62 私と目を見て
月明かりのように照らされた白熱光の下。
チコはさらにサダルに迫る。
「サダル!聞いてるのか?!」
両手でサダルの両頬包み、軽く叩く。
「?!」
「わたしの目を見ろ!」
そのままサダルをソファーに押し倒す。
「っ?!」
驚いて起き上がろうとするが、跨られたまま手と腹部を制された。
「…………」
「…………」
すぐに反応できない二人。
サダルは何事かと考えてしまい、チコはチコでサダルがショック死しないだろうか恐る恐る見る。
吐くほど嫌われていた自分。
なにせ結婚前に、ものすごい動揺しながら「義体かロボットか区別がつかない女性は愛せない」と言われたのだ。触るなという事でもあろう。それでもとカストルに頼まれ、しぶしぶ頷いていたのを思い出す。
何より自分が自分の妻の胎を軽んじたのだ。
未来にこんなことになるとも思わずに。
お互いだいぶ克服した気がするが、このシリウスよりメカメカした手は分かりやすくていいのか、それとも分からないくらい人間的な方がいいのか。一応チコ体重は一般のトレーニングをする女性とさほど変わりはないが、潰さないようにサダルの上には乗っかってはいない。全部慎重にしておく。
「…………」
「………サダル…。」
制した手を緩めると、サダルが不思議そうな顔でチコのメカニックの手に自身の手を絡めた。
温かさと感触はある。そこに電気と霊性が流れているから。
「サダル。もう一度…もう一度お互いはじめよう。
私もここに来て…ちゃんと生きたくなったから……。」
「………」
何も答えない。
「ベガスはともかく、河漢はもう少し見ないとうまくいかないだろ。」
「…………。」
サダルは河漢を思い描いているのか、少し考えてからチコの顔に触れようとするので、チコも少しだけ頬を近付ける。
その肉の頬に触れるごつごつした手に、チコは自分の手も重ねる。
「…………申し訳なかった…。その後も…………」
やっとサダルが声を出した。
サダルが神学校を卒業した後、最終的にチコはトップ5に入る被験体になり、バランスのために義体箇所を増やした。完全体に戻るまでチコの身請けはタニアが担当したため、チームも別々になり二人は必要以上会話をすることもなかった。
サダルは思う。本来ならチコの方が自分を見て吐く権利があったような出来事だ。
でもチコは…人形のように全部を受け入れて、それが余計にサダルには受け入れがたかった。当て付けにも思え、そして自分の投影にも見えた。
目の前の人物が、どうしても人間に思えなかったのだ。自分さえも人間とは思っていなかったから、そう思う事を自分に忘れさせたから、あれこれできたのだろう。
そういう意味では、自分の子を隠し続けキツイ、鬼扱いされたミザルは正常だ。
「特別際立った能力もみられず、全体バランスは未知でも、霊性の感性がいい」と言われた息子をとにかく逃がしたのだ。
絶対にメスは入れさせないと。
それが条件でなければSR社には残らないと。
「…………うん。でも、もういいよ。…………私は最初からそれでよかった。サダルのせいじゃない。そうだとしてももういいよ…。」
多分バイラの母譲りであろう、ソファーに広がる黒く煌めく髪をチコはじっと眺める。
「…………。」
サダルは何だ?という顔で下から眺めている。
「サダル、今度一緒にウェストリューシアに行こう。」
「…………」
「アセンが言っていたけど、ジェネス…父方のご両親はまだご健在なんだろ?会っていないなんて申し訳なさすぎる…。」
サダルの母サーライが行きたがっていた場所だ。
夫の遺体を確認できなかった…、少なくとも肉体的可視で見ることができず、死を受け入れることができなかった母は、時々「ご両親に挨拶をしていない!あの人が大好きなご両親なのに、こんな妻なんてひどいわ!」と、思いついたように挨拶に行きたいと言っていた。
でもある時、父の遺骨だと聞いた綺麗なケースに入ったクリーム色の欠片を見せて、サダルが「これも半分あげるの?全部?」と言うと、母は大人しくなって伏せてしまった。
「……そうだな。」
「お義父様、ご結婚された時点で30半ばだったんだろ?だったらそのご両親は80か90近いんじゃないか?」
「…急がないとな…。」
何かの折に連絡したり贈り物はしているが、直接会ったことはない。
「…………。」
サダルはそのまま起き上がって、チコの腰をつかんで自分の上に座らせた。
「ひっ?!」
とにかくこの夫がいろんな意味で壊れそうで怖いので、足を開かせてその間に座り込み、それから少し距離を置こうと思ったが大丈夫だと言うので、そのまま触れ合える距離で向かい合った。
チコには何を考えているのか分かりにくい夫の表情。
少し重そうな目の下。
結婚前にカストルに言われたことがある。
――
その時カストルの妻、デネブが机の上にあるチコの手を握っていた。何の話だろうか。
『チコ、君にもだが…サダルにも申し訳ないことをした…。
正道教牧師にしてしまったのはどうなのか………』
カストルの顔がこわばる。
正道教教徒は人への不殺生の教えがある。
明確な教えではないが、他者への蹂躙は信じられている。
ユラスでも一気に改宗者が増えたが、軍人や兵士が多い。情勢上それは仕方ない。
しかし、神職そのままに武器を握る者は少ない。しかも実質上の軍の最高指揮官だ。
カストルは、サダルを神職のまま戦場に戻した。戦争を収めるのに牧師であることも必要だったからだ。
軍人ではないが当時その頂点にいて、場合によっては現場にも出ていた。目の前で多くに人が死に、間接的にはたくさんの人を殺している。
『もうしばらくこの状態になる。お互い支え合ってほしいし………少しでも心が揺れることがあったら、我々に直ぐに頼ってくれ…。』
『私にも……』
デネブは、よく分からずに聞いているようなチコの手をギュッと握った――
チコは、疲れ切ったサダルの目の下をなぞる。
「サダル、頼って。」
「?」
言われたことのないセリフを聞き、サダルは何事かと思う。
「何もできないかもしれないし………。聞くことしかできないかもしれなくて、勘違いもするかもしれないけど……多分、前よりは頼りになるよ…。」
「…………。」
サダルは確かめるようにチコの両手をそれぞれの手で握って、それから額を合わせる。
唇が触れそうで触れない。
無表情のサダルにチコがニッコリ笑った。
「…………。」
「…サダルはバカだな。」
「…………」
「………。」
「…そういえば…」
二人の間に間ができてチコが思い出す。
「ファイと何を取引したんだ??」
「……ファイ?」
「ファイ!」
ん?と上を見上げるサダル。
「ああ、ファイね。」
「あいつ本当に小賢しい!!」
「秘密だ。」
「……秘密??言え!夫婦の間に秘密とかなんだ!!」
「いっぱいあるが?」
「~っ。」
サダルも不思議に思う。
まだ捕虜解放後チコに会った時、チコ・ミルクとこんな風に話ができるなんて思ってもいなかった。
本来がこんな性格とも知らなかった。
握ったままの片手をそっと眺める。
変な感じだ。
「そっちこそ何、弱みを握られたんだ?」
チコもチコで何か約束している。
「………弱みじゃない…。」
言いたくないことには目を逸らすチコ。大したことがない話も、真顔で言われて怖いので余計に目を合わせない。
「………サダルこそ弱みなのか?」
「別に?話してもいいがめんどい。」
なんだ?と、チコがジーとのぞき込む。
「まあいい。少し休んでいいか?」
「………お好きに。」
サダルがそう言って電気を消すと、先より外が晴れている。
立ち上がろうとしたチコの手をまた握るので、二人でしばらくそこに佇む。
星空なのか夜景なのか、慎ましやかなベガスの光が窓に広がった。
***
「はい、それで今度はプールっしょ?」
ガキンチョ大将なのにおじさんと言われるウヌクは、日曜学校の先生たちの前でまたビッグな話をしてしまう。先週まだ参加できなかった半分のメンバーがキャンプに参加した後のミーティングだ。
「はい!プールは危険です!!」
無理やり会議に出席させられて、早速反論するラムダ。
「お前に発言を許してはいないっ。夏なのにプールしなくて何をするんだ?!!」
プールなどナンパ以外に行きそうにないインドアウヌクがなぜか強気。
そこにソラが楽しそうに言う。
「でも、プールって言っても子供用でしょ?浅いプール用意してあげればいいよ。」
「それでいっそうの事、業者に頼んでエアープールのレンタルをする!
8メートル四方水深目安50センチをメインに。で、横っちょに小型水深20cmを置いておく。この大きさでセット1日20万円!!作業あんどマット込み!」
なんとホログラムでプレゼンまでする。ウヌクのくせに。
「幼児なんて10センチでいいよ。」
「ひえー。レンタルって高いんだね…。」
驚きのラムダ。
「そんなのダメだよ。」
それを一気に否定するのはファクト。
「そんな大型プールでもさ、そこらの庭でやったら、南海中から集まって来るよ。子供。
規模が小さいよ!」
「…。」
みんなその様子を想像する。100人どころじゃなさそうだ。
「無理だな…。」
「いや、希望はある!」
ファクトは叫ぶ。
「ウォータースライダーがあれば6年生もみんな喜ぶよ!!」
「…。」
「お前、本当にバカだな。却下。人増やしてどうする。もっとデカいのがいるだろ。俺らは低学年まで見てればいいんだよ。」
「スタッフやライフセーバー何人いるんだ?」
「え?レンタル30万でこっちの滑り台付きだよ?2階の高さがある!」
ファクトが映像を出して説明するが、みんな無視をする。自分たち素人なのに危なすぎる。
「ねえ、じゃあさ。四方4、5メートルくらいでミニ滑り台付きプールが2万から6万くらいで買えるからさ、それいくつか購入したらしばらくずっと遊べるよ!シンプルで浅いのなら安いでしょ。空気よりこっちの組み立てが長持ちするって。滑り台だけでも売ってるし!」
「…ほー、それもいいな。」
ラムダの提案に乗ってくるウヌク。
そこでなぜかいるキファも提案する。
「そんな簡易プールなんてさ、廃材とビニールシートで作っちゃえばいいだろ?ティガとかタラゼド辺りなら、材料あれば難しくないだろ?」
「まー、エアープールのいいところは、角で打たないのがいいよな。跨いでこけるかもしれんが。」
「それより滑るのが怖いだよ。俺小さい頃頭強打したことがある…。」
「だからマットが付いてんだよ。」
「はあ?あいつらムカつくから働かせんだよ!!プールくらい作らせろ!!」
「普通に買えよ。仕事増やすなよ。俺が作業するなら有料だ。」
うるさく騒いでいるところに珍しくタラゼドが入ってきた。今日は土曜。ガタっとファクトたちの後ろの席に座った。
「はー?なんだ??くんなよ!」
なぜかキファが怒っているのでウヌク先生が場を収める。
「キファ君。子供のための会議ですので、くだらない嫉妬で場を荒さないでください。神様が見ています。」
「ねえ、とりあえず明日の日曜学校はさ、水鉄砲いっぱい買ったし、シャボン玉も買ったから外でいいよね?帽子と水着着て来て、タオルと着替え持ってくるように連絡打つね。」
ソラがノリノリである。
「水鉄砲だから水着ない子は服でもいいよ。」
「明日監視に入れる最終メンバーリストアップしよ。中庭でして目立たないようにしよう。朝は水を入れるミニプール作らないと…。」
南海教育部の子が準備確認をする。
「えー?!ウォータースライダーは??」
譲れないファクト。
「どのみち明日はプールまではやらん。」
「夏の話だよー!!」
「…?正道教教会は夏は水遊びをするんですか…?ヴェネレ教会の子も混ぜてくれます?」
そこにやってきてしまった、来てはいけない人…。
「皆さんこんにちは。ひとまずカフェでいろいろ買って来たので、好きなドリンクをお飲みください…。」
賄賂のようなドリンクまで持ち込んだ…
カーティン・ロンこと婚活おじさんであった。




