81 有刺鉄線の中の幸せ
※ 残酷な表現、不快になる可能性のある表現がありますのでお気を付けください。
レグルス・カーマインは、商行たちが出発するまでに様々な準備をし、最終日の朝にその男と小さな結婚式をした。
その男はシーキス牧師やカラたちにはもう名を隠していなかった。
『ボーティス・ジアライト』
ただ、婚姻届けには『ジア』とだけ記し、レグルスも『レグル』とだけ記した。空き部屋を整理しただけの小さな聖堂で、オキオル共和国から来た8人の女性たちと牧師、身を清められたリーダーの男数人だけが参列者であった。
霊印が押された書類を、ダイリーことボーティスが他の書類共に国外に運ぶ。これまでもたくさんの書類を商行の同行牧師や信頼のできる者が運んでいた。今回は商行に同行牧師がいなかったので、ダイリーがその役目を担った。
シーキス牧師は、この集落の存在を外の世界に知らせられる位置にいたが、まだ西アジア中央以下は左傾の影響を大きく受けていたので、たとえ自分の所属している教会でも警戒して本名での情報は隠したのだ。繊細な話なので、シーキス牧師はボーティスにも慎重を期すように頼んだ。
初めて会った人との思い付きのような結婚。
こんなことが初めてのレグルスは、自分からは決してボーティスに近付こうとはしない。恥ずかしいし、距離感も分からない。
でも、ボーティスはそっとレグルスの頬にキスをした。
「…………。」
なんとも言えない顔で少しだけ伏せるレグルスと、ホッとした顔で二人を見つめる女性たちとシーキス牧師。
そして、彼らが出発し、また仕事で戻って来た3か月半後に心が変わりないことを確認して、
初めて二人は深く交わった。
***
知って見れば、レグルスは非常に明るい女性であった。
この仕事に入る頻度を多くし、ボーティスはレグルスとなるべく一緒に居られるようにした。
「ダイリー!!」
「レグルス!」
シーキス牧師に案内され、裏の人気のいない場所で二人は走り寄って抱き合う。ボーティスは自分の妻を抱き上げしっかりと抱きしめた。
レグルスの体が浮き、そのまま軽くキスをする。
シーキス牧師は安心して二人を見た。
しかし、いつまでもレグルスを離さないボーティス。
「ダイリー、苦しい…。」
「…レグルス…。」
それでもグイグイ来るボーティスに、さすがのシーキス牧師もそれは後でいいんじゃないかという顔をしている。恥ずかしくなったレグルスは、ボーティスを適当に叩いた。その平手がキレイに左頬に入ったので、「あたっ」と仕方なくレグルスを離す。
レグルスが結婚していたことは知られていたが、相手は外部の人間だ。やっかみを受けないようにあまり表では触れないようにしていた。
なぜなら、それはレグルスが唯一、ここから抜け出せるかもしれない可能性を秘めていたからだ。
それにダイリーは飄々としてどこにも所属せず、でも裏表もあまりなく、話し掛ければ面倒見がよい。疑心慢心が広がるこの環境で誰もに安心感を与えた。
妻にも優しく、男性が女性に従属を強いるこの世界で異質な存在であったのだ。牧師と、ここで組み合わせた夫婦たちに平等なパートナーになるようにと約束したとはいえ、そんな状況を見たことがないほとんどの者はその実体が分からない。
つまり、外から来た二人はあまりに自由で幸せそうで、それをここで表すにはまだ時期早々だと判断した。
と同時に、オキオル共和国から来た女たちは、シーキス牧師とあらゆる未来を練っていた。
レグルスとまだ子供の2人の少女を、早くここから脱出させようと考えていたのだ。その他にここで育った幾人かの子供たちと共に。
カラたちが育てた子供たちの数人は非常に賢く育った。勉強が出来なくとも、ここらでは珍しい上層の生活様式を学んで振る舞いが美しくなる子もいた。障害のある子にも教育をし、働き手としてだけでなくできる限りの知識を入れ込む。
ダイリーは商行に頼んでいくつかの楽器も持ち込むんだ。彼女たちは簡易ピアノやバイオリン、リコーダーなどもできたのだ。数学でも音楽でもいい。根気でも容姿でもいい。特別な個性や力があればぞれを伸ばさせた。あまりにも凸凹で、半分の子は一律の教育が出来なかったというのもあるが。
そして、どの子にも手を出させなかった。
その方が価値が高いと。
そう、彼女たちは売春や奴隷とは違う形で、ここにいる人間を外に出そうと考えていたのだ。
でも、それは大きな賭けでもあった。
どんな形であっても、その子ひとりひとりを最後まで見ることはできない。
ただ、体を売る仕事をさせると早くに病気になったり、様々な怪我、堕胎や妊娠で若いうちに体を壊してしまう者も多い。それゆえの死も無数にあった。この集落はまだいいが、半分以上の女性が成人を迎えられず、子供の生存や生死すら知られていない場所もあるという。
それは明らかな人間への冒涜であり、悲しみであった。
彼女たちの策もは最善の選択ではなかったが、何かの形で未来を繋いであげたかった。
屈辱と心身の崩壊などよりはいい。
そう思うしかなかった。
子供たちにはなるべくこの教育環境を隠させた。外で余計な話をしないよう、その意味と対処法も教育する。これから外に向かう子供たちのためにも、環境やルートを荒らさない方がいい。子供たちの前では簡単な偽名を使った先生となり、女性たちが頭から被ったルバは、お互いの顔の記憶を覆うのに役に立った。
成功例は、一人の優秀な子供を外部の養子に出した時だった。
その子はただのどこかの金持ちの子供になるというだけで、ここの娼婦が生涯で稼ぐよりもっと大きな外貨を得た。戦争で子供を失った者が多く、自国の血が少しでも流れていれば藁をも掴む勢いで受け入れられたのだ。外の世界にも孤児はたくさんいたが、養父母やその国が訳アリだと正規ルートで養子を取れないことも多い。
シーキス牧師はここを旅立つ子に特別な祝福を与えた。
『ギュグニーを越えて来た子』と言う印を。
それは、人生の、また世界の難関を幼くして乗り越えたという、そしてこれからも乗り越えるのだという、小さな心ばかりの祝福であった。
あとはギュグニー外の組織に経過観察を託し、カラたちは見送ることしかできない。いい人々に出会えるようにと。カラたちは外の世界も汚いことを十分に知っている。女たちは子供たちのために毎日祈った。
「レグルス?」
ある日、美しいトレミーが少し悲しそうに言った。
「私ね……。ダメだった。」
「ダメ?」
「離婚したの。せっかくこの流れで結婚できたんだけどさ。」
「………。」
トレミーはカラたちが来てから、レグルスより早く結婚していた。夫は初めは優しかったが、過去にたくさんの女に手を出してきた癖が抜けず、妻に文句を言って軽く殴った後に出て行ってそれっきりだ。この部隊にはいるはずだが、ずっと国外らしい。
「……私…。子供もダメみたい…。」
今までの事情が重なって難しいだろうとも言われた。
「トレミー………」
レグルスはここではなく、先進地域でトレミーの治療を受けさせてあげたいと思った。トレミーはこれまで2度堕胎してきたが、望んで妊娠をしたわけでも堕胎をしたわけでもない。しかもあまりいい環境とは言えない場所で。その後もひどく扱われてきた。
二人は身を預け合って存在を確かめあう。
昔は高飛車で触ると噛みつく犬のようだったトレミー。
娼館……と言えるかも分からないひどい場所で女たちの一派のリーダー的な役割をしていた。
そんなトレミーは物事を汲み取る力に長けていた。彼女に付いていた女性たちの半分は、ここで学んだり教師になっている。
トレミーはオキオルから新しく来た女たちが、今まで見てきたどの人間とも違う事をすぐに理解した。始めはケンカ状態だったが、話をしていくうちにこの女たちに感じる「何か」が確信に変わった。そして、しばらく様子を見ながら最終的に宿屋という娼館を離れてカラたちに付いた。
そして気が合ったのが少し姉になるレグルスであった。見た目はレグルスの方が妹だったが、時に頼り、時に頼られ二人は双子のように仲が良くなった。
「私ダメだわ。男がどんな奴か知っているのに………自分の元に最後に来るのはすっごくステキな奴なんだって、夢を見てしまったから…。」
「それは当たり前だよ。誰だって理想を求めるもの。それにね、世界は広いんだからもっと素敵な人がいるよ!」
「………私も碌でもない女なんだよ?気にくわない女を叩いたこともあるし!」
「…これからは叩かないでね…。」
「だってムカつく奴らがここには多いから!ははは、ごめん!そんな呆れた顔しないで!」
トレミーは13、4の歳でここに連れてこられ、それからずっとここだ。一緒に来た10人ほどの中で生き残っているのは他に2人しかいないと言う。
「…………。」
「ヤダ!なんで泣きそうな顔をするの?泣かないで、レグルス!」
期待はさせられないけれど、いつかトレミーの素性を知りながらも大切にしてくれる人を見付けてあげようとレグルスは思ったし、実際シーキス牧師やカラたちは、順を追ってここを開放していくつもりだった。
きっとそれは数年がかりの計画になるだろうが。
***
「レグルス…」
与えられた小さな部屋で新婚の二人はお互いを確かめ合う。
眠たかったがまた朝にボーティスが出て行ってしまうので、起きていたくてじっと夫を見つめる。ただ、起き上がる余力はない。
「ボーディス…。私、本当はあなたのことが怖かったんだよ………。」
レグルスが布団をかぶったまま目だけ出して言うので、今更何のことかと思う。
「俺?」
水を飲んで不思議そうにベッドの中のレグルスを見る。
レグルスの中でここにいる強そうな男はみんな人殺しだった。そしてトレミーたちの人生をダメにしてしまった元凶だった。もちろん、全部が彼らのせいではないとも分かってはいるが。
それでも、ボーティスに言ってしまう。
「男はみんな怖い……」
からかうようにボーティスは言う。
「……でも………初めて会った時、赤くなってたな!」
「?!」
「もっとおっとりして、でっぷりした人だと思っていたから驚いたの!」
安心させるために「穏やかでのんびりしていて…」など周りに説明されているうちに、レグルスの中で勝手な印象が出来てしまったらしい。
「まあ、そんな穏やかなタイプではないけれど…。」
「……?」
ベッドサイドの銃を触りながらなんとなく言う夫に、嫌そうな顔をするレグルス。
それに気が付き笑いかける。
「…ん?」
「………。」
銃を触って楽しそうに答える夫を不審な目で見ていると、
「だいじょーぶ!女性にはそんなことはしないから!」
そう言って思い出したように荷物の方を向いた。
「あ、そうだ!指輪を作ってきたんだ。」
「指輪?」
「結婚指輪!」
「………。」
「指輪はしないタイプ?」
「…え?そうだね…あまりしないけど…。」
いろんな水仕事もあるので指輪などしていられない。
「俺もしないんだけど、なかなか会えないから何か身近な物ががほしくて…。周りの真似だけど…」
ボーティスは小さな箱を取り出しふたを開けた。
「…遅れましたが、奥さん。これからもよろしく。」
「わあ……」
それはシンプルな少しねじってあるデザインのホワイトゴールドの指輪だった。ボーディスは世の中には婚約指輪と結婚指輪が別々にあるとは知らなかったが、レグルスはそれだけで十分すぎるほど心が満ち溢れた。
「なんかお店の人がイニシャルを掘ってくれた。名前の頭だけ。」
「『B・R』…ボーティスとレグルスだね!」
「俺の方はレグルスが先で…『R・B』。」
「正直自分には合わなさそうなデザインだが、レグルスには合うと思って。手を出して。」
レグルスの左手にそれをはめるが、少し大きい。
「………痩せたのか?」
「…なのかな?」
なので少し太い人差し指にはめる。
それはキラキラと手の中で輝いた。
「…ありがとう…。」
会えない分、分身のようでうれしい。
「愛してる!レグルス!!」
と、レグルスはまたハグをされ、しばらく二人は抱き合いながらたくさんの話をした。




