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山の麓にある小さな神社。
祭囃子が心躍らす夜。
見知った顔の子供たちは、祭りの人波に乗じて「かくれんぼ」をしていた。
木々の中、屋台の影、大勢の人の中。
明るく灯った神社の敷地内、戦隊ものヒーローの面をつけた鬼が友人を探し行きかう人の合間を縫って歩く。見つかったら右の狛犬の場所に行き、捕まった友達と雑談を交わしながら最後の一人が見つかるのを待っていた。
『あ、トミコちゃん見つかったみたい!』
浴衣を着た少女が鬼に連れられた最後の一人を指さす。
『じゃあ次の鬼はトミコちゃんね』
『ユウジがそろそろ帰らねーといけないらしいし次が最後な!』
『はい、コレ』と鬼をやっていた少年がトミコに面を渡す。
『じゃあ十数えるからね! 敷地から出ちゃ駄目よ?』
トミコは面を頭に乗せ、狛犬に手をついて数を数え始めた。
十数え終えた彼女は『もーいーかい!』と声を上げた。この賑やかさだ。どうせ皆の声は聞こえない。
なのに、一人だけはっきりと聞こえる声があった。
なぜか周りの喧騒とは関係なく。がやがやと聞こえる雑音の影響を全くうけず、その声は妙にはっきりと耳に届く。
『もーいーよ!』
トミコはくすくすと笑い振り返った。
『ゲン君、そんなんじゃすぐ見つかっちゃうよ。……あれ?』
直ぐ近くから声が聞こえたにもかかわらず、彼は最後まで見つからなかった。
その日の夜、大人たちが集まって祭りの間に行方不明となった子供の捜索が行われた。
トミコは鬼の印の面を頭に乗せたまま、縁側に座り山の方を眺める。
『もう遅いから、お前は家にいなさい』と両親に言われたのは何時ごろの事だったか。ぼーん、ぼーんと壁にかけた時計が、遅い時間を告げていた。
彼女は大人たちが良い知らせを持って帰ってくるのを願ってただ待った。
最後の鬼は自分だったのに。
彼女は震える両手を膝の上で握る。
他の子達はちゃんと見つけられたのに。ちゃんと皆で隅々まで探したのに……。
何で見つからなかったのだろう。
ゲン君は、神社の外に出てしまったのだろうか? だが、だとしたらなぜ家に帰ってないのだろう。
『あん山さ、昔はよう神隠しがあったかんなぁ。ゲン君、神さんに気に入られて隠されちまったんかもね……。可哀そうに……七つ前だったか……結局子供は神さんのいいようなんかね……』
祖父が寝る前に独り言のように零した言葉が、トミコの頭から離れなかった。
『ゲン君。まだ隠れてるの? お祭り、もう終わっちゃったよ』
辺りではカエルの大音量の合唱が聞こえていた。きっと誰にも聞こえない。そう思いながら、彼女はそっと口にしてみる。
『もーいーかい……』
『もーいーよ!』
『……?!』
直ぐそばで聞こえた気がし、彼女はパッと後ろを振り返ってみた。
だがそこには誰もおらず、そしてゲン君が見つかる事はその後も無かった。
数十年が経とうとも―――
***
屋根の下、蝉の声がけたたましく反響する縁側。
枯れ枝のようになった手を見つめ、トミコは独り言のように呟いた。
「もういいかい……」
『もう いいよ』
少年独特の高い声が近くの木陰から聞こえた気がした。それは当時より、何かを諦めたような気落ちした声に聞こえた。
彼女はそちらへ目を向ける。
かさり、と木や草が音を立てた気がした。
きっと風だ。それか鳥が飛び発ったか。
何もない木陰にトミコは目を凝らす。
夫に先立たれた老婆が一人暮らす古びた一軒家。聞こえる筈のない、子供の軽快な足音を背後に感じた気がしたが、トミコはきっとこれも幻聴だろうと思い振り返らなかった。
「みーつけた!」
とん、と両肩を叩かれトミコは「はっ」として振り返る。
「おばあちゃんみっけ!」
トミコは半年ぶりに見る孫の顔に嬉しそうに目元の皺を深める。
この間新品のランドセルを見せに来てくれたばかりだと思うのだが、可愛い孫はまた少し大きくなっているように思えた。
「あらあら。カスミちゃん、いらっしゃい。もう着いたのね」
「母さん、チャイム聞こえなかったんでしょ? また耳遠くなった?」
「耳も悪いけどチャイムもね……。最近調子が悪いんだよ」
玄関から荷物を抱えて現れたトミコの娘夫婦が姿をあらわす。トミコの娘ナオは「え? チャイムも?」といい荷物を邪魔にならないところにまとめるとぱたぱたと玄関の方へむかっていった。
彼女が確認しているのか、部屋の中に何度か掠れたチャイムの音が鳴り響く。
「あら、本当ね。この間はこんなんじゃなかったでしょ。母さんすぐこういうの後回しにするから……いる間に直してもらわないと」と張り上げた声が玄関から茶の間へと聞こえてきた。
そして「こっちはいいから」だのなんだのと言うやり取りののちにトミコの義理の息子ケイスケが部屋へやってくる。
「お義母さんお久しぶりです。お邪魔します」
彼はへこりと頭を下げ、トミコが準備しておいた座布団になれないように腰かける。
「いらっしゃい。どうぞ楽にしていって」
トミコはにこりと微笑んだ。外からは夏休みに燥ぐ子供たちの声が聞こえた気がした。
『もーいーかい!』
『もーいーよ!』
そんな掛け合いが聞こえた気がして、トミコは懐かしそうに目を細めた。
***
お墓参りを済ませ、娘夫婦が仏壇の生花を入れ直す。
「最近の子は怖いもの知らずね。墓場でかくれんぼしてたのよ。お墓の裏に何かいると思ったら子供でね。お化け化と思ってびっくりしちゃった」
ナオは思い出したようにカラカラと笑う。
「ケイスケさんなんて『わっ』て声なんかあげちゃって、体びくっ! って、」
「全然見えてなかったんだよ。黒いシャツ着てたし、アレはびっくりするって」
二人のやり取りを聞きながらトミコは穏やかな表情で庭を眺めていた。
「ただいまー!」
夕方ごろになって近所の子と遊んでいたカスミが返ってきた。
彼女は真っすぐにキッチンへ行き冷たい麦茶をコップに注ぐ。夕食の準備をしていたナオは、日焼け止めを塗って出ていったはずの娘の肌が真っ赤に焼けているのを見て苦笑した。
「お帰り。ユミちゃんと遊んでたの?」と、ナオは娘に濡れたタオルを渡す。
「うん! あといっちゃん! エビ捕まえたよ! 田んぼにいっぱいいてね、あとトカゲ追いかけた!」
「ユミちゃんってカスミの一個上の子だっけ? 『いっちゃん』て弟のイッキ君? 二人共元気だった?」
「うん!」
「まさかトカゲ捕まえてきてないでしょうね?」
「トカゲは無理だった。すごい早いんだよ! けど可愛かった! いっちゃんが踏んづけようとしてね、ぴゅぅーって草ん中入ってってね、」
ナオは娘の話を聞きながらクスクスと笑う。
「トカゲ飼いたいとか言わないでよ。お母さん飼い方分からないからね」
カスミは「大きくなった飼うからいいもん! それよりおばあちゃんに聞きたいこと!」と言うとぱたぱたと茶の間の方へと駆けていった。
「ねえ、おばあちゃん! カミカクシ知ってる?」
カスミは茶の間に行くと座椅子に腰かけていたトミコへ尋ねる。
だがトミコはこくこくと船をこいでおり、同じく茶の間にいた父はスマホから顔を上げて「しー」と口に指を当てた。
「友達と遊んでたのか?」
「うん、ユミちゃんといっちゃん」
「ユミちゃんは分かるけどいっちゃんって誰だ?」
「ユミちゃんの弟だよ」
ケイスケは「ああ、イッキ君だったっけか」と納得しスマホを置く。
「怖い話してたのか?」
「うん。ユミちゃんから聞いたの。山の神社で昔神隠しが出たんだって。子供がかくれんぼして、一人行方不明になって見つからないって」
「ああ。それならお父さんも聞いたことあるな。お母さんから聞いた」
「そうなの? カミカクシって怖い?」
「神隠しは怖いだろうけど……カスミ、何か勘違いしてないか? 神隠しっていうのは人が居なくなることで、『カミカクシ』っていうお化けが見えるわけじゃないからな」
「えー? でもユミちゃんはすっごい怖い顔の女の人が出るんだっていってたよ。黒い着物着てて、口がすっごい大きくて、『おしやぁ……おしやぁ……』って言ってるんだって」
「それ別の怖い話混ざってないか?」とケイスケが呆れた。
「なーに? 口裂け女の話?」
ナオがテーブルに夕食を並べていく。
「違うよ、カミカクシ」とカスミが声を上げ、ケイスケが「他に持って来るものあるか?」と尋ねる。「あとお皿が二つ」というナオの言葉に「はいよ」と彼は立ち上がる。
「あらあら、お婆ちゃんまだ寝てるのね」
ナオは夕食の時間になっても目を覚まさない母を見て苦笑した。
母の性格的に、このまま寝かせるより起こして一緒に夕食を食べた方が良いだろう、と肩を叩こうとした。その時、老いて薄くなった彼女の口から、寝言のように「もういいかい」という言葉が聞こえた気がしナオは目を細める。
「ばあちゃんかくれんぼ?」
不思議そうに見上げてくる娘にナオは聞き間違いではなかったのかと思う。
「そうみたいね。おばあちゃん、夢の中でもかくれんぼしてるのね」
「誰としてるんだろうね」
(きっと……)
娘の問いに、ナオは顔も知らない少年の名を思い浮かべた。
***
翌日の夜は近くの神社のお祭りがあった。
娘家族の浴衣の着付けを手伝い、トミコは満足そうに彼らを玄関で見送る。
「お婆ちゃんは行かないの?」
「ああ。婆ちゃんは留守番だ。足も腰も痛くて、人が多い所は危ないからね。カスミが代りに楽しんできておくれ」
「うん! わたあめとカステラ買って来るね!」
「そうかい。じゃあ……かっこいいお面もお土産に買って来てくれるかい?」
「お面?」
「そう。かっこいい戦隊物のヒーローのお面」
カスミは去年の祭りの事を思い出し、「お婆ちゃん、ヒーローのお面好きだよね」と首を傾げる。
トミコは否定する事もせず「そうだね」とただ笑んだ。
「お願いしてもいいかい?」
「うん、わかった!」
カスミが元気に頷く隣で、ナオも「ええ」と深く頷いた。
「ありがとう、じゃあ楽しみに待ってるよ」
「じゃあお母さん、行ってきます」「行ってきまーす」「行ってきます」と三人が言葉を置いて家を後にする。
玄関の鍵をしめると、トミコはよたよたと歩きながらいつもの縁側へと腰かけた。
遠くなった耳に、かすかに祭囃子が聞こえた気がした。
「もういいかい」
彼女は呟く。
『もう いいよ』
はっきりと声が返る。
トミコは悲し気に目を伏せた。
「ごめんね……。もう……あそこまで行く事もできんくなってしまったよ……」
***
子供心をかき乱す祭囃子と屋台の明かり。そして人混みと沢山の人の声。
「まずご飯でも食べる?」というナオの言葉に、ケイスケが「お好み焼き買ってきていいか?」と返す。カスミは辺りにある屋台全てが気になり「あれがしたい」「これがしたい」とも言えず忙しなく視線を動かしていた。
そこに、「あらぁ、ナオちゃんね?」と細く高く、そしてしわがれた声が聞こえる。カスミの手を握っていた母が脚を止めた。
カスミの記憶にないお婆ちゃんだ。
彼女は嬉しそうに手を振っており、その姿には茶目っ気がある。
「あらあら、大きくなって」
「ヤマネのおばちゃん、お久しぶりです」
「やあね、もうお婆ちゃんよ」と彼女はやんわりと笑む。
「お引越しされたと聞きました。息子さんのお家に行かれたって」
「ええ。私ももうこんなだから。こんな田舎に頻繁に様子見に来るのは大変だっていうんでね。有難い話よ……」
二人の話を聞きながら、カスミは屋台や道行く人が手にしているおもちゃや食べ物を目で追う。
「ナオちゃんの娘さん?」
「はい、カスミと言います。こっちは夫で、」
「あらまあ、ふふふ、色男じゃない」
ケイスケが困ったように笑いながら挨拶をし、名前を呼ばれカスミも顔を上げた。
ヤマネと呼ばれた老婆は目を丸くし、そして「あらあら」といいながら表情をほころばす。
「トミコさんの小さい頃にそっくりだわ」
***
屋台の列に並んだ父を待ち、ナオとカスミは境内の端で屋台の裏面を眺めていた。
ナオの手には既に幾つかのパックが乗っており、手首にはカスミがくじでとった大きなビニール人形がぶら下げられている。
カスミは食べ終わったかき氷のカップを母に見せ、「捨ててくる」とごみ箱を指さす。
「ええ。人にぶつからないようにね」
人にぶつかると言っても屋台の裏側のスペースだ。人通りが激しいわけもなく、カスミはカップを捨ててすぐにもどってくることが出来た。
母はこちらに背を向けており、木々の続く神社の外へ目を向けていた。
「―――ゲン君、もういいかい」
母が小さな声でそう言った様に聞こえた。
カスミは彼女の元に行くとその背を見上げた。
前にも彼女は、いつだったか、何処だったかで母が同じ言葉を口にしているのを聞いた気がした。今よりもずっと前だ。母に抱かれて心地よく目を閉じている時だった。その時もこんな笛の音や明るい通りを見たような、とてもぼんやりとした記憶がある。
もしかしたら、以前この言葉を聞いたのもこの神社だったのかもしれない、とカスミは思った。
今日と同じく、父の目を盗むように、こそりと木々の奥に向かって……。
「あら、」
母は娘の存在に気付くと悪戯っぽく笑った。
「もしかして聞いてた?」
コクリとカスミは頷き、ナオは苦笑する。彼女は口の前に指を立てると、「お父さんには内緒ね」と言った。
「『ゲン君』って誰?」
カスミが尋ねる。
ナオは木々の方を見て答えた。
「おばあちゃんのお友達。ずっと前にね、皆でここでかくれんぼしてたらいなくなっちゃったんだって」
「それ、神隠しの話?」
「あら。カスミも知ってたのね。お婆ちゃんから聞いたの?」
「違うよ。ユミちゃん」
「そう」
母は目を細めた。
「お母さんね、小さい時、お婆ちゃんが独り言みたいに『もういいかい』って言ってるのをよく聞いてたの。お婆ちゃんは誰にもばれないように言ってたつもりなんだろうけど。―――それでね、たまーにだけど『もういいよ』って誰かが答えてるのも聞こえたの。お母さん、初めは怖かったんだけど、お婆ちゃんから話を聞いてね。『あれはゲン君の声だよ』て。『きっとまだどこかに隠れてて、見つけてもらえるのを待ってるんだ』って。それ聞いたら、お母さんも見つけてあげられないかなって思って……。ここに来た時こうして聞いてみてるの」
「『もういいよ』って返ってくるの?」
ナオは悲し気に首を振る。
「……全然。お母さんには返ってきた事ないわ。やっぱり、ゲン君はお婆ちゃんを待ってるのかもね」
「そうなんだ」
カスミも木々の奥に目をやり、口を小さく開く。
自分の場合はどうだろう。何か聞こえるだろうか、とぼんやりと思ったのだ。
「ゲン君……もーいーかい」
彼女はぽつりと呟く。
『もう いいよ』
悲し気な声が聞こえた。