101 掴んだ首元
東アジアの施設。
響はムギ、ファクト、アセンブルスやバイルガル、女性の護衛ガイシャス。それからチコや響の介護をしていたユラス人女性と一緒に丁重に案内をされる。
そこはSR社が手掛けたラボで、この前シェダルが乗っ取られた場所よりさらにセキュリティーが強い、アンドロイド管理施設だ。現場にはすでにポラリスとタニアのリート博士、そして顔見知りのアンドロイド、ナンシーズがいるらしい。
「響さん大丈夫?やめたかったら言いなよ。」
「響………。」
ファクトもムギも心配になる。
「………大丈夫。」
そう、まだ目を覚まさないシェダルの意思を外に呼び起こす。
遠隔でもできる可能性があるが、直接の方が早いし、シェダルに執着している者たちに横に入り込ませないよう物理的にも近くにいたいのと、東アジアから二人の状況を見たいと言われたのだ。響は東アジアとユラスのサイコス研究をしていて教導員でもあるので、仕事の一環でもある。
ファクトは先に響たちより先にシェダルのいる大き目の研究室に入った。
そこには黒いグレーブロンドの男が眠るように横たわっていた。
結局シェダルはこれまでの期間に起きるこはなかった。
「はあ………シェダル兄さん、なんでこんなことに………。」
ファクトがそう言ってしまうのは、シェダルが起きないことではない。響に暴行を加えたことだ。記憶はあるのか。それとも覚えていないのか。
「父さん。今日来たことは母さんには黙っておいてね。」
「は~。ミザルに全ての行動を疑われていて辛い。」
と、ポラリスは下を向いた。
「言われたら言っていいよ。でも言われなきゃ黙っておいて。リートさんも俺が来たことわざわざ言わないでね。」
「……毎回、毎回困りましたね…。」
リートも後でミザルに恨まれるのは嫌である。
それからファクトはじっとシェダルを見る。輪郭と鼻や口元は少し男性らしさを含めてはいるが、チコと同じだ。
「……ただ寝ているだけだとやっぱりチコに似てるね。」
「………そうだな………。」
チコと違って暗いグレーブロンドの髪は、何度か黒に染めた名残でもっと暗い。
響はあの後何度か試してみたところ、以前と同じようにサイコスが使えることは確認できた。ただ、力は少し未知数だ。他の人間、おそらくシャプレーの能力が入っている。
ファクトも何度か響の力を共有しているせいか、考えてみればファクトもムギを見付ける時、自身で心理層に入っている。ただ、あれが心理だったのか、霊世界だったのかははっきりしない。
心理世界と、霊世界は似ているが違う。違うが、接点は大きい。
響は別室で少し東アジア側と情報を共有してから施術に向かう。
話しが済んで部屋を出ると、シェダルと会わなくていいよう別室を用意したと言うスタッフに、
「大丈夫です。このまま行きます。」
と、シェダルのいる研究室に向かっていく。
「響!」
「響さん!」
ムギが叫んで付いて行くと、何かあった時の付き添いで来たムギとユラス女性、ガイシャスも慌てて後に続いた。
「響さん!大丈夫ですか?」
暴行のことを知っているスタッフが驚いているが、そのまま響はカツカツと歩いて研究室の前まで来て「開けて下さい」と毅然と言う。スタッフが急いでロックを解除するとドアが開き、響は周りにいる全員に礼をしながら研究室の人の真ん中に立った。
「響さん。」
アセンブルスが心配そうに見るが、響は軽く礼をし、それからポラリスに挨拶をする。
「ポラリス博士。お久しぶりです。皆さま、こんにちは。」
「響さん、お久しぶりです。」
「私のサイコスの力が今までの通りなら………大掛かりなことは必要ありません。シェダル自身の中でグルグル回っている意識を外に向けて開放するだけです。
それと、私は基本、心理世界の相手と自分に介在して動きますが、シェダルは霊世界にも依存しています。なので、シェダルは形ないものに依存されやすいのだと思います。」
響がどんどん話していくので、ポラリスはその意味を読み取ろうとする。シェダルが依存しやすい、されやすいというのはSR社でも把握している。
もともと自分の世界しかなかった男。
自分だけ信じて、そしていつか朽ちていけばいい。
シェダルの世界はそれだけだったのに…………
アンタレスに来て急に四方を人に囲まれたのだ。
そして、おそらくミクライ…ギュグニーのニューロス技術とは違い、やたら本人の奥へ奥へと干渉してくるSR社や連合国の方針や技術が入った。
それは全く知らない世界だった。
ここではシェダルは赤ん坊のようなものだったのだ。
初めは見たこともない、五色の文様に目を奪われ、
それが何か確かめたくて、麒麟を追いかけていただけなのに。
『弟』と名乗った、いるはずのない訳の分からない存在が、やたら馴れ馴れしい。そんなことも、これまでの人生で知らない感覚であった。馴れ馴れしい存在はだいたい人を欺く者だったのに、こっちに騙されそうなほど馬鹿である。
『弟』という概念が全然違ったのだ。
ギュグニーや北メンカルでは、兄弟はいつか自分の上げ足を取り全てを奪う、油断ならない、鼻持ちならない存在であった。少なくともそういう世界をたくさん見てきた。生き残るために権威者たちは最後にどちらかが打たれる場合も多い。実際、頼まれて依頼者の親兄弟や親戚を殺す命を受けて実行したことも数度ある。
シェダルは混乱していた。
そして、自分に起こっていることが何なのか確かめたくて、自分の防御を脱いでしまった。
それはシェダルの変化であり、隙でもあった。
響は、キリっとした顔でこの研究室にいる人間に、シェダルと自身にとって大切なことを言う。
「…私はシェダルを…チコと同じように考えています。」
あの、底のないような、色のない目をしていたチコ。
抱きしめて、たくさん話をして、ケンカもして、離れていてもずっとずっと近くにいる。自分はきっとシェダルにも同じようにできるだろう。
でも、シェダルとの距離は縮められない。
彼は自分に傾いている…………何より男性だから。
チコよりも周りの支えがなく、チコよりもギュグニーに囚われた彼だけど………
……でも。でも、アンタレスならきっと大丈夫だ。
自己が確立できるまで、しばらくここにいれば、きっとシェダルは大丈夫だろう。自分とシェダルは霊や深層でお互い位置を確認しやすい。その力を利用すれば、このアンタレスでも出会わずにいられるナビにもなる。
「…………。」
凛としている響に、周囲はしんとする。
「……施術後のことは…よろしくお願いします。」
そう言うと、響はシェダルのいるストレッチャーに近付き、自分を組み伏した義手を見た。
ベガスに住むメンバーは体格が大きい人も多い。ユラス軍人も、響の手を握ったイオニアも、タラゼドも……女性の拳を包み込めそうに手が大きい。
でも、シェダルは元々なのか、育った環境なのか。ユラスの血を引いてはいるし、チコより体格もよく女には見えないが………細く繊細に感じる。
ずっと守ってあげたいほどだけれど………
強化義体でなく、普段は人間スタンダードタイプ高性能ニューロスなのに、それでも響は力では全く敵わなかった。
「……。」
「…シェダル……。」
小さくつぶやいて、響は腰をそのベッドに乗り上げる。あの時、必死で強く閉じ込めたので、きちんと解放しないといけない。
響はその身に覆いかぶさるようにベッド横から近付く。それから、シェダルの両手首をシーツに押し付けるように持つと、上から顔を真っ直ぐに見た。
そして、バジン!
と何かを放った。
「っ!」
ファクトやポラリス、アセンブルスは小さな衝撃に反応するが、他の者は何も感じない。
ムギだけは、響ではなくこの3人の反応にすぐに気が付き、何かあったのかと辺りを見渡す。
「終わりました。」
響は、何もない顔でその席を立つ。
「………へ?」
「……手応えがあったので、本人の意識が疲れていなければ、きっとすぐに目を覚まします。」
「へ?」
「え?おしまい?」
「??」
みんな、何をしたの?と言う感じだ。
「深層に入った時すごい準備していたって聞いたから…もっといろいろあるのかと…。」
「深層に入るわけでなく、今回は相手の通路を閉じ込めただけですから。外からでも大丈夫です。」
響はそれだけ言ってもう一度礼をすると部屋を出て行った。
みんな呆然とし、介護のユラス女性だけが響を追いかける。
「響さん!」
「え?おしまい?」
ガイシャスがアセンブルスを見ると、彼もキョトンとしてはいたが、そのようですと頷いた。リートも「?」な顔をしている。
ムギも響を追いかけたかったが、チコの弟の顔をしっかり見たかった。
そして聞きたかった。なぜチコに、あんなことをしたのか。今はどう思うのか。
チコが死んでしまったらどうするつもりだったのか。
シェダルが動かないので、そっと近づこうとすると、ナンシーズに優しく止められる。
「ムギ………。彼はもう起きています。」
「!?」
この言葉に他のスタッフも身を乗り出す。東アジアやSR社の研究員が何度か起こそうと試みたが、何の反応もなかったのだ。そして、響が直ぐに部屋を出た理由も分かった。
顔を合わせたくなかったのだ。目覚めた彼と。
「シェダル…………」
ファクトもシェダルを見ると、目が開いていた。駆け寄りたいが、ファクトも制される。
ムギはベッドから少し距離を取ったところからその顔を見て驚く。
シェダルのきれいな黒い瞳からは、
その目からは………スーと一筋の涙が伝っていた。
***
ドクンドクンと音がする。
これは心臓の音?これから受けるかもしれない、罰への恐怖?
それとも自分の中にもあった情熱の熱さ……?
シェダルはアンタレスに来てから混乱していた。
あの廃屋のビルの上。
現時点での最強のサイボーグだと言われていた、兄弟は全く抵抗してこない。
それどころか潤む紫の瞳。哀れみというのはよく分からないが、おそらく自分は哀れみを掛けられているのだろうと悟った。
昔、ずっと昔。おそらくラボで。
食事を持ってきながら、自分を見て可哀そうだと言った、どこかの女の声を思い出す。顔も知らない、ただ女だったということしか覚えていない給仕。
あの時はその意味が分からなかったが、記憶はある。あれはそういうことなのかと。
今まで知らない感情が、あの心理層の中で展開された、五色の山や小川のように次から次へと湧き出てくる。その世界を走り抜けた鹿のように、どんどんと展開されていくのだ。
イラつきもするが、もう一度触れてみたいようなもどかしさ。
その中心に麒麟がいたことを知って、青い麒麟を捕まえるが、簡単に逃れてしまった。
麒麟はつかまらなかったのに………
その首をまた掴んでしまったのだ。記憶は飛んでいるが、心理層の歪みと幻覚は覚えている。麒麟を抱きしめたいのに、それはダメだと分かっていたので何かをしてしまう前にその幻覚を噛み殺そうとしたのだ。
でも、それもダメだと自身の中の何かが訴える。
どうしたらいいのか分からなかった。
たくさんの唐模様の赤い血で世界が埋め尽くされ、自分を止めないと、と焦っても脳のどこがが飛んでしまっているようにいうことを聞かない。吐き気と欲望とまだ起こっていない事への後悔が自分の中で交錯する。目に前に見えているものが現実なのか幻覚なのか、心理層なのか、霊性なのかも分からない。
ただ、とてもリアルで…………。
どこか冷静な自分が、止められない自身を俯瞰で見ている。
違う。何でもいいから欲望を吐き出したかったのだろうか。
止められなくて………でも止めてと叫んだその時。
赤い麒麟。炎駒が、青い麒麟のあふれる赤い血から舞い上がって、
パチンという月夜の指の音とともに、
全てが弾けた。
***
響は病院に向かう車の中で頭を横にし、そっと首元を触る。
湿潤バンドの性能が思った以上に良く、もう消えそうな歯形。触っても分からない。
響は今まで心理層で、相手を探り相手を見極める仕事をしてきた。
絶対に自身と相手を区別し、分離し。ギリギリまで探っても、それぞれのパーテーションは絶対であった。
でも、戸惑っていた。
シェダルはそれとは全然違ったからだ。
生意気なのにいきりもなく。ひどく残酷なのに、無防備で、無垢で。逆らうくせに素直で。
そんな人は見たことがなかった。
●自分を覆う五色の世界
『ZEROミッシングリンクⅡ』26 サラマンダー
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