56 2つの巨星
バジッ…という音。
空気と電気が弾けた音を感じた、背の高いホワイトブロンドの男は、美しい芝生の広場から思わずヴィラの方を見た。
「………。」
「社長、何か?」
補佐の男が聞く。
「今、『サダルメリク・ジェネス』と総師長との面会が終わったんだろ?」
「はい。」
「スピカ、警備を把握してくれ。」
「分かりました。」
スピカと言われる、整い過ぎた容姿以外は人間そっくりのモデル型アンドロイドが、歩きながら演算をする。
アジアラインに入るカストル総師長が第3ラボにいると聞いて、挨拶だけしようと出てきたのは、まだ若き副社長、シャプレー・カノープスであった。モデルのようなスピカよりさらに大きく、いつもの如くスーツを着ている。
そこに、バギージープ2台でヴィラ側から来たのはカストルたちだった。外で待っていた付き添いと護衛も2人いる。
「総師長!」
ジープが止まると、カストルとエリスに降りなくていいようにいい、丁寧な挨拶をする。
「彼はどうですか?」
「…そこらの下手な神職や教職より頭はいいな。なんというか、本質で物事を理解する力がある。だが、謙虚過ぎても、我が強すぎてもダメだからな。それが人間的感情から来ているものなら、どのみち自分の不満や憤りを形に変えていることに気が付かずに、流されたり分派を作ったりする……。どうだろうな。」
「………今、アジアで分派を作っているのだけでも鬱陶しいですからね…。」
付き添いが横からめんどくさそうに言った。
そこにエリスが、めんど層に口を挟んだ。
「彼が分派を作ったらギュグニー一国を作りそうな勢いです。」
シャプレー側の側近が驚く。
「そんなに?先の振動光は彼ですか?!」
「…おそらく。サイコスもコントロールできていません。電気よりはいいですが、先のは少し空間が歪んでいました。」
リフレッシュルームを壊したことは、内々で既に有名だ。
「……」
カストルは道の横に広がる、緑の芝を眺め少し考える。
「………。まあでも彼は、遠回りしても戻って来るよ。霊線が今まで見た人間の中で一番というくらいキレイだ。子供の時から実質的無神論国にいると、普通歪むんだがな。大人の神論主義者でもそうなのに。不遇を怨み、世俗に流されたり。父も母も………数十代ほぼ…………ほぼだが一本しかなく、非常にきれいだ。こんなのはアジアや高位神職でもでもめったに見ない。」
「それに歴史の中では彼らも戦争をしてはいるが、虐殺されているのに本質的な憎しみやうっぷんが彼らの一族にないんだ。悲しみは多いし恨みもあるが、たどり着く底が………分派を作っていく彼らとは違う。
ただ、時間がないからな。この『時』に乗るかは分からない。」
「……」
「………彼の怨みも、自分の域を抜けたら…どうなるかな。若いからできることもあるし………若いから理解しにくい受け入れがたい事ともあるだろう。」
誰も何も言わない。
「ま、もう少し話してみないと分からないというのが結論だ。」
ため息をつく。
「それから、もう一人の方だが………
あの子の家系も、おそらく父母両家系ほとんど殺されているよ。彼女の近くに行くと、薄っすらだがそんな感じがする。」
「………中央はずっと内戦ですから…。」
そんな子供たちはいくらでもいるのかもしれない。家族の喪失だけでなく、自身の身を喪失したものも多い。
「でも似ているんだよな…。一緒に流れ込んだあの二人は。何だろう。…何か…………」
「……」
「…時間がないから今度にしよう。エリスたちはこの後、結界を張り直しておいてくれ。雑霊が外にたくさんいる。ユラスの困った贈り物だな。」
「はい。」
「シャプレーもすまないがよろしく。」
「分かりました。」
去って行くバギージープはそのまま敷地内の屋外ヘリポートに向かって行った。
カストルを送るとシャプレーはもう一度ヴィラを見る。
腹立たしいような気があふれるその場所に一旦祈りを捧げて、今日はサダルとの面会をやめた。
***
暫く床に座り込んで、親指を噛んで苛立ちを過ごしていたサダルは、血の付いた指を拭い、もう一度新約の書を拾う。
『赦しなさい。あなたも主に赦されたのだから――』
こんな所に生み落として何が言いたいんだと思う。
通り過ぎただけのような運命ならいい。まだ許せる。
でも、全ての事は霊痕にはっきり残るし、内戦のせいで肺や腸、排泄器も損傷、頭や顔の一部がなくなったり、ケロイドに覆われて生きている人間が今もたくさんいる。それでメカニック生体の開発とかバカらしい。患者が来たらすることはするが、された身にもなって赦せというのか。
屈辱や喪失で自殺した人間も数知れない。
そもそも内戦なんかなくても、人間は似たようなことをしているのだ。知性や理性をなくし総体的な歯止めが利かなくなっているだけで、自分は安全圏でも手を出されてきた。
母や緑の目の子供のような性格だったら、どこかで食い物になっていたのは間違いない。
こんな世界滅んで当然だとも思う。
『愛しなさい。あなたの、小さな胸が痛むほどに。』
母のように生きるわけにはいない。訳の分からない正義感を働かせて大金を送金していた母。
右も左も怖くて生活もできないのに、ギュグニーの落とし子を手放さなかったのは、そんな理想論でも体現したかったからか。
『主はその独り子をお与えになるほどに…ただあなたを愛されたのだから――』
それで何ができた?
世界は変わらない。
そこにカストルの言葉が響く。
『他人はどうでもいい。君がどうなんだ。』
「…………。」
しばらく外の芝生の先に広がる遠くの森を眺めた。
そして立ち上がって、髪の毛を全部まとめ上げる。
白いTシャツはそのままで、アメニティに置いてあった黒の9分丈のスウェットパンツに履き替えた。
それから外で掃除や観葉植物の水やりをしていた女性に声を掛ける。
「すみません。」
「えっ、あ、はい…。」
客用ヴィラの住人を初めて見た若い清掃員が驚いている。基本男性の客には男性を付ける。彼は住人の顔を知らなかった。
「目立たない色の大き目のストールを貸してもらえませんか?」
「えっと、女子従業員のに聞いてみれば…。ここの一般衣裳部屋は女性型ニューロスが多いので、主に女性が管理しているんです。ニューロスの物ですがそちらをご覧になりますか?貸出していいか聞いてみないといけませんが。」
案内された部屋には、お店のように衣装やアクセサリーなどが並んでいる。
そこからストールとサングラス、スニーカーだけ借り、サダルは申請して外出許可を貰い、服や靴、籠るのに必要な雑貨を買いに出かけた。
***
第Ⅳルームは完全に少女のものになっていた。
まだ話すこともない、大人なのか子供なのかも分からない少女。
時々起きてリハビリはしているが、本当に意思のない人形のようだ。
「タイナオスで大きくは3度部隊を変えていて…ティティナータからオミクロンに。」
シャプレーはそこまでは資料で読んでいる。ポラリスとミザルもその近くにいた。
「オミクロンに来た理由は?」
博士たちは調べた詳細を東アジアから確認していく。
「最後の部隊長が死んだとき、敵兵でも対戦したオミクロンが信頼できると部下が預けたそうです。最終的に実質的な面倒を見ていたのはカフラー・シュルタン。生活の方はガイシャス・シンファースです。」
「カフラー・シュルタン…。シュルタン家か。」
「特殊工作部隊を出て、現在は育成の方に力を入れているそうです。SR社の旧型を、その弟がまだ学生なのにぶち壊したとウワサになっています。北斗の前バージョンなのでそれなりの性能はあると思うのですが…。」
「…なんだ。その兄弟は。」
少し年上の不愛想な博士が嫌そうに言う。
「皮肉だね。」
ミザルも鼻で笑った。自社製品を提供しているオミクロンに、うちの機種がやられるとは。北斗より数代前は、中古が知らないところで再利用されることも多かった。現在は正規でない中古は基本動かせない。
「カフラー・シュルタンはこの少女をなんと言っていた?」
「非常に筋のいい部下だと。ただ、右足がどうしても不安定で補給部隊などに。普通に生活するには十分な足なんですが、長期や激戦には耐えられないだろうと。相手兵の能力がもっと高ければやられましたね。」
「………。」
資料と本人と見比べ、シャプレーはじっと世界を透過する。
少しだけ根元に見えてきたイエロープラチナの髪。虚ろな目。
シャプレーは遠くを見据えるように言った。
「彼女はバベッジだ。」
「っ?バベッジ?」
ラボにいた面々が騒めく。
「同じ霊性が見える。バベッジの血が強い。時の…同志だな。」
少女を見ながら、シャプレーはその奥のさらに遠くを見て言う。
「オミクロンはそれを知って?」
「………さあ。自覚あるなしにしろ、そこにも惹かれているのは確かだろう。最良の義体を与えてほしいと言ってきている。」
ポラリスが慌てる。
「でもっ」
「…明確には分かっていないかもしれないが、素質は見抜いているな。見る人間が見れば分かる。でもいい。この事は、今はここだけに留めておいてくれ。
そして………最良どころか最高の義体をあげよう。」
「…?!」
もう一度ラボが騒めく。
「彼女にしよう。
閉じている霊性と精神は覚めるか?」
「分からないが………こんな状態の彼女を選ぶのか?!」
「まだ少女だ!」
周りの人間たちが戸惑っていた。
「どのみち、手も足もない。施術は必要だ。本人の意思も確認する。起きたら話をするぞ。」
多くを周囲に任せるシャプレーが、珍しく全てを決定をしていく。
本来未成年は、本人の同意があっても強化義体の対象にはならない。
けれど、ここは、
世界の一点を左右する場所。
ここに流れて来た者には、世界を左右するその一点がある。
この歪んだ世界を支えきれるだけの運気や能力、意志のない者、そして代償のない者はここには来ることも出来ない。『時』によって、いつか自然に省かれる。
歴史の血の代償を抱えるという、天命を決意した者、その流れを受け継ぐだけの気運を持ったもの以外は吐き出されるのだ。
「私と似ている可能性がある。決行だ。」




