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6 本日はお日柄もよく



 決戦の日は土曜日だった。

 母は前日に姉の家に泊まり、孫達を愛でたあと、こちらに来ると言ってきた。

 会う度に甘やかすから『おばあちゃま大好きっ子』に育っている孫達と戯れ、楽しいその思い出を胸いっぱいに抱え、やはり子供はいいわよ、とか語って強く再婚を勧めるつもりなのだろう。それくらいお見通しだ。


 一応、昼食に招待する、ということにしてある。お茶だけよりも、ものを食べながらの方が口論にはなりにくいと思う。そのことは母にもわかっているのか、了承してくれた。

 ギデオンには、母達が到着したあとに来てもらうことにしている。家の中で一緒に待っていたりしたら、そのことでもなにか文句を言いそうだからだ。

 母と軽く挨拶を済ませた頃に到着して欲しい、と頼めば、快く引き受けてくれた。


「手土産はワインでいいかな?」


 と言ってくるので、昼間なのでアルコールじゃない方がいいのでは、と提案しておいた。


「じゃあ、お母さんへのご挨拶の品にするよ。お茶とか花がいいかな」


 その言葉には頷いておいた。あまり高級なものではなく、消え物であるのはいいと思う。

 答えながら、本当によく気が利く人だな、と改めて感心した。

 初対面のときがマシューに怯えてビクビクおどおどとしている様子だっただけに、失礼ながら、こんなにも気が利くような人だとは思えなかった。


 よく言われる、とギデオンは苦笑した。

 普段から何事にも――交友関係だけでなく仕事などに対してもあまり積極的ではないので、やる気がない奴だと思われているし、率先して人と関わるようなこともしないので、仲間内の空気を読まない奴だとも思われているらしい。


 勿体ない、とジェラルディーンは思った。

 細かいことに気が利くし、自分の非はすぐに認められる素直さがあるし、とてもやる気がない人間には思えない。誤解されて能力を低く評価されているなんて、すごく勿体ないと思う。

 そう言うと、ギデオンは嬉しそうに笑った。




 料理は毎日しているといっても、実はあまりレパートリーはない。

 あっさりめのポタージュスープとシェパーズパイを作り、いつものテーブルロールの代わりに甘さを抑えたスコーンを仕込んでおく。

 このスコーンは母に以前食べさせたことがある。普通はジャムやクリームを乗せて食べるお菓子なので怪訝そうにしていたが、甘さを抑えたことで食事によく合い、料理に関して辛口の母にも好評だったものだ。

 あとは、昼食に出すには少々重いかも知れないが、と品数を増やす為に鶏肉も焼いておく。余ったら夕食に回せばいい。


 長々居座られたときのお茶請け用に、ヴィクトリアサンドウィッチを用意しておこうと思ったのだが、スポンジが上手く焼けなかった。いつも失敗する。

 失敗スポンジを使って大慌てでトライフルに作り変えていると、玄関からノックの音がした。


「うわっ、もう!?」


 来訪予定時刻は十一時半だった筈だ。まだ一時間近くある。

 ちょっと早かったんだけど、と笑って許せるような時間ではない。せっかちにも程があるだろう。

 エプロンで手を拭いながら駆け出ると、そこにいたのは兄嫁だった。


「あら、お義姉様」

「お忙しいところにごめんなさいね、ジェイン。お料理の手は足りてる? 主人から今日のこと聞いて、手伝いに来たのよ」


 そう言ってエプロンを取り出して見せる。


「あぁ、助かります。実は焼き場が足りなくて」


 焼き料理が多いのが仇となってしまったのだ。実はまだシェパーズパイとスコーンが竈の順番待ちをしている。


「仕込みは終わってるの? じゃあ、うちでひとつ焼いて来てあげる」


 その申し出を遠慮なく受けることにして、シェパーズパイの器を渡した。

 徒歩十分ほどの距離の自宅に駆け戻る兄嫁と入れ違いに、ベティが戻って来た。今日から新しい演目が始まるから、と張り切って出かけて行ったというのに。


「どうしたの?」


 町娘の舞台衣装姿なので、なにがあったのだろうか、とジェラルディーンは驚いた。


「お花飾った方がいいと思って」


 心配するジェラルディーンに向けて、抱えて来た立派な花束を見せて笑う。

 主演女優の許へ届けられた後援者からのお祝いの花束らしいのだが、そのうちのひとつを分けてもらったのだという。頂きすぎで楽屋から溢れているから、と相手も快く譲ってくれたのだとか。


「活けておくから、自分のことやってて」

「でも、公演の時間……」

「大丈夫。これやったらすぐ戻るから!」


 そう言って胸を張ったベティは、物入れから地紋がある真っ白な花瓶を運んで来て、手際よく活けていく。

 それを出窓に飾ると「じゃあ頑張ってね」とすぐに出て行ってしまった。その間五分ほどの、あっという間の出来事だった。


 黄色とオレンジが中心の花は、そこに飾られただけで部屋の中が明るくなるようだ。

 きっとこうなるように、明るい色の花を選んで来てくれたのだろう。

 そして、開演時間が差し迫る中、中抜けしてまで戻って来てくれた。初日なのだから緊張しているだろうし、舞台に向けて集中したいところだっただろうに。


(助けられてばかりだわ)


 その有難さに思わず口許が綻ぶ。とても嬉しい。

 兄嫁とベティの気遣いに勇気をもらったジェラルディーンは、よし、と気合いを入れて料理の残りに取りかかった。


 母は自分で食事を作ることなどないくせに、味にうるさい。うるさいけれど、食通とか美食家というほどに舌が肥えているわけではないので、取り敢えず文句を言いたいだけなのだろう。

 そんな母を黙らせるには、母の好みの味つけに寄せておくに限る。


 離れて暮らすようになって十年が経っているわけだが、その間にも何度も会って一緒に食事をしている。なので、好みは一応把握している。

 しかし今日は、他人であるギデオンが同席する予定だ。

 他人がいる前での母は、自分を大きく強く見せる為か、細かな指摘が増えてくる。今日もそういう雰囲気になると思われた。


 食卓のメインのシェパーズパイは、料理上手な兄嫁と、彼女が信頼しているメイドが手を貸してくれるので問題ない。スコーンも以前はそれなりに評価してくれていた。

 ならば問題になるのは、品数増やしの為に焼いている鶏肉と、スープの味つけだ。

 多少焦げてもいい。しかし、ぱさぱさの食感になるのだけは避けなければ。

 焼き目がついたら引っ繰り返し、ソースをかけ、焼いてまた引っ繰り返し、じっくりと火を通していく。


 人が見たら、なんで料理如きにそんなに気合いを入れなければならないのか、と怪訝に思うかも知れない。だがしかし、母を黙らせつつ、円満に場を抑えようと思えば、取り敢えず美味しいと言わせるような料理を出すことが最適なのだ。

 これは兄嫁からの入れ知恵だ。

 母の襲撃とお小言にうんざりしていたとき、兄嫁が助言として教えてくれた『母対策』だった。あちらは姑と長男の嫁という立場なので、実娘のジェラルディーンよりも気を遣うのだろう。


 そんな苦労を重ねてきた兄嫁が、焼き上がったシェパーズパイを持って来てくれた。


「健闘を祈るわ!」

「ありがとう、お義姉様! 今度お礼します」

「だったらまたマーマレード作ってちょうだい。あなたの作るの美味しいのよねぇ」

「二瓶でも三瓶でも作ります」

「時季を楽しみにしてるわ。じゃあね」


 母と鉢合わせることがないように、少し遠回りになる逆方向から帰って行く。

 その後ろ姿を見送り、着々と準備が整っている食卓の真ん中に、焼き立てのシェパーズパイを置いた。


 母がやって来たのは、それからいくらもしないうちだ。

 時間を見れば十一時二十三分。少し早いが、失礼にならない範囲の訪問である。


「いらっしゃい」


 一呼吸置いて迎え入れると、母は僅かに頷き、さっさと中へ入って来た。

 その後ろをアリスンがついて来る。


「ご機嫌よう、ジェインお姉様」

「あら。またあなたも来たの?」


 嫌味のつもりではなく、つい本音が口から出た。


「来てはいけなかった?」


 唇を尖らせて上目遣いに見てくる。

 駄目なことはない。けれど、食事を提供するという話になっているので、勝手に増員されたりすると、食材が足りなくなってしまう場合がある。

 今回は身内の家でのことであるし、一人一個の割り当てで用意したものはなかったのでよかったが、こういうことは訪問先に失礼だ、と言い聞かせておく。アリスンはちょっと嫌そうに「ごめんなさい」と言った。


「ジェイン」


 アリスンと話しているうちに、先に食卓に行っていた母が声をかけてくる。


「お話は、お食事のあとにするつもりなの?」


 既に出来上がって湯気を立てている料理を見つめ、眉間に皺を寄せている。

 どうやら母の予定としては、先にジェラルディーンとの話に決着をつけてから、まったりと食事をするつもりだったようだ。

 いいえ、と首を振り、竈の中を覗き込む。スコーンが丁度よく焼き上がっていた。


「お食事をしながらにしようかと思ってたのだけれど」

「……行儀が悪い」


 嫌悪も顕わに言われる。

 別にいいではないか。食事中の楽しい会話という意味では相応しい内容ではないが、会食の際に無言というのもおかしなものだ。


 いいから座って、と椅子を引いてやっていると、タイミングよく来客のノックの音だ。


「食事時にどなたかしらね」


 バッグや手袋を居間のソファに置きながら、母は呆れたように呟く。出来立てのいい匂いに食欲を刺激されているアリスンも、ちょっとそわそわとした様子で玄関の方を見遣る。

 相手が誰だかわかっているジェラルディーンは、軽い足取りで玄関に向かった。


「タイミングはどう?」


 ドアを開けると同時に、ギデオンが尋ねてくる。


「とてもばっちりよ。今から席に着くところだったから」


 にっこり笑みを浮かべて答えると、ギデオンも笑みを浮かべる。


「じゃあ、始めようか」


 二人は頷き合い、軽く拳を打ち合わせた。

 本日限定の特別演目、『お母様にご挨拶』の開幕だ。


 そうしてジェラルディーンは、母達に聞こえるくらいに大きな声で「待っていたのよ」と言ってドアを閉める。


「お母様、紹介するわ」


 既にこちらの様子を気にしていた母達に向かい、あとから入って来たギデオンを示す。


「こちら、サー・ギデオン・オルドリッジ」

「初めまして」


 紹介を受けたギデオンは背筋を伸ばし、礼儀正しく会釈した。

 いきなり現れた青年の姿に、母は困惑を浮かべて「はあ」と頷き返す。アリスンも首を傾げて瞬きを繰り返していた。

 コホン、とジェラルディーンはわざとらしく小さな咳払いをする。


「少し前から、親しくさせて頂いている方なの」


 その言葉を受けたギデオンが「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」と、これまた礼儀正しく頷き返す。

 母は吊り上り気味の目を丸くし、はしたなくもぽかんと口を開けた。

 アリスンは驚いたことを包み隠そうともせず、鋭く「えっ」と声を出してから、しつこいくらいに瞬きを繰り返した。目の前のものが信じられない、とでも言うかのように。


 二人揃ってわざとらしいくらいに見事な『驚愕』の様相だ。それくらいにまったく予想していなかったことなのだろう。

 ジェラルディーンは心中で満足気に頷いた。


「驚かせてごめんなさいね、お母様。紹介するのに丁度いいかと思って、彼のこともお招きしていたの」

「え……、どちら様ですって?」


 説明を飲み込み切れていないらしい母が、困惑も顕わに二人の顔を見る。

 ジェラルディーンは気を悪くする風でもなく、もう一度名前と、どういう関係であるのかを伝えてやった。


 まだ混乱の解けない母を食卓へとエスコートし、ギデオンと並んで座る。二人はにこにこと愛想よく微笑んだ。

 アリスンは母よりも頭が柔らかいのか、状況を飲み込み、対面に座ったギデオンのことをチラチラと気にかけている。そんな彼女に柔らかく微笑み返したりして、なかなか女性の扱いに慣れているのが窺い知れた。

 シェパーズパイを取り分けて皿に盛りつけ、手早くスープもよそって来る。


「あ、いけない」


 鶏肉を竈に入れたままだったことを思い出し、先に食べ始めるように言ってから、慌てて取り出しに行く。

 火は消してあったので黒焦げではないが、理想よりも少々黒い。

 完璧に仕上げられずに残念ではあったが、こうして攻撃しやすいところをひとつでも作っておく方が、母には丁度いいかも知れない。兄嫁もそんなことを言っていた。


「随分たくさんだこと」


 平常心を取り戻しかけてきた母が、まだ少し茫然とした口調で呟く。


「シェパーズパイだけだと寂しいかと思って。気にしないで残してくれていいのよ。アリスンは食べる?」


 切り分けようと思って尋ねると、まだ若く食べ盛りでもある妹は大きく頷いた。

 いくら食べても身にならないのは若さ故か。羨ましい、と思いながら皿を渡し、ギデオンにも取り分けた。


「きみの作るシェパーズパイは絶品だよね。大好きだよ」


 久し振りに食べられる、と笑顔で言う。


(食べたこともないくせによく言うわ)


 まったく不自然さを感じさせない口調でさらりと言うので、この大嘘つきめ、と心中でひっそりと思った。

 けれど、このひと言で、二人の付き合いが随分と以前からのようだ、という印象を与えられたのも事実だろう。母がなにか言いたげにジッと見つめてくる。


「お二人はいつからお付き合いなさっているの?」


 取り分けられた分をぺろりと平らげ、もう一切れ鶏肉を欲しがるアリスンは、無邪気な様子で話を振ってきた。

 よし来た、と二人は一瞬目配せし合った。

 まず答えるのはジェラルディーンだ。視線をそよりと天井の方へ泳がせる。


「いつ頃からだったかしら?」

「どうだったかなぁ……。はっきりとしたやり取りはなかったからね」


 揃って曖昧に答え、時期は濁しておく。

 これは事前に話し合って決めた。はっきりと付き合い始めた時期を設定してしまうと、その頃にはまだ出会ってすらいなかったという事実が、なにかの拍子にうっかりと零れ出てしまうかも知れないからだ。

 以前からの知り合いで、付き合いはそれなりに長く、お互いになんとなく恋人っぽくなった――ということにしておくのが、嘘を押し通しやすいと思ったのだ。


 こういうとき、物語を創作する生業を持っていてよかったな、と思う。自分達を登場人物として物語を創造すればいいのだから。

 編集者でもあるブレットがいてくれたこともよかった。彼からいろいろ助言を受けて、ジェラルディーンとギデオンの『偽装婚約関係』は始動出来たともいえる。


 今日の試みは、今後への試作でもある。

 これで上手くいけば、同様にしてギデオンの両親への脚本を考え、失敗したならば、早急に違う方向性を模索しなければならない。


「じゃあ、お知り合いになったのは?」


 アリスンの好奇心に溢れた問いかけは続く。

 これは母自らが質問したかったことであろうが、アリスンが上手く話を進めているので、黙って聞き役に回ったようだ。


「いつだったかしらね?」


 これもはっきりとはさせない。


「うーん……二年か、三年は経ってると思うけど。五年以上前じゃないね」


 あまり昔からではないが、ごく最近というわけでもない、と曖昧に答えてギデオンも明言は避ける。打ち合わせ通りだ。


「メグって、わかるでしょう? あなた、この前失礼なお願いをしたみたいだし」


 軽く双眸を眇めて言うと、アリスンはちょっとだけ身を竦めた。


「メグのお兄様を通じて知り合ったのよ」


 ねえ、と同意を求めれば、ギデオンはすぐに頷き返す。これは嘘ではないので、しっかりと答えてしまっていい。

 虚構の中に僅かに真実を混ぜることで、自然に感じられる筈だ――というのはブレットの助言だ。あまりすべてを曖昧にしておく方が不自然なので、はっきりとした情報も適度に入れておいた方がいい、ということだ。


 ちょっと後ろめたい部分も突いたことで、アリスンは二人のことを信じ始めているようだ。ふうん、と頷き、スープを啜る。

 しかし、母には若干効果が薄かったようだ。


「嘘を仰い」


 ぴしゃりと断じる。


「そんなに以前からお付き合いがあったのならば、何故今まで言わなかったの」


 ジェラルディーンに対して再婚を勧めてきたことは、この十年の間に何度もあった。特にここ二年程は特に頻繁で、圧も増してきていたところだ。

 それなりに以前から付き合いがあり、はっきりとした約束もなく交際に発展し始めたということは、友人以上の感情を抱いていたのも随分と前からのことだったのだろう、と母は指摘する。


「想う方がいたのならば、素直にそう言えばよかったことではないの。それなのにあなたは、再婚する気はない、独りでいい、だなどと意地を張って」


 はあーっと大きな溜め息が零される。


「本当に、男女のお付き合いをしているの?」


 年の功か、女の勘か――さすがにアリスン程には単純ではないようだ。

 しかし、これも想定の範囲内だ。

 ジェラルディーンは困ったように眉尻を下げ、しおらしく嘆息した。


「お付き合いをしているのは、本当です」


 母は無言で睨みつけてくる。


「黙っていたのは、なんというか……結婚の約束はしていなかったから、です」


 申し訳なさそうに答えながらも、視線はまっすぐに母へ向ける。その視線を受けた母は、再び混乱しているようだ。


「どういうこと?」


 怪訝そうに尋ねられるので、ジェラルディーンは頬に手を当て、困ったわ、と言わんばかりのポーズを楚々として披露する。


「言った通りですわ、お母様。お互いに好意を持って、所謂恋人としてお付き合いしておりますけれど、結婚しようという話はしていなかったのです」


 ギデオンも申し訳なさそうな表情で頷く。


「遊びだとか、そういうつもりで交際しているつもりはありません。ただ、そういう話にしようとは、お互いに考えていなかったのです」


 お互いに友人以上の感情を抱いていたし、より親密になりたいとは思った。けれど、一緒にいられればよかっただけなので、夫婦になろうとかいう意見には至らなかったのだ、と二人は声を揃えた

 その答えに、母は双眸をカッと見開いて頬を朱に染め、握り締めた拳をぶるぶると震わせた。


「――…ふっ……、ふしだらな……!」


 絞り出すように出てきた声音は、恥辱と怒りに彩られているのがすぐにわかる。


(言うと思った)


 予想通りの反応をする母に、ジェラルディーンは心の中で苦笑いだ。


「結婚するつもりもなく、恋人付き合いをするなんて……! いくら寡婦でも、仮にも貴族の娘がなんて破廉恥な! 堕落した娼婦でもあるまいし!」

「破廉恥って……娼婦って、お母様……」


 まったく予想から外れることのない反応を示してくれる母に、ジェラルディーンは苦笑を向けた。


「キス以上のことはまだしていませんのに、なにが破廉恥なのですか?」


 そんなことすらしてはいないけど、と心の中で付け加え、小首を傾げる。

 母の顔は更に赤くなった。


「ジェインっ!!」

「お母様、サー・ギデオンの前で失礼な態度をなさらないで。行儀が悪いわ」


 声を荒げて立ち上がった母に、ジェラルディーンは溜め息混じりに呟く。

 母もハッとしたように気づき、渋々と腰を下ろした。


「アリスン、もう少し食べる?」


 またすっかりと縮こまってしまっている妹に笑みを向けると、彼女はホッとしたように皿を差し出した。


「ギデオンも如何?」

「ありがとう。お肉をもらえる?」


 頷いて取り分けながら、ちらりと母を見遣る。

 怒って騒ぐのは想定内だったが、家族外の人がいる前でここまで感情的になるとは、ちょっと予想外だった。ジェラルディーン達の説明した関係がとても気に入らないらしい。


(うーん。ちょっと失敗したかしら)


 あれだけ話し合って、違和感をあまり抱かれないだろう設定を練り込んだつもりだったのだけど、と少々がっかりする。まだまだ煮込み具合が足りなかったか。


(まあ、日数はちょっと足りなかったしね)


 なにせ設定を考え始めたのは、今週の頭のことだ。

 たった五日で失敗なく演じ切るなんて、本物の役者ではないのだから無理があったのだろう。設定を破綻なく覚え込むだけで精一杯だ。


(でも、これだけ怒ってるってことは、多少は信じてるってことよね?)


 ジェラルディーンとギデオンが、結婚の約束もしていない破廉恥でふしだらな関係だということを信じているからこそ、認めたくなくて感情を出してきたのだろう。

 それならば、この脚本は通用するのではなかろうか。

 確認の意味を込めてギデオンを見遣ると、その視線に気づいてすぐにこちらに視線をくれ、ちょっと笑って頷き返してくれた。どうやら彼も同じようなことを考えていたようだ。


「もう、お母様ったら。落ち着いて」


 場を和ませようとしたのか、アリスンは明るい声で母に言った。


「そんなに怒らなくていいじゃないですか。お姉様には恋人がいらしたのよ。嬉しくないの?」

「……嬉しいわけありますか」


 吐き捨てるように言い、スコーンを乱暴に千切って口に入れる。

 そう、とアリスンは小首を傾げた。


「だってお母様、この前はお姉様に再婚しなさいって仰っていて、ポートマン小母様のお話をお受けしないなら、お母様を納得させなさいって仰っていたじゃないですか」

「言いましたよ」

「だからお姉様は、お受けしない理由として、お付き合いなさってる方を紹介してくださったんですよ? そんなに怒る理由はないのでは?」


 姉は正しいことをしているのだ、とアリスンは笑う。

 そんな妹の言葉に、ジェラルディーンは少しだけ驚く。彼女から助け舟を出されるとは思わなかったのだ。

 甘やかしている末っ子の言葉なら、母もつんけんしないで聞き入れるかも知れない。ジェラルディーンが言うよりもその確実性は高い。


 案の定、真っ赤な顔をしていた母の表情は、僅かに和らいでいく。

 考え込むように眉間に皺を寄せ、ちらりとジェラルディーンのことを見た。それから静かに「そうね」と呟いたのだ。

 ほら、とアリスンは微笑む。


「それで、お姉様?」


 無邪気な笑みを浮かべる妹は、ジェラルディーンを振り返る。


「今日ご紹介くださったということは、ご結婚を前向きに考えようと思われている、ってことなのでしょうか?」

「え?」


 思わずギデオンと顔を見合わせる。

 そんなつもりは一切ないし、明言は出来ない。二人の関係はあくまで利害の一致した協力関係による『偽装婚約者』だ。

 しかし、ここでアリスンの質問を否定すれば、母がまた怒り出しかねない。

 ついさっきは助け舟を出してくれたと思ったのに、今度は背中からナイフを突きつけられている気分だ。


「もしかすると、侮辱と取られてしまうかも知れないけれど」


 さて、どう答えるべきか、と逡巡するが、先にギデオンが口を開いた。


「わたしは以前、一度結婚を失敗して(・・・・)いまして……なんというか、少し慎重になっているのです」


 え、とジェラルディーンは驚いて顔を上げる。

 奥方とは死別したと聞いていたのだが、聞き間違いだったのだろうか。

 不思議に思っていると、ギデオンがこちらにちょっとだけ視線を投げ、微かに笑みを浮かべる。その様子がなんだか寂しげで仄暗いものだったので、ハッとした。

 彼は離婚したように匂わせて、結婚ということに積極的ではない理由を作ったのだ。

 把握したことを伝える意味で頷き返し、ジェラルディーンは母に向き直った。


「お母様、人にはそれぞれの事情があるのです」


 母はむっつりと黙り込んで睨みつけてくる。


「結婚するかどうかはわかりません。でも、想う相手はおります。そういうわけで、ポートマン夫人からのお話は、お断りしておいてくださいませ」


 お願い致します、と頭を下げて見せるが、母はだんまりだ。


「お母様」


 アリスンも縋るような声を出す。ジェラルディーン達のことを認めてやって欲しい、と訴えてくれている。

 ややして、母は大きく溜め息をついた。


「わかりました。ポートマン夫人からのお話は、お断りしておきます」


 きゃっ、とアリスンが嬉しげな声を上げて手を打つ。自分の縁談ではないが、さすがに父親ほどの年齢の男との話はあんまりだ、と思っていたのだろう。

 ジェラルディーンもホッとする。第一の目標であるモード氏との縁談は回避出来たようだ。機転を利かせてくれたギデオンに感謝する。


 そうして、昼食会を再開した。

 母は「すっかり冷めてしまったではないの」と文句を言っていたが、欲しくなさそうにしていた鶏肉にも手を伸ばした。

 なんとか和やかな雰囲気になれた為、二人はお茶の時間までいたし、ギデオンもそんな二人と愛想よく話をしてくれていた。

 気さくなギデオンをアリスンはとても気に入ったようだし、母もぎこちない様子を見せてはいたが、嫌ってはいないようだ。


 やれやれだ、とジェラルディーンはひっそりと胸を撫で下ろし、母からトライフルに「スポンジが硬い」と駄目出しをされ、そのことに少々うんざりしたのだった。





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