星の瞳に恋をした
初投稿作品です。よろしくお願いします。
その瞳は、一目見た瞬間に忘れられない衝撃を僕にくれた。
蒼に染められた瞳の中に幾筋か散る虹彩は星のようで、彼女と目が合った時、絹のような肌に色の白さや今にも折れそうな首筋、フードからこぼれた濡れ羽色と言ってもいいくらいの艶やかな黒髪。それら全てがどうでもよく思えるくらい、その瞳が印象的だった。ジワリと濡れた瞳がこちらを見て、その小さな掌に覆われてまたすぐ見えなくなってしまったけれど。
僕はその一瞬で、その星の瞳に魅入られてしまった。
しかし彼女とはそれっきりで、2度と会うことはなくて。
僕はその瞳が忘れられず、いつでも、どこでも、ついその瞳を探してしまっていた。あれから何度も何度も彼女を見つけたその地へ通ったけれど、いつまで経っても会えることはなかった。
小さかった僕はいつの間にか大人になった。歳をいくら重ねても、脳裏に焼き付いたあの瞳の輝きだけはいつまでも色褪せてはくれない。
あれはたまたま訪れていた別荘地。夏の王都は暑いから避暑に来ていた。
別荘に来てまで勉強漬けの毎日に嫌気がさして、抜け出して訪れたのは月に1度の市の日。沢山の人が行き交う活気のある市場で余所見をしていた僕は、正面から来た彼女に気付かずにぶつかって転ばせてしまった。
倒れた拍子に目深にかぶっていたフードはすっかり外れてしまい、彼女は陽の眩しさに目を細めたのもつかの間、転んで打ち付けただろう痛みに泣き始めた。僕はまだその時幼くて、女の子を転ばせて泣かせてしまった事に呆然として謝罪も出来ずに立ち尽くすだけ。
彼女の連れだったのだろうか、彼女と同じくフードを被った大柄な男が慌てて彼女を再びフードの下に隠し、抱き上げて連れて行ってしまった。彼女は男の首に腕を回し、肩へ顔をうずめてこちらを見てはくれなかった。周りの大人は小さな子供のトラブルなど、その親がどうにかするのだろうと見ているだけで。
1人残された僕は謝るタイミングを逃したことに気付いたけれど、もう遅くて。しょぼんとして下を向いていたらすぐ側に店を構えていた屋台の主人に、失敗は気づけた時が儲け時と言われた。失敗したと思ったら、次は失敗しないように出来るから、だから気づいただけでも自分の為になる。沢山気づけて直せたら、それはいい男っていうんだぜって。
屋台のおじさんはちょっと出たお腹が残念だったけど言ってることは子供心に響くものがあり、かっこよく映った。僕もいい男になろう、そう思えた。
それから僕は結構頑張ったと思う。勉強漬けの毎日は変わらなかったけれど与えられた課題から逃げることはなくなり、これまで以上に鍛錬や学ぶことに励み、いつかまた来るかもしれない彼女との出会いを失敗しないようにと己を磨いた。
やがて少年だった僕は大人になって、自由になる時間も少なくなって、毎年訪れていたあの避暑地に行ける時間を取れないくらいになっていた。もう、あそこへ行くことはないだろう。残された僕の時間はもう少ない。
忘れられないあの星の瞳は、今どこで、何をしているのだろうか。あの線の細かった彼女も、今は大人になって女性らしくなっているのだろうか。あの瞳に僕だけが映るなら、僕は君に何でも差し出してあげるのに。女性の喜ぶ言葉なんてわからないけど、彼女の瞳を讃える為ならいくらだって言葉を紡げそうな気がした。彼女が笑ってくれるなら、甘い言葉でも馨しい花束も甘美なお菓子でも捧げてあげたい。宝石は彼女の瞳があればそれでいい。あの煌めきに勝てる石などあるものか。
今日も疲れ切った体を出窓にもたれかからせて夜空を見上げる。見上げた空は月もなくて、星が静かに瞬くだけ。あぁ、彼女の瞳の方が綺麗だったな、もう何年あの市を訪れていないだろうか、まだ彼女はあそこにいるのだろうか、そんなことを思いながら寝酒を煽ってベッドへもぐり込んだ。
数年後、僕の婿入り先が決まった。適齢期であるにもかかわらず、国内で婚約者すら選ぼうとしない僕は体よく外交の駒として使われることになった。不満なんてない。ここに彼女はいないから、この国にいてもしょうがない。
僕の婿入り先は国外で、海を渡ったところにある小さな島国。国土は小さいけれど豊富な資源と磨かれた技術は他国に類を見ない程の発展を遂げている。努力家で堅実な国民性で、周辺の島をまとめ上げる統治に優れた当代の王は、積極的に外交を進めて海を渡った我が国とも我が国とも取引を増やしていた。
もの作りに優れたかの国では特に細工物の技術が素晴らしく、我が国にも流通されているそれらの宝飾品は確かに素晴らしく見事なものだった。細かい細工物や指輪や耳飾りに施される装飾など、我が国は足元にも及ばない。
先行して結納の品を納めに使者が来た。王家に献上された数々の宝飾品の中で、僕の目を引いたのは首飾りだった。
大きな蒼い石が中央にはめ込まれ、鎖や石の台座としての銀細工は緻密で繊細。周りに小さいながらも輝きの強い金剛石がちりばめられて豪奢なデザインのそれ。僕は宝石には全く興味なんてなかったはずなのに、その蒼の石に目を奪われて魅入られていると献上してきた使者の言葉が聞こえてきた。
「王子のお目は高いですな。そちらは今回王子がお輿入れされる姫の瞳に似せた意匠でして、スターライトと呼ばれております。星の光という意味で、姫はまさに星が散るような独特な瞳をお持ちでいらっしゃるのです。滅多に顔を見せられぬ姫ですが、その瞳は国民を魅了してやまないのです。」
そしてその使者は、あまり国外に出したくないという技術者の訴えをなんとか説得し、1つだけこの意匠をこの国にと姫が望み、今回の献上品として納められたのだと続けた。独特な光の屈折がどうとかで元の産出量が少なく、カットが難しい意匠の為生産数が限られるのだという。確かに我が国との取引で多くの宝飾品が納められているがこの意匠は見たことが無かった。見ていたら必ず1つ残らず手に入れていたと断言できる。
「姫がどうしても、とわがままを通されるのが大変珍しい出来事でして。人見知りで普段は城の奥にこもられて滅多に外へは出られないのですが、結納品の選出の際は苦手な人前に出ることも厭わず、頑固な職人達へ王族であるにも関わらず、どうかお願いしますと頭を下げる。いやはや、姫の必死さに職人も折れて1つだけなら、と。姫はどなたかにこれを見て頂きたかったのでしょうな。そのようなご様子でしたよ。」
よほどその姫の行動が珍しかったのか、使者の口調は感慨深そうに響く。市井の民に頭を下げる王族というだけでもかなりのものだ。傅かれることに慣れた姫が、顔も見ぬ誰かの為に頭を下げることが出来るだろうか。
「溺愛されておられる姫は国から出られません。婿取りに関しても何も国外からせずとも、と懸念される他の貴族もいらっしゃいますが、何よりこれほどまでに姫が積極的であられる。国王ご夫妻も王太子殿下も姫の願いとあれば無碍には出来ませんし、姫の為ならと歓迎されておられますよ。」
民から愛され、家族に守られる姫。周りの人間に随分愛されているらしい。大事に大事に囲われているはずの姫から是非にと望まれれば断る者はいないだろう。
絵姿もご本人にかなり近いですよ、是非ご覧になって下さいと終始にこやかな様子で話を終えた使者は退出していった。
侍従やメイド達が下がった謁見室では両親である国王と王妃、今回の縁談の対象である僕の3人だけになった時、にやにやとした顔で国王がこちらを見る。
「うむ、お前にも悪い話ではないのではないか?長年想う相手がいたようだが、潮時なのはお前も分かっているだろう。だがしかし、面白くなりそうではないか?なぁ王妃?」
「嫌だわ、あなたったら。いつまでも子供っぽくって。男であるなら息子の気持ちも少しはご理解なさいませ。あなたなら代わりの女を腕に抱かねばならない息子の気持ちがわかりますの?わたくしは息子が幸せであればそれで良いですし、国の繋がりとしても悪いお話ではないのは事実ですけどね。」
「父上・・・母上・・・」
国外の縁談が纏まった時はついに見放されたのだと思っていた。王子としての責務を理解し、臣下として兄王子を支える気あれど所帯を持つ気はなく。いつまでもフラフラとしている第3王子である僕の立場は非常に微妙なものであるはずだった。異国から嫁いだ先祖の血が濃く出た僕は、今の王室にはない異色な色彩を持つ為に王族とみてくれない者達もいる。銀の髪に紫の瞳。兄や父達は金の髪に碧の瞳、母は金の髪に青の瞳。どちらとも似ない僕は不義の子とも呼ばれていることは知っている。
自分の立場を自覚しつつも諦めきれないこの気持ちを抱いたまま、苦労させるとわかっている誰かと添う未来など到底受け入れられるわけもなくて。しかし周りはそれを許してくれるわけはなく、いつまでも持ち込まれる縁談に自暴自棄になり、酒と執務と鍛錬に明け暮れる。両親に心配をかけ、兄達に慰めるように肩を叩かれた日もあった。
家族の前で彼女のことを話したことはないが、誰かを探しているのは知っていたのだろう。あの出来事をきっかけに急にやる気になった僕に何も問わず、毎年忙しい合間を縫って訪れる避暑地の別荘も整えてくれていた。ここ数年は訪れることも無くなったあの避暑地だが、行かないのかと直接的にではないにしろ尋ねられ、行けないと知った時の顔は薄く憂いを含ませた顔で。
この話が来るまで時間をくれた両親にこれ以上の心配はかけられない。国外の縁談は下手に断ると国交にも影響する。それに先行して結納の品まで収められては、よほどのことが無い限り覆すのは難しい。大きな代償を支払うことになるだろうし、僕は僕にその価値はないと思っている。
「僕はこのお話を断るつもりはありませんよ。確かに潮時だと理解しております。既に結納品として献上された品々を突っ返すなど、ましてそれが姫君自ら選ばれたとなればそれは宣戦布告に等しい。たとえ彼女じゃなかったとしても妻となる姫を愛す努力もしますし、我が国の為にもこのご縁を繋いでみせます。」
「そうか。では、そのように。今日は下がりなさい。」
心配そうに母がこちらを見たが、僕は軽く礼をとると謁見室を後にした。執務室に戻り、決済の書類をまとめて先々の指示の段取りを組み、先程の話を頭から追い出しにかかる。諦める時期が来たのだ。もうわがままを許してくれる時間は終わり、断る選択肢は僕が自らの手で潰した。
もう誰にも悟らせないから、あの瞳を思い出すのだけは許してほしいと自分勝手なことを願う。あの輝きを生むかの地なら、彼女がいなくても僕は生きていけそうな気がした。結納の共に送られた絵姿は箱にしまわれたまま、僕の私室に置かれた。何度か勧められたが開ける気にはなれなかった。
彼女じゃないとわかるのが怖かった。
そしてついに絵姿を見ないまま、その日が来た。
海の向こうなので行き来が簡単ではないし、婿に出る僕はたとえ親が儚くなろうとこの地を踏むことは二度とないだろう。
迎えたその日は国王夫妻自ら見送りに立たれ、兄達も僕の好きな酒や贔屓にしていた鍛冶師の剣などを餞別にくれた。父と母、1人ずつ抱擁を交わしたが母はこんなに小さかっただろうか、父と変わらなくなった目線の高さに気付き目が熱くなった。
「一緒にいればいつか情が湧くさ。お前は悪くないよ。誰しも初恋は拗らせるもんだし、更に初恋は叶わないもんって相場が決まってるんだぞ。」
2人の兄が口々に僕へ元気でやれとか、執務が増えるとぼやきつつ最後に続けた言葉。そうだね、と静かに笑う僕に兄達はばしばしと背中を叩いてタラップへ押し出した。かなり痛かったが、もう叩かれることもないのかと思うと、少し寂しさを感じた。
船に乗り込み、甲板から見送りの家族と護衛を務めてくれた騎士達へも手を振る。彼らは僕の師匠だ。情けない僕を鍛えてくれて、自棄になっていた時も最後まで付き合ってくれた。
母は目に涙を浮かべ僕を見ていて、寄り添うように父が母の肩を抱いている。兄達は小さくなってもずっと手を振っていた。
ありがとう、ごめんなさい。
初恋を忘れられない僕はどれだけ鍛えてもずっと弱っちい僕だ。そんな僕を許してくれた家族に、感謝と謝罪を。そして僕は船に揺られて姫の待つ国へ赴いた。
迎えとして来てくれた彼らの国で造られた船はとても大きく、載せる品が宝飾品など価値の高いものである為に襲われることを想定している造りだそうだ。大砲を積み、魚を捕る銛かと思えば射出して矢のように使うのだという武器も見せてもらった。
それを扱う船の乗組員はやはり皆屈強な男達だった。僕も結構鍛えていた方だけど、日々力仕事をこなす彼らには勝てなかった。また体術も素晴らしく、こちらはまるで歯が立たない。1度手合わせを願ったが何度も投げ飛ばされ叩きつけられ、ちょっと泣きそうになった。型と動きを教えてもらったがついに彼らには勝てず、こいつならと呼ばれた見習いの料理人にすら負けた。
慣れぬ船旅に大きく体調を崩されることもなく順調に航海を進め、10日程で僕が婿入りする国に着いた。船着き場から見える建物がまず違う。奥に見える森の植栽も違って、道行く人たちの服装も僕の国とは大きく違っていて異国に来たのだと実感した。
久しぶりに地を踏み、ぐぅっと体を伸ばした。世話になった乗組員達に礼を言って、城からの迎えに引き合わされた。馬の手綱を引き僕を待っていたのは献上に来た使者で、こちらに気付くとパッと顔を輝かせて大きく手を振ってきた。
「ようこそ我が国へ!お待ちしておりましたよ。旅はいかがでしたか?水や食べ物などお口に合われましたか?」
体調を気遣われ問題なく快適な船旅だったと感謝を述べる。海の男である彼らには世話になり、実際姫を守る夫がこんな体たらくじゃいかん!と船長自らに鍛えられたと話すと苦笑を浮かべられた。
「姫様はお小さい頃こちらに来られたことがありましてね。普段ご両親の後ろに隠れてばかりだったのですよ。その日は市場の視察に出られた国王様にくっついてこられて、初めて見た生きた魚や大きな船に興奮したのか目につくもの片っ端から案内役の船長に尋ねられて。船長の強面に怯えずにいた猛者で、引っ込み思案なのか豪胆なのか。怖がられなかったことにいたく感動した船長はそれ以来姫様姫様と第二の父親気分なんだそうですよ。」
なんと。第二の父親。この様子では第二どころか第三、四の父親もいるかもしれない。かの姫は本当に民達に愛されているのだ。これだけ国民に愛されていれば下手な国へ嫁には出せないだろう。王太子殿下がいるにもかかわらず婿取りがされるわけだ。
「お疲れでなければ、馬でゆっくりと城下を案内しつつ城へ向かいますがいかがですか?昼食はどうされましたか?お済みでなければ屋台巡りも出来ますよ。」
僕は使者の申し出をありがたく受け、城下町の屋台で腹を満たしながらゆっくり城へ向かうことにした。
屋体の店主達は店独自の味の工夫や、この味は他所では食べられないなどにこやかに話してくれる。
汁気の多い麺は軟らかく煮た野菜が魚介の出汁を吸っていくらでも食べられそうだったし、甘辛いたれを絡ませた白い球体は独特な食感で噛み応えがあり大変美味しかった。
「あれが城です。冬は少し寒いですけど、夏は涼しくて良いですよ。王子の国は夏が長めな国でしたか。気候にも慣れるまで時間がかかるでしょうが、我々も精一杯お支え致しますよ。」
そうして馬を歩かせ、城に着いた。この先に妻となる姫がいる。星の瞳を持つという姫は、幼い日の彼女だろうか。そう考えたことはないわけではない。むしろ考えすぎて考えるをのやめた。
姫は姫であり、私の思い出に重ねるべきではないのだ。甚だ失礼なことであるし、私は既に国を離れここに婿としてきたのだ。思い出は大事にしまっておいて、時々そっとふたを開けて手入れをし、またずっと奥の深い場所に静かにしまっておくのだ。
使者に案内されまずは客室へ。旅装を解き、旅の汚れを落として陛下に謁見する為に再び使者に連れられて歩く。それほど歩かず、庭の綺麗なティールームと思しき場所へと通された。使者曰く、家族の顔合わせなのだから堅苦しい場所はいかん!と陛下が指示されたらしい。噂通り、型にはまらぬ御仁だ。
通された部屋には既に国王夫妻と王太子殿下が揃われていて、こちらでも長旅を労って頂き、王太子殿下はやや表情や物言いが固いが歓迎されているらしい。城下の屋台を楽しんだ話をすると、どこの屋台が美味しいから今度食べ歩きをするぞ!と言ってくれた。組手と呼ばれる体術の指南もしてくれるそうだ。兄の顔をして姫の麗しさ美しさ聡明さ全てにおいて自慢であると語り、愛しくて堪らないのだと伝わってくる。
が、肝心の姫がいない。
「すまんな、姫はここ最近よく寝ていないようでな。今朝も青白い顔で朝食の席に来るものだから、王子がつくまで部屋におれと私が休ませていたのだよ。船が着いたと城に知らせが来たから部屋に行ったら良く寝ていてな。少し休ませてやりたくてなぁ。」
王の言葉に、噂通り繊細な姫君なのだと思う。それはそうだろう、顔は絵姿のみでこれまで手紙のやり取りすらしたことのない男がいきなり婿に来るのだ。緊張もするだろう。
「いえ、こちらこそ。手紙の一つ花の一つも送らぬ男で申し訳ない。船には私の国の絹などを積んできているので、そちらでなんとかご機嫌が取れればよいのですが。本がお好きとも聞いたので、私の好みで申し訳ないが色々な本も持って来てみたのです。」
そう言うと王の隣に座る王妃様が目を輝かせて喜びを示す。我が国とこちらの国では絹の質が違うらしく、織を工夫した絹は我が国の特産だ。染色技術も素晴らしく、鮮やかな色合いが多い。喜んでいただけたようで安心した。姫と揃いのドレスを仕立てなければと、今にも席を立ち絹を見に行きそうな勢いだった。
しばし歓談を楽しんでいたら近衛が王へ耳打ちをする。どうやら姫の支度が整ったようでこちらへ向かっているという。近衛の耳打ちに王は鷹揚に頷きを返した。
「おお、そうか!あの手この手で探した縁談だ。話した感じも良いしな。息子との相性も悪くないようだし、良き片腕になろう。娘が手元を離れなくて済んだし、良い男が婿として来てくれた。あとは2人の問題だな、頑張ってくれ!」
そう言って、国王夫妻と王太子殿下は席を立ち、部屋の扉を開けて自ら姫を招き入れた後、退出していった。
僕は一瞬呆気にとられて行動が遅れた。
結婚するとは決まっているが、若い男女を二人きりで室内に残すとは!大事に囲っていた姫は人見知りであるはずだし、まして顔も見たことを無い男と2人きりなど緊張で倒れられてしまうかもしれない。
姫は退出していった国王たちへ静かに頭を下げ、扉を少し開けたままそこで俯きがちに顔を伏せていた。さらりとした黒髪が顔を紗の様に隠し、半分背を向けられているものだから表情が見えない。
だが、肩から流れる黒髪の隙間から覗く白い首筋が、その細さが。胸の前でぎゅっと握られた小さな手が小刻みに震えている。爪は淡い桜色、細く今にも折れそうな手首に輝くのはシンプルな銀のチェーン。ついている石は蒼と、紫。
・・・・紫。
「・・・姫?」
そっと、静かに声をかけるもあからさまにビクッと肩が跳ねてサラサラの濡れ羽色の髪が揺れた。ますます顔を俯かせ、未だ姫の表情は窺えない。
僕の手も震えている。足が動かない。先程座っていた位置から立ち上がっただけで、本来であれば女性をエスコートする為に僕も彼女の立つ扉の前へ行かなければいけないのに。
動悸が激しい、目の前がちかちかする。彼女じゃない。彼女であるはずがない。なのに、あの時見た彼女と違う所を探そうと思っても、大きくなったらこうだろうという僕の想像を裏切ってはくれない。艶やかな黒髪もすっかり伸びて豊かに流れ、ちらちらと見える白さを増した肌は瑞々しさを湛え輝かんばかりだ。全体的に華奢な印象だが、俯いているのに百合のような凛とした雰囲気を纏う彼女。
僕は大きく息を吸って、静かに吐く。落ち着け、落ち着くんだ。彼女じゃないかもしれないじゃないか。でも僕は、あの時の彼女に恥じない僕になろうと沢山頑張ってきたんじゃないか、と己を心の中で叱咤する。
「姫?エスコートをさせて頂いても?」
静かに、ゆっくり、彼女と距離を詰める。すぐには触れられぬ位置にゆっくりと歩み寄り再び声を掛けた時彼女はびくつかなかったが、まだこちらを見てくれない。手の震えは収まったようだが、「あの、その・・・」とか細い声で逡巡している。僕は静かに手を差し出し、彼女が答えてくれるのを待った。
幾何の時が経っただろうか。おずおずと意を決したように姫がぎゅっと目を瞑ったまま僕の方へ手を差し出してくれた。そっと触れた手はかすかに震えを残し少し冷たく、しっとりと汗ばんでいて緊張が窺える。
僕も内心は今にも心臓が潰れそうな程動悸が酷い。エスコートした手から彼女へ伝わりはしないかと、僕も震えそうになる。いや、ここは男として恥ずかしい真似はすまい!を意を決して彼女を部屋の中央へエスコートしようと足を踏み出した時。
彼女が、こちらを見た。
あの時の瞳の輝きは変わっていなかった。変わるどころか、あの時と同じようにうっすらと水気を帯びた瞳はより輝きを増したようで、その瞳が僕を見る。縋るような今にも泣きだしそうな瞳は深い蒼。散る虹彩は星のよう。でもその輝きはすぐ滲んで見えなくなった。
頬を温かなものが流れ落ちていき、いくら瞬きしても滲みは無くならず彼女の瞳が見えない。
ああ、君は、ここにいたんだね。
僕は彼女の手を取ったまま、そっとその場に膝をつく。取った手を額に当て、ゆっくりと唇を寄せ、桜色の指先へ、次に手の甲へそっとキスをする。
静かに視線を上げて見上げた彼女は真っ赤になって、瞳を潤ませて僕を見ていた。
僕はあの時、君の瞳に恋をした。
ずっと探していた。ずっとこの時を待っていた。
かっこ悪い僕だけど、情けない僕だけど。
ずっと君の為に頑張るから。
だから、その瞳でずっと僕を見ていてほしい。
さぁ、あの時の恋を始めよう。
離れていた間の想いをいくらでも囁こう。
もう離さない、僕の星。
お楽しみいただけましたら幸いです。ありがとうとざいました。