80 末永く
※少々残酷な表現が出て来ます。お気を付けください。
工場跡の学校は一直線の平屋で3棟あった。
1棟はほぼ廃屋で、以前はそこで拷問が行われていたり、死にそうな者を放置させたりしていた。今も時々人の悲鳴が聞こえる。
1棟は一部の男たちの住居や倉庫。学校の棟に30人ほどの女性と子供が所狭しと住んでいた。現在、一部の女たちは結婚した相手と他の建物に部屋を貰って住んでいる。
この小さなコミュニティーは、これまでの事を思えば大変革であったが、だからと言って全てが変わったわけではない。女性子供は夜は出歩けなかったし、1人でも歩かせてもらえなかった。有刺鉄線の中は外出が許されたが、誰もがなるべく昼も室内にいた。
女性たちはどこかで奪ったのか遺品なのか、ユラスや周辺地域の民族衣装を着せられ、くるぶしまでのスカートで身を隠すよう命じられた。後で聞いたら、自由に逃げられないためにだという。
男たちに気に入られたオキオル共和国から来た者や、カーマイン家側に移った女たちは、そうでない女たちから妬みであからさまな攻撃を受けた。
ここでは力のある者に気に入られることが、生き延びる手立てでもあったからだ。
揉め事も多く、育ってきた環境に勉学の基礎がないものが多い。小さな子供たちに混ざって計算を教えると怒りだす者もいたし、どんな方法で教えても指の数を超える足し算すらできない者もいた。誰かの夫や何かの責任者を誘惑することもよくあったし、帳簿に嘘を書き込む者もいる。学校には生活力の無い者が寄り集まってくることも多く、毎日が混乱している。
男たちは男たちで、時に血が飛び交うような揉め事をしていた。
しかし彼女たちは目を逸らさず、根気よく物事に向き合った。来た時はひどい集落に思えたが、それでも発言の自由を許されていた。あまりに理不尽な出来事に仰天しても、相談し合って長い目でそれを乗り越えていく。
なぜなら彼女たちは、それ以外ここでするべきことがなかったからだ。
6人の女たちは外交官一家として、国際活動の担い手として、ユラス大陸と北方国、アジアラインを変えようとした人生の全てのエネルギーを、この小さなコミュニティーに向けたのであった。
***
カーマイン家末娘のレグルスは目立つタイプではないが、トップを横で支えるような堅実な女性であった。
「レグルス。これを教えてほしいの。」
娼館で一、二を争う美しさと言われていた、グレーがかった金髪の女性がレグルスに教科書を問う。
「トレミー。そこはね、最初にこっちから計算するの。」
トレミーはこの環境でも失わない美しいシルバーブロンドを一つにまとめ、いつもレグルスを支えた。
「私もこの教科書の先生ぐらいにはなれるかな?」
ニカっと笑って聞くと、レグルスはあと少しね、と笑う。
「うわああああ!レグルス!」
そこに別の女が入って来る。
「あいつ、私以外の女にもネックレスあげてたんだよ?!ひどい!!」
「ちょっと!こんなところにそんな話をしに来ないでよ!勉強中だよ!!」
「いいじゃない!誰も聞いてくれないんだもの!」
次女カラは隙がなく怖いので、こんな相談に行く人はいない。第一この女もあちこちでプレゼントをもらっている。
「あんただから聞いてくれないんだよ!!」
他の女も口を出す。
「もういい!ねえ、レグルス。私、理科が楽しいわ。理科を教えて!この前の化学反応の話!」
トレミーが甘える。
「この計算が出来ないと、後で理科も分からないよ。」
「えー?!いじわる!」
「ちょっと!私の話を聞いてくれない、あんたたちの方が意地悪じゃん!」
うるさい友人の顔を見て、レグルスはトレミーと笑った。
レグルスの長いストレートのブラウンヘアは、ここに来て艶を失ってしまった。
それでも明るく、姉たちの後ろでいつも楽しそうに働いている。いつかどこかの先祖返りか。自国ジライフでは珍しい東方の顔立ちをしていたが、ここにはアジア系も多くいた。
話し出すと少しおしゃべりで、でもいつも強い瞳と真っ直ぐ物事を見つめる目。
この地域の成人で、おそらくたった一人純潔で、
そして純粋さを失わなかったレグルス。
宣教師シーキス牧師は、レグルスを早く落ち着けたいと思っていた。
オキオル共和国から拉致されてきた成人で未婚なのはレグルスだけ。男たちのレグルスを見る目も浮き立っていて、危険だとも思った。レグルスの周りに目上の人間がいない時は、通り過ぎるだけで囃し立てられたり口笛を吹かれたりしていたので、敷地内も一人で歩かせないようにしていた。もちろん少女二人も。
しかし、シーキス牧師がこれだと思う者がここにはいない。他の三人はここで生きるのにポイントとなる男たちに嫁がせた。他にも力のある者がいたが、欲深く粗暴だったり女を殺していたりレグルスを任せるわけにはいかなかった。
そんな中、ある日現れたのが、おかしな運び屋だった。
様々な集落を回っている商隊に付いて、護衛をしながら簡単な荷下ろしなどを手伝っていた。シーキス牧者は初めはその男をそこまで気にしてはいなかったが、やけに人に馴れ馴れしく周りに人が集まってくる。雰囲気も嫌な感じはしない。
男は売春婦や洗濯女の集まった場所で、トランプを使い様々な技を披露していた。
まるで帯のようにカードを切り、どんどん技が繰り出されるので、周りにいる男たちも感心する。
「えー!すごーい!」
「もっとして!」
「じゃあこれな。」
男がカードを投げると、それは回転して1人の女の周りをまわり、また男がキャッチをした。
「おお!」
今度はそれを三連でする。
「わーーー!!!」
歓声が起こるが、商行仲間がやって来る。
「ダイリー。子供騙しで遊んでるな!手伝え。」
「えー!お兄さん!子供だましじゃないよ。すごいじゃん!」
女たちが庇っても、仲間は気にせずにダイリーと呼ばれた男を引っ張って行く。
「お嬢さん方、バイバーイ!」
「ダイリーって言うの?うちに遊びに来て~!」
「お仲間さんの方でもいいよ~!!」
そんなやり取りを車の近くで商人たちと話しながら見ていたシーキス牧師は、不思議な『気』に気が付いた。
「…………。」
いい加減そうに女たちと話をしている男の霊性が明らかに周りの人間と違う。たくさんの霊性の守りを受けている。
「………?」
そして、信じられないことにいい加減に見えるその男は………
たった一人の、この荒れた世界に見出せる純潔の成人男性だったのだ。
「??」
シーキス牧師は無意識で男の前に駆け出す。
「………あの、あなたのお名前は?」
「はい?」
「お名前です…。」
牧師の上にかなり年上の人間に丁重に話しかけられ少し戸惑っている。
「俺?ダイリーだけど。」
「………いえ、その名では………。
あ、………いや。少しお話させていただけないでしょうか?」
***
それから話はとんとん拍子に進んだ。
彼は本名を名乗らなかったが、シーキス牧師はダイリーの頭に触れて確信する。
バベッジの濃い血を持っていると。
ここの者にも認めてもらえるように、別室でカラやリーダーの男たちに説明をすると、男たちは驚きで言葉を失っていた。詳しくは見えないらしいが、ギュグニーの一国はバベッジ族長の長男が最高指揮官だ。何かの切り札になるかもしれない。
しかも、先ほどから何を言っても、「え、いいよ」「うん、いいよ」「それはちょっと難しいなー」と、軽い返事しかしない。
「君はユラス人か?」
「お!よく分かったね。でも言わないでね。実際いろんな混血だし。」
牧師はさらに思い切って聞いてみた。
「君はなぜ童貞なんだね?」
「?!」
こんな世界にそんな風に生きれる人間はほとんどいない。
女を知らないとバカにされたり、経験をしておけと周りに連れ回されて成人前に貞操を失うことも多い。むしろ強引にさせられるのだ。この国ではあまりにも性が軽んじられレイプも多い。今いるこの集団は、リーダーたちに話を聞ける理性と知性がある分、組織立った性犯罪はなくまだまともな方だった。
「え…?それ聞く?」
「まあ聞きたい。」
「…………。」
テキトウなことを言われるかと思ったが、ダイリーはテキトウに真面目な話をした。
「母に………。血は繋がていないんですけど、母に言われて育ったんです。血をバラまくなと。」
女遊びなどして、あちこちに子供を作るなと言う事だろう。
「災いにも救いにもなる血だから………、天に捧げろと。」
天を指さして、ニコッと笑う。
「………。」
牧師は一瞬言葉がない。
「その意味を君は知っているか?」
「…………母はクッソ真面目なユラス教徒だからね。」
「ユラス教は女性の貞操ほど男性のものは重んじられていないが?とくに子供さえ作らなければ。」
「そうなの?俺、男だけどそんなんこの時代にズルいじゃん!男女平等!」
また適当に言って笑っている。
「………まあそうだな。」
だが、適当に言って守れるものでもない。
周囲の環境だけでなく、男などいつどこでもしたい欲が自らにもあるものだ。
そんな感じで生活の事や様々な話をしてから、シーキス牧師は突然言い出す。
「嫁に貰ってほしいいんだ。」
「え?」
物凄く虚を突かれた顔をしている。
「さすがにじいさんはいりません………。」
「あっ!そうでない!」
焦るシーキス牧師。
「そうでなく、ここにいる娘を嫁に貰ってほしいんだ!」
話しを出されて戸惑っていたダイリーも、最初は「はあ?」という顔をする。
なんと女性を紹介してくれるらしい。
「あ、いやね。女の子は好きなんだけどね。急に言われても………。いきなり嫁って…。」
しかも、わざわざこんなところで嫁を貰う必要はない。
「ウチの秘蔵っ子だ………。」
シーキス牧師は、優しそうな顔で笑う。
「シーキス牧師。連れてまいりました。」
そこにノックをしてカラが入って来た。
美しいグレーブラウンヘアをルバから少しだけ見せる女性。それでも整った顔が見える。「おー!」とダイリーは固まった。
「めっちゃ美人………」
同時に、こんな女性たちを隠していたのかと驚く。
「いや、そちらは人妻だ。」
「はい?」
は?とか、オッ?となってしまうことが多い一日である。
こんな世界を渡り歩く身でも、人妻を貰うほど落ちぶれていないというか、そんなことをしたら裁判もなく即殺されるであろう。人妻を浮気相手や愛人にでもなく妻にとか、ギュグニーですら人として最低の人以下の部類である。表向きの大義だが。
「こちらです。さあ、レグルス……。おいで。」
カラが背中を押す人影。そこにルバを被ったもう一人の女性が出てきた。結婚前の女性が被る少しだけ乙女な柄。
「…………。」
おずおずと前に出る。
「…………」
ダイリーは無言だ。それ以外どう反応していいのか分からない。いきなり女性を連れて来て、何をしろと?しかもこんな公開状態で、接待とも思えない。
「レグルス、ルバを取りなさい。」
カラが耳元でそう言うと、女性はそっとルバを頭から外した。
「!」
その、爽やかで優しい、少しだけ火照った顔の女性に驚くダイリー。
「………レグルス・カーマインと申します…。」
コクっと、お辞儀をするレグルス。
「あ、はい。これからも末永くよろしくお願いいたします。」
自分の自己紹介もせずに、ダイリーはそう答えた。




