4、ごみ山の上のギター弾き
少年の名はウラジーミルと言った。ボリスよりも前からこの町に住んでいるらしく、やはり親がいなかった。ウラジも元々は音楽家の父親と一緒に暮らしていた。だが飲んだくれの父親は家にもろくに帰ってこなかった。そのうち子どもを養うのが煩わしくなったのか、わずかな金と引き換えに彼を奉公へ出した。だが重い物はろくに持てず、安物の義足でぎこちなく動く彼の働きぶりは、雇い主を満足させることはできなかった。彼はすぐに雇い先を追われ、紆余曲折を得てこのごみ山に棲みついたのだった。
「でもまあ、俺は運がいい方だよ。足は吹っ飛んだけど、手はある」
そういってウラジは両手の平をボリスに見せた。ウラジはおしゃべりで、話しているとよく笑った。足が吹っ飛んで運がいいなどと言うのは、ボリスにしてみれば実に不思議なものだった。ボリスはウラジからもらった魚をかじりながら、じっと話に耳を傾けていた。
「でも、どうやって生活すんだよ。こんなとこで」
「よく聞いてくれた」
そう言うと、ウラジは山のふもとの建物の中にふらふらと歩いて行った。ここも元は住居だったようだが、今では空き家になっているらしい。ウラジはその中で生活しているらしく、中に入ってごそごそと何かを探していた。ボリスはじっと見ていると、何やら大きなケースを抱えて、戻って来た。
「……楽器?」
ボリスはいぶかし気な目で、ウラジがケースから取り出したものを見つめた。茶色い丸みを帯びたフォルム。ぴんと張られた6つの弦。子どもにはやや不釣り合いに見える大きさのギターを、ウラジは手慣れた仕草で抱えた。
「親父からもらったの、人生でこれだけなんだ。上手くやれば、けっこう儲かるんだぜ」
酒場にもぐりこんで弾いたり、路上で演奏する奴と一緒にやったりさ、とウラジは自信気に答えた。はあ、とボリスは間の抜けた返事をした。
「リクエストを聞いてやるよ。何がいい?」
はたと首を傾げたボリスだったが、演奏してやるという意味かとすぐに理解した。とっさに思い浮かべようとしたが、ぱっと思い浮かばない。うーん、と頭の奥から何か断片を引っ張り出そうとするが、その努力も虚しく何も浮かんではこなかった。
「わかんねえ。俺、よく知らねえもん」
そう言うと、確かにそんな感じの雰囲気だ、とウラジが返してきた。それから胡坐をかいて座り、うーん、と考え込んだ。
「受けがいいのは、こういう曲かな」
そう言うとウラジは所定の位置に指を持っていき、右手で弦を弾き始めた。ごみ山の麓で、演奏は始まった。それはボリスの聴いたことのない音楽だった。明るくてテンポの良い曲で、でも所々に物悲しさを感じさせた。
「へえ」
ボリスは指の動きをじっと見つめた。ウラジの指は自由自在に動き、狂いもなく音を紡いでいるように見えた。きっとよく練習しているのだろう。演奏は続き、音楽は徐々にクライマックスへと向かった。そして軽やかなメロディーは印象的なフレーズを何度か繰り返し、ジャッ、と短い音でその演奏を終えた。
「どう?」
演奏が終わると、ウラジは顔を上げた。
「すげえ」
素直に感嘆の声を上げると、ウラジは満足気に笑った。
「あとは、店で色々手伝いしてる。看板の色塗りとか。肉屋のおばちゃんはたまに余りを分けてくれるし、ここは海が近いから釣りもできる。便利なんだ、何でもある」
ウラジはまるで宝の山でも手にしているかのように、ごみ山を指さした。
ボリスはその言葉を、半信半疑で聞いていた。不思議でたまらなかった。色々言っているが、要は俺とそんな変わらない、家も家族も無い孤児だ。でもこいつは、町にいる乞食とも悪党とも違う。こんな汚いごみ山に住んで、なぜそんなに笑っていられる?
「でもさぁ」
不意にウラジが、声のトーンを落とした。ギターをぎゅっと抱え込むと、少しだけ俯いた。
「俺、寂しいんだ。ずっと大人が相手だからさ。話し相手が欲しい、同い年の」
ウラジは人なつっこそうな顔を、ボリスに向けた。よく喋る口が、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「なあ、お前は?どんな奴なんだ、どんなことしてるんだ?親は?名前は?」
ボリスはどうしよう、と内心少し困っていた。こんな興味津々な目を向けられても、語れるようなことは何もない。懐には、さっきまで手をかけようとしていた折り畳みナイフがしまい込まれている。
俺はここにいていいのか?
なんだかいたたまれない気持ちになって、ボリスは入って来た方に目を向ける。向こう側には、まだ麻袋が積まれている。ごみ山一帯には、まだ魚の匂いが残っていた。火のそばには、食べ終わった魚の骨、串が並んでいる。
少しだけ迷った。だがボリスは浮かしかけた腰を、再び下ろした。急ぎの用事なんてのは、無かった。だからだろうか。食べた魚の分くらいは、こいつに時間を使ってもいいだろう、そう思ったのだった。
***
それからボリスは、「狩り」の合間を縫ってごみ山へとたまに足を運ぶようになった。行けばたまには何かを分けてもらえるし、単純にウラジの話を聞いているのは結構面白かった。ウラジはその辺の乞食とそう変わらない小汚い少年だったが、妙に愛嬌があり、それで大人からは野良猫のように可愛がられているようだった。一方のボリスといえば、生活は相変わらずだった。
その日のねぐらは、いつもよりも明るい雰囲気が漂っていた。食事はいつもの分け前よりも少し多く、スープはまだ温かった。
「昨日の狩りはすげー上手くいったな。なあ?」
リーダーは珍しく上機嫌で、ボリスに話しかけてきた。一方のボリスはぶすっとした不機嫌そうな顔で、といっても本当に不機嫌なのではなく、元々がそういう顔付きなのだが、黙って頷いた。
「見た?あいつの泣き出しそうな顔。傑作だったろ」
ニッキは今日もスプーンを食器にカンカンぶつけながら、口を挟んできた。嬉しそうに振り返って話すのを、他の皆もにやにやしながら聞いた。ボリスは少し硬めの芋をかじりながら、昨日の出来事を思い返した。
***
夜の港町は暗く、湿った風が吹いている。酒場通りも少しずつ活気を失い、静まり返りかけた頃。リーダー率いる不良少年たちは、乞食の少年が住むという小さな住居テントが見える位置まで来ていた。リーダーの後ろから、ボリスは次の標的を視界に捉えた。
「俺が合図するから、そしたらボリス、お前が前へ行け。俺らで奴を押さえとくから、持ってるもん全部盗れ。しくじんなよ」
「分かった」
へへ、と後ろのニッキが笑う声が聞こえた。リーダーは辺りを窺い、誰も来ないことを確認した。後ろから小突かれ、ボリスは慌てて走り出す。テントの入り口まで来ると、建物の陰に目をやる。ボリスが手招きをすると、リーダーらは続いて走って来た。
住居テントの中にいるのは、今は1人だけ。こっちは5人。多勢に無勢で、向こうに敵うはずがなかった。ニッキとリーダーが少年を取り押さえ、残りは住居テントの中のありとあらゆる場所をひっくり返した。小銭入れや武器になりそうなもの、なんでも袋に入れ込んだ。
「な、なに……」
少年の怯える声が聞こえたが、その後の言葉はリーダーの拳でかき消された。ニッキが両足を押さえ、リーダーは少年の頭を床に叩きつけた。そしてそれは1回では止まず、何度も何度も繰り返された。
「やめて、やめてよ」
小さなか細い声が、テントの中に響いた。ボリスはそれを聞き流しながら住居の探索を続けた。小さな紙の束をひっくり返すと、目当ての物は見つかった。
「あった」
リーダーに目くばせすると、さっさと出ろと目で合図が入った。忍び込んだ少年たちは驚くべき手際の良さで手を止め、自分たちに必要なものだけを手にするとテントを後にした。続いてボリスはテントを後にしようと、入り口へ向かう。ちらとまだ羽交い絞めにされている少年の方を見やると、目があった。
その目は大きく見開かれ、ボリスを見た。「返して」と静かに訴える目に、ボリスは一瞬だけ動きを止めた。だがすぐに目を逸らすと、テントから逃げ出した。
***
あの小さな声は、ボリスの耳の奥の方に、微かに残っていた。だけどその理由は分からなかった。芋を食べ終わったボリスは、スープに手をつけた。申し訳程度にしか具は入っていなかったが、温かいスープは小さな身体に活力を与えた。
「そういやお前さ、最近帰り遅いよな」
ひとしきり思い返して満足したのか、ニッキが今度はボリスに目を向けてきた。スープを飲んでいたボリスは、その言葉にぎく、と肩を上げた。
「どこまで狩りに行ってんだよ」
ボリスはとっさに目をそらした。口を拭うと、慌てて答える。
「別に。北の方に行ってんだ。店とか、いっぱいあるし」
港に住むウラジのことは、誰にも話していなかった。時々食べ物を分けてもらっていることも。
もし、こいつらが知ったら?
昨日の乞食の少年の顔が、また浮かんできた。骨と皮ばかりのひどくやせた身体。殴られて、腫れあがった顔。こいつらは弱い奴を狙う。だからきっと、片足のウラジは絶対に襲われるだろう。仲良くしてるなんて知られたら、こいつらに何て言われる?
ボリスはスープを全部飲み干すと、欠けた食器を地面に置いた。カラン、とそれは軽快な音を立てた。ねぐらの窓からは、朝日が差し込んできていた。