99 言わないでほしい
響のお兄様とタラゼドは店を出て、少し離れた居酒屋に腰を落ち着けた。
とりあえずアーツの流れから酒は飲まないし、お兄様だけ酔わせるわけにはいかないので、炭酸水のカシスフレイバーと梅ジュース、それからチーズやスナックなど適当につまみを頼む。
「お兄様………。」
「お兄様と呼ぶなと言っているだろ。」
「……ミツファさん?珀さん?」
「………知っているのか…。」
お兄様の名前は珀である。
少し会社の話などして、それからサッサと本題に入った。
「………あの」
「言うな!」
「……言いますけど、響さんとお付き合いさせてください。」
「言うなと言っただろ!」
お兄様激オコである。
「大房はダメだ。適当に体の関係を持って、適当に付き合うような地域だろ。響は一生響だけを連れ添えるような男でないとだめだ!」
「………俺もそのつもりですけど。それに、大房もなんだかんだ言ってアジアですからね。そんなテキトウに付き合ってテキトウに相手を変えたりしないですよ。一応付き合うという意思ぐらい確認し合います。そんなん、浮気もし放題じゃないですか。」
「そういう地域柄なんだろ??」
そういう人間もいるが、いくら大房でもほとんどの人はそこまでひどくはない。それに、霊性基準が低いと言っても、母フェルミオたちのように毎週礼拝に通う信仰者もたくさんいるし、世界の上層が霊性革命でひっくり返った時代の後。全体が底上げされているので完全な無知でもないのだ。
「………そもそも大房は………」
お兄様は「中低所得層地域だ」と言いたいが、さすがに仕事をしている本人を前にそれは失礼だと口籠った。あまり人柄も上品な地域でもないことも事実だが。
「タラゼド君は構ってくれる女性も多いし、美人MCと付き合ってったんだろ!元カノと一緒に働くとかおかしいだろ?!不誠実すぎる!」
構ってくれる女性?…いつも買い出しを頼んでくる妹や従妹たちだろうか。コパーに関してはもう関わらないつもりであるし、タラゼド自身の仕事とは関係がない。
「あのMCと付き合っていたとは………。どう考えても後で気移りしそうだ…。」
考え込んでいるお兄様を見て、タラゼドは誰が話したのか……と呆れるが、アーツ下町ズが好き勝手話したのである。
そしてお兄様。遂に、軽い酒を注文して一杯あおる。
何かに耐えられなくなったのか、一気に全部飲むと、ふーと息をしてもう一度タラゼドを見た。
「だいたいタラゼド君。君は響が好きなのか?」
タラゼドは基本一本調子である。人を悪く思うタイプでもなさそうだが、響への熱い好意も見えない。
「え?好きっすよ。響さんいい人じゃないですか。」
「なんだ?!その軽いの!!そんなの響じゃなくてもいいだろ!」
「はあ。」
「はあ、じゃない!!!あのMCが引っ越した時も追いかけもしなかったそうじゃないか。それで別れたんだろ!響が少し我が儘を言ったら放置するのか?」
余計なことまで知っているお兄様。
「相談もなくいきなりデイズターズとか、行けるわけないじゃないですか。少しくらい休暇は取れるでしょうが、仕事もあるし。」
「何を言っている!!後でも追いかけられるだろ。響はいきなりアジアのどっかに草取りに行ってしまう性格だ!追いかけられないとそれを放置するのか?」
「帰って来るのを待ちます。無職になってもそれはそれで反対するじゃないですか?しかもまだ婚約も結婚もしている訳じゃないし。」
さすがにタラゼドも妻確定なら会いに行くだろう。
「そいういう現実的な話をしているんじゃない。心の真摯さの問題だ!」
普通の人には分からないが、響の研究室に出入りしていた人間には分かる。気になる植物があったらアジア他地域や他の大陸までも採りに行ってしまうのであろう。
「………逆に言うと、そんな響さん。高所得の経営者とかサラリーマンとか、社会的地位のある人とか合わなくないですか?」
「逆に言うな!」
「俺だってコパー……、あー、あのMCの女性のことなんですけど、始めはあのまま付き合ってあのまま結婚するつもりだったから、結構ショックだったし。」
止めなかったわけではない。夢を追いかけるから邪魔しないで!来ないで!もう別れる!と言われたのだ。
ただ、タラゼドがショックだったとはお兄様は思えない。表情もあまり変わらないし、付き合いを申し込む相手の家族、しかも年上に全然ひるんでいない男である。
「それにそれってお見合い婚も同じじゃないですか?普通一目ぼれとかよりも、いいなと思って少しずつ距離を縮めていく方が多くないですか。お兄様はお見合い婚ですか?」
「………大学で知りあって、気が合ったからだけど………」
「熱愛ですか?」
「………いや。」
思い出しながら言う。
「妻も仕事人で気も強くてウチの家族を見ても平気そうだったし……、なんとなく気も考え方も合いそうで……。結婚する?って感じ?」
「………」
「………」
お互い沈黙する。タラゼドの言う通りであった。何も熱くない。熱いとしても、じんわりだ。
「でも、ちょっといい人と付き合いたいならわざわざ響である必要はない!!」
思った以上に口が回るのでムカつくお兄様。タラゼドは饒舌ではないが、一点集中すればイケる方だ。
「好きですとも、愛していますとも言わずにいい人だから付き合いたいとか…響以外と付き合え!!」
正論で持ち直すお兄様は、確信のある自分のセリフに少しスッキリして満足である。なにせ、リーオもかなり惚れこんでいた。「響さんならいいや」みたいな男でなくとも他にいるであろう。
が、それを落とすタラゼド。
「響さんが付き合ってほしいって言ったんです。」
「………。」
はい?という顔をしたお兄様は、次のセリフがない。
「………。」
少し考えている。
「…………響が?」
「響さんが、お付き合いしてくださいと…」
「は?!それはウソだ!!」
「………。」
「響はそんなタイプじゃない!響は絶対に自分からそんなことは言わない性格だ!!」
「…そうですね……。俺もびっくりしました。」
「なんで君がびっくりしてるんだっ。」
「………で、それが真実かどうかは別として、タラゼド君は何て言ったんだ?」
「少し待ってと。」
「待たせるな!そんな男絶対ダメだ!」
「響さん、家族を無視して幸せになれる人じゃないでしょ。どうせならお兄様とも近くなったし今後仕事でも会いそうだし、せめてお兄様にくらいしっかり認めてもらって、家族と繋げた方がいいと……。」
「お兄様と言うな!!」
それでも反対する家族だったら一旦は二人だけのことを考えるが、既にお兄様とベガスは関係が出来ている。これまで家族が響にしてきたことは方法は悪かったし、厳しい祖父母父母の元で平等に扱われなかった複雑なお互いの兄妹感情もあるのだろう。
けれど、それ以外に捻じれたものがあるわけでもない。ファイの家族よりよっぽどまともだ。
「せめて響のことを好きだと言え。」
「好きですよ。言ってるじゃないですか。」
「そんないい加減ないい方じゃない!だから、響さんも好きっすよ?みたいな言い方はやめろ!!」
お兄様が服を掴んできたので、タラゼドはとりあえず気のすむようにさせておく。
「お宅の響さんを下さいとか言えんのか。」
「それはご両親相手に言わせてもらいます……。」
「俺でもいいだろ?」
両親が健在なのに、兄にまで言いたくない。
「そんなセリフここぞという時だけでいいです。さすがに照れます。」
「何が照れるだ!そういう性格じゃないだろ。ウチの親は俺より質が悪いぞ。」
「言ったら、響さんにもっと良くしてくれますか?責めたりせず。それで、つき合うのも許してくれますか?」
「許すわけないだろ!!!」
本当に響は、あの時期にアーツと被らなければもっとハイスペック男性と付き合えただろう……というか、実際ハイスペック男性だらけなのに申し訳ない。
ユラスやヴェネレのエリート、アジアの経済人、大学教授や医者が周囲にたくさんいるのに、底辺高校、アルバイターの宝庫大房がベガスに来てしまったのだ。
「お兄様、そんなに妹に執着して奥さんに嫌がられませんか?妹さん成人ですよ?それとも、親戚に俺みたいなのが加わるの、嫌ですか?」
「は?何を言っている。妻の方が響が好きなんだ。」
「…?」
「ウチの妻が響が好きで、こんなカッコいい妹ができるなんて信じられない!と超ウキウキで、結婚式は自分の花嫁衣裳より、響に何を着せるか大騒ぎしていたくらいだ……。」
「………」
家族初顔合わせで、超クールからの喋り出すとおかしいという超落とし技を見せられ、将来の義実家に数日入り浸るという、お兄様ドン引きの惚れ様であった。自分にも見せたことのない、ニコニコ顔で一緒に買い物にも行っていたという。
結果、響は兄の結婚式で濃紺のスレンダードレスを着せられ、微セクシーで静かに注目の的であった。
しかもお義姉さんは、このままお義姉さん実家でサイファーの男性が響を見初めて、近くで結婚してくれたらいいのにと思っていたらしい。ほぼ第2のシンシーである。現に結婚式で響の将来に関して、うちに迎えるのだとシンシーとケンカ気味の言い合いまでしていた。
黙っていればクールビューティー響は、女性にも魔性の女であった。
それからお兄様は、
「君の人間性は信頼していたのに、そんな嘘の言葉で家族を落とそうとは信じられん!」
「響は絶対男よりも研究に興味があるから、そんな事は言わん!」
と、ずっとタラゼドに愚痴を言い続けたのであった。
***
ムギも久々にベガスでゆっくりしていたが、次の行動に移り始めていた。
北メンカルの連合国派ガーナイトに第三王子でもあるタイイー議長が戻って来たが、本物の民主政権が確立されたわけではない。あくまで、直ぐに独裁政権に領土を奪われないという、しばらくの安全を得ただけだ。そもそも、名前だけはどの勢力もしおらしく民主主義を語っているのだ。
南メンカルに入っているギュグニー勢力も洗い出さないといけない。
ガーナイトが強くなって北の他政権を侵攻するか、連合国の理念を理解できる層を増やして世間を変えていくか。出来れば後者を選びたい。
独裁政権側は、かつてアジア東方の宗教心を崩壊させることに成功した。
これまで自由民主主義圏が神の在る場所から生まれたという根底を、自身たちの自由主義の元で「宗教イコール脅威」とすり替え、人の精神性の根本から神を喪失させたのだ。
元々聖典基盤の深い他地域にはその逆の方法を使った。神は全てを許すのだと。全ては自由だと。
そのどちらにも、神を名乗る側の許せないほどの惰性への淪落、他者への厳酷など失態があったが、それを無能な神と無能な宗教に誰もが置き換えた。
つまり誰も彼もが、自分たちが信じるもの以外、何が何の力か、何が何の思想か分からなくなってしまったのである。そして、自分すら信じられなくなる。
ムギは外の街灯でジーと紙の地図を見る。
そこにはセイガ大陸があった。
アジアとユラスの狭間、山脈や山岳の続くアジアライン。その溪谷、細々と流れる川。
愛する人を失った針葉樹の森。
ここに、全ての憎しみや愛情、無関心と殺戮、疑心と慢心が流れ込んでいる。人々に慕われたかつての祠があり、そして風化した…その世界。
そんなアジアやユラスの、北の、葛藤全てが山々の谷に溝に、何十年も何千年も雪崩れ込んでいた。




