96 どうにかこの先に
一方響は、ムギが同室に付き添っている部屋で目が覚めてボーとしていた。
埃っぽい場所で血だらけになったので、傷周りを治療し、完全防水の湿潤シートを貼ってから介助ロボに支えられてどうにかシャワーをした。それから、たくさんの質問を受け、ご飯を食べて少し寝ていた。
「ムギ……。」
「ん?起きた?」
響が寝ている間、デバイスで学校の課題をしていたムギが響の方を向いた。
「…私………なんかアンタレスに来てから本当に何してるんだろう………」
正しくはアーツがベガスにやって来てからなのだが、またラボや軍、病院にお世話になるとは。笑えない。我ながらくどい事をしている………。
「響は悪くないよ。全部アーツのせいにしときなよ。」
「大房に行ってしまったから……。」
「行って悪いことなんて何にもないし。大房なんかに行かなくてもいいけど、響が自由を制限されることの方が本来おかしいんだから!」
少し震えるが、シェダル自体は怖くない自分に気が付く。
あんなことをされたのに、シェダルを助けてあげたかった。下手をしたら殺されていたかもしれない。
と同時に、自分からタラゼドに迫ったのに、他の男性にあんなことをされたことが、ひどく何かを失ってしまったことのように思えた。あの時、ウヌクがいなかったらどうなっていたのだろう。
それに嫌悪はあっても、シェダルのあの状態を忘れたい、許したいと思うのは、自分に対してもタラゼドに対しても裏切り者である気がした。
「考えたら私……。大房に行けなくなるわけには行かないし…。」
なぜって、タラゼドの家は大房だ。家族もみんな大房だ。
「いいよ。大房なんて軽い奴らばっかだよ!」
「でも………」
響は何か言いたそうに口ごもる。今、混乱したままムギに言うことでもないだろう。
「……ムギはどこまで聴いたの?」
「………。」
ムギは「何を?」と思うが、歯型のこととかだろうか。
「………響が暴行にあったこと?あの銀色頭?」
「……見たの?」
ムギが来た時には既に全体が処理されていたが、黒っぽい銀色の髪が運ばれるのは見た。
「………あいつもしかして、前にチコを襲った奴か?!」
昨年のフォーラムでムギは面識がある。ムギは面識どころか口を砕かれそうになった。
「ムギ………。」
響は動きにくい首を少しずらして、何とか視線だけムギに向ける。
「なんであいつ放置なんだ?!なんで、ウヌクやファクトと一緒に居たんだ!!あいつら!」
「違う………違うから。」
「何が?」
ムギは知らないのだ。シェダルのことを。
響は言った方がいいと判断する。何かあった際にはムギには話すと既に許可は取ってある。ムギに隠しても仕方がない。
「あの子ね…、チコの弟なの…。」
「………」
「弟なの。」
「………。」
ムギは驚愕の目で固まってしまう。
「…弟?」
「……そう、弟。」
「本物?」
「………母親が同じ。」
まだ信じられない顔をしている。でも、あの男からはギュグニーの匂いがした。生き方か、戦法か。
「…………。
ギュグニーの義体だったからSR社に変えてメンテを引き受ける代わりに、連合国側に付いたの。ずっとファクトたちが面倒を見てて、ウヌクさんとも知り合いになって……、国籍も得て…やっと少し自由が許されて…。」
これまでがあまりに長かったような気がして、響は涙が出そうだ。それなのに失ってしまうのは一瞬だ。
でも、その前後に、人々の努力を壊すように、彼の体に手を入れた者たちがいるのだ。
「でも、あいつは…あいつが響を!」
「電気操作をされてた。」
「遠隔?!デジタルドラッグ?」
強さや操作によっては、一時的に強烈な刺激や幻覚を誘発できる。
ムギは、久しぶりにひどいショックを感じた。
チコの弟。
ギュグニーの子が。
それは、ムギにとって今まで感じたことのない戸惑いだった。反連合国陣に、チコの家族がいたのだ。しかも直近の。
***
「シェダルは?」
裏から第3ラボに入り、そのまま研究室に入って行く。
「ずっと昏睡状態です。」
「外部刺激もダメか?」
「はい。」
暗い闇の中に、時々金が光るようなグレー頭のシェダルを見て考える。
響のサイコスが戻った可能性は聞いた。こんなふうに人を意識下に閉じ込めることができるのか。
「響史はなんと?」
「直接相手を前にして意識を開くか、どこからか意識下に入り込んで起こさないとだめだそうです。ただ、シェダル自身がDPサイコスの能力があるので、自分で浮き上がってくる可能性もあると…。」
「デジタルドラッグは?」
「今、電気と霊性治療で脳の働きを正常に戻すようにはしています。アンドロイドの施術者からは、結構強い刺激を与えられています。
起きてみないと分からないこともありますが、それでもまだ継続して操作を受けたわけではありませんし………おそらく悪い方には行かないかと。」
脳や神経の操作は、この時代は様々な疾患の治療に使われる。精神疾患から神経疾患、発達、痴ほう…攻撃性、中毒の治療なども。治療する場合、複数の同意と証人が必要で、徐々に徐々に経過を見ながら治療を進めていく。
だが、同時にドラッグのように使う人間もいる。
高揚感、興奮、性刺激…。
物質そのものが直接脳や神経に作用しない分、安全とも言われているが実際は違う。癖にもなるし何もしていない時も、突然、変に回路が繋がりその場で人間性、社会性をなくしたりすることもあるのだ。強くも緩和にも出来る分、たちが悪い。
「………ベージンも思い切ったことをしてきたな。」
「ベージンはメンカルのせいに。メンカルはギュグニーのせいにするでしょうね。」
隣りで東アジア軍の男が言う。
大房で、ルルカというアンドロイドを壊された男は相当ご立腹であった。
顔を再生する費用を出すと東アジアが言っているが、騒ぎに巻き込まれ個人ロボットの所有を知られ晒さたこと、世界に一体しかない家族のような機体を壊した精神的苦痛などに対する慰謝料と、とにかくお金を要求している。個性まで取り戻せるか分からないが、ニューロスに属さない簡易アンドロイドだ。
東アジアとしては、修理費用以外はベージンか仕掛けた国家に請求するつもりでいる。ただ、証拠があってもベージンと証明することや法廷に立たせることはまだ難しい。
国家レベルの話になってしまう。
そもそもこの件に関しては違法を犯しているのは東アジアではない。
「社長、ただいま響さんから連絡が来たのですが、脳が正常に戻るまで起こさない方がいいとのことです。」
スピカが連絡と受け取りその場で話す。
「響さんの見解ですが、これまで社会的自己が弱かったのでたくさんのものが乗り移りやすかったのではと。霊と電脳、命令、データはまた違いますが、シェダルにだんだん自己が形成されて操作しにくくなったので、シェダルを自分たちに誘導するか、社会的人間的位置をなくさせ手元に戻すか…。」
「………。」
「あとは、最終手段で、壊れても連合国側にシェダルを渡さないつもりだったのかと。問題をおこして血縁と分かればチコの立場を弱めることもできると考えているでしょうし。」
渡すくらいなら、破滅させる。そう考えたのだろう。
堕落の最後の形、荒れた人間の最終手段は破滅だ。
ただの破滅ではなく、人を巻き込んだ破滅。
他人のせいにしたり開き直りをする。
最初にエバが蛇のせいだと言い、アダムが女のせいだといい、
神に償いの道を問わなかったように。
***
「………響さんって……強いっすね。」
次の日の夕方に、車椅子でムギと一緒にウヌクの病室に来た響に驚いてしまう。
「…そうですか?」
「もっと落ち込んでいるのかと…。」
「何もなかったし…。」
首が大変なことになっていたが。胸元はまだよかったが理由が理由だ。
「落ち込んでいないわけではないけれど……これ以上のことがなかったことに安心しています…。」
「そっか…。」
そういう問題でもないと思うが、それも一理ある。
「多分彼、懸命に自制していました。」
「…………」
別の意識下で。もしそうでなければ、響も腕がおられ、胸から上を砕かれていたかもしれない。ウヌクもこれだけは済まなかったであろう。
「あと、ウヌクさんも私を助けて下さったみたいで、ありがとうございます。」
「………あ、いいよ。別に。」
「ウヌクさんも腕ひびが入ってたって……。骨折までしてて…。」
「聞いたの?でも、響さんの方が大変だったでしょ。」
「…すみません…。」
「いいけどさ…。」
ウヌクは何をどこまで聴いていいのか分からないので考えていると、響が先に話し出した。
「できる限りの補償はするように話し合いますので…シェ…あの、太郎君のことは、一旦不問にしてほしいんです……。」
勝手な要求ではある。ウヌクも一歩間違えれば、もっと大怪我をしていたかもしれないのだ。
「…それはできない。」
「っ…………。」
下を向いてしまう響。
「…………」
ムギが珍しくウヌクに低姿勢で頼む。
「ウヌク、アセンさんと話し合うから、それまで……」
「無理。」
「…………」
いつもなら言い返しそうだが、ムギも何も言えない。
「まず、シェダルが何者で…、なんでこんなことになったのかもう少し知って納得はしたい。」
「!」
そう言ったウヌクに響が顔を上げる。
「でないと俺も整理がでいないし、今後太郎に安心して対応できないだろ?」
「?!」
響とムギが思わずウヌクを見た。
「…ウヌク………。」
まだシェダルを見捨てないということだろうか。
「ウヌクでも、いいことを言うんだな………。」
思わずムギが言ってしまうが、ウヌクとしてはこっちが譲歩する話だと粋がる。
ウヌクが先に退院。
響は、監視も含めて5日間入院し、その間に軍やSR社と様々な話をした。




