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スラムドッグ  作者: 鯖缶
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5、「狩人」たちの集会


  今日も「狩り」に出かけたボリスだったが、結果は上々だった。


「このドアホが!」


後ろから飛んでくる怒号を聞きながら、ボリスは手すりをつかみ、軽々と橋から飛び降りた。着地を決めると、のろのろ走る店主を背に、ボリスは全力で走った。


今度は失敗しなかった。盗んだ食糧と金品を鞄にしまい込んだボリスは実に身軽に動き回り、店主を翻弄した。


もういいか?


やがて声が聞こえなくなったのを確認すると、ボリスは軽く息を整えた。もうこれくらいでいいだろうと判断したボリスは、ねぐらに戻るまでもう少しだけ猶予があるなと、広場の時計を見た。こんな時にひとまず足を運ぶ場所は決まっていた。


ウラジがやっていることは、日によって結構違う。大体はギターを弾いてることが多いが、ごみ山で拾ったものを解体したり、かと思えば一日中釣りをしている日もある。この日のウラジは、寝床にしているらしい小さな住居の屋根の上にどういうわけか座っていた。


「おっ、今日も走ってんな」


ボリスがごみ山へ駆けてくるのを見てか、ウラジが屋根の上から声をかけてきた。ボリスは一瞬辺りを見回したが、すぐに頭上から降ってくる声の方に顔を向けた。


「何してんだ?」


「へへ。来いよ、こっちこっち」


ウラジが手招きするのを見て、ボリスは辺りを見回した。どうやって登ったんだ、あいつ?


答えはすぐそこにあった。住居の裏手の方に、大きな梯子が立てかけてあった。どうやらそれを使ったらしい。ボリスは梯子に手をかけると、ひょいひょい、と屋根の上によじ登った。ウラジは日向ぼっこをする猫のように、屋根の上に座っていた。ボリスが登ってくると、ウラジは嬉しそうに歯を見せて笑った。


「今日は仕事か?使い走りだっけ」


「ああ。まあ、そんなとこ」


ボリスはウラジの隣に座ると、少しだけ言葉を濁した。すげえなあ、だから足速いんだなあ、とウラジはしきりに感心していたが、彼は乾いた笑いでそれを聞き流した。ウラジに自分が何をしているか、正直には言わなかった。誰かに言われても困るし、どうせ分からないだろうと思ったのだ。ずっとここにいる奴なんだから。


そんなボリスの思惑を余所に、ウラジはがさごそと何かをいじりだした。ボリスが首を傾げていると、ウラジはにこにこ笑いながら、手にトンカチと、薄い木のぼろ板を差し出してきた。


「何だよこれ。また拾ったのか?」


「屋根の修繕。それやるから、手伝ってくれよ」


ボリスは「はあ」と気のない返事をすると、両手に持たされた道具を交互に見た。屋根をよくよく見ると、所々穴が空いていた。無理もないだろう。住居はウラジが棲みつくずっと前からここにあったようで、長い間誰も何の手入れもしていないのだった。つまりこれの修繕を手伝えと、ウラジの意図を察知したボリスは、両手の道具を突き返そうとした。


「やだよ。めんどくせえ」


そう言うとウラジは、まあまあとなだめるように肩をぽんと叩くと、右手にもう一本のトンカチを出してきた。左手でさらに釘を出すと、ボリスの手に無理やりもたせた。ええ、と怪訝な顔をするボリスに、ウラジはにやりと笑いかけた。


「どっちが上手くできるか、勝負しようぜ」


その顔にふうん、とボリスは眉を上げた。生来負けず嫌いのボリスは、売られた喧嘩は買う性質だとは前述したとおりである。屋根の釘打ちにおいてもそれは、例外ではなかった。


***


「下っ手くそだなあ、お前」


「うるせえ」


屋根から降りて梯子の下に佇むボリスは、へそを曲げていた。地面には歪んだ釘と、見事なまでに真っ二つに割れた板。いや、薄いからすぐ割れそうだとは思った。でも、そんな簡単に割れるとは思わなかったのだ。


一方のウラジは屋根に空いた穴のところにぴったりと板をはめ、釘を丁度良い場所に当てた。トンカチでトントン、と軽く叩き、実に手際よく穴を塞いだ。ボリスは壁にもたれかかりながら、トンカチの軽やかな音に耳を傾けた。


ウラジは器用だ。物作りも組み立てもできるし、ぼやっとしているようで、ボリスの知らない色んなことを知っている。ボリスは我が身を振り返り、自分の手のひらを見つめた。組み立てをすれば部品を壊すし、釣りは性に合わない。楽器なんて以ての外だった。彼にできることと言えば、それこそ喧嘩か盗みくらいのものだった。ボリスはぶすっとふてくされた顔をしたまま、向こう側に見えるごみ山へと目を向けた。


ん?


ぼうっと見ていたごみ山の中に黒く光るものが一瞬だけ見えて、ボリスはじっと目を凝らした。立ち上がってみるが、はっきりとは分からない。なぜだか無性に気になったボリスはごみ山に駆け寄り、山をよじ登った。さびた鉄くずと部品でできた山からは、オイルのような匂いがする。トンカチの音は、まだ響いていた。


目当ての場所まで来て、ボリスは鉄くずを拾っては投げ、奥の方に手を伸ばした。だんだんと手が黒ずんで、汚れて来る。しばらく探っていると、ようやく山から突き出た黒い筒を見つけた。さっき見た光の正体かと分かったボリスは、太い筒を掴むと、それをぐっと山の中から引っ張り上げた。


それは拳銃だった。黒い銃身、子どもの手には大きい持ち手、そして引き金。ボリスはそれを両手で持つと、まじまじと見つめた。汚れているが、目に見えて大きな傷は無かった。思ったよりも軽い。


弾、入ってる?


確かめようと筒を覗き込もうとしたが、怖くなってやめた。初めて触った銃をどう扱えばいいのか、分からなかった。警察や軍が持っているのを見たことはあるが、本物を触ったことは一度たりとも無かった。ボリスは黒い銃身に魅入られたように釘付けになった。


しばらく見入っている内に、トンカチの音が止んだことにボリスは気づいた。ばっと振り返ると、ウラジがゆっくりと梯子を下りてきているところだった。ごみ山の上からだと、ウラジが小さく見える。戻らないと、とボリスが歩を進めようとした所だった。


「おい!」


大きな声が聞こえ、誰かが住居近くに来ていることが分かった。ボリスは聞き覚えのあるその声にぴん、と緊張の糸が張られるのを感じた。さっき盗みを働いたところの店主だとすぐに分かった。慌ててごみ山の中の大きな部品の一部に身を隠した。店主はウラジを見ると、隣の家まで響きそうな大きな声で挨拶をした。


「ウラジ!元気かあ、少し大きくなったか」


「えーっと、まあまあだよ。おかげさまで」


二人は顔見知りのようで、店主は機嫌良さそうに話しかけた。ウラジもにこにこと愛想よく対応をする。ボリスは山の影から少しだけ顔を出して、その様子を覗き見た。少し離れているから、二人の会話をはっきりとは聞き取れない。


何話してんだ?ボリスはばれないように、でもちょっとだけ近づこうと、身を潜めながら移動した。店主のでかい声はよく聞こえたが、ウラジの声は少しだけくぐもって聞こえる。


「いいや?」


そう答えるウラジの声が一瞬聞こえ、ボリスは耳を澄ました。


「毎度毎度うちのものを盗っていく奴がいてな。もう絶対許さねえ。次見つけたら半殺しにして、警察に突き出す」


店主が指をボキボキと鳴らす音が聞こえ、ボリスは背中に冷や汗をかくのを感じた。どう考えても自分のことだった。ウラジはただ笑っていた。


「聞いたか?こないだも、乞食のガキが集団リンチに遭ったって。身ぐるみ全部引っぺがされたらしくてな」


「そうなの?」


「この辺りの犯罪集団だよ。皆迷惑してんだ。お前も、見かけたら逃げた方がいい」


ウラジがなんと答えたのか、風でよく聞き取れなかった。だがなんとなく乾いた笑いが聞こえてきたのを、ボリスは複雑な思いで聞いた。店主はボリスへの罵詈雑言と、ウラジへの挨拶をひとしきり言い終えると、ごみ山を去って行った。


店主がいなくなったのを確認すると、ボリスはごみ山から頭を上げた。ウラジはそれに気づくと、よたよたとごみ山の方に歩いてきた。


「おっちゃんがさ、子どもを探してるんだって。黒い髪の、背の低い奴」


「ふーん」


「いや、そんな奴珍しくないんだけどさ」


ウラジは首を傾げた。ボリスはごみ山から滑り降りると、地面へと足を着けた。


「なんかすごくお前に似てる奴みたいでさ。でも、違うよな?お前は仕事してるんだもんな」


あまりに純粋な表情で言われたものだから、ボリスは少し戸惑った表情をした。どう答えればいいのか、分からなかった。ボリスは嘘をつくのが苦手だった。だからそうだな、と適当な相槌を打って、誤魔化した。


「俺、今日は帰る」


手短に告げると、ウラジは珍しく困惑したような表情を見せた。何か声をかけたそうにしていたが、ボリスが「んじゃ」と手を振るのを見て、仕方なくといった様子で手を振った。ボリスはごみ山に背を向けると、そそくさとそこを後にした。


***


ウラジはいい奴だ。色んな大人から好かれてる。町を荒らす厄介者のボリスとは、違うのだ。今さらながらそんなことが身に染みて感じられた。あいつは何でもできる。だから大丈夫だ。何がなんだか分からないが、ボリスは懸命に自分に言い聞かせた。


塒へ戻る頃には、やはり辺りは薄暗くなっていた。ねぐらには掃除をする者などいないので、ごみや埃は溜まり放題だった。それぞれの仕事を終えたらしいねぐらの奴らは収穫を持ち寄り、その日の分け前を決定した。


「次の獲物なんだけどよ」


リーダーは硬くなりかけのパンをちぎりながら、周りを囲むように座る仲間に耳打ちをした。


「ちまちました盗みばっかじゃだめだ。今度はでかいのを狙う」


そう言うと、リーダーは町の見取り図に書かれた赤い丸印を指さした。見取り図はリーダーのお手製で、ふにゃふにゃの線に汚い字がなんとも言えない味わいを出している。


「でもどうやって?店なんて、俺ら襲ったことないよ」


ニッキが前のめりになった。リーダーは得意げに鼻を鳴らし、にやりと笑った。


「大丈夫だよ。ここの店、よぼよぼの爺さんしかいねえから。目も見えてるか怪しいもんだぜ。俺がまた合図をするから、その間にガラス割って入り込むんだよ。それで、ボリス」


リーダーは、黙ってパンを貪るボリスに声をかけた。ボリスはパンをくわえたまま、顔を上げた。


「お前も最近よくやってくれてるからな。今回は大役だぞ」


ボリスはごくん、と口の中のパンを飲み込んだ。


「爺さんをぶっ叩いて、鍵を取るんだよ。殺しはだめだぞ」


そう言うと、リーダーはねぐらに置いた棍棒を手にとった。棍棒は誰かがごみ箱から見つけてきたものだった。前の持ち主が何に使ったかは分からないが、先の方は血のような何かがこびりついて、黒ずんでいる。ボリスは内心ぎょっとしながら、話を聞いていた。


「それで赤毛、お前は金庫のものを持って逃げろ。大丈夫、絶対成功する」


赤毛と呼ばれた色白の少年は、こくりと頷いた。その後にも何か言っていたが、ボリスの耳には入らなかった。唇を噛み締め、地面に目を落とす。なぜだか分からなかった。だけど、うんと素直に頷くことができなかった。


――みんな迷惑してるんだ。次見たら、半殺しにして民警に突き出す。


さっきの店主の言葉。リーダーは大丈夫だと言うけど、次に見つからないなんて、どうして分かるんだ?あの乞食を襲ったことだって、噂になってる。やめてよ、としきりに訴えるあの乞食の声は、まだボリスの耳にこびりついていた。「お前は違うよな?」と困ったように笑うウラジ。


こんな風に思うことなんて、今までは無かった。ただ生きるために、必要だからやってるだけだ。大人は皆、俺たちをごみ屑みたいな目で見る。だけど、こうでもしないと俺たちはただ野良犬みたいに道で野垂れ死ぬだけだ。リーダーはいつもそう言っていた。俺もそう思っていた。


ボリスはゆっくりと、ねぐらの中にいる仲間らの顔を見た。皆、親に捨てられたか、売られて逃げ出してきた奴らだ。希望を持って生きている者なんてここにはいなかった。ただ明日の食糧のために「狩り」をし、名も無い人間を襲うのだ。


でもウラジは違う、ここの誰とも。あいつはいつも楽しそうに生きている。俺たちみたいな境遇なのに。あいつが文句を言ってるの、一回も聞いたことがない。盗みもしないで、乞食もしないで、あんな風に生きられるなんて。


しばらくの沈黙の後、ボリスは小さな声でぽつり、と呟くように言った。リーダーは聞こえなかったのか、「え?」と聞き返した。


「俺、やらねえ」


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