65 変わっていくベガス、チコの涙
「おいおい、何なんだ?また美女がいるぞ。」
夕方の事務局横のフリースペースがざわついている。
ベガスにはあまりいなさそうなグラマーさに、大房にもいなさそうなハイスペック感。ゴージャスでありながらも引き締まった空気のある女性。その周りにも3人ほどの軍服女性がおり、お腹の大きなサラサやVEGAやアーツの女性陣と楽しそうに話している。
「あ?あの人たちは表に出ていい人たちなのか?」
午前中に見ているシグマが驚く。実は午前いた女性たちの内4人は、ヘッドギアも被った完全武装で河漢まで視察に来ていた。
「知ってるの?」
「あの人たちが、言ってたユラス軍の?」
「あの人たち河漢には無理だろ。少なくとも顔見せはしない方がいい…。」
「写真に収めたい…。」
カメラ小僧ラムダが欲望を吐いている。
そこにボーと歩いて来たファクトを呼ぶサラサ。
「ファクトー!いらっしゃい!」
「はい?」
「ファクト、こっちであいさつしなさい。」
「え?これから道場に行きます。シャムたち待たせてんで。」
「いいから!」
仕方なく女性陣の中に入って行く。
「あ、どうも。こんにちは。心星ファクトです。」
女性たちからこんにちはー!と明るく返ってくる。キリっとした雰囲気だったのに、ファクトが来るとワー!と盛り上がる女子の輪。
「この子が?もっと子供だと思ってた!」
「あれから何年経ってると思ってるんですか?少佐!」
「少佐?!」
アーミーな響きに即座に反応する小学生頭。
「陸軍ですか?」
「少佐は元は空軍希望だったから、パイロットでもあるんです。」
「は~。そんなのもあるんですね。」
「前は大佐だったんだよ。」
急に食いつきがいいファクトに周りが教えてくれる。
「マジっすか!」
なんだか感動している。でも、正直大佐も少佐も大尉もよくは分からない。少佐とワズン大尉はどっちが偉いんだ。大体どこの軍も大将が強いという事は知っているが、アーツでは番長が最強である。
「あのね、ファクト。こちらのガイシャス少佐はチコさんの昔の上司で、チコさんをとてもよく見て下さったの。」
サラサが嬉しそうに話す。
「あ、そうなんですか?!ありがとうございます!!」
「こちらこそ。」
手を出されるので握手をする。
離れた所で見ている男子どもがうるさい。
「あいつ、なんの星の元に生まれたら、あんなに役得感満載の人生になるんだ?」
「あいつはただ生きてるだけだろ。十四光チート恐ろしすぎる。」
「十四光を余すところなくホカホカ浴びている。」
「おい、ファクト待て!」
外に行こうとすると、先輩たちに羽交い絞めにされた。
「お前の運を少し譲れ…。」
そこにチコについて入って来た護衛のフェクダが現れると、突然ガイシャスが立ち上がった。
「フェクダ!」
「ガイシャス!」
フェクダも呼ばれた方を見る。
ガイシャスが駆け寄って抱き合い、軽く口にキスをした。
「?!」
「おおおおおーーーー!!!」
「もしかしてフェクダさんの奥さんすっか?!」
周りが湧く。
「ああ、妻のガイシャスだ。よろしく。」
二人で礼をすると拍手が沸き起こり、もう一度ガイシャスを抱きしめる。そこに事務局の奥から小中学校くらいの女の子たちが出てきた。
「父さん!」
「お父さん!!」
フェクダは抱きついて来た二人に頬にキスをされた。
「え?お子さんですか?二人も??」
ローが驚いて聞くと、二人は恥ずかしそうに礼をした。
「もう2人いるんだがな。」
「4人?!!」
ニッコリするガイシャス。
「後の2人はダーオで寄宿舎に入っているから。」
「お父さん!私かわいいカフェ見付けたの!あそこ行きたい!」
子供が横で小声で急かす。
「いいよ、フェクダ。1時間後に戻って来い。サイナー、ナナス。少しの時間でごめんな。」
「いいえ。チコ様、ありがとうございます!」
娘たちがそれぞれチコの頬にもキスをする。
少し話して、それからフェクダ家族は楽しそうに去って行った。
「基本ユラスは夫婦が近くに住めるよう所属させるから。」
チコがため息がちに言う。
「やっとだな。」
「ならこっちに住むんですか?」
「ああ。」
「安心しました。あんな人がフリーでうろうろされたら困ります…。」
河漢で変な苦労をしまくっているタウが安心する。
「もしかして今回来た女性たちの何人かも旦那がこっちに?」
「4人はそうだな。」
「なるほど。」
「うらやましい…。あんな奥さんに、あんな娘さんたちに…。」
アーツのうらやましいが止まらない。
***
一方、今日あれこれあったレオニスとマーベックは結局一緒に夕食を取っていた。
改めた感じではなく、退勤そのままの軍服で近くのカフェレストランに。
あの場にいた面々に、チコの気分が満足するから1回くらい食事でもしておけ、とお金を渡されたのだ。
「…なんかウチの上司に巻き込んでごめんね…。」
「…いえ。大丈夫です…。」
海外異動、初日からこんなことになるとは思ってもいなかったに違いない。
「ここはかなりイレギュラーな部署で、臨機応変にいかないと大変だから。個人の我儘もいろいろ入るし。」
かなりの我儘である。
「……」
マーベックが少し震えていた。
「え?…大丈夫?」
「あ、はい!大丈夫です。議長御夫人にお付きの方とこんなふうに食事をするなんて…、その、あの……緊張してしまいまして………」
「…緊張?。」
ん?と考えるレオニス。ベガスにいると忘れがちだが、一応チコ付きの人間は皆ユラスのハイクラスやエリートである。チコだって、ただの婚活オバちゃんではないのだ。すごい婚活オバさんなのである。
「私…、地方から来て…少佐にスカウトされるまで配属も地方だったので、こんな都市に来てそれもちょっとびっくりしていまして……。訓練でダーオなどにいたことはありますが、ずっとキャンプ状態で………」
「………。」
「あ、買い物とかで上京したことはあるんですが、こんなにたくさんの都会の人と過ごすのは初めてです…。」
「…いくつ?サイコスターだっけ?」
「26です。サイコロジーと、テレキネシスです。爆ぜさせるくらいの事しかできませんが…。」
「まだ若いね。気を張らないでね。私も出身は地方だし、あまり都会にいる気分もないし……とりあえず食べよう。」
出てきた海鮮丼に「??」になっている。
「醤油とわさびをかけて。こっちの甘酢ソースでもいいんだけど。」
「え?これが噂の刺身ですか??わさび?食べていいんですか?」
ほぼ海がないユラスは、都会や一部地域でしか刺身は食べない。食べるとしても、養殖サーモンの真空パックなどだ。マーベックは箸も非常にきれいに使いながら、一つ一つ楽しそうに刺身を食べている。
わさびを試しにそのまま食べて、びっくりしているので思わず笑ってしまった。
自分より上官に囲まれ、運転手としてもあれこれ動いていたレオニスは、久々にむさい男たち以外と食事をしたのであった。
***
その夜、道場にいる時間にチコからファクトに会いたいと連絡が入る。
月夜のエクステリアのベンチに座る二人。
「ファクト、あのことだけど…。」
「…あの事?」
「サダルがって話…。」
「…ああ。」
少し考えて、頭に響いたあの声を思い出す。
『お前の体を奪ったのも…子を生せなくしたのも…』
「…………。」
なんとも言えない思いになる。
「ファクト…。」
だけどファクトは聞きたい。
「………チコの健康体を奪ったの…?」
「奪ったとかいう言い方はするな。もともと大怪我で運ばれてきたんだ。」
「そうなの?」
チコはコクンと頷く。
「両腕も潰れていたり、もぎれそうだったから……。」
ぞっとしてしまう話だ。だが、ムギの言っていた内容と少し違う。
「腹部の治療だってサダルやそのチームと同じ判断をする医者だっていたような状態だったんだ。」
「………。」
男子学生相手に言い方に気を遣ったのか。でもきっと子宮などの事だろう。
「それに…動揺しなくていいぞ。」
「…俺動揺してる?」
「この前はすっごく動揺してた。」
「…そっか………。」
「それでも、もしサダルに非があっても、サダルと生きていくってちゃんと決めて、夫婦で納得してるから。」
「……そうなんだね。」
正直ファクトにはまだユラスの事情も、大人の事情も、ましてや夫婦の事情など分からない。ただ、この二人が、自分たちだけで納得した生き方はできないというのも確かだろう。
「サダル議長の事好きなの?」
「は?!」
戸惑って思わず立ってしまう。
「……そんなこと考えたことも聞かれたこともなかった!」
聞かれたこともあったかもしれない。でも、チコの記憶の中ではもう全てが曖昧だ。昔は、何も、サダルのことも世の中のことも知らなかったのだから。
「え?考えてよ。ちゃんと愛しているっていう意味で。」
「考えたことない!」
好きか嫌いかとかくらいは考えるが、愛し合って結婚など根底にもなかったのだ。
「ユラスの将来も大事だけどさ、……長い人生なんだから分かり合える家族がいないって、いつか疲れ切っちゃうよ。今はよくても。
そういうのって、大変な立場の人ほど本当は必要なんだから。」
「…………」
まじまじとファクトを見てしまう。
ファクトは思う。
研究の罪科というのか?
サダルだけがそうしたのではないのだろう。もしかして………ポラリスとミザル。父や母だって何かに関わっているのかもしれない。自分は父や母の、どんな重荷を背負っているのだろうかと時々考える。
サダルを責めることはできない。でも、それとチコの未来は別に思いたい。いや、それを負いながらも分かり合える夫婦であってほしい。
「………。」
「どうしたんだ、ファクト。いきなり仙人にでもなったのか??」
「ウチは父さんが幸せそうだからさ、チコにもそういう人生を送ってほしいよ。」
「…………」
「できればお互い愛し合える関係で…、幸せになってほしいから。」
チコから反応がないのでふとチコの方を見てみる。
「…?」
街灯の逆光で一瞬よく見えなかったが、目が慣れて驚く。
「チコ?!!」
チコが泣いていた。
「チコ?!!」
思わず駆け寄り、目の前で止まる。
「………チコ?」
「………。」
紫の目からあふれ出す涙。
「ウソ…なんで…。」
しばらくして自分の涙に気が付き、チコも戸惑っている。
ベガスに来て何度か泣いているが………ポラリスとサダルの前以外では初めてだ。しかも外で。立場上、よろしくはない。
でも、涙が止まらない。
「チコっ。」
「………」
「ちょっ。大丈夫??」
「…なんで、なんでお前ら親子はっ…」
道場を抜け出して来たのでカバンもタオルもない。
ただ分かるのは、抱きしめてあげることはできないという事。
始め見た時は越えられないような大人なお姉さんに見えたけれど……抱きしめてあげたい………。
でも、それは自分の役目ではないから…。
「あ、え、えっと…。」
ユラスの男性たちが同じように思う理由が分かってしまう。
でも、じっと耐える。
たくさんの、たくさんの過去を含んだ、きっとそんな涙。もう、チコすら、それが何の涙なのか分からないのかもしれない。
「はあ…。」
すると、少し離れた所で控えていたフェクダとパイラルが駆けてきた。
「チコ様?!」
パイラルがサッとチコを抱き寄せ、大き目のタオルで涙をそっと拭う。二人の間にいると、チコが小さく見えた。
「………チコ様………」
そんな姿を初めて見たのかフェクダも固まっている。
「…ファクト?何の話を…。」
「フェクダ…いい。幸せになってほしいって…言われただけだから………。」
「…!」
「ファクト…ありがとう…。」
「…………」
少しだけ笑って、何も言わないファクト。
それだけ言うと、チコは早めにマンションに戻って行った。




