49 10年分の飛行
信じられなかった。実感が湧かない。
あれほど母が行くように言われていたオミクロンの中心国家『アルマーズ』の地を、今、自分が踏んでいる。
その首都ベイザリー。
ダーオかここに行けば、そのまま東アジアに入りやすくなると言われていた。その国はこんなに近かったのだ。ハッサーレから輸送機の乗り換えを含めてもあっという間に着いてしまった。
ナオスの中心国家ダーオよりはかなり殺伐としている国だ。
サダルはじっと地面を見る。
自分が今まで生きてきた場所と変わらない土が、道が広がるのに何が違うのだろう。
懐かしい乾いた空気、乾いた土。
全てが乾いた土色。
母とあの緑の目の子を拾ってきた荒野もこんな風であった。
風が強いので広がる髪を一つにまとめた。
だいぶ先に街が、その先に山脈も見える。
ここに戻ってこれば自分は何になるんだ?
サダルメリク・ジェネス?
ナシュラ・ラオ?
大人になったサダルは知っている。なぜアルマーズだったのか。
オミクロン族長とそれに続く家門が連合国家群に同参姿勢を見せているからだ。そして、ダーオのように国が割れるような政権争いもなく聖典歴史に忠実で統率が出来ている。その上軍人をそのまま生んでいるような国なので、他人を守る余裕がある。
でも、それも自分が儲けたお金と同じだ。
今、手に入れて何になるのだろう。
遺骨しか持って来れなかった。
サイニックが直接ゼータ研究所に入ったのでいろいろ聞かれると思ったが、研究所には同行したハッサーレの部下が聴き取りの現場に行き、なぜかサダルは別にされ軍用車両タンクリーに乗せられる。ハッサーレの監視役の職員は同行を許されず、威圧感のすごい軍人に彼らは逆らえなかった。
タンクリーで向かった建物の外で待たされる。一見何でもない土色の施設に見えたが、そこは郊外のユラス教の聖堂だった。
「ナシュラ氏、お待たせしました。こちらにお入りください。」
案内されると、開いた大きなドアから聖堂が見える。
ユラスの地に自分はいるんだ……と天に報告したい思いになるが、ナシュラ・ラオは聖堂の教壇だけ見てそこを通り過ぎ、執務室のような場所に着いた。
「カストル総師長。ナシュラ氏をお連れしました。」
その者が少し開いたドアをノックすると、そこには老年に差し掛かった一人の男がいる。
総師長?
髭ある長い白髪の男は凛と立ってサダルを見つめた。
そして軍人らしき男が2人、少し後ろに控えている。1人はハッサーレに来た緑の目の男だった。前と違って直立不動からの休めの姿勢で全く動かない。
「すまんな。私も今来たところで。」
「………。」
「私はユラス人ではない。東アジアから来たセイガ大陸の宗教総師会総長、御希爪カストルだ。」
「…っ?」
一瞬意味が呑み込めないサダル。
「ようこそアルマーズへ。『サダルメリク・ジェネス………ナオス』君」
カストルは笑いながらも意志の強い目でサダルに手を出した。
「…………。」
一瞬固まるも、何も言わずに手を出してその握手を受ける。
周りの兵士たちはピクリとも動かない。
「君の論文は呼んでいるよ。」
「………はあ。」
なんと反応したらいいのか分からない。自分の事は飛んで論文の話に振った。
「自分の論文は、アジアでは既に新しくもないメカニック霊性論です。少しサイコスに置き換えていますが。」
霊性が見えない人間にも分かるよう、置き換えているので少し歪だ。
「いや、そっちじゃない。」
「聖典宗教構成論や、それに関する人間の思考性論だよ。」
「!」
また驚く。
「………いつの話ですか?」
「君が小学校の頃の話だろ?」
「…………。」
「今の時代が過去の延長や繰り返しを抜け出られない理由。天道を離れていく者は、信奉者や同志を集めて離れていくっていうのはおもしろかったな。だいたい根底にコンプレックスや怨みがある。後これだね。霊性が下手にあって、微妙に高いほど飲み込まれやすい。」
「……それも二番煎じ以下です。」
「いや、ユラス教しかない、内戦中の環境でそういうのを見付けたのが凄いと思ってね。このところ、アジアもすこしたいへんだったんだ。平和を語りながら分裂が好きな者が多くてな。だいたいそういう人間は、本人は崇高な霊に導かれたと思っているようだが雑霊に敏感なんだ。」
「……。」
「………私はここではなんと名乗っていればいいんですか?」
「さあ。それはこれから少し話そう。
ユラスにお帰り。少し感謝と、未来への祈りを捧げよう。」
「……私はもう連合国家に歓迎される人間ではありませんが。半分はハッサーレの生き方が身に付いた人間です。ユラスでどうしたいとかもありません。」
何もかもが遅い。
サダルには何もほしいものも望むものもなくなっていた。
被験体に関わるのも嫌になってきた。
敢えてしたいことがあるとすれば、自分や母を守ってくれていたあの商店街の人々が、無事新しい生活を見付けられたら……ということや、そのために死んでしまったユラスの職員たちへの弔いがしたかったくらいだ。
「…それでもいい。それでも君を待っていたんだ。」
***
そこでサダルはニューロスメカニックの国際会議以来、東アジアとユラスの一部が有数な人材の育成としてサダルメリク帰還にずっと動いていたことを知る。北の大国の顔色を疑っていたハッサーレは、ずっと交友のある国をごまかし続けてた。
ハッサーレには、これまで連合国や他国を出し抜いてきたあまりにも多くの嘘があったのだ。
まず、負傷兵のニューロスメカニックの義体を製造国家に返還しなかったこと。
連合国との協約を結びながら、北方国と繋がっていたこと。連合国側はそれを知って一旦静観。その後数年警告はしたが、度を越えて連合国をないがしろにしてきた。
国民のカルテの非公開と偽造。国際条約に沿わない、本人非同意の検体。医療行為の放棄からの怪我や病気以外の健康体の義体化。それに関する警告の無視。
多数の行方不明者の非公開。
各国へのスパイ活動……その他もろもろ。
その行為に20年以上悩まされてきた東アジアはオミクロンと共に反撃に出たのだ。戦わない反撃。
こちらが先手を取る時が来た。
ハッサーレの事情は、医療や産業関係以外はサダルの知らなかったこともあったが、まあ、この国ならありえると思うようなことだった。サダルは検体をわざわざ死なすようなことはしなかったが、自分もそういうことはしてきた。
基本、医療やそれに伴う義体化は肉身を活かす形でするが、微妙なラインだと切ってしまったものもある。どうせ、事故などの後に技術のない医者に出会ったら同じことだと。
簡易治療で十分な歯なのに、抜いて差し歯やブリッジ、再生医療、インプラントにしてしまったような感じだ。
この時代の先進国家にとっては信じられないくらいいい加減な技術や治療も多かったのだ。そもそも一般の事務処理からしてテキトウな場合もある。予算などいくらでもごまかせた。ハッサーレはそれでもまだ、一部の国よりは随分まともだったが。
それでも……
自分の中の世界がたった数時間で激しく変わっていくのが分かる。
ハッサーレで麻痺させていた何かが、罪悪感になってサダルに押し寄せてくる。
同じような空が広がり、同じように土があって空気があって、街があって人が住んでいるのに…………
10年近く、ハッサーレの中で生きてきたサダルは、目には見えない次元の差《・》と戦わなければいけなかった。
***
その夜、サダルはゼータ研究所でオミクロン軍と衝突する。
1人の軍人が興奮気味に怒りをぶつけてくる。
「なぜ、勝手に器官を取った!」
「出血がひどかったし子宮破裂の可能性だってあった。現場の判断が正しかったと思うしかない。」
「最初から温存は考えていなかったと聞いたが?!検体しろと言ったんだろ?!」
「……。」
いつ言ったことかはっきりは思い出せないが、ハッサーレでは無料の医療行為の後は死んだら遺体は検体というのが通例だ。そんなことも言ったのだろう。
「お前たちの望みも、戦える体に戻してほしいということだっただろ。それを優先しただけだ。」
「禁止事項だ!それに、あの傭兵と我々は違う!」
「オミクロンがそれを言うのか?それに、あの傭兵の方がサイニックをうちの医療機関まで連れてきたんだ。」
オミクロンは世界で一番強化義体が多い国だ。
「もう少し待てば我々の医療班が到着したはずだった…。」
悔しそうに男が言うが、その前に出血死していたかもしれない。
「なぜそんなにあの被験体にこだわるんだ?」
「被験体じゃない!!タイラだ!」
「…お前にとってはそうでないかもしれないが、多分あのバランスだと上の人間はそう思ってはいないぞ。」
「…っ?!」
優秀な被験体だという事だ。それも稀に見る。
「ただの元傭兵だろ。何をそんなに殺気立っているんだ。」
「…ただのじゃない。一人の人間だ…。」
「死にそうで捨て駒になった傭兵などいくらでもいるだろ。助けに行けよ。美人というだけでここではそこまで祭り上げあげられるのか?」
「………」
オミクロン側の雰囲気が悪い。
でも、サダルからしたら本当にただの傭兵だ。
族長生き残りの母ですらあそこまで軽い扱いを受けたのだ。自分も弱かったり、母のような性格だったらどこかで食い物になっていただろう。
ある意味、自分にできないことからは逃げに逃げ続けた母は正しかったのだ。もし何かあったら、あの母はきっと壊れてしまったかもしれない。だから、自分の身だけでも守り続けたのだ。せめて、子供から離れず生きていけるように。
そしてその夜――
ここではタイラと言われるサイニックの心拍が時々不規則になってきた。蘇生の準備をしながらオミクロンはさらに決断をする。
移動不可になる前に、アンタレスまで飛行機で一気に移送するということになったのだ。
SR社なら内臓器官の義体化技術も高い。
カストルはこのまま霊性治療をしながら移動、サダルメリクにも同行を求められた。
オミクロンもハッサーレの監視役たちも、サダルの同行に反対したがカストルの決断は変わらなかった。今までハッサーレが強行してきた分のことを、今度はカストルがする。
信じられないことに、10年以上動かなかった世界が、一日もせずに一気にハッサーレからオミクロンに。
オミクロンからアンタレスに動いたのであった。




