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7 恋するアリスン



「ギデオンって、ハンサムなのかしら?」


 ぽつんと呟かれた言葉に、ブレットはきょとんとした。

 唐突になんなのだ。今は次回のマダム・アニスの相談室の原稿についての話をしていたというのに。

 しかし、ジェラルディーンが仕事の話の最中に他所事を考えるとは珍しい。なにかあったのだろうか。

 不思議に思って首を傾げる。


「それは同意を求めているの? それとも客観的な意見を求めてる?」

「同意を求めているなら『ハンサムよね』って断定して言うでしょ。今は客観的な意見を求めているの」


 ジェラルディーンは顔を顰めて言い返した。

 へえ、とブレットは肩を竦める。


「それなら女性に訊いた方がいいんじゃないかな? 異性の美醜に関しては、自分と同性の意見の方が参考になると思うよ」

「それはそうだけど。あの人と会ったことがある友達なんて、今のところあなたくらいじゃない」


 事情を知っているメグは仕方がないにしても、他は誰とも会わせるつもりはなかった。本当に婚約するわけでもないし、一時の付き合いを終えたらそれっきりの相手だと思っているのだから。

 ちょっと悩むような表情になっている友人の様子に、ブレットも考え込む。


「どうして突然、容貌のことなんか気にするの? ディーンはそういうの、昔からあんまり気にしないじゃないか」


 言われてみればそうだ。

 ジェラルディーンは自分が決して美人ではないことを知っている。どうせ褒められることがないのは十分にわかっているので、容貌を他人に批評されるのが嫌で、だから自分も誰かの容姿に関してはあまり興味を示さない。


 それに、大事なのは内面だと思う。どんなに美人で誰からも愛される容姿をしていても、性格が物凄く悪かったら最悪だ。

 そのいい例がジェラルディーンの弟だ。小さい頃から可愛い容貌でみんなからちやほやされていて、思春期になると女の子達からも秋波を送られてちやほやされるようになったが、中身は生意気で母が大好きな甘ったれだ。年齢が上がるにつれ、なにかにつけて尊大になってきたのもよろしくない。

 ああいうのを見ていると、やはり外見より中身が重要だ、とつくづく思う。


「私は気にしないわよ。人に不快感を与えるような身形をしている人でなければ、顔に大きな傷があったって、鼻が変形していたって、全然構わないもの。大事なのは心でしょ」

「だったらなんで、ギデオンの容姿を気にするのさ?」


 心底不思議そうに尋ねられる。

 そうなのよね、とジェラルディーンは溜め息をついた。


「とても素敵な人ね、って言うのよ」

「誰が?」

「アリスンが」


 思い出してもう一度溜め息が出る。

 妹が再びジェラルディーンの許を訪ねたのは、一昨日のことだ。

 誕生日だったので贈り物を持って来てくれたのだが、そのときに言われたのだ。


「ギデオン様って素敵な方ね、お姉様が羨ましい――って、頬を紅潮させて、瞳をキラキラさせながら言うのよ? だから、そんなに興奮を見せるような容貌だったかしら、と思ったのよ」

「それは……」


 言いかけ、ブレットは口を噤む。

 そんな様子を見ながら、ジェラルディーンは悩ましげな表情になる。


「なんていうかね、私とギデオンって初対面があまりよくなかったのよ。その所為もあるかも知れないけど、彼が素敵な人だとはあまり感じられなくて……。気が利くいい人だってことはわかったんだけどね。ちょっと会って話した程度で、あんな恋する乙女みたいな表情でふわふわと語るものかしら、と思ってしまったのよ」


 たった数時間で内面のことまではわからないだろう。ジェラルディーンだってギデオンのことはまだよくわからない。

 それならば、容姿がアリスンの好みだったのではないか、と思ったのだ。


 ジェラルディーンは人の美醜にはとことん興味を示さないし、色恋沙汰にも昔から殆ど反応しない。まわりで盛り上がっていても、適当に相槌を打っていただけだ。それくらいに恋愛に対して淡白だった。

 ウィリアムと結婚したのも、恋愛感情からではなかったのかも知れない。

 長い付き合いで、一番親しくて、一緒にいるととても心が安らぐから、たぶん夫婦になるならこういう人とだろうな、と感じて求婚を受けた。


 そんな調子だったので、アリスンのあの態度の意味がまったく理解出来ない。たった数時間話をした程度で、何故あんなにもうっとりと語れるのだろう。

 一目惚れという言葉が世の中にはある。

 そういう状態に陥るにはやはり、一番重要なのは容姿なのではないかと思う。心惹かれる容姿の人を見かけ、好きだと思うからこそ、そういう状態を一目惚れと言うのだろう。


「うーん、そっかぁ……」


 ブレットは得心したように小さく呟き、腕を組んで話の順番を整理するように瞳をくるくるとさせる。


「アリスンちゃんは十八になったんだっけ?」

「もうすぐね」

「お嫁に行く年頃だもんなぁ。異性が気になるんだろうね。伴侶としてよさそうな相手なら尚更だろうな」


 その言葉にジェラルディーンも頷く。

 実家にいないので直接関わってはいないが、父が縁談相手を探して奔走している話は聞いている。長女も三女も爵位持ちではない家に嫁いでいるし、ジェラルディーンは男爵家に嫁いだがもう離縁されているようなものだし、アリスンにはちゃんと爵位を持った家に嫁いでもらいたいと思っているらしい。

 その思いはアリスン本人にも伝わっているらしく、彼女もまた、爵位持ちの家に嫁ぐことを願っているようだ。

 その点でいくと、ギデオンはソーギル子爵の子息である。しかも一人息子なので、家を追い出される話が実行に移されない限り、彼が家督を継ぐのは確実だ。彼と結婚すれば子爵夫人となる。


 だがしかし、彼は一応、ジェラルディーンの恋人として紹介した。

 どんなに素敵な人で、結婚相手として理想的な人であったとしても、姉の恋人を奪うようなことをしないで欲しい。


(でも、それはちょっとわからないわね……)


 アリスンの性格を考えて、ジェラルディーンは僅かに眉を寄せる。

 年が離れて生まれた末っ子は、家族全員から甘やかされ、物凄く可愛がられて育った。とても愛らしい顔立ちをしていたこともあり、父など「わたしの天使」と呼んでベロベロに甘かった。


 兄姉達はもう随分と大きくなっていたし、アリスンが生まれるまで末っ子の王子様として甘やかされていたギルバートでさえ、愛嬌たっぷりの妹は可愛かったらしく、とてもいいお兄さん振りだった。

 アリスンはチャーチル家にとって、なによりも大切なお姫様だったのだ。

 それ故に、望んで手に入らなかったものはなかった。どんな我儘でも、度が過ぎなければ大抵は叶えられていたし、叱られたことも恐らくない。どうしても駄目だ、と注意をされれば素直に引き下がる聞き分けのよさも持っていたからこそ、そういう状況が許されていたのだろう。


 だからもしかすると、ギデオンのことも欲しがるかも知れない、と嫌な予感がしてしまう。

 でもまさか、人間相手にそんなことを願わないと思いたい。さすがにそこまで我儘ではないだろう。


 それでもなんとなく不安な気持ちがむくむくと持ち上がってきて、思わず「うーん」と考え込むと、ブレットがこちらを覗き込むように気にしてくる。

 苦笑して首を振った。


「これはちょっと考え過ぎよね。あり得ないわ」


 自分を納得させるようにそう言うが、嫌な考えというものは、一度浮かび始めるとモヤモヤとしばらくつきまとってくれる。

 その過程で、母のことを思い出してしまった。


 あの日なんだかんだで、結局はギデオンのことをそれなりに気に入って帰って行った。きちんとした家柄の男性で、愛想もよかったのが功を奏したのだろう。

 もしもあの母が、年齢がもう三十で再婚のジェラルディーンよりも、まだ十代で未婚のアリスンの方が相応しいとでも考えてしまったら、そっちの方に話を持って行かれそうな気がして堪らない。アリスンを溺愛している父まで絡んだりしたら確実にそうなる。

 そうなってしまったら、話はまた振り出しに戻ってしまうではないか。

 ジェラルディーンはまたしつこく再婚を勧められ、満足している今の暮らしに文句をつけられ、頭痛と胃の調子に悩まされるようになるのだ。


 だが、ギデオンはどうなのだろうか。

 なにか事情があって結婚を嫌がっているようだが、それがなにかは聞いていない。知り合ってからまだ日が浅いし、ただの協力者であるので、そこまで踏み込んではいけないと思っているからだ。

 もしもその事情が許すなら、アリスンが相手の方がいいのではないだろうか。まだ若いし、誰もが可愛いという美人さんだ。冴えない三十路女よりもずっといいと思う。


 そこまで考えてしまい、はたと思考を止める。


(……あ、駄目だわ)


 よくない状況を想定し始めると、際限なく続けてしまう。このネガティブ思考は昔からの悪い癖だ。ウィリアムにもよく叱られていた。

 一呼吸つき、ブレットに向き直る。


「まあ、ここでいろいろ考えたって仕方ないわよね。アリスンがギデオンを好きになったとしても、偽者婚約者の私にはそれを止める権利はないし」

「ディーン……」

「それに、ギデオンがアリスンを好きになるかも知れないしね。可愛いもの、あの子。身内の欲目ではなく。そうでしょ?」

「そうだね」

「ね。だから、悩む必要はなかったのよね。変な話を振ってごめんなさいね。打ち合わせの続きしましょう」


 新作の長編連載へ向けての構想打ち合わせのこともあるし、こんなくだらないことに割くような時間はないのだ。

 この話は終わり、と宣言し、机の上に並べられたままの原稿を手に取った。




 買ったばかりの万年筆が包まれた箱を眺め、ギデオンはちょっとだけ笑みを浮かべる。

 一昨日がジェラルディーンの誕生日だとは知らなかった。たまたま街中で花束を抱えたブレットとかち合い、その話を聞いたのだ。

 なにか贈り物をするべきだろうか、と困惑するギデオンに、ブレットは「そういうのディーンは気にしないから」と笑っていたが、一応は婚約者。なにも贈らないのも変なのではないだろうか。


 よく書き物をするという話は聞いていたので、万年筆を選んでみた。装飾もない黒い軸は男性的な印象だが、キリッとした切れ長の目が印象的なジェラルディーンには、こういうものの方が似合うような気がする。

 けれど、リボンは赤と淡いピンクを重ねて結んでもらった。可愛らしく女性的な部分を入れたかったのだ。


「喜んでくれるかな」


 受け取った姿を想像してみて、ちょっと楽しくなる。

 怒りはしないだろうが、呆れた表情をするに違いない。気を遣わなくていいのに、と溜め息混じりに言うのだ。

 そこでふと、自分は彼女のことを随分と気に入っているようだ、とギデオンは思った。


 出会いは最悪だった。もちろんギデオンの態度が悪かった所為だということはよくわかっているが、まさか女性から殴られるとは思わなかったのだ。

 あのときの酷く重たい一撃は、数日間青痣になっていた。一週間経ってようやく消えたが、今もまだ薄っすらと黄色くなっているし、触るとまだちょっと痛い。


 喋る声は柔らかく響いて耳に心地よく、黙っていれば楚々として大人しそうな雰囲気なのに、口を開けば意外と苛烈だ。気が強そうな目つきと相俟って、幼い頃に散々扱かれた女家庭教師(ガヴァネス)のことを思い出してしまう。厳しくて恐い先生だったが、褒めるときはとても優しく嬉しそうにしてくれて、そんな彼女が大好きだったことを思い出す。

 ジェラルディーンのことを好意的に感じているのは、その女家庭教師に雰囲気が似ている所為かも知れない、とギデオンは思った。

 もしかすると、あれはギデオンの初恋だったのかも知れない。結構な年齢の人だったが、確かに彼女のことが好きだったのだから。


「もしかして、ギデオン様ではありませんか?」


 あの強烈なパンチは衝撃的で印象深く、興味を持つには十分だったし、初恋の人に似ているのだから好感を持っても不思議ではないな、と自分の感情に納得して心中で頷いていると、何処かから声をかけられた。

 立ち止まって見回すと、通りの向こうから手を振る少女の姿があった。


「えーと……」


 顔はわかる。つい最近会ったし、長々と話もした。楽しくお茶の時間も過ごした。

 しかし、名前が出てこない。喉許まで出かかっている気がするのだけど、そこから先までは出てこない。


「おわかりになりませんの?」


 駆け寄って来た少女は、考え込んでいるギデオンの様子に残念そうに首を傾げる。


「いや、わかるよ。ジェインの妹の……」

「アリスンですわ」


 名前が思い出せずに言葉を詰まらせると、悲しげな表情でアリスンが名乗った。


「そう、アリスン。……すまない。人の名前を覚えるのがとても苦手で」


 顔はすぐに覚えられるのに、名前だけは無理なのだ。克服したいと思っているが、なかなか上手くいかない。

 気にしてはいない、とアリスンは首を振った。


「もしかして、お姉様のところに行かれるところでした?」


 窺うように上目遣いに見つめられ、ギデオンは僅かに身を退きながら頷く。


「まあ、それは残念ですわね。お姉様はお留守だったのですよ」

「留守?」

「ええ。私も行って来たところなのですけど、下宿されてる方も誰もいらっしゃらなくて」

「そうなんだ……」


 少し残念だ。

 訪問することを報せずに向かっていたので、そういうこともあるだろう。仕方がないことだ、と少々がっかりしながら、持っていた包みを懐にしまった。


「きみは家に帰るところ? 送ろうか?」


 まだ陽も高く、人通りがあってそこまで治安が悪いわけではないが、年頃の女性が一人で出歩いているのは危ない。特に嫁入り前の良家の娘なのだから、なにかがあっては困るだろう。

 知己の紳士として、こう申し出ることが普通だと思った。しかも婚約者の妹という立場の娘なのだから、当然のことだろう。

 なので、アリスンが頬を赤らめて嬉しげに飛び跳ねて頷く様子に、少々面食らってしまう。


「ありがとうございます! 是非!」


 そう言って、腕に抱きついて来る。


 その瞬間、さっと血の気が引くような感じがした。心臓が変な風に鼓動を刻む。

 視界がぐらりと揺れ、思考が止まって真っ白になる。そうして、吐き気が込み上げてきた。


 それは一瞬の出来事だった。

 この状態はよくないと即座に感じ、素早く瞑目して深呼吸するとなんとか気分を落ち着かせ、腕に絡みついているアリスンを離れさせようと、やんわりと手を伸ばす。


「……アリスン。こういうのはよくないよ」

「何故です?」


 不思議そうにきょとんと見つめ返される。


「何故って……。嫁入り前のお嬢さんが、男とこんなに身体を密着させては、恥じらいがないと思われるよ。ほら、人にも見られている」

「でも、家までエスコートしてくださるのでしょう? だったら普通でしょう?」


 舞踏会などでは、男性が女性をエスコートをするときには腕を組む。

 だが、腕を『組む』だ。これでは『抱き着いている』という状態に他ならない。


 心臓がまだ変なリズムを刻んでいる。全身が脈打っているのではないかと思えるくらいに強くなったかと思えば、すーっと静まり返ってしまうという不規則な動きを繰り返していて、息が苦しくなる。

 今日は日陰に入れば肌寒さを感じるくらいの涼しさだというのに、汗が背中を伝っている。変にひんやりとしていて不快な汗だ。


 以前にもこうなった経験がある。

 もう治ったと思っていたのに、と震え出しそうになるのを抑えながら、アリスンの肩を押しやった。


「アリスン、離れて。こういうのはいけないから」

「でも、送ってくださるのでしょう?」

「送るけど、離れて。良家のお嬢さんのすることじゃないよ」


 ね、となるべく穏やかな口調で念押しすると、渋々といった様子で離れてくれる。ホッと胸を撫で下ろした。

 気づかれないように小さく深呼吸して息を整え、落ち着きを取り戻してから愛想笑いを浮かべる。


「じゃあ、送るよ。家はどっち?」

「一番上のお姉様のお家に泊まっていますの。メイフェアの方」


 頷いたアリスンが目的地の方を指差す。


辻馬車(ハンサム・キャブ)を拾った方がいい?」

「いいえ。ここまで歩いて来ましたし、大丈夫です」


 そう、と頷き返し、ギデオンは先に歩き出す。アリスンもすぐにそのあとに続いて来た。

 今度は抱き着いてきたりはしなかったが、ギデオンは僅かに警戒と緊張をする。さり気なくアリスンがいる方へステッキを持ち替え、きつく握り締めた。


「お姉様、お留守で残念でしたわね」

「ああ、そうだね。でもまた時間を改めればいいから」


 だいたい予告なしに訪問しようとしていたので、留守であることくらいは想定していた。いなければ待つつもりだったので問題はない。

 そろそろ夕暮れであるので、そんなに待たずに帰って来るだろうと思っていたし、特に気にしていなかった。アリスンを送ったあとに改めて行ったくらいで丁度いいかも知れない。


「なんのご用でしたの?」


 若い娘には沈黙はつまらないのか、アリスンは次々に質問を投げかけてくる。


「誕生日の贈り物をね。当日には用があって会えなかったから」

「まあ、素敵。私は当日に渡しましたのよ。白鳥の紙押さえ(ペーパーウェイト)と、お姉様のお好きなアニスキャンディを」

「へえ、そうなんだ」


 ジェラルディーンの好物はアニスキャンディなのか、とひっそりと心中に書き留める。今度会うときにプレゼントしてみよう。


「ギデオン様のお誕生日はいつなんですか?」

降誕祭(クリスマス)だよ。十二月二十五日」

「まあ! 私は二十四日なんです。一日違いだなんて、なんだか運命的ですね!」

「? そうだね?」


 嬉しそうに手を打つ様子に首を傾げる。なにが運命的なのだろうか。

 なんだかおかしな子だなぁ、とギデオンは内心で首を捻る。先日会ったときにはこんな風には感じなかったのに、なんだか妙な言動をしているような気がする。


 若い娘の感覚はよくわからない。十五歳以上も離れていると世代間格差のようなものを感じる、と知らずうちに年寄り臭い結論に至ってしまった。自分はまだまだ若いつもりでいたが、やはり十代のお嬢さんとは違うのだ。

 父などが『近頃の若い者は』などと文句を言っているのをうんざりと聞いていたが、確かにそういう感想が漏れてしまいそうになる。それくらいに年齢の差を感じられた。

 これは家族でも感じる問題ではないだろうか、とジェラルディーンの心中を思った。そういえば、話をしているときにたまに引き攣ったような表情をしていたのは、返答に困っているときだったか。


「ギデオン様、ちょっと変な質問をしてもいいでしょうか?」


 自分の老化をひっそりと嘆いていると、袖を引かれてそんなことを言われる。


「いいよ。答えられることなら」


 立ち止まられたので同じく立ち止まり、頷いて向き合う。

 アリスンは頬をほんのりと染めてもじもじと俯き、ややして、上目遣いに見つめてきた。


「私のことどう思いますか?」

「…………うん?」


 どういった意図の質問なのだろう、と一瞬思考が停止する。

 アリスンは恥じらうように僅かに視線を伏せてから、もじもじと身体をくねらせ、もう一度「どう思いますか?」と同じ質問を繰り返した。

 これは難問だ。この年頃の女の子に対して、期待外れの答えを返せば機嫌を損ねる。


「可愛いと思うよ」


 取り敢えず無難に褒めてみる。容姿と言動のどちらとも受け取れるように、ただ「可愛い」と表現しておく。


「本当ですか?」


 パッと頬を紅潮させ、嬉しそうに顔を上げる。


「ああ。男達が放っておかないだろう?」


 頷き返してやると、照れたように「そんなことないですよぅ」と満面の笑みだ。これはそれなりにモテているのだろう。

 そんな様子を見て、ギデオンはホッとする。回答を間違えてはいなかったようだ。

 ジェラルディーンとはまだ少し関係を続けていかなければならないので、彼女の家族にはいい印象を持っていてもらわなければ困る。そういう約束なのだから。


 アリスンは満面の笑みを浮かべたまま、声のトーンを下げて尋ねる。


「じゃあ、お姉様のことは?」


 ギデオンは双眸を瞠った。


「お姉様のことは、どう思っていらっしゃるの?」


 念を押すように重ねられる問いに、ギデオンは瞬く。

 いったい突然、彼女はなんの尋問を始めるつもりなのだろうか。


(これは――どう答えるのが、正解なんだ?)


 質問の意図がわからなくてギデオンは僅かに焦燥する。

 普通なら、婚約者であるジェラルディーンを褒めればいいことだろう。だが、たった今アリスンのことを褒めた口で、同じように褒めたりしたら、アリスンの機嫌を損ねはしないだろうか。なんだかそんな予感がする。

 それに、ギデオンとジェラルディーンは知り合ってからまだ十日ほどしか経っていない。会って話をした回数も片手で足りるくらいだ。普通の恋人なら挙げられるだろう言葉がなにも思い浮かばない。


「好きだよ、って答えでは駄目なのかな?」

「うーん。それでは平凡で無難すぎて、面白味がないですね」


 アリスンは首を振る。


「どう思っているかって質問なんだから、いいと思うんだけどな」


 やはりそう来るか、と思いながらギデオンは苦笑する。

 その間に、自分の知っている限りの情報を頭の中から引き出し、ジェラルディーンを褒める為の言葉を探す。


(……駄目だ。しっかり者の料理上手ってことしか思い浮かばない!)


 あとは殴られたことくらいしか思い出がない。それは褒められる部分じゃないし、男としてなんだか情けない。


「とてもしっかりしていて自立している女性だけど、ちょっと弱くて守ってあげたくなるようなところもあって、可愛いと思ってるよ――というところで納得してくれるかな?」


 そんな可愛げがある女だろうか、と心の声が片隅で訴えてくるが、黙殺する。きっとそういう部分もある筈だ。

 ふうん、とアリスンは頷き、にっこりと微笑んだ。


「嘘ですね!」


 随分とはっきりばっさり言いきってくれる。ギデオンの口許が引き攣る。


「なにを言っても信じてくれないつもりなのかな?」

「はい。だってギデオン様は、お姉様をお好きなようには見えませんもの。もちろんお姉様も」


 ギデオンはなにも答えられず、僅かに息を飲んだ。

 確かにその通りだ。だって二人は利害関係だけで結ばれた偽者なのだから、多少の友好と好感はありはしても、恋愛感情の好きも嫌いも今のところはない。


「恋人っていうのがそもそも嘘ではないですか?」


 緊張するギデオンを見つめながら、アリスンは鋭い指摘を告げる。

 ドキリとしたが、それはなんとか表に出さずに押し殺し、一呼吸置いて苦笑を浮かべた。


「酷いな。これでも本当に恋人同士のつもりでいるし、お互いをそういうものだと思っているんだけど……どうしてそう思うんだい?」

「恋をしているように見えないからです」


 間髪入れずに返る答えに、ギデオンは本気で苦笑いを浮かべる。


「あのね、アリスン。もうこれくらいの年になると、きみ達ぐらいの年齢のように、恋愛事だけに全力を振り向けられないものなんだよ」

「じゃあ、そんなに好きじゃないってことじゃないですか?」

「いや、だから、そういうわけじゃなくて……」

「私じゃ駄目ですか?」


 なんと言えば納得してもらえるだろうか、と言葉を探していると、思いもよらない言葉が投げかけられてきた。


 えっ、と小さく声を漏らし、双眸を瞠る。

 頬を染めたアリスンは、潤んだ双眸で真剣に見つめてきた。


「私、ギデオン様に一目惚れしました!」




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