『ポンコツ聖女』と『呪われ王子』のすれ違い勘違い!? 実は最強の癒し魔法でこっそり救ってました
「はぁ……また失敗しちゃった」
ぽとり、と手の中の小さな光が頼りなく消える。目の前では、訓練用の傷ついた木の人形が、かすり傷ひとつ治らないまま私を見つめ返していた。
「リリアナ、あなた本当に……ねぇ?」
「もう何度目かしら。才能がないなら、せめて努力だけでも見せてほしいわ」
背後から聞こえる同僚たちのひそひそ声と、教官の盛大なため息。いつものことだと分かっていても、胸がきゅっと痛くなる。
(本当は、違うのに……)
私、リリアナ・クローバーには秘密がある。それは、触れたものの傷や、時には呪いさえも浄化してしまう、強力すぎるほどの癒しの力。でも、この力はあまりにも強大で、まだうまくコントロールできない。下手に使えば自分の消耗も激しいし、何より、こんな途方もない力を「ポンコツ」な私が持っているなんて、誰も信じてくれないだろう。隠して、簡単な回復魔法が苦手なフリをするのが、私の処世術だった。
そんなある日、神殿長様に呼び出された私は、予想もしない命令を受けることになる。
「リリアナ、お前に隣国アスター王国の第一王子、エリオット様の世話係を命じる」
「えっ、わ、私がですか!?」
エリオット王子といえば、原因不明の呪いに侵され、日に日に衰弱していると噂の方だ。療養のために我が国の離宮に滞在されているとは聞いていたけれど、まさかそのお世話係に、この私が?
「王子は気難しく、これまで何人もの侍女や聖女が匙を投げている。だが、お前なら……まあ、その、なんだ。あまり期待はされていないだろうから、かえって王子のご負担にならないかもしれん」
……それって、要するに厄介払いってことですよね? 神殿長様、本音がだだ漏れです。期待されていないから、失敗しても被害が少ないと思われているんだろうな。落ち込みつつも、これも聖女としての務め。断ることはできなかった。
こうして私は、期待と不安、そしてほんの少しの決意を胸に、離宮へと向かったのだ。
離宮の一室は、想像していたよりも質素で、けれど静謐な空気が漂っていた。カーテンが引かれ薄暗い部屋の中、ベッドに横たわる人影があった。銀色の髪が枕に散り、閉じられた瞼の下には濃い隈。整った顔立ちは驚くほど美しいけれど、その顔色は病的に白く、纏う空気は氷のように冷たい。
「……誰だ」
低く、掠れた声。ゆっくりと開かれたアイスブルーの瞳が、私を射抜いた。その視線の冷たさに、思わず息を呑む。
「あ、あの、本日よりお世話をさせていただきます、聖女のリリアナ・クローバーと申します!」
緊張のあまり、声が裏返ってしまった。慌てて深くお辞儀をしようとした瞬間、足元がおぼつかなくなり、ぐらり、と体が傾く。
「きゃっ!」
すぐそばにあったサイドテーブルの花瓶に手が当たりそうになり、慌てて体勢を立て直す。幸い、花瓶は倒れずに済んだけど、中の水が少しだけ床に跳ねてしまった。
「…………」
エリオット王子からの、温度のない視線が突き刺さる。そして、深い深いため息。
「…神殿も、人を寄越せば良いと思っているのか。目障りだ。…下がれ」
拒絶の言葉は、冷たく私の心を抉った。
(うぅ…やっぱり、私じゃダメなのかな…)
でも、彼の苦しそうな顔を見ていると、放ってはおけなかった。こんなに美しい人が、呪いなんてものに蝕まれているなんて。
(怖い人だけど、すごく苦しそう…なんとかしてあげたい)
私のこの力なら、もしかしたら。そうだ、表向きはドジな世話係を演じながら、こっそり癒しの力を使えばいいんだ! そうと決まれば、落ち込んでいる暇はない。
「は、はい! 失礼いたします!」
私は努めて元気に返事をして、そっと部屋を後にした。これから始まる、秘密の二重生活に、胸をドキドキさせながら。
それからの日々は、まさにドタバタの連続だった。
日中の私は、エリオット王子専属の『ポンコツ世話係』。お茶を運べば、なぜか手元が狂ってソーサーに少しこぼしてしまうし、彼が読んでいる本を取り替えようとすれば、うっかり他の本まで床に落としてしまう。薬草を煎じれば、「…なんとも形容しがたい香りだな」と王子に眉を顰められる始末。
「君は本当に…騒々しいな」
「も、申し訳ありません!」
呆れたような声に平謝りするけれど、内心は冷や汗ものだ。それでも、部屋の隅々まで丁寧に掃除したり、窓辺に毎日違う野の花を飾ったり、彼が黙って窓の外を眺めている時は、ただ静かにそばに控えていたり。できる限り、彼が少しでも心穏やかに過ごせるように、私なりに心を込めてお世話をした。
最初は冷たく私を無視していたエリオット王子も、数日経つと、呆れながらも私に短い言葉をかけるようになった。
「…その花は、どこで摘んできたんだ?」
「離宮の裏庭です! とても綺麗だったので…」
「ふぅん……」
興味なさそうな返事だけど、ほんの少しだけ、彼の視線が窓辺の花に向けられた気がした。
そして、夜。エリオット王子が深い眠りについたのを見計らって、私は再び彼の部屋へと忍び込む。これが、私のもう一つの『お仕事』だ。
足音を殺し、息を潜めてベッドサイドへ。月明かりに照らされた王子の寝顔は、昼間の険しさが嘘のように穏やかで、どこか幼くも見えた。その美しさに、思わずどきりとしてしまう。
(いけない、集中しないと…)
そっと、彼の額に手をかざす。指先から、温かな光の粒子が流れ出すイメージ。力を制御しながら、ごく少量ずつ、彼の内にある呪いの淀みを浄化していく。次は、冷たくなっている彼の手を取って、同じように。
(お願い、少しでも楽になりますように…)
彼の眉間に刻まれた苦悩の皺が、ほんのわずかに和らぐのを見ると、私は心の底からほっとするのだった。誰にも知られてはいけない、秘密の治療。バレないかという緊張感と、彼に触れているという事実に、私の心臓はいつも早鐘を打っていた。
そんな日々が二週間ほど続いた頃。エリオット王子の体調は、目に見えて上向き始めていた。
「王子、最近よく眠れているご様子。顔色もずいぶんと良くなられましたな」
長年仕えているらしい侍従長さんが、嬉しそうに報告しているのが聞こえてきた。エリオット王子自身も、朝の目覚めの良さや、体の軽さを実感しているようだった。
「…ああ。理由は分からんがな」
そう呟く彼の視線が、ふと私に向けられる。どきり、とした私に、彼は少しだけ口角を上げて言った。
「君は昼間は相変わらず役立たずで騒々しいが、夜は静かで助かる。君が来てから、夜中に悪夢で目が覚めることが減った」
(えっ……!?)
それは、私が毎晩こっそり癒しの力を使っているからなのに! でも、彼はそれを知らない。きっと、私がいない夜は静かで安眠できる、と思っているんだ。
(やっぱり、昼間の私は邪魔なんだ……)
がっくりと肩を落とす私。せっかく体調が良くなってきたのは嬉しいけれど、なんだか複雑な気持ちだった。
「…どうした? 不満そうな顔だな」
「い、いえ! とんでもないです! 王子がお元気になられるのが一番です!」
慌てて笑顔を作る私に、彼は「そうか」とだけ言って、また窓の外に視線を戻した。
(ああ、神様。このすれ違い、いつまで続くんでしょうか……)
私の心は、晴れたり曇ったりを繰り返していた。
その夜のことだった。いつもより月が赤く見える、不吉な予感のする夜。
突然、離宮全体が揺れるような、禍々しい気配が立ち込めた。侍女たちの短い悲鳴と、慌ただしい足音。胸騒ぎを覚えて部屋を飛び出すと、エリオット王子の部屋の方から、黒い靄のようなものが漏れ出しているのが見えた。
「エリオット様っ!」
嫌な予感が的中した。部屋に駆け込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。
エリオット王子がベッドの上で身悶え、苦しみに顔を歪めている。彼の体からは、これまで見たこともないほど濃密な黒いオーラが立ち上り、部屋中の空気を淀ませていた。侍医や侍従たちが必死に何かをしようとしているけれど、その禍々しい気に阻まれて近づくことすらできない。
「ぐっ……うぅ……!」
彼の苦悶の声が、私の心を締め付ける。
(どうしよう…このままじゃ、エリオット様が……!)
私の癒しの力。いつもは隠してきた、制御しきれないこの力。でも、今、彼を救える可能性があるのは、これしかない。
(怖い。もし失敗したら? もし、力が暴走したら? でも……!)
彼の苦しむ姿を見ていることなんてできない。
(もう、隠している場合じゃない!)
私は覚悟を決めた。人々の制止を振り切り、ベッドへと駆け寄る。
「エリオット様!!」
彼の冷たい手を、強く、強く握りしめた。そして、心の奥底に眠る力のすべてを解き放つイメージを叩きつける。
次の瞬間、私の体から、まばゆいばかりの黄金色の光が溢れ出した。温かく、清らかで、力強い光。それは部屋全体を満たし、エリオット王子を包む邪悪な黒い靄を、まるで朝日の前の夜霧のように浄化していく。
「なっ……!?」
「こ、これは……聖なる光……!?」
部屋にいた誰もが、その奇跡的な光景に息を呑む。
光の中で、エリオット王子の苦悶の表情が、ゆっくりと和らいでいくのが見えた。蝕んでいた呪いの気配が、急速に薄れていく。
そして、薄れゆく意識の中で、彼のアイスブルーの瞳が、確かに私を捉えた。驚きと、信じられないものを見るような色を浮かべて。
「……リリアナ……?」
その声を聞いた瞬間、私の全身から力が抜け、意識が遠のいていくのを感じた。力を使い果たしたのだ。
(よかった……エリオット様……)
最後に彼の穏やかな顔を見た安堵感と共に、私は深い闇へと落ちていった。
次に目を覚ました時、私は見慣れない天井の下、柔らかなベッドの上にいた。離宮の一室らしい。体を起こそうとすると、すぐそばから声がかかった。
「…気がついたか」
その声に、心臓が跳ねる。ゆっくりと横を向くと、ベッドサイドの椅子に、エリオット王子が座っていた。顔色はずっと良く、あの冷たい雰囲気も少し和らいでいるように見える。
「エリオット様…! ご無事で…」
「ああ。君のおかげだ」
静かな声だった。アイスブルーの瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
「…なぜ、力を隠していたんだ?」
やっぱり、聞かれるよね。私は俯いて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「…私、うまくこの力を制御できなくて…それに、誰も信じてくれないと思って…ポンコツだって、言われるのが、怖くて……」
みっともない理由かもしれない。でも、それが私の本心だった。すると、彼は静かに息を吐いて、言った。
「すまなかった」
「え?」
「君が、どれほど強い力と、そして優しい心を持っていたか、俺は気づけなかった。それどころか、役立たずだと決めつけ、冷たい態度をとった」
彼の真摯な謝罪に、私はただ目をぱちくりさせることしかできなかった。
「君は、ポンコツなどではない。君は……俺の、いや、この国の希望の光だ」
そう言って、彼は私の手を取った。彼の手に触れるのは、秘密の治療の時以来だ。でも、あの時とは違う。彼の温かい体温が、私の心にじんわりと広がっていく。
「君のそばにいると、なぜか心が安らいだ理由が、ようやくわかった」
彼は少し照れたように視線を逸らしてから、もう一度、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、今まで見たことのない、熱い色が宿っている。
「リリアナ」
名前を呼ばれて、びくりと肩が震える。
「これからも、俺のそばにいてくれないか?」
それは、命令でも、懇願でもなく、ただ、心からの願いのように聞こえた。
「…いや、いてほしい。君が、必要だ」
その言葉は、魔法のように私の心に染み渡った。彼を救いたい、そばにいたいと思っていた気持ち。それは、いつの間にか、恋という名前になっていたのだと、この瞬間、はっきりと自覚した。
頬が熱くなるのを感じながら、私はこくりと頷いた。言葉は、うまく出てこなかったけれど、きっと、彼には伝わったと思う。彼の手が、私の手を優しく握り返してくれたから。
あの日以来、私の日常は一変した。
私の真の力はすぐに公のものとなり、神殿での扱いは手のひらを返したように変わった。「奇跡の聖女」なんて呼ばれて、なんだかむず痒い。同僚たちも、遠巻きながら尊敬の眼差しを向けてくるようになった。
そして、エリオット王子はというと……。
「リリアナ、少し休憩しないか? 無理はするなと言っただろう」
「リリアナ、この薬草は君が調合したものか? やはり君のが一番効く」
「リリアナ、あまり他の男と親しげに話さないでくれ。…心配になる」
呪いがすっかり浄化された彼は、驚くほど過保護で、独占欲が強くなっていた。以前の冷徹さはどこへやら、私にだけ見せる不器用な優しさと甘い言葉に、私は毎日ドキドキさせられっぱなしだ。周囲には「私の聖女に何かあったら許さない」と公言しているらしく、侍従長さんたちは苦笑いを浮かべている。
「もう、エリオット様ったら…」
嬉しいけれど、ちょっと恥ずかしい。
それでも、彼の隣にいられる日々は、陽だまりの中にいるように温かくて、幸せだ。
『ポンコツ聖女』と呼ばれていた私が、まさか『呪われ王子』の心を(物理的にも精神的にも)救い、こんな未来を手に入れるなんて、夢にも思わなかった。
すれ違いと勘違いから始まったけれど、今はもう、迷わない。
私は、彼の隣で、彼と共に歩んでいく。
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