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スターダストを捕まえて  作者: 菜月
第一章
5/10

 翌日、シャワーは凛が女学校に行っている間に業者がやってきて、無事直ったらしい。

 何度も念押ししたせいか、朝一番に大量の部品を持って訪れた業者のおかげで、礼央が事務所に乗り込んでくることもなかった。


 ただそれ以降も、鏡前の電球が切れただの、電気の使いすぎで楽屋のブレーカーが落ちただの、冷房の効きが悪くて暑いだの……、雑用としか言えないような連絡が次々と入り、ひたすら対処方法を教わって対応しているうちに気づけば閉館時間を迎える、という日々が続いていた。


 劇場には清掃係や用務員も雇われているので、前述した雑用は彼らの詰所に連絡して指示を出し対応してもらうことがほとんどだ。だから実際に凛が現場に出ていくことはないのだが、何かが起これば後処理が残るのは、前世で散々経験した会社勤めと変わらない。

 聞けば些細な用件で事務所の内線電話は鳴り続け、劇団員たちからの要望を聞くだけで、あっという間に時間が過ぎていった。


 その間も、舞台では無事にリハーサルが進み、いよいよ明日は本番と全く同じように行う通しリハーサル――ゲネプロと呼ばれている――というところまでたどり着いた。

 忍も凛も、明日は雑務を切り上げ、ゲネプロを見学する予定だ。


 しかし帰宅した凛はひとりきりの部屋で、こんなつもりじゃなかったんだけど……と深刻な表情で考え込む。羽毛の詰まったふかふかのクッションを、無意識のうちに殴ってしまうくらいに。


 凛が教わりたいのは企画・プロデュース的な仕事なのだ。

 だが、ほとんど仕事という仕事をせぬまま、今日まで来てしまった。

 このままでは、支配人どころか世話役としての仕事も覚えられぬまま、公演が始まり、終わっていってしまう気がする。


 凛がそう不安に感じるのは、忍が体よく雑務を教えて、音を上げるのを待っているように感じられるからだ。もちろん、雑務だって大事な仕事だと思っているけれど、女学校の授業を終え、劇場事務所についた途端、凛に与えられたデスクの真ん中には内線電話が置かれるのだ。

 それ以外のことをするなと言わんばかりのその対応に、さすがの凛もフラストレーションが溜まっていた。


 だからと言って、祖父に言いつけるのは躊躇われた。自分の力で忍を納得させないと、いつまで経っても望む仕事は教えてもらえないし、任せても貰えないだろう。




 お披露目公演の初日は、日曜日のマチネに設定されていた。マチネとは昼公演のことである。

 女学校が休みなので、凛も土日は朝から劇場に出勤できる。

 最近は在宅で仕事をしていた祖父も、さすがに本番を明日に控え、前日は朝から出勤だ。

「車で行くから一緒に行こう」と言われ、祖父と一緒に黒光りするハイヤーに乗り込んだ。

 凛は女学生の平均ほどの背丈だが、祖父も同じくらいの身長だ。若干腰が曲がっているから、凛よりも低い位置に頭があった。遺伝なのか、身体は心配になるほど細いが、スリーピースのスーツを着込み、蝶ネクタイをし、ステッキをつきながら歩く姿は、さすがに支配人の貫禄を感じさせる。


 楽屋口の目の前に車がつくと、どこから聞きつけたのか、中から警備員が扉を開けて出迎えてくれた。

 普段はなかなか来ないエレベーターも、狙い済ましたかのようなタイミングで到着する。呼んでおいてくれたのだろう。従業員にそこまでさせる劇場支配人・鷹司藤吉としての姿を凛は初めて目の当たりにしていた。


 劇場事務所の扉を開けた瞬間、中にいたスタッフが立ち上がり、口々に「おはようございます」と頭を下げる。朝だからか、忍の他にも、ロビーをとりまとめるフロントスタッフの責任者や、チケット販売の窓口を担当している社員など、フルメンバーが揃っていた。


 そんな彼らに鷹揚に「おはよう」と手を振りながら、藤吉は部屋の奥の一際立派なデスクに向かった。忍が音もなくその後を追う。慌てて凛も続いた。


「おはようございます、支配人。いくつか報告がございます」


 早速話し始めた忍の声に耳を澄ませる。ここ数日対応した些細な案件や、チケットの売れ行き状況、ゲネプロを経て決まった上演時間の告知や今後上演を想定している作品案などを澱みなく伝えたあと、忍はいったん言葉を切った。


「また増税の件ですが……」


 初めて聞く話題に、凛はちらりと忍と藤吉を見比べた。藤吉は目を閉じて聞いているので、何を考えているのかわからない。忍は、いつものクールな表情がわずかに曇り、苦々しいものを含んだ顔になっていた。


「領主付けの書面が送付されてきまして、今後チケットにかける税金を20パーセントに上げる、と」


 思わず声が出そうになって、凛は慌てて手で口を塞いだ。20パーセントとは信じられない額だった。

 前世では税金10パーセントで死活問題だったのに、それを20などと。


 この時代では、基本的に消費税は存在していなかった。けれど品目によってかかる税が異なっており、舞台演劇には娯楽税がかけられていた。現在の税率は5パーセント。


「詳しい期日は指定されておりませんが、おそらく次の発売日からそうしろと圧力をかけてくるかと思われます」


 忍はそう言って、送られてきたという書面を強く握った。目を開いた藤吉が手を差し出し、皺の寄った書面を受け取る。素早く目を走らせると、深々とため息を着いた。


「東雲大臣になってから、締め付けが相当厳しくなったのう……」

「はい。このままでは今後、20パーセントでは済まなくなるかと」


 忍の言葉に祖父はふむ、と顎髭に触れた。


「領主様は体調を崩されているらしいから、東雲大臣が好き勝手にやっておるのだろう」

「それにしては横暴が過ぎますが……」


 忍が思わず本音を漏らし、慌てて口を押さえている。


「そうじゃの。まあしばらくの我慢だと思うが……」


 藤吉はそう言ったものの、何かを考えるようにぐるりと目を動かした。


「これは、売上を増やさんといかんな……」

「売上を増やす、ですか?」

「左様。20パーセントは無茶苦茶だが、大臣に楯突いても余計に締め付けが厳しくなるだけじゃ。幸い、増税は『チケットに関して』と書かれている。つまりそれ以外には不要ということ」


 藤吉の言葉になるほど、と頷いた忍は、しかし考え込んでしまった。


 売上を増やす。その言葉に、黙って聞いていた凛の頭によぎるものがあった。

 そう、前世で死ぬほど集めていた、アレである。


「あの」


 思い切って声を上げると、藤吉と忍の視線が凛に集中する。

 祖父としてではなく、支配人としての鋭い眼光に怯みそうになりながらも、凛は言葉を続けた。


「今、劇場で販売しているのは、公演プログラムだけ、ですよね?」

「そうですよ」


 何を言っているんだ、といわんばかりの冷たい忍の視線を受け流し、


「でしたら、私に良い考えがあります」


 凛はそう断言した。

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