54 全てが求めるものは「自由」
今度はサダルが何がいいか聞いて、二人にお茶を出す。
髪をまとめ、着替えがないのでSR社のTシャツにスウェットを着ているとだいぶ雰囲気が違うので、カストルもエリスも思わず見てしまう。
「……こんな格好ですみません。服は買ったんですが、このラボには一般の買い物は送れないみたいで、倉鍵に届くそうで。」
「…そうか。」
カストルは、明るい日差しが程よく入る白い室内を眺めた。
「いい部屋だな。」
「…はい。」
「相変わらず顔色が悪いぞ。」
「……はあ。」
「何をしていたんだ?」
「本や…外部人が閲覧可能なSR社の資料など読んでいました。あと…新約とか。こっちはあまり知らないので。」
おそらくただ鬱になるにはエネルギーが有り余っているのだろう。まだ21だ。
こういうエネルギーや気持ちを持て余している若者がだいたい変な方に走るのだが、どう消化しているのか。ラフな格好をしているとその辺の若者と変わりなく見えるが、女遊びをしている形跡も、酒を飲んだり大麻をしている跡もない。過去を見てみても、つるんでいる知り合いはそんなに悪くない感じだ。皆程よくエリートで、時々ハメを外すことはあってもそこまでではない。
「他人に聞かれたくない話があれば言ってくれ。その時にはエリスには席を外してもらう。」
「………。」
サダルはダイニングチェアから足を延ばして力なく座りながら、コクッと頷いた。
「…復帰は考えていないのか?」
「………。」
「研究員の前に…ユラス人としてだ。」
「……」
「今、率直な気分は?」
「…最悪です……」
「…そうか。」
「それから………ムカつきます。」
「…何に?」
「全部。」
「自分に?人に?世の中に?出来事に?」
サダルは先読んでいた、聖典新約を指す。
「今はあれにムカつきます。」
「あれ?」
すると、その席から窓際の聖典をバリンッと弾く。
「?!」
「っ?」
何もない場所で弾けた窓際の物に、牧師2人が驚く。
エリスが席を立って日と緑が輝く窓際を見ると、1センチと少しほどの厚さの新約の書であった。
「……」
「ムカつきます。」
「…………。」
呆気に取られている牧師2人。
「罪人だとか、赦せとか…。お前らが好き勝手してんだろと、クソムカつきます。」
「………。そうか。…それはすまなかった。」
牧師なので一応謝っておく。
「ハッサーレでは、旧教会の管理者に倉庫に自分だけ連れて行かれて首筋に痕を付けられたことがあります。赦すとか赦さないとか……。兵役で殴られた時よりそっちの方が気分が悪かったです。」
「…」
サダルがあの地には珍しい人種の混血だったせいか、髪を切らなかったせいか、それとも特待生として本来は兵役免除だったせいか。最初の兵役で自分だけ執拗に殴られたり平手を受けたりし、余分な訓練や仕事をさせられ1年目は同期に混ぜてもらえなかった。
軍の少し上の人間にもそういうことはされたが、サダルは国家研究室で重宝されている立場を利用し上の人間を味方につけ、17歳という歳で2年目には教官に発言できるまでにのし上がった。
「兵役は全免除もできたのになぜ?」
「ダーオはほとんどの子が幼少期から武術なりなんなり1つは習います。お金がなくてもだいたいどこかに入れてまらえますし。体を動かしたかったので。」
「…なるほど。」
「君は何でも読んでそうだったんだが、新約は読んだことがなかったのか?」
「…」
それには答えず、しばらく黙るが小さく漏らす。
「…読んだらハッサーレでは耐えられないような気がして……」
「……」
カストルとエリスはその答えに何も言えなかった。気付いてしまいそうだったのだろう。天の真意に。
「昔読んだだけです。」
遥か昔に…。
「聖典で言う罪人って言うのはね、どんな現状関係なくまず人間は罪の元に生まれているって言うことなんだよ。」
「…はあ。」
それは分かる。旧約を包括しているユラスも同じだ。
人間を放置して平和な国になることなんてまずない。絶対に最終的にどこかで性が捻じれ、諍いを始め、殺人が始まる。本質がそうなのだろう。
だから戒めるのだ。時に己を強く律し、自制して。
「でも、まあそれは、生物的に考えたらおかしな話なんだけどね。
この世界に破滅に向かうのは人間しかいない。それ以外の物質と生物の分裂や破裂、消滅は、繁殖や誕生のためにしか起こらないからね。人間だけが悪性を持っているんだ。なぜだか。」
「…最初の堕落ですよね…。」
それは創世記を見れば分かる。
聖典の最初で説明している。
最初の男女がしてはいけないことをしたのだ。
そして罪を犯した下腹部を隠し、謝ることなく言い訳をした。あの人が悪いと。
その後ろめたさの中で産まれ育った子供が、最初の殺人をした。弟に。
「人間だけが選択できたんだ。自分たちの繫栄と未来を――」
「………」
「でも、最初に寂しさややるせなさに負けてしまったからな。
神はそれを乗り越えてほしかった。社長だってなんだって上に立つ者はそうだろ。自制心と倫理観は必要だ。何せ最初の二人は人類の親だったからな。」
「そんな大切な試練に勝てないとは、それは結局、人間の本質にそういうものがあるからじゃないですか?」
「それはそうだな。そこは私も神に聞いてみたい。
でも、一つ言えることはそれでも選択肢は2つあった…という事だ。
食べるか。食べないか。
エバも……そしてアダムも知っていたんだ。その選択の内容を。前時代までそれは隠された謎だと思っていたが、分からなかっただけだ。単純なことなのに。」
「………」
「選択肢ははっきり分かる形で来ると思うか?」
「……来ない…ですか?」
「そうだよ。聖典では数行で終わってしまう堕落だが、
実際は長い生活の中で分からない間に知らない間に選択肢は訪れる。
あまりにも日常過ぎて、何が善で何が悪か。心地よければいいのかそうでないのか。慣れ切った時に、腹底や胸に消化できない不満が募った頃に、分からないうちに、でも、心底では警告を感じながら堕ちていくんだ。
でも、ダメなものはダメだと聖典にも示してある。」
カストルは息をつく。
「ただ、君に今話したいことはそんなことじゃない。」
「……」
「別に普段は、溺れそうな人間にさらに岩を投げ込む様な話はしないがな。
神も愛の深さを知らない人間に、何か考えや思想を強制するようなことはしないよ。
本来は『絶対なる、無限なる愛』を知って、初めて罪が自覚できるんだ。『愛』が解らなければ、聖典で言う『罪』の意味も『贖罪』の意味も分からないからね。ただ反省しろ、償えと言っているわけじゃない。神だってそうだ。
まあ、自身で求めろ、見出せとは言っているけどな。」
「……」
「強制することも、そうされることも人間が好まないことも知って、選択肢があったんだ。意味は分かるか?」
「全ての者は自由を好みますからね。とくに、心の自由は。ってことでいいでしょうか?」
「……理解が早いな。神だって人形やプログラミングされたロボットと話していても、真の喜びは得られないんだよ。ただ部下や下働きがほしかったわけではない。理知と知性を持ち合わせる創造性の輩出と……何より思考や感情を分かち合い、愛する相手がほしかったんだ。
だから、人間にも崇高な世界をあげたかった。自らの意思で、自分と同じ創造性や自由な考えを持つ似た者を。
その選択ができる人間たちを。」
「それで、選択肢をあげたらミスったんですね。」
「まあ、そうだな。先の話と一緒だ。」
カストルはため息をついた。




