7 夕方の大房
トラブルがあった飲食店の近くで、パイの男性スタッフが響は口の中を切っただけだと言いに来た。
全員安心して一旦話し合いに移る。スタッフとウヌクが男たちと何かを話し、イオニアは急いでテントに駆けた。
応急処置のテントでは、ルオイとローアに連れられ近くの水道で顔を洗って口をゆすいできた響が、もう一度診てもらっていた。
「響さん!」
「…イオニアさん…。」
「響さん、歯…。先、靴跡も……」
不安そうな顔で見つめる。
「大丈夫ですよ。グラついてもいませんし。」
救護のサポート看護師が安心させる。
「ただ、脳震盪とかあるかもしれないので、しばらく休んでいてください。何かあったらすぐに言うように。役場の医務室が解放されているからベッドもあるしそこで休んでもいいですよ。」
少し力が抜けるイオニア。
「歯…よかった…。いや、よくないんだけど…、よかった…。あ、よくない……。しかも靴で…本当に…ごめん。ごめんなさい……」
「イオニアさん。大丈夫です。これくらい。」
大丈夫なわけがない。手加減していたし寸でで力が緩んだが、きれいに入っていたら顔が曲がることだってある。
「悪いの太郎だし。」
ファクトがぼそっとつぶやく横で、全然反省していないシェダルの一言。
「……壊れたって直せばいいだろ。」
「………。」
今日一番固まる周囲。
「ちょ!あんた先生に何言ってるの?!!」
ルオイがブチ切れる。人としておかしいセリフだ。
「先生、何?この子!」
あれこれ言われてもシェダルはしれッとしている。
しかし、イオニアは響の口元が腫れているのに気が付いた。
「痣…になるかも……」
「大丈夫ですってば。痣くらい。……職場で少し…聞かれはするかもしれないけど…。転んだとか言えば。あ、マスクしてるか。」
ガバっ!
と、軽く笑った響を、思わず抱きしめてしまったイオニア。
「っ?!!」
「!?」
目を見開いてしまう皆さん。
「本当に……」
「イ、イオニアさん?あ、あの……」
歯が折れずによかったとも思い、いやダメだろとも思い、ごめんとも思い、なんで響さんは平気なんだとも思い、完全に混乱してしまったイオニア。
「……。」
何も言わずに2人を見てしまうシェダル。
お願いだ。シェダル…これ以上何もしないでくれとファクトは横で首根っこを掴む準備をしておく。
「…何これ。」
そこに現れた、今日…多分最後の登場人物。
仕事で遅れてきたファイと………タラゼドであった。
「なんかつんだ気がする。」
ぼやくファクト。小さな救護テントやその周りは人でいっぱいであった。
***
ファイとタラゼドは仕事を終えて2人で南海から来ていた。
フェルミオのところには、次女のリオラと従弟妹たち、そしてその旦那や奥さん、子供たちしかいない。響はお店を見学に行って、遅いからとローアとルオイで追加の買い出しがてら見に行ったらしい。そして、ファイたちがルオイにも到着を連絡するとなぜかメイン会場の救護テントにいると言う。
「…なに?」
ファイは響を抱きしめてしまったイオニアを見て、周りに状況説明を求める顔をするが、周りも何事もなくて安心したんだろうという感想しか言えない。それ以上洞察を深めていいのか。
イオニアは首に回した手で、響の後ろ髪に触れる。
大事そうに、そっと。そっと…。
「…響さん、なんで髪まで……」
「…髪?」
響がなぜそこ?と思い、みんなも「今それ関係なくない?」と思うが、あの長くきれいな髪をこんな雑に切ってしまったことを知ったばかりなら、それはびっくりもするな、とも知る面々は思う。
でも、抱く必要はないが。
「麒麟!」
冷めた目で見るシェダルの一言で、我に返るイオニアと響。
「…っ!」
咄嗟に響から腕を離し、注目している周りにイオニアは驚く。
「ああ、あの、響さん、ごめん!本当にっ。俺が蹴ったのに…。…少し休んで、なんかあったら連絡して……。ファクト、響さんよろしく…」
そう言ってここから去ってしまう。いつもならファイやリーブラがいれば女性に頼みそうだが、いると気が付いたファイの横にタラゼドがいたからだろう。使えそうにないファクトに響を託した。
「…………。」
間を置いて先の状況を響はやっと理解する。
は!
抱きしめられた!!
イオニアさんに!!
全然会うこともないし、もう、すっかり諦められていると思っていたのに!いや、もう好きとかの範疇ではないかもしれないけれど……あれ?私の意識過剰?
しかも…タラゼドが見ていた。何でもない顔で。
事実、イタい顔をしているファイの横で、タラゼドは少し慌てたような、でも普通な顔で見ていた。そりゃ、知り合いが怪我をしたら多少の心配や驚きぐらいはあるだろう。
そして、なぜシェダルが…太郎君がここに来たのだ。
ここにいていい人ではあるまい。もしかしてアーツと仲良くなってしまったのか。
しかもしかも、こんなふうに男性に抱きしめられて、ファイみたいにルオイやローアにも呆れていたらどうしよう。……と見てみると既に2人は固まった顔をしていた。
それに私、挨拶と倒れそうなの以外で男性に抱きしめられたのは初めてじゃない?!!と、大混乱してしまう。
「まあ、彼氏さん照れちゃったのかな。助けてあげようとして当たってしまったんですよね?」
看護師の声に、ブーっと声を吐きそうなアーツ関係者。彼氏じゃないし!今言わないでほしい。
「逃げるのはどうかと思うけど、後でよーくお咎めして、いっぱい慰めてもらってね~。」
「…はい?」
開いた口が塞がらない響である。
そこで、黙っていたパイが遂に口を開く。
「ねえ、あなた。イオニアの知り合い?!彼女なの?」
「違います!!」
「違う!!」
なぜか響だけでなく、ルオイたちも叫ぶ。あら?という顔の看護師。
パイは足を組んで椅子に座ったまま、偉そうに言う。
「そう…。うちの友達、イオニア好きだから彼女じゃなかったらいちゃつくのやめてほしいんだけど。」
どう考えてもイオニアの方が惚れているのだが。
「ベガスでの友人です……。」
「…そうなの?でもさ、あなたおかしくない?」
「?」
「かばってくれたのは感謝でありがとうなんだけどさ……
普通の人は多分、あんな男どもに自ら楯突かないしさ、いくら間違えでも男から蹴りを入れられたら、それ自体がショックであんなに…今も正にそうなんだけど、そんなに冷静にしていられないよ?泣いたり喚いたり、放心したりするから。普通。
靴で蹴られたんだよ?」
どーなん?と、追及するパイにショックを受けたのはファイである。
「え?響さん蹴られたの!?」
「あなた女性でしょ?ホント、顎が曲がったり歯が折れてたらどうするつもり?」
「大丈夫って…。」
「ほらそれ!おかしいってば!普通精神的に大丈夫じゃないし、トラウマになったり跡が残らないか大騒ぎするよ!」
パイの意見ももっともだ。
「私なら慰謝料分捕ってやるよ!治療費も!!損害賠償!!お見舞金!!そんで接近禁止になるまで争ってやる!!!」
シェダルが大人しくそれを聞いている。
「…。」
でも、響は普通でなかった。
何せ、ニュースで全貌を流せないような凶悪事件も担当したことがあるし、河漢のチンピラ…マフィアの端くれ、それに大手ニューロスアンドロイドにも武器を向けるくらいである。運動音痴なのに。
「……ミツファさんてなんかすごいんですね…。でも、ここは何かあったら他の人も来ますし、身内の付き添い以外入れない所なのでそろそろ皆さん出ましょうか。出入り口も空けましょう。ミツファさんは休んで気分が悪くなったらすぐに救護にお願いしますね。」
救護記録で名前を知ったのだろう。看護師に急かされていったん外に出ると、心配そうにウヌクやラムダも駆けてきた。
しかし、別のことで頭がパニックな響。
今回自身へのナンパはなかったがナンパ現場に遭遇し、ウヌクでルオイたちにドン引きされ、イオニアにあんなことをされ、シェダルにも心配され、それをタラゼド本人と姉妹に見られ……。
大房も完全レッドカードになってしまうのか………
ここにキファまでいたら没するところだった…
と思っていたところに、この人現る。
「響せんせー!!!」
最後の慢性的イエローカード人物。そして最後のレッドカード。
キファであった。
「先生!大丈夫っすか?!今、表でウヌクとラムダに会って…」
そこで青くなるキファ。
「何なんですか?!先生!その髪???!!」
お前来るなーー!!!!と思うファクトたち。しかも響に迫るな!!今まで接近禁止だったので、ここぞとばかりに近寄る。
「キファ君?」
「せんせーがいるって聞いたから大房に来たんす!!衝動的に!!」
なんでキファ君が?と思い、響のパニック指数が上がっていく。
「大丈夫?」
ローアが青い顔をしてる響を支える。ルオイはやってきたウヌクにも敵意丸出しだ。
「おじさん来ないでくれます?!!」
「おじさん??」
キファはそれどころではない。よく見ると響の頬辺りがおかしい。
「響先生、どうしたんですか?口元…。休みます?家に送りましょうか?」
「キファ!離れな!!」
これ以上めんどいことはするなと、やたら響のところに行きたがるキファをファイは押さえる。
響は呆然としながらも、パイに一言挨拶をした。
「あの、パイさん。いいステージをして下さいね…。」
「ねえ、あなた本当に大丈夫??」
「はい…。予想外に知り合いが来て、ちょっと春のお祭どころではなくなってしまいましたが…。はは……」
力なく笑う。
「そう?なんかかえってお祭り状態なんだけど。」
よく見ると先のナンパ男たちは、スタッフたちと話しながら少し離れた所にまだいた。
「お前ら後で覚えとけよ!!」
パイが叫ぶ。一応顔見知りではある。
が、久々に想定外の人、人、人に囲まれた響はふっと貧血の様に意識が、世界が回る。
元々エスカレートお嬢様学校の孤独な変わり者&ひとりが好きッコ響は、最後のレッドカードまで来て、もう何かが限界だった。サイコスがなくなってから、ひたすらまた勉強とインターンばかりしてきた。仕事以外、新しい友人も作らず。逃げるように、追い込むように。いつも緊張して。
頭に血が上ったのか、それとも貧血か。立っていられなくなり、スーと足の力が抜ける。思わずルオイたちの近くにいたタラゼドがそれを支えた。
「響さん!」
「響先生!!」
でも、また乱暴な感じで横から響の腕を掴んだのはシェダルだった。驚くタラゼド。初めて見る顔だ。
「大丈夫。俺が預かるから。」
「シェ…ダル…?」
「麒麟。立てよ。」
響の足がもつれそうだ。
「ホントにあんたなんなの?!女性を、人を何だと思ってるの?先生を引っ張らないで!!!」
ルオイがキレる。キファもあまりにも強引な扱いに許せない。
「なんだ?お前!何考えてんだ?倒れそうだろ!」
シェダルは、先イオニアがしていたように、響を抱く形で支えた。
「横にさせた方がいい。先の救護テントに…」
タラゼドが焦るがシェダルは遮る。
「大丈夫だ。降ろせ。迎えが来るまでここで寝ていればいいだろ。」
「大丈夫じゃねーよ。こんなところに寝かせるなっ。」
意識もあるし抱えられる人間がいるのに、この人の多い広場の地面に直に寝かせようとするのかと、キファがブチ切れる。
タラゼドに抱き抱えられ、一度救護テントに戻り簡易ベッドに寝かせられる。虚ろな響の肩をシェダルは手で揺すった。
「おい!麒麟?起きてんのか?寝るな!」
「…ん…?」
ハッキリした返事がないので今度は片手で頭軽くを揺する。
「おい!お前マジで…っ」
「キファ、やめろ。太郎君は説明してあげればいいんだよ。太郎君、そんなに頭を揺すったらダメだよ。」
ファクトが止める。
「…………。」
異様な者でも見るようにシェダルを見る周り。
「君、気を付けてね。揺すっちゃだめだよ。貧血と疲れだと思うけれど…何かあったら怖いから一度病院に行った方がいいかな…。」
看護師が言う。
「麒麟、…行こう。ラボに。」
ラボ?と聞きタラゼドはSR社関連かと予想した。
自分の力では成人女性を抱き上げられないと思ったシェダルは人を呼ぶ。するとしばらくして数人の人が来て、顔を半分隠した女性が軽く響を横に抱き上げ、近くの車道に寄せられた車に乗せた。
「ねえ、ちょっと!」
ローアが不安になり追いかける。
「おい、太郎!」
ウヌクも驚くが、シェダルは冷静に言った。
「大丈夫だ。医者に診てもらうだけだ。ファクトお前はどうする?」
「……。」
「知り合いか?行ってやってくれ。」
タラゼドが頼む。
「分かった…。ごめん、ラムダ、ウヌク。先に行くわ。」
そう言って、車は夕方の大房を後にした。