12 侵入
シェダルは東アジアに与えられた施設で暮らしていたが、この土日はSR社に泊り、軍の監視人や研究員も来ていろいろ質問された。
そして。警備と監視に付きそわれてまた頑丈な施設に戻る。今はあまり危険分子とはみなされていないが、一般人や女性に手を出されると困るのであろう。安全上や研究上も困るのかもしれない。泳がせていろいろ様子を見たいのか。
シェダルは性格も感性も思ったより幼く、抵抗もないし気持ちも明け透け。本質的な頭は良いようで大人にも見えるのに、それも育ち切っていない。東アジアはすっかり扱いに困っていた。
彼が帰ってくる場所は一見高級マンションに見える施設。
与えられた部屋は想像してきたよりきれいだが、幾重ものセキュリティーだけでなく霊性の結界も多重に張ってある。ここは軍事組織も兼ねる特別な人間の収容施設だった。
一人一人扱いも違い、シェダルは模範人物として監視付きで一定のアンタレス内の外出は許されていたが、これからはどうなるのか分からない。
その部屋で、自分の掌を眺める。
「…………」
このまましばらく生活すれば、もう少し自由になったのかもしれないのに、響の手を自ら握ってしまった。
引き寄せられるように。
前に手を握られた時に、手のひらにこんなに体温があるのか、と驚いたあの感じを思い出した。
力はなくとも、シェダルにはたくさんの機密があり立場があり技術がある。これまで培ってきた軍事技術、国家級機密。東アジアも注視するだろうが、おそらくギュグニーかタイナオスか。彼らもシェダルの行方を追っているだろう。
ベッドに横に寝転び、シェダルはまた自分の掌を眺める。
機械化した無機質なはずの手に宿る有機的な光。
これはなんだ?
結界のためここでは霊性は扱えないが、DPサイコスは使える。
でも、今は飛ぼうとは思わない。
自分はこれからどこに行くのか。どこまで行けるのか。
どこまで行ってよいのか。
生と死があいまいだ。
『世界』と『自』もあいまいだ。
最初からあいまいなのだ。自分の中は。
それにもう一つ、実世界では動きがあった。
モーゼスが動き出している。
***
「シャプレー。政府から連絡は来てます?」
シリウスは、倉鍵研究所の一室で画面を見ていたシャプレーに声を掛ける。
「モーゼスか?シェダルの周りをうろついているらしいな。」
「はい。シェダルを獲られたので怒っていますわ。あの子に膨大な研究費を注いだのですから。
チコたちの対抗馬として育てた子が、まさか自ら消えてしまうなんてね。
ユラス軍が動き始めた報復と言っていますが、ニューロスの覇権掌握が最終目的です…。最後に収穫が多いのはそちらですから。ただ、ユラスは彼らにとって最大の邪魔者なので、どのみち手を掛けて来ます。」
「西アジアはベージンに肩入れしている者も多いし厄介だ……。」
ベージンはモーゼスの製作会社。北メンカルやギュグニーと繋がっている可能性がある。
「アジアは強敵ですが、天意を忘れた者がたくさんいます。少しの不安や不満であっという間に、堕ちるでしょう。
でもユラスは固いですから。彼らの生き残りが数人しかいなくても、また這い上がってくることを相手はよく知っています。内戦をしていて宗教難いだけだと見くびっているアジアより、よっぽどユラスの方が恐ろしいと。」
人本主義者の大元の方が、信仰のある国の真の恐ろしさを知っている。信仰をなくした国は脆い。だから、全体主義化して、その脆さを補っているのだ。それが膨張していつか爆ぜる風船と知りながら。
「ベガスは?」
アンドロイドスピカが答える。
「おそらくこれから警備が厳しくなってくるかと思います。マルビー32機、マルビーサイテックス32機をベガス計画の地に送って、それ以外も強化しています。」
マルビーは完全武装型アンドロイドである。東アジアの持ち物だ。
今週からSR社社員たちも全員薄手のアーマーを横着している。外出時は必ず護衛を付け、外出時はプロテクト入りの帽子を被るよう指示が出た。
***
それはベガスも同じだった。
「ねーなんでこんなの着るの?」
リーブラは出勤前に渡された特殊アーマーを着付ける。服のような感じで違和感はあまりない。
「これムギがいつも着てるのだ。」
「説明聞いてなかったのか?」
「…聞いてたけど。これ着るとお気に入りの服が着にくい…。」
「あんま違和感ないだろ?だって肌に合わせてんだぞ。これ。」
装着した人間に合わせるように少し伸縮する。一般的なナイフは通さないため、似た素材が土木関連や機械工にも手袋やマスク、胴体プロテクターなどで採用されているらしい。
アーツ第1弾と、2弾以降のベガス構築参加者は全員着るように義務付けられ、それは南海青年、河漢関係者たちも同じであった。指定の場所にはいかないこと。なるべく一人で歩かずカメラなどの設置地域を歩くこと。位置情報や緊急時に機能するデバイスチップ装着、デバイスの安全機能を入れるなどいくつか指示が出る。だいたいは自動で入るが、説明も受けた。
「すげーな。最新型楔帷子ってとこか。まさか本物を見れるとは。」
「…何?またゲームの話?」
難しい言葉はだいたいゲームである。ジェイはリーブラの頭をポンとする。
「とにかくしばらくは南海の仕事だけにするんだぞ。」
「…分かった。」
南海、藤湾のあるミラ、主要区域は全てカメラ類が網羅している。
チコがオリガンに出発する前から、エリスもクルスらと共に強力な結界を張り、アンタレス、ベカス構築関連地域、近隣都市にも似たような施術を施しておいた。
一方、ミラの藤湾学校。
学校の敷地を歩くファクトに声を掛ける男たちがいた。
「おい!1億7千万!!」
「!」
軍人ではないがガタイのいい男。
「あ!警察のおっさん!!お久しぶりっす!!どこに消えてたんですか?!」
「どこに消えたも何も仕事してたんだよ。」
警察のおっさんである。少し後ろで顔は知っているもう1人が手を振っている。
「ここんとこ、初めから軍が入る案件ばかりだったからな。お前に会う機会がない。」
「あ!そうだ!俺、1億7千万なんかじゃないじゃないですか!!」
「……。」
「前にサラサさんに返済の仕方を相談して笑われたんです!攻撃された一般市民がそんな負債負う訳ないって!」
南海広場に初めて行った時、乗っ取られて攻撃してきたコマちゃんを壊してしまって借金を背負ったとか何とか。
「……サラサの奴…。」
実はあの時のコマは人に危害を与えないように働くヒューマンセーブのない、もしくはセーブが弱い機種。現行北斗以前の分岐型だった。それでも型は新時代の物なのでかなり高性能だ。
「…まあ、あいつは修理にしても1億7千万どころじゃないからな。」
安い戦闘機一機並みの値段、戦車よりはるかに高い。
「結局お前らの中から警察に来る奴がいなくて、みんながっかりしてたんだ。」
「これから4弾を組んでくらしいですよ。希望者が多いんです。河漢もいっぱいいるし…。」
「河漢はな……霊性検査の通らない奴が多いだろ。警察内で問題を起こしそうなのも多いから、そのまま採用はできんから…。」
「警察で募集すればいいじゃないですが。なんか今、ベガス注目を浴びてます。悪い意味でも注目されて、けっこうひどい攻撃もあるけど。」
本当に卵を投げつける人っているんだ!という感じで、エリスの側近がエリスを庇って生卵をぶつけられていたのを見たことがある。あの時は夏だったのでかわいそうであった。
ただそんな風に攻撃を受けても、募集に関しては軍関係がチラつくアーツの方が人気があるらしく、警察の方は今ひとつらしい。特警は最低募集条件もアーツより基準が高く、公務員試験、上部とのコネなどしがらみも多く難しいのだろう。
「……チコが帰って来たのか?」
「みたいですね。俺はまだ会ってないけど。」
「姉貴をきちんと助けてやれよ。」
警察のおっさんは、息子や甥っ子に対するように頭をガシガシする。
「俺、大人になったんですけど。」
「……そうなのか?」
「大学生です。」
「じゃあ、勉強するか働けよ。」
「え?借金なくなったのに?」
おっさんにもっとガジガジされた。
***
その夜、アンタレス数か所の建物に複数の完全武装の男たちが侵入していた。
シェダルは既に秘密裏に別の施設に移されている。
このデジタル時代、メリットも大きいがデメリットとして情報が身内だけに留めておけないことだ。デジタル化した社会であればあるほど。実は相手もシェダルのいた施設まで把握している可能性がある。念のため今日はシェダルを移動待機させたのだ。
本当のデジタル社会はいつか隠し事ができなくなる。霊性世界のように。
重要建築物は設計段階から完全に国などで秘密固守になっているが、それでもあらゆる情報の分析から漏れる、もしくは推測されるものもある。
そう。既にシェダルが移送されたことが漏れていたのだ。
移送先の建物に伸びる手。
侵入した男たちは、ハンドサインやアイコンタクトレンズ、ヘッドクラスで指示を出し合いながら、窓を特定し無音でガラス破壊の開錠作業をして一気に入って行く。
現在シェダルは人並だ。それなりの護衛が付いていることだろう。慎重に行く。
そしてもう1か所。
ベガスに入ることが難しいと判断した相手たちは、目くらましと兵力分散のために、もう1か所狙うことにした。こちらは、計画自体は予想しても、どれがどこかまではまだ東アジアも把握していなかった。モーゼスが入り込んでいたため、情報の追いかけっこをしている状態だ。
河漢のある一角、最も西端斗名。ベガスの有人地区に被らない場であり、住んでいるとしてもスラムの住人たちのいる場所。
そして現在ローたちが担当する場であり、現地調査が行われていた。ここはアーツでも武術習得者、銃器操作資格のあるものしか仕事に入れない。イオニアも普段の生活はここにある簡易施設で寝泊まりしていた。他にも河漢関係の人間が何人かいる。
イオニアは事務所の会議室でローと話していた。
「…響さん。大丈夫かな。」
「大丈夫だろ。大丈夫って言ってんだから。治療費以外の金も送らなくていいよ。会いたくないんだよ。」
「会いたくないとか、胸が痛い………。でも、そういう訳に行かないだろ。それに、何かしないと落ち着かないし、治療費も掛かってないとか言うし謝罪もしなくていいなら、せめてお金で片を付けてさっぱりしたい…。」
「当日その場で何度か謝ったんだろ?」
「でも……昨日会った人に響さんの右頬、少し青くなってたって…。」
「…お前なあ………。…なら、リーブラ伝いに何か謝罪代わりを送っとけよ。」
と、その時だった。ユラス兵から遠隔で指示が入る。
『河漢斗名、武装兵襲撃 避難指示発令』
「は?マジ?本格的に警備強化の話が来てまだ1日目だろ?」
「武装兵って…初めてじゃないか?」
まさか、警戒1日目からこんな僻地に?
これまでメカニックの攻撃はあったが、ファクト以外アーツにとって、人間兵の攻撃が入るのは初めてである。ユラス監視領域に入れたなら、派遣されるのはおそらく本物のプロたち。本当に、生かされるか殺されるかの世界かもしれない。
ここに人は多くいないが、みな一気に緊張する。
そして、そう知った時の心象は、ニューロスメカニックを相手にすると思った時と全く違った。
焦り、恐怖と共にもう一つ。相手がそれなりでも、自分達よりはるかに強くても………
命ある人間なのだ。
おそらくギュグニーだろう相手はあらゆる対策を張られる前に、一気に侵入することにしたのだ。
ここは相手にとって捨て地域。作戦は東アジアを煩わせるためだけなので、一気に攻め込むつもりであった。とくに身元のはっきりしない人間はどうなろうと関係なかった。