馬車の音を聞きつけて屋敷を飛び出して来たクリスティーナには、すぐに怪我を察知されてしまった。

 だが事を荒立ててはいけない。

 自分が深手を負ったと噂になれば自国の軍隊は動揺し、ましてや敵国の耳に入れば隙を突かれる。

 クリスティーナもその事情は承知の上らしく、医者は呼ばずに自らが手当してくれた。


 とにかく今は身体を休めなければ。

 その一心でハリスはベッドに横たわる。

 深い眠りについたハリスは、高熱でうなされたことも、クリスティーナがつきっきりで看病していたことも知らずにただ眠り続けていた。


 *****


「なんですって?明日から軍に戻るなんて、無茶です。お父様」


 ようやくハリスが目を覚ました時には、ニ日が経っていた。

 すぐにでも王宮に戻らなければならない。


 そう言うとクリスティーナは目を向いて抗議した。


「たったのニ日では、まだ身体は回復しておりません。ましてや利き腕の右手にこのような深手を負っていては、剣も握れませんわ」

「だからといって、指揮官の私がいつまでも不在にする訳にはいかん。それほど情勢が悪化していることは、お前なら薄々気づいているのだろう?クリスティーナ」


 小声で尋ねる父に、クリスティーナは小さく頷く。


 どんなに国民が「大丈夫さ!我が国が優勢。じきに戦争も終わるってよ」と口々に話していても、それは敢えて流された噂であるとクリスティーナは確信していた。


 そうでなければ、近衛連隊長の父が何日も帰って来なかったり、このような傷を負うことの説明がつかない。


「とにかく今日は国王陛下にご報告に行ってくるよ」


 ベッドから下りて身支度を整えようとする父を、クリスティーナは慌てて止める。


「無茶です!お父様。まだ傷口も完全にはふさがっておりませんのに」

「クリスティーナ。これくらいの怪我はどうってことないんだ。戦場ではもっと悲惨な光景が広がっている。二本足で歩けるなら、これくらい怪我のうちに入らない」

「お父様!」


 思わず大きな声を出すと、母とリリアンが何事かと部屋に現れた。


「あなた、どうなさったの?」

「お父様、まだ休んでいなければ…」


 駆け寄る二人に、ハリスは穏やかな笑みを浮かべる。


「大丈夫だ。もうすっかり元気になったよ。少し王宮に顔を出したらすぐに戻る」


 そう言ってハンガーから軍服のジャケットを取り左腕を通す。


 右腕は首から布で吊っている状態で、腕を通すことが出来ない。


「ほら、こんな状態だってことを国王陛下に報告してくるよ。しばらくは戦場に赴くことも出来ないってね」

「そうよね。国王陛下も分かってくださるわ。慈悲深いお方ですもの」

「ああ、そうだな」


 クリスティーナは父と母のやり取りをじっと黙って聞いている。

 そして壁に掛けてある剣をニ本取り上げると、皆のあとを追って部屋を出た。


「じゃあ行ってくるよ。リリアン、いい子にしてるんだぞ」


 リリアンの頭をなでてからハリスは妻のマリアンナの頬にキスをする。


 笑顔を残して馬車に乗ろうとする父を、クリスティーナは呼び止めた。


「お父様。私もお供いたします」


 え?とその場の皆が一斉に振り返る。


「何を言っているんだ?クリスティーナ。娘を連れて王宮になど行ける訳がないだろう?」

「お父様は右腕が不自由ですし、体調も万全ではありませんもの。私がつき添います」

「その必要はない。報告に行くだけだ」

「本当に?」


 ハリスは、ギクリと表情をこわばらせる。


 クリスティーナは冷たい口調で続けた。


「報告を済ませたらすぐに戻ると誓っていただけますか?ニ時間後には帰って来ると、お母様とリリアンに誓ってくださいませ」

「そ、それは…」


 言葉を詰まらせる父にクリスティーナは詰め寄る。


「お父様。戦場に戻るおつもりですね?」

「あなた!まさか、そんな」

「おやめになって。お父様」


 マリアンナとリリアンの悲痛な声に、ハリスはうつむいて小さく息を吐く。


「仕方ないのだよ。今この国はそれほど追い詰められている。我々が食い止めなければ、敵はこの町へも押し寄せて来るかもしれない。お前達を危険な目に遭わせる訳にはいかないんだ」


 ハッと息を呑む母と妹を見ると、クリスティーナはもう一度父に向き合った。


「お父様、ご決断ください。行くのをやめるか、もしくは私を連れて行くか」

「何を言う、クリスティーナ。お前、まだ分からないのか?我が国がどれだけの窮地に陥っているか…」

「分かっているから申し上げているのです。どんなに私達が止めてもお父様は戦いの場に行かれるのでしょう?でしたら私がお守りします」

「バカな!お前は戦のことなど何も分かってはいない。どんなに恐ろしい目に遭うか、想像もつかないだろう?ましてやお前は女だ。足手まといになるだけだ」

「ではこういたしましょう。今、この場で私と剣を交えてくださいませ。私が負ければついて行きません。ですがお父様が負ければ私はお供いたします」

「な、何をバカなことを!まだ分からないのか?」

「お父様こそ、何をそんなに慌てていらっしゃるのです?まさかご自分が私に負けるとでも?」

「思い上がるな!そんなことある訳がない」

「でしたら話は簡単ですわ。私を打ち負かし、お一人で悠々と馬車に乗って出発なさいませ」


 クッと顔を歪めるハリスに、クリスティーナは剣を差し出す。


「クリスティーナ!」「お姉様!」


 母と妹の声を聞き流し、クリスティーナは左手で鞘から剣を引き抜くと、右手を背中の後ろに回した。


 ハリスは眉を寄せる。


「…なんのつもりだ?」

「お父様にあとで言い訳されては困りますもの。利き腕が使えなかったから娘に負けた、などと」

「ふん!良かろう。お前のその天狗になった鼻、五秒でへし折ってやろう」


 ハリスとクリスティーナは、互いに左手で剣を構えた。


 間合いを取りながらしばらく睨み合った後、先に仕掛けたのはハリスの方だった。


 剣を斜め上から一気に振り下ろす。


 クリスティーナはヒラリと身をかわし、その剣を上から叩いて振り払った。


 今度は真横に切り込もうとする剣を、またもや真上から叩き落とす。


 キン!という剣のぶつかり合う音が何度も庭に響く。


「守るだけで手一杯じゃないか。それではいつまで経っても敵を倒せんぞ」

「お父様こそ、息が上がっていますわよ。そろそろ体力の限界では?」

「何を言う!」


 ハリスが力任せに大きく振りかぶった時、クリスティーナの瞳がきらりと光った。


(今よ!)


 振り下ろされる剣を下から上に払いのけると、素早く間合いを詰めて身を屈める。


「勝負ありましたわね、お父様」


 左肘を曲げ、切っ先をハリスの喉元すれすれに突きつけたクリスティーナがほくそ笑む。


「くっ、お前、いつの間に左手でこんな…」

「申し上げましたでしょう?力では敵いませんもの。ありとあらゆる鍛錬を積んでまいりました」


 そう言って身体を起すと、鞘に剣を納める。


「さあ、ではご一緒にまいりましょう。お供いたしますわ、お父様」


 にっこり微笑むクリスティーナに、ハリスは言葉もなくうなだれた。

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