61 サダルの改心
あの荒野の道化。
『その子供がお前に不幸をもたらすぞ!』
『虐殺の怨みの子だ!』
「……?!」
ハッと思い出すあの男。
本来起こらなくていい出来事を………煽った人間がいるのだろうか。
自分の尺度で世界を評価し、自分の世界観で他人を決定付け、それを吹聴する………。
そしてそれを人々に焚きつける…。
男に悪意や自覚があったのかは分からない。ただ、よく口の回る男ではあった。
そしてそこに乗った人間たちもいたのだ。
「………。」
少なくとも緑の目の子に関しては…あの男なのかもしれない…。
でなければ情報を掴んだユラス中枢の誰かの裏切り?それは考えにくい。母は女系になるしユラス人からしたら殺すメリットがないからだ。母を利用したいと思う人間の方が多いであろう。それに、やり方に違和感を感じだ。ユラスの上位の人間ではないものが少なくとも入っている。
ただ素直で従順でもいけない。こんな世の中だから。
でも、でも思う。
自分だって同じだ。
あの男たちと変わりがない。
出来事を憎み、時におどけ、時に吹聴し。
自分も負の要素の連鎖を作って来た一人だ。霊性があるから分かる。
世界中にお互い無関係な物などない。
全てが関係のない世界のようで、別の世界のようで…
でも全てが繋がっていて…
いつかは誰かにたどり着く。
道化は誰か。
乗ったのは誰か。
あなたであり、私だ。
人が心に蓄積していくことは、いつか世界になるのだ。大きいなら大きいなりに、小さいなら小さいなりに確実に全てが積み重なっていく。
小さな砂粒だって、あんな壮大な浜辺を作るのだから。
そして浜辺は広大な海にも繋がっていく。
海の底そのものなのだ。
その上澄みを抜いた底にあるものが…今展開されているこの世界なのだから…。
サダルはその場にしゃがみこむ。
「ううぅ…。」
涙は出ない。
「うう…。」
でも苦しい…。
『にーた!』
と自分を呼ぶ声がいつまでも耳底に、胸のどこかに響く。何も知らない、純粋な声。
『サダル?ちゃんと寝て。でないと大きくなれないって。』
母の声が聞こえる。留学のために根詰めているのに、邪魔をする。
『「そいつ」じゃなくって弟よ?』
もうどんな声だったかは忘れてしまった声が響く。
ハッサーレにだって思う。
ずっと蓑隠れするように生きてきた。半分は彼らと同化するように。
でも、自分がもう少し違う勇気を持っていたら、違う未来になっていたのだろうか?
今思えば自分だってある意味ユラスや連合国側のスパイになれたのだ。ハッサーレの精神的根幹を変えることだってできたのかもしれない。
そうしたら、自分の10代のエネルギーを押し込めてきたこの長い期間は…無駄とは思わなかったのだろうか……………
「…ぅううう。」
ファイナーが近寄り手を掛けようとするが、サダルはうずくまったままその手を振り払った。
でも、もういい
もう。
一度自分の全ての概念を…捨てるしかない。それが出来なくても……そう思うしかない。
うずくまる同じ場所の向こう側で…………
一人の女の亡霊が、小さくなった彼の背中を眺める。
ルバで全身を覆った茶色の髪。
彼の背中で走り続ける小さな欠片。そして小さな欠片はサダルの背中にくっ付いた。
『あなただったんだね…。
ダメだよ。その人に付いていたら…。余計に苦しめてしまうよ。』
亡霊は欠片に話かける。
欠片も亡霊もサダルには見えない。
「ぅぅ…。」
女の亡霊はサダルの近くまで来る。
『泣かないで…。』
でも、涙はどこにもなくて、うめきしか聞こえない。
『ううん…。泣いていいの…。ごめんね。』
どうして泣かないの?
亡霊はサダルには触れず、近くにいる小さな欠片を抱きしめて…しばらくじっとしていた。
***
その後日、ユラスから戻って来たカストルは、部下たちの話を聞きあまりに驚く。
「え?いや、サダルメリク・ジェネスは本当に全課程をクリアしたのか……?」
「報告したじゃないですか。うちだけ論文にOK出してませんが、ユラスは大丈夫だったそうです。ただ、祭司など本職となると、向こうももう少し実教育をしたいと言っていましたが。
子供の頃の基礎だけでかなり出来ているらしいですね。ユラス教の学習院に出入りして、祭司もいたそうです。」
「ハッサーレにも旧教はあるし、多少の歴史的勉強はしていたそうだ。ただ、自立した思想的傾向があると思われると面倒な位置だったので、基礎学習のついでみたいに済ませていたそうだがな。」
「…でも、そっちの小論文もあるじゃないですか。」
サダルが低学年の頃に書いた授業のまとめだ。
「レポートだけれど、小さな論文ですよ。あれは。下手な大学生のレポートより中身がいいですし。ウチの小学生の息子が今その歳ですが、まだ日記もまともに書けないのに…。」
「…………。」
カストルは自分で3か月と言っておいて、呆気に取られている。
「え?下手したら死なないか?廃人になってないか?」
「…そうですね…。それで一昨日、ものすごくやらかしてしまいました…。」
「………はあ…。どちらかでいいと言ってあったと思うが…。」
過労死や鬱にさせてしまったらどうするんだと、気分が疲れて椅子にもたれるよう座り込む。
「というかお前ら!もう少し真摯に対応しないか!!」
「………最初から攻撃色がにじみ出ていたので…。」
「目で殺されそうな敵意を感じ思わず………。」
「向こうに威厳があり過ぎるので、和やかな感じにしたらもっと怒りました。」
「ばかか!」
その場にいた昨日の面談官二人が言っておく。
「……大丈夫です。ポラリスが入ってくれましたので…」
「多分、死んだりはしないと思います……」
「…………。」
一応ポラリスから報告は聞いている。
拗らせはするかもしれないが、死んだりはしないだろうと。
しかしその3日後。
サダルはさらに新しい短い論文を用意。
『子孫における世俗化の臨界点』という論文を提出。
アジアの一部地域もそうだが、ハッサーレのようなリベラル、もしくは無意識のリベラル地域において、国を引っ張って行くような、何かの分野を変えていくような世代が生まれなくなっていくことに関する論文だ。アジア一部地域も含まれている。
環境が自己主義や俗世にまみれてしまうと、昔のような武将や勇士がその国や地域に生まれなくなってくるのだ。2代目はまだいい。3代、4代目で顕著になり、7代前後で国やその地域は滅びたり無秩序圏になってくるし、その前に滅びることもある。
もしくは国内人口が増えず他国に実質すり替わった形になってしまう。
その初期か中期までに方向を転換しないと、よっぽどの努力をしなければ、衰退防止は難しい。
国民が一致するか、誰かが犠牲になるほど精を尽くすか……。
こういう論文は昔からあるが、サダルは北方国の実状と合わせてまとめる。ハッサーレが小国でありながらどうしてある程度の発展をしつつ、国力を保ってきたのか。
ハッサーレは北方大国とユラスの間で、丁度いい蜜を吸って来たのだ。多過ぎず、少なすぎない人口。広すぎず管理しやすい領土。穏やかで、でも先祖から来た狩猟精神もあり、一見自由で平和な国。自由にマジック系の植物を吸い、パートナーをあれこれ変え、子供たちに誰が親なのかも分からない複雑な家族関係が出来て、そんなふうに性を謳歌してもそれが永遠に続くと思っている。
子供たちの精神的な生命の根幹が揺らいでいるのに気付く者もなく。
小論文は誰が読んでもいいように、政治や軍事的な詳しい話には触れていない。
「………。」
今日はカストルも含めた10人でサダルと向かい合っていた。
なぜか面談したいという学校側や教授が増え、提出された論文を前にみんな黙っている。
「大丈夫かね?」
「……?何がですか?」
尋ねて来た教授にサダルは何のことだ?という感じだ。
先日の怒り顔がうそのように、憑きものが取れたようにサダルは何ともない顔をしていた。
目の下にクマがあり、いつものように無表情ではあるが。
教授陣は、憑き物だけでなく、魂まで抜けてしまったのではないかと心配になってくる。
「…怒ってないか?」
「何がですか?」
「いや、別に言いたいことがあったら何でも言っていいんだぞ。文句だって。」
「とくにはないです。」
実は学校側も最初に謝ったのだが、素で「何が?」という顔をしていた。もう謝ったし、過ぎたことは気にしないのか。とくに嬉しそうでも晴れやかでもなく、全くの腑抜けでもなく、でももう何もないといった感じで、かえって怖い。せっかく言いくるめられることを前提に、いろいろ予習をして心の防御力を上げてきたのに。
一通り話や質問が終わったところで、サダルが初めて質問をする。
「あの、卒業をするのに不足なことがあれば、教えてください。」
「?!」
目を合わす教授や牧師たち。
カストルはもう一度ため息をついた。
その後、サダルはすぐに正道教神学校の学士も得る。
SR社内の聖堂で仕事をしながら、ニューロスとサイコスの研究にも加わった。
そして1年後には、シリウス計画研究員の一人になっていた。




