ユーステッド、入浴す
「ささ!我が屋敷自慢の温泉っすよ~!」
「これは……すごい……」
浴室への扉を開け、中へ入ると、もうもうと湯気を上げる石造りの大きな四角形の湯舟が、ドーンと真ん中に。
「あ!くっさいんで入る前に背中を流しますね~こっちこっち!」
「くっさいいうんじゃな……わっゎっ!走ると危ない!転ぶ!」
木の椅子に座らされ、手桶で浴槽からすくったお湯を僕の頭に豪快にかける。
「あっつぅ!」
「この熱さがいいんっすよねぇ!ねぇ!」
いくらなんでも熱すぎる!僕の肌は結構繊細なんだぞ!同意を求められても困る!
「あわあわ~♪」
ご機嫌で……見たことのない白くて丸い気泡が入った物体を石鹸で泡立てている。……いい香りがふわっと広がっていく……まさか石鹸から?僕の知る石鹸とは違うぞ……王城でも、香りが立つ石鹸は使われていない……。
「いい匂いがする……」
「そうなんっすよ!ティア様の発明品なんすけど、石鹸に花の島で収穫した花の香油を混ぜているんだそうですよ!まだ市場に出せるほどのものじゃないって屋敷でしか使われてないんすよね~。だから自分、色々な時に便乗してここ使っちゃてるんです!」
女辺境伯はそんなことまでやっているのか。
治めている領地を整備したり、よりよく改革していくのは当たり前のことだとは思うが、物作りも自らやっているんだな。ジョニーが言っていた『やり手』っていうのはこういうところも差すのだろう。
「じゃあ背中から洗っていくっすね~!そいっ!」
「イダダダダダダ!!強い!強すぎる!!」
その泡立ててた白い物体は見た目からして柔らかそうだったぞ?
背中に感じるゴリゴリとした感触は、明らかに白い物体を握りつぶした、ジュリーのこぶしから伝わる指の関節だ。こんなことされたら僕の柔肌がえぐり取られてしまう…!
「も、もういい!あとは自分でやるから!」
「そうっすか?じゃあこれと、これ、使ってくださいっす」
白い物体は海綿というらしい。デルフィヌスの海で採れる天然由来のスポンジというものらしい。スポンジケーキというものは知っているが、海にもスポンジと呼ばれるものがあるのだな……。触ってみたらわかるが、確かに気泡があり、柔らかいその感触がスポンジだ。そこに石鹸を擦り合わせて泡立てると、きめ細かい柔らかい泡がもふもふと出来上がっていく。
今まで感じたことのない泡の量と感触に、ジュリーじゃないけど鼻歌交じりで夢中になってしまいそうになる。スポンジが肌を滑ると、柔らかで滑らかな泡と石鹸に練りこまれた香油のいい香りで体が喜ぶのを感じる。
「ちゃんと磨いといたほうがいいっすよ~夕方にはティア様帰ってくるんすからね!」
ようやく……対面というわけか……。
はっ……!
そうか……身なりを整えるのは礼儀として当然ではあるが……この石鹸の香りは女辺境伯の好みの香りで、その香りを僕にまとわせてそのまま寝所へ……そうか……そういうことだな!
「……またしてもまんまと……気持ちのよさに気を散らしてしまった……」
「なにブツブツ言ってんすか?洗い終えたんでしたら入りましょう!」
またしても頭から湯をかけられ悶絶し、ひょいっと、子供の様に抱き上げられて浴槽に落とされるようにおろされる。
強引だったが、悪くはない……お湯はもちろん熱かったが……不思議とすぐに慣れていった。
気持ちがいい……そういえば、温泉と言っていた。改めて聞いてみると、周辺にある島のひとつが火山を有していて、そこから湧いた温泉をこの島まで引いてきているとのことだ。最近のことではなく、相当前で、当時の領主が行ったことだそうだ。
「汗かいて、湯上りに特性のドリンクをグッと行けば頭痛もすぐなくなるっすよ~」
「特性ドリンク……?」
「ミルクベースの美味しいドリンクっす!そしたら朝食にいきましょう!」
グゥッとお腹が鳴った。そういえば僕は……結局昨日から何も食べていない……。
空腹だと自覚したらドンドン腹の虫の声が大きくなっていき、汗をかくのをそこそこに浴室をでることにした。
用意されていた着替えの下着以外はデルフィヌスで仕立てられてた、僕のサイズに合った動きやすいものだった。カバンの仕立てのセンスも良かったが、服のセンスもいいとは……恐れ入る。
僕より早く着替えを終えたジュリーが階段を駆け上がってすぐに戻ってきて、少し黄色味がかった乳白色の液体が入ったコップを渡してきた。これがさっき言っていた特性ドリンクか……鼻を近づけて香りをかいでみると、甘い果物の香りをいくつも感じる……ゴクリと生唾を飲み込んでしまうそそる香り。
「交易できた果物の中には熟れ過ぎていて品物にならない物があったりするんすけど、それを集めてソースを作るんす。それを搾りたてのミルクと氷を入れて混ぜ合わせて作ったのが、この特性ドリンク!ミックスジュースっす!」
冷たいうちに!と、一口……たまらず、間髪入れずにゴクゴクと胃におさめてしまった。
「おいしいっ……!」
「でしょう?自分もこれが楽しみなんっすよー!交易品の時期によって果物も変わるので色んなバリエーションがあって楽しいんっす!」
すばらしい……。
これを作った料理人も尊敬できるが、交易品を無駄にすることなく活用するアイディアがすごい。香り付きの石鹸もそうだが、提案をしたのは恐らく女辺境伯のティアなんだろう。
僕のいた国では腐りかけや痛みのある食べ物は捨てていた……そう……腐った者は……
グゥウウウ……
「胃が起きてきたっすね!頭の痛さはどうっす?」
「そういえば……大分ましになった……気がするよ」
気付けば頭の痛さよりも空腹の方が勝っていた。
何度も腹の虫の音を響かせながら階段を上がって食堂の扉を開けると、カチャカチャと食器の擦れる音が耳に入る。
いくつも設けられた大きなガラス窓からサンサンと入り込む日の光は、テーブルに用意された料理を、より一層輝かせている。
「それじゃあ自分は洗濯ものしてきますんで、ゆっくり食べてくださいっす!」
「あ、あぁ。ありがとうジュリー」
ジュリーは食堂を去り、残された僕と……食器やカトラリーを並べているメイドの子とふたりきりになった。
「おはようございますユーステッド様……どうぞこちらへ」
準備ができ、席に座るようにと、ひとつの席に僕を招いた。
こんなにうれしくないお風呂回はそうそうないと思います。




