79 死地からの花嫁
ムスカェという寂れた地には、まだ銃弾の匂いが漂う地域が多い。
夜の野営。数人の男たちが好きに休憩をする中で、テニア・キーリバルは遠いギュグニーを思い出していた。
『ボーディス!』
あの、明るく弾んだ声が響く。
知っている地域では見たことのない、周りより少し幼い、でも凛としたあの顔。
艶をなくし、でもきれいな、優しい色の長い髪。
何もない左の薬指をなで、あの感触が十数年ぶりに自分をかすめる。
「鳩…。」
初めてアジアに行って気が付いた。心星ファクトの母親、ミザルの家族は東邦系の出身だ。
そう、あの顔に似ているのだ。
あの人は。
周辺地域が混じってはいるだろうが、あの顔を何と言うのかをテニアは知らない。でも、少しは分かる。諜報する時などに多少の民族知識は必要だからだ。顔全体の堀りは浅めなのに…細くもない、でも大き過ぎない奥二重とかいう目。頬骨が高くなく、目と眉の間が広い。
鳩の友人たちの数人や、娘の旦那もそんな顔をしていた。
「テニア!」
考えにふけっていると、昨日合流した、唯一ここで元々顔を知る仲間が声を掛けてきた。
「よう。娘が見付かったって言ってたな。」
「まあな。」
「すごいな。男か女かも分からなかったんだろ?写真は?」
「……。忘れた…。」
「マジか。」
「場所は?」
「それが言えない。北半球とだけ言っておこう。」
「もしかして娘も…訳アリか?」
「ありまくった。」
仲間が、うわ~と言う顔で見る。
「ただ………裏の人間ではない。」
「………?」
表過ぎて公表できない。
「妻に似ているかと思ったが、自分寄りだった…。」
「…………。」
「あ、でも顔の雰囲気は妻にも似ていたかな…。」
「………」
仲間はテニアの妻が20年以上年も見付からない事を知っていたので、必死に妻の面影を探すテニアに何も言えなくなる。
「いいな、そこまで想えるの。うちなんて1回外で遊んだからって即離婚だぜ。娘に会わせてもくれない……。半年も離れていたらシたくもなるだろ。もう元嫁に会いたいとも思わん………。」
そうではなく、この男は自衛団と伝え傭兵と言う事を妻に言わなかったのだ。
「……お前、妻のせいにするなよ。」
「まあ、写真が手に入ったら見せてくれな。」
そう言って仲間は去って行く。
テニアは寝そべって星を見る。
アジアは射手座が見える頃だろう。
もう存在すら幻だったのかと思った妻、レグルス。
ブラウンの柔らかい髪、明るい笑い声。
細い腰。栄養の不十分な腕。
もっとたくさん食べてほしくて、たくさんのものを支給した。
元の姿が、古い写真のようにしか思い出せない…………
______
広がる荒地。
そこは乾燥した土地なのか、山なのかも分からない。
――レ……ス
誰かの呼ぶ声がする。
「レグルスー?」
「あっ、リッティー!ちょっと待って!」
子供たちを拭いていたレグルスが、ここで得た仲間の声を聞き立ち上がる。
今日はタンク水の支給日。少ない水で1週間ぶりの洗濯をし少しだけの水でお尻と足を洗い流し、水を絞った布で子供たちを拭いていく。
最近雨が降らず巨大な水瓶の中は空だった。どこかに川があるらしいが、自分たちはそこには行かせてもらえない。冬は1、2か月服も体も洗わないこともあったが、夏は匂いも染み付くのでもう少しこまめに洗いたいとずっと言ってきた。乾燥地帯ではないので、菌も繁殖しやすい。まだ叶っていないが、人員が戻ってこれば水を補給してくれる者もいるであろう。
女性の大きな布のように巻く服は、軍服を洗う工場に持って行く際、時々一緒にお願いできるので助かる。
最初にきれいな布で顔を拭くと、子供たちはくすぐったそうな顔をした。子供たちは少しだけ笑う子もいれば、大人しくされるがままの子もいる。でも暴れる子も我が儘を言う子もいなかった。それがここでは賢い選択ではないと身をもって知っていたからだ。
たくさん女たちがいるこの建物は、カーマイン姉妹が現れてから全てが変わった。
そこはそう。
インフラが崩壊した昔の工場であり、多く女性は近くの娼館の女たちだった。娼婦というよりは、ほとんど搾取される奴隷のような扱いだった者も多く、それ以外の世界を知らない者も多くいた。ここよりひどい所から来た者も多かったので、定期的に食べ物が得られ、ある程度の統率が取れている分ありがたいという者もいた。
荒れ過ぎた生活のせいか、情緒がおかしいかったり攻撃的な者、人を小馬鹿にする者、少し知恵遅れや鬱のような者も多く、いつも荒んでいた。
そんな中、このコミュニティーが一変する出来事が起こる。
襲撃した現場で部下が「大物を連れてきた」と6人の女と少し幼さの残る少女2人を率いて来た時、それだけで全ての空気が変わった。
その女たちはに全く異質の雰囲気を醸し出していたのだ。
いわゆる、万民が美人と言うだろう容姿の美しさはカーマイン家の次女カラだけであったが、それでも連れてきた女性と少女はとても高潔で美しく見えた。
洗練された姿勢、美しい肌、エネルギーにあふれ知恵と意思を持つ目つき。先進地域の整った服装。
全く男に媚びない強さ。
襲撃され家族や同僚たちを虐殺され、そして拉致され、最初にどこかの基地に連れて行かれた時、既にリーダー格の男はその女たちに魅了されていた。ダークブラウンの髪を持つ、カーマイン家の美しい次女カラは移動中に幹部版たちともう交渉を始めていたのだ。
目の前で両親や仲間、その息子や親戚、兄弟姉妹を殺されたばかりだったが、男に誘われた時にその男に身を売らずたくさんの話をした。
目的は何か。今、何をしているのか。不思議なことに、ここにいた男たちの何人かは先進的で頭の回りもよかった。カラは誘われた男が頭が良く優秀であることを悟り、話を持ち掛けた。
彼らには学のある女性が帯同しておらず、女子供の面倒を見きれずに困っていたのだ。病気や揉め事も多い。
「私たちに任せて下さい。
私たちが身を捧げることはお許しいただけたらと願うのですが、その代わりあなた方の元にいる子供たちを、もっとお金を作ることができる子に育てましょう。」
そこで先立って連れてこられ、この地に来ていた正道教宣教師の老牧師が女たちの話に協力した。
彼はその地のリーダーに小さな部屋を与えられ、商売女や時に男たちの話し相手になることや、外の正道教との連絡役になることを許されていた。いつ何があるか分からないこの国で、もし何か起こった時に外部とのパイプ役になるように。
そして、兵士や娼婦同士では解決できない心のモヤ付きの解消先の一つとなるように。
そう、ここはギュグニーの一角であった。
これは、30年ほど前。
オキオル駐在外交官の虐殺と、その時拉致された8人の女性たちの囲われた先。
カーマイン姉妹たちはカラを中心に、娼館や近所で生まれた子供たちを集めた。そして、感染症や怪我で働けなくなった女性や兵も集め、2室を養護院にした。
その後女たちは、寂れた工場跡に学校を作ったのであった。
***
それからは、全てがこの小さな世界の革命であった。
カラたちと男たちは1週間をかけて様々な交渉をした。
女性たちは非常に話が上手で、武器を持った男たちは初めて話し合いや会議と言うものがこんなにおもしろいのかと知った。
それは衝撃的な経験であった。
男だけで話し合う領土や戦線の会議よりも遥かにおもしろかったのだ。
男たちはないものをどう奪い合い、どう自分たちに得策になるものを得られるかを考えたが、彼女たちは作り上げることを打ち出した。
大人の女たちは全員大卒以上。カーマイン姉妹は法律や教育、国際情勢、地域構成学を学んでいた。女性たちの内1人は医師で、三女レグルスを含む3人は看護や介護資格もあり。中学生ほどの少女1人はここにいる女の娘で既に高等学校卒の頭脳を持っていて、1人はインフラ整備系メカニックのシステムエンジニアだった。
そして、男たちはカーマイン家の長女を現場で最初に射殺してしまったことをとても後悔した。
これほど優秀なカラが、長女の方が自分よりはるかに秀でていたと言ったのだ。
ある程度の権限が得られると、女たちはこの地域の女性全てと面談をした。その中で数人の女性を選び一緒に仕事がしたい者には教育を施す。生活の基礎から学ばせ、最終的に様々な約束を取り付け職員にした。
もともといた女たちに特別扱いを嫉妬されないように、努力と気持ち次第で同じ扱いが受けられるとも諭した。
男たちはこの不思議な女性たちを自分のものにしたがったので、老牧師がとことん交渉をして、少女と既婚の2人以外の4人を誰かの妻にすることを決めた。男たちの中でこの8人には抜け駆けをしてはいけない、手を出してはいけないと暗黙の了承があったため、無下にされることもなかった。
まず結婚を決めた男たちはこれまでの全ての女性を切ることを約束させられ、性病がないかの確認。感染症や何かあった場合の治療や対策も教育する。多少の教理の履修と正道教の約束を守れるかも問われた。
一人の妻を永遠に愛すること。不貞をしない。暴力を振るわない。女性は共に並ぶパートナーであることなど約束させられる。
本来はもっと細かくあるが、不貞をしない、女性子供に暴力を振るわない。ここではそれだけが一先ずの条件となった。
それから、観察期間の後、カラは最初の移動中に交渉した男の妻となり、後の2人はリーダー格の他の男の妻となった。彼らは牧師から祝福を貰い、老牧師の出身であった西アジア教会に全員現地人として仮名でその証書を出す。
その時、霊線が国外に繋がった。
ただ一人、末っ子レグルスだけは適任する者がいなかったので保留となっていた。




