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スラムドッグ  作者: 鯖缶
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8、差し出された義足


 ボリスはごみ山へと行く道を、ゆっくりと歩いていた。ウラジは戻ってるのか?どうして?なんでいなかったんだよ。

彼の頭の中には、疑問が次から次へと浮かんでは消えていった。そうして、今からやろうとしていることが何かを考え、どんよりと暗い気持ちに包まれた。


ウラジなら、笑って許してくれるんじゃないか?


どこかでそんな淡い期待を抱いてしまう。そんなわけないだろ、と心のどこかで声がする。


――ゴミはどれだけあがいたってゴミなんだよ。


あの男に言われたことは、記憶の中にこびりつくように何度も繰り返された。血のついた刃先。ボリスはきゅっと唇を固く結んだ。いや、もうダメだ。後戻りはできない。今までみたいに戻るだけじゃないか。ウラジの事なんか、忘れちまおう。元はといえばあいつのせいなんだ。あいつが、夢なんか見させるから。


考え込んでいる所だっただろうか、目の前に見覚えのある男がいたのに、ボリスは気づかなかった。


「あ、お前!」


軽薄そうな声を耳にして、ボリスはゆっくりと顔を上げた。大柄で肩幅の広い、ぼさぼさ頭の男。あのだらしない、酒飲み男だった。男は親しみをこめてボリスに話しかけると、軽口を叩いた。


「上手くやってんのか?また悪さすんじゃねえぞ」


いつもならボリスの口からは悪態が飛び出したところだっただろう。だけど今は、そんな気分ではなかった。もっと言うなら、誰とも話したい気分では無かった。ボリスは男から目を逸らすと、そそくさと逃げるように走り去っていった。


「あれ?」


何か返事が返ってくるものと思っていた男は、思わず間抜けな声を出した。思わず後ろを見て、小さな少年の背中を視界に入れた。どこか訝し気な目が、その背中をずっと見ていた。


***



ごみ山は相変わらずごみが蓄積され、山はさらに大きくなっていた。ここに来るのも、随分久しぶりのような気がする。だが、以前ごみ山で一晩過ごしたときとは違っていた。そこにはごみ山に住む住居人の気配が、確かにあったから。


どこに罠が仕掛けてあるかは、もう全部把握していた。慣れたものとばかりにごみ山へと足を踏み入れると、慣れた住居人が奏でる音楽の音が聞こえた。ボリスは音楽の方へと足を向け、住居の玄関先に立った。


近づいてくる足音に、ウラジはぴん、とアンテナが反応するかのように振り返った。慣れた友人の姿に、穏やかなウラジは珍しく大きな声を出した。


「ボリス!」


ギターを置くと、ウラジはよろよろと立ち上がった。嬉しそうに駆け寄ると、ボリスの肩を掴んだ。


「お前、どこ行ってたんだよ!久しぶりだな」


ウラジがにこにこと笑うのを、ボリスはただ無表情で眺めていた。


「でもさ、珍しいな。お前がこんな遅く来るなんて……」


ウラジの言葉は、そこで止まった。ボリスの手が握るものを見て、しばらくぽかんと口を開けていた。刃先がまっすぐに自分に向けられていることをようやく認識すると、ぎょっと身を引いた。


「何してんだよ、お前」


「黙れ」


ボリスはようやく口を開いた。ナイフの刃を見せながら、できるだけ凄みができるように睨んでやった。


「……嘘だろ?」


ウラジはまだ笑っていた。まだありえないほど性質の悪い冗談だと言ってくれるのを、まだ期待しているようだった。なんて言えばいい?ボリスは視線を少しだけ落とした。


「俺は、こういう奴だから」


静かに言うと、いつも笑顔を絶やさないウラジから、笑みがようやく消えた。目の前の出来事は決して冗談なんかではないと、ようやく認識したようだった。ウラジの目は悲しく歪み、目に微かに涙が滲んだ。


「……そっか」


ウラジは沈んだ様子で、答えた。それから住居の中を見渡した。


「でも俺、何にも持ってないんだ。あげれるものは、なんだろう。トンカチとか、釣り竿とか。でも、ギターはやれない」


焦ったように、ウラジは次から次へと言葉を紡いだが、どれも空滑りするかのように虚しく響いた。ボリスは「それと」と言う言葉を遮って、要件を手短に言った。


「てめーの義足をよこせ」


強い語調に、ウラジは驚いたように目を見開いた。右足とボリスを交互に見て、しばらく黙った。戸惑ったような表情で、ウラジは何かを言おうとしたが、途中でやめた。座り込むと、右足につけられた金具をぱちん、と外した。主を失った義足はバランスを崩し、床の上に倒れ伏した。ウラジはそれを持ち上げると、ボリスに差し出した。


「これさ、じいちゃんが死ぬ前に俺に買ってくれたんだ。ちょっと歩きにくいんだけどさ。これなら売れるかな」


ウラジは躊躇いなくそれをボリスの前に置いた。


「やるよ、お前にだったら。後はなんだろうな、何が売れるかな」


抵抗されると思っていたボリスは、ウラジがあまりにもあっさりと目当てのものを差し出すものだから、すっかり面食らってしまった。


つきつけた刃が、震えた。ウラジの目をまともに見ることができなかった。差し出された義足は、ボリスの目の前にただ転がされていた。こんなことに、一体何の意味がある?


「……なんで」


ボリスは小さな声でぽつりと呟いた。ウラジはただ困ったように笑っていた。なんだかそれは憐れんでいるようにも見えて、ボリスの神経を逆なでした。


「なんでお前はいつもそうなんだよ!」


思い切り義足を蹴り飛ばすと、ボリスはウラジに背中を向けた。そのまま外へと飛び出し、ごみ山を離れた。夜の港からどんどん遠ざかって行った。通りを歩く人たちに何回かぶつかり、怪訝な顔をされた。


ウラジが抵抗してくれたら良かったのに。そうすればどうにでも倒して奪ってしまえたのに。だからわざわざ姿を見せたのだ。なのに、なんであんなにあっさり渡しちまうんだよ。俺は、俺は何のためにこんなものを持ってんだ?


ボリスはごみ山がもう見えなくなった所で立ち止まり、壁に手をついた。道行く人々を見ながら、必死になって考えた。


これで失敗したといったら?ねぐらも追い出される。そうしたら俺は、どうすればいい?どこへ行けばいい?


なんだか息が苦しかった。ボリスはしばらくそこに佇んでいた。少し呼吸を落ち着けて、小さな鞄を大事そうに握りしめた。


落ち着けよ、何焦ってんだよ。もう後戻りはできない。


どうすればいいのか、答えはすでに出ていた。ボリスは拳をぐっと握りしめ、壁を睨みつけた。俺は泥棒だ。生きるために盗んで、何が悪い?誰も俺を、まともな人間とは思わないじゃないか。


ボリスは隠れるのをやめた。路地を出てゆっくりと歩き、静かに暗闇に目を凝らした。街灯の光の当たらない暗い場所には、歩いているだけでは見えないこの国の内側が見える。明らかに病気を患っている道端の乞食。ごみを布団にして眠るホームレス。ボリスは標的になり得る人間を、慎重に選んだ。小柄で、弱そうで、義足をつけている人間。多くの泥棒は、金を持っていそうな人間を狙う。目の淀んだホームレス達は自分たちが標的になるなどとは微塵も思っていない様子で、あるものはいびきをかいて、ある者はうずくまるように眠りこけていた。


歩いているうちに、丁度標的におあつらえ向きの人間を見つけた。ボリスよりも大きいが、だがかなり小柄な中年くらいの男。穴の開いた上着を布団代わりに、暖をとっていた。長ズボンを履いているが、裾からは鋼のフレームがちらりと見え隠れしていた。ボリスはナイフを右手に握りしめ、標的にじり、と近寄った。男は寝ていて、気づく様子はない。


大丈夫だ、やれる。ちょっとナイフで脅せば……


男の肩に手をかけようとした瞬間だった。


「おい」


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