1-4 始まりの終わり
前触れもなく激しい音や動きもなく。エドワードはただ倒れている。静かに。何事もなく倒れている。
「エドワード!?」
「首から下を麻痺させました」
治癒魔術術は時には人体を切り開いて治療を行うこともある。太い血管をつながないといけないとき。内臓の底に病巣があるとき。そういう場合には、患部を露出させる必要がある。
そんなとき、治療のためにはできれば全く動かないでいてほしいのだが、現実問題としてそれは無理というものである。人間は痛ければ力む。力めば動く。動けば傷は開き、出血する。
「手術ってわかります……? 病を取り除くのに、身体を切ったり貼ったりしないといけないことがあるんですが、どんなに我慢強い人でもダメなんですよね……」
数々の尊い犠牲により、痛みによる反応は精神や心の持ちようではどうにもならないことが分かった私は、神経系に作用して強制的に肉体を麻痺させる魔法を創った。それがこの麻酔魔法だ。
治癒魔術は治癒術だ。けして攻撃魔術ではない。戦闘の中で行使するのは不可能だ。
しかし、ある程度時間をかけて手を触れれば『治療』は可能だ。
なに。やったことは女将の膝を治したのとさほど変わらない。触れている左手から魔法の麻酔効果を叩き込んだのだ。
「よっと。さすがに重いですね」
私は地面に転がったエドワードの山刀を拾った。
山の木々や下草を打ち払うためだろうか、山刀はなかなかに肉厚でずっしりと重かった。
「これは、非力な私に扱うのは無理ですね」
「そ、そうだ。お嬢ちゃん。物騒なものは離すんだ」
女将がなにか言っているがもう私は彼女には興味がない。興味のない人の言葉は私の耳には届かない。
山刀は武器として振り回すのは無理だろう。だが両手で持ち上げるのに無理はない。ちょっと重いだけだ。
「正当防衛ですよ」
両手で持ち勢いをつけて振り下ろすと、山刀の切っ先は自身の重みで自然と地面に転がるエドワードの頸動脈に突き刺さった。
「おっと」
勢いよく吹き出した血が少し外套の裾にかかる。すぐに避けたのでかかったのは少量だが上側に刺したのは失敗した。地面側の頸動脈にすればよかったな。
まあ良い。黒い外套だ。多少シミになっても大丈夫だろう。
黒は便利だ。汚れが目立たない。
◇◇◇◇
宿の女将が腰を抜かしながら逃げていったが、私は当初の予定通り、村を出て街道を歩いている。
村に人死にが出たのだ。騒ぎになるだろう。
私は自分の正当性を疑ってはいないし、公正な司法によって裁かれるするのであれば、司法の裁きにこの身を任せ事件について詳らかにすることになんら異論はない。
細かい法文は忘れたが、王国法の何条かによると街道で賊に襲われたら斬り伏せて問題はないはずだ。確か十何条の附則だ。今度ちゃんと調べよう。
しかし、かの寒村である。あの手の村では王国法よりも慣習法が優先される。
つまり、村内で事件が起きれば村長あるいは長老のような人間が独断で処罰を行うのだろうと想像できる。そこで公平な裁きがなされるとは私には到底思えない。
被害者は村人。加害者は村の和を乱す異分子(つまり私だ) それだけで結果が想像できる。
もし事態がそこに至ったら。その時私は、自己の正当性を全力をもって主張するだろう。この身を、この身に宿る魔法の力、つまり治癒魔術の全てを使って理不尽に対抗する所存だ。
その結果を想像するに、この度は不幸な事故として私はこのままそっと旅だった方がお互いのためではないだろうか。
間違いない。きっとそうだ。
どちらにせよもう興味はない。あの村にも宿の女将にも、もちろん猟師の男にも。
こんなありふれた日常。すぐに忘れてしまうだろう。
人間の目が前についているのは、後ろを振り返らないためだと言った哲学者がいたらしい。とても良いことを言う。
旅をしていると何事もないことなどない。いつもたいてい何か事件が起きる。後ろを振り返っていたら前に進めない。嫌なことは忘れてしまうに限る。
いいことも悪いことも受け止め方次第だ。どんなに最悪な時だって、前向きに、楽しく生きればきっと最高にできるのだ。
「宿に無料で朝食がついた。1点。宿の女将の膝が治った。プラス1点。猟師に山刀で襲われたが防衛した。プラスマイナスゼロ……ふんふん」
今回あったことを一つ一つ確かめる。歌うように、楽しげに。人生は気の持ちようだ。
襲われたことをゼロにカウントするのは、ちょっと甘いだろうか。私に被害はなかったし、山刀で人を脅す悪人はいなくなった。マイナスというほどでもないだろう。
「そして今回はなんと、関係ない人は死んでいないし、村は滅びていない」
いいことは今後に活かそう。悪いことは繰り返すまい。しかし、総合的に考えて今回の事件の結果は……
「うん、まずまずですね!」
少女らしく軽やかに宣言。かわいらしい振る舞いが板についてきたものだ。私はもう誰が見ても、どこにでもいるただのありふれた少女だ。
次の街に向かおう。次はもう少し都会がいいな。