89 平穏な練習日の一幕
ごく普通の日常風景
「――中学時代は3年間とも公式試合への出場経験は無し。クラブ活動としての、中学校軟式野球のみの経験者です。そのため、参考記録としての打率、出塁率、防御率などの記録は無しです。3年生の2学期初日には野球部を退部、受験勉強に専念していたという事で……彼女の知り合い、野球部在籍中の部員に少しだけ話を聞けましたが……バッティングピッチャーを続けていた、らしいですね。もっとも、『女子だから』速度も速くなく、とりあえずストライクが入るし、左利きだから左投手打ちの練習にはなった、という感想しか聞けませんでした」
「……ま、中学校のクラブ活動でレギュラーになれない、っていう事なら、そんなもんだろう。……で、それが入部してわずか2カ月あまりでリリーフピッチャーとして使えるようになった……と。野球経験者で、ある程度は体もできていたんだろうが……もともとアンダースローの適性もあったのかな?平塚監督は、女子選手の地位向上でも狙っているのか……?」
どうでしょうね、と。監督の言葉に、首をすくめるトレーニングコーチ。
ところは明星高校の野球部ミーティングルーム。ここでは日常的に、県下の有力投手、もしくは対戦チームのレギュラーとなる可能性の高い投手の資料を試合動画を確認しつつ、監督とトレーニングコーチによる打撃練習計画の検討が行われていた。そして本日の資料は弘前高校の投手、新人の清水 良子の資料が含まれている。
「上に関しては、今後使ってくるか分かりませんが、問題はこのサブマリンですね」
コーチはそう言いながら、弘前高校2回戦の、清水が投球しているシーンを編集した動画を流す。
「外野スタンドから超望遠で撮った動画です。変化が分かりますか?」
「……こいつは、けっこうエグいな。かなり落ちる」
清水が投げるボールは、投げ上げられる軌道から、打者の手前で斜めに滑るように、そしてかなりの高低差が出ているとハッキリ分かる低さへと、落ちる変化をしていた。
「投げ方と手首の使い方に特徴があるんでしょうが……おそらくは単にスピンレートが非常に高い、ストレート……ですね。山崎選手のアンダースローの投球も、これに近い変化のボールがあります。直接の指導をしたのは、山崎選手かもしれませんね」
「女子選手同士だしなあ」
それは間違いないだろうと、うなずく監督。
清水 良子。明星でもこのように『注目株』扱いで、左のサブマリン、落ちる変化の直球を的確に打つための対策が始まっている。もちろん『投手としては県下最大の難敵』と評される山崎は言うまでもないのだが、山崎に関しては投球の引き出しが多すぎて、ある意味で特別視されていない部分がある。
山崎は明星高校の分類では【 通常モードA 】と呼ばれるスリークォーターからの投球、ごくまれに投げる【 通常モードB 】のサイドスロー、そして使用率として比率が少し高めの【 サブマリンモード 】と呼ばれるアンダースロー、【 超高速モード 】と呼ばれるオーバースローからの剛速球を放つ4モードに分類されているのだが……
とりあえず、特殊分類されている【 超高速モード 】以外は、普通の選手として対策するものとして、あまり深く考えないようにしている。明星高校としては。
代名詞と言われている高速ジャイロに関しては、明星高校を含めて他の高校でも特別な対策を講じている所もある。が、基本的に山崎は『甲子園指折りレベルの投手の集合体』扱いされており、ひとつひとつの投球スタイルや球種に対する対策を考えるのは時間の無駄ではないのか、と思われている部分があるのだ。投手の分析をする一部の有識者の間では『山崎という投手は1人の優秀な投手ではなく、何か奇怪なモーフィングモンスターのようなものだ』という発言もあり、特殊な何かと思われている節がある。
そしてとりあえず清水 良子という投手の特徴、対策する点は、球速は遅いが、高低差の大きい落差が発生する、右打者にとって外へ逃げる横変化のボール、という事になっていた。珍しいスタイルではあるが、山崎に比べれば普通。対策の取りやすい一般の投手枠である。
「……継投の組み立てとしては、清水選手は2番手か3番手の中継ぎ、2イニング程度のワンポイント的なリリーフ扱いでしょうね。彼女は本格的な投手としての経験が少ない。まだ長時間の全力は、集中力としても、握力的にも問題があるでしょう。特に彼女の投球の肝は、サブマリンから投げる高スピンレートの落ちる球。球の回転量が落ちたら、ただの遅い球です」
「ひとまず、サブマリンの軌道を打つ打撃練習は定期的に行おう。山崎対策にもなる。左のアンダースロー投手は?」
「今のところ、練習相手として捕まえられませんね。全国規模で言えば存在するんですが、どうにもコネが。右なら何とかなりますけど」
明星は県下の野球名門高校であり、全国的にも相応のコネクションを持つが、無尽蔵に資金力があるわけでも、ネットワークがあるわけでも無い。全国的にも珍しい左のサブマリンとなれば、打撃練習相手として確保するのは無理と言っても良い案件だった。
それでもレギュラー選手なら2巡目にもなれば、それなりに当てられるようになるだろう。だが、そのタイミングで山崎あたりに交代する流れになる事は間違いない。そういう使い方をされるのが一番困るタイプの投手なのだ。出て来たら即打つ、そのつもりでいきたい。
「……弘前高校……何気に、投手陣を強化してきたか……」
「男子投手も、2年3年で2人いますしね。守備力に自信がついていれば、中盤から山崎選手を投手に据える組み立ても考えられます。4人継投の組み立てなら、先発のローテを考えるだけで、投球数や疲労の問題も大体都合がつきます。去年よりも穴が小さくなりました」
やっかいな事だ、と苦い顔をする2人。
「普通はもっと早く対策を考える事ができるんですが……清水選手も、注目され始めたのは、つい先日ですからね」
「腕の見せ所、というところだろう?もちろんこの夏も勝つつもりだが、秋季大会の対策もすでに始まっている。来年もある。やれる事はすべてやっていこう」
互いにうなずき、レギュラー選手、準レギュラー選手の資料を取り出す。今年の夏が最後の選手もいれば、秋からレギュラーに据えなくてはならない選手もいる。高校野球は毎年、選手の体制が大きく変わる。指導陣としては順応性が要求されるのだ。
なにより、ここ数年は『県下では敵なし』と言われた明星高校も、昨年の夏では不動だった王者の地位を弘前高校に奪われている。弘前高校を倒し、F県王者として復権し、夏の甲子園へと行く。そのために全力を尽くすのだ。
各県内、地域ごとの高校野球のレベルを上げるには、互いに切磋琢磨するライバルの存在が身近に必要だ。
今年の明星高校は、去年よりも強い。――去年の夏までは全国ベスト16を目指していた明星だったが、はっきり言って全国の舞台では振るわなかった。しかし、この春のセンバツでは目標を達成する事ができた。あまり言いたくない事ではあるが、【 打倒・弘前 】を目標に掲げた士気の向上が、実力向上の一助となっているのは間違いない。県内のライバルの存在。去年の夏、全国の舞台で大暴れした、弘前高校という伝説の打倒。それが、今の明星高校野球部の力の源の一つである。
「弘前高校を倒し、気持ちよく夏の甲子園に行きましょう」
「もちろんだ。まずは今週末の試合を勝つ事を考えよう」
互いに週末の3回戦、4回戦を順調に勝ち抜けば……準決勝の再抽選結果次第では、いきなり準決勝で弘前高校と当たる可能性もある。いずれにせよ、来週末の土日には全てが決まるのだ。もう時間はほとんど残っていない。
万全の状態で、強敵と相まみえる。
その決意を新たにして、レギュラーの資料を見直す2人だった。
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弘前高校の野球部専用グラウンド。地域的な理由にもより、相応の広さを確保して設計されているため、ピッチング・バッティング専用の練習スペースも、わずかながらに存在している。そしてその投球練習専用エリアにて、県下の有望新人として注目を集め始めている清水 良子は、同様にキャッチャーとしての育成練習をする部員を相手に、投球練習をしていた。
清水の練習相手は、主に俺と1年の宮本だ。特に宮本は将来的に正捕手にしてしまおう、という計画が上級生の間で進められており、今後の練習計画も組みなおしている。
なお、2年で同期の竹中は、ファーストからキャッチャーにコンバートしつつあるが、これも秋からは正捕手にしてしまおう、という計画と、現状のファーストとしての練習を平行して行っているため、色々と大変である。こういう部員はわりといる。
俺も対象者だ。山崎専門の捕手としての練習をしているので、他人事ではない。部員の人数が多ければ多いで、練習専門で試合に出られないピッチャーやらキャッチャーやらが生まれるのが常だし、少ないなら少ないでやり繰りが難しくなるものだ。ケガをした場合などを考えればキリがない。ちょうどいい塩梅、というのはなかなか難しい。
ウチの野球部はメンバーが少ないので、出場機会などはとても恵まれているとも言える。だが同時に、専門職としてじっくり育成する余裕も存在しないのだ。現在の自分の守備位置の仕事はもちろん、誰かが抜けた時にフォローできるよう、他の守備位置の仕事もようく覚えて考えておくように、という教育方針と体制なのだ。そして守備の問題は攻撃によって、全員が常にフォローする。最終的には得点にモノを言わす。これは人数不足からくる結論の一つと言えたが、弘高野球部が大雑把だと言われる所以でもある。
そして、その攻撃偏重方針の主力である、復活の山崎だが――――
『……と、いうわけです!!』
『『『おぉ――――』』』
なにやら休憩の合間に1年女子マネ3人を相手に、タブレットで何かを説明していた。
どうも最近、女子マネの間で『野球部式』なるトレーニングが流行っているようで(もちろん山崎が発信元に違いない)、その説明ではないかと思う。部員の練習の手伝いの隙間を縫って、女子マネが基礎筋トレや体幹トレーニングなどを行っているのが、その実践じゃなかろうか。
少しばかり女子マネに説明していた資料内容に興味を持った俺は、山崎に何を教育していたのかと、練習終わりの食事時間に聞いてみた。
「ああ、今日のやつ?コレよ。意識改善の資料ね」
山崎がタブレットを用意する。俺以外にも興味を持った部員が集まってきた。
「これを見てください」
野球帽をかぶった、女子学生の写真が表示されている。
「少し前に話題になった、甲子園出場校の女子マネの、当時の画像です」
「「「おお――」」」
かわいい女子である。そして、ちょいと胸がでかい。
「一部で『きょぬーすぎる女子マネ』として有名です。まあ、実際はそれほどでもないけどね」
自分を基準としている山崎の言い分だった。
「そしてこの女子が、大学生になって当時を振り返るインタビューを受けた時の画像がコレです」
「「「……パンパンだ――――!!!!」」」
顔とか、何だかふっくらしているというか、パンパンに膨らんでいると言うのが正しいような、そんな変化だった。しかし、それ以外の部分もパンパンに膨らんでいる。顔も肉付きが良くなっているのだが、身に着けているブラウスの胸元も、パンパンにはち切れんばかりだった。
「よくあるやつよね。運動部員が部活を辞めて運動量が減ったのに、以前と同じ食事量を続けたりすると、贅肉が全体的についちゃう、というやつ」
「「「……おおお……」」」
無残な変化、というやつだろうか。いや、一部の変化を見れば、よくやったと言えるが。
「しかし!!筋肉さえあれば、運動量さえ戻せば、贅肉は落とせます!!そして、減量が始まった時、真っ先に落ちるのは腹でも腕でも胸でもなく、顔の肉!!つまりこの女子大生が運動をすれば、ホラこの通り!!」
山崎が画像をスライドさせると、顔だけがスッキリした女子の画像になった。合成だ。
「いまどき流行りの、むっちりボディに!!これが段階を踏んだ肉体改造よ!!」
「「「おおおお――――!!!!」」」
俺を含んだ一部の男子のテンションが上がった。もちろん歓声を上げたりしないのは、彼女がそばにいたり、空気を読んだりする事ができる上級生である。
『こっち見んな中島!!』『セクハラで訴えるわよ!!』
つい1年女子マネの、少し残念な胸元を見てしまった中島が、厳しい言葉をぶつけられていた。そして反射的になのか、清水に視線を向けてしまい、無言でギロリと睨まれていた。
「まあともかく、筋トレの大切さを教える事と、いっぱい食べる事への忌避感を取り除く教育だったりするわけです。気にするなら『部分的な』体脂肪率、『サイズ』の数値。そういう教育ね。もちろん、男子だって体重が増えればそれでいい、って訳じゃないわよ。脂肪ではなく、筋肉を増やしてもらわないとね。体重が減るのは問題外だけど。しっかり食べなさいよ!!」
「「「はいっ!!!!」」」
食事って大切だよなあ、と実感した。
弘高野球部では、栄養学的な教育もしっかりしている。精神力で通常の肉体限界を超える事ができるのは、ごく一部の超人くらいだ。その超人ですら、体のエネルギーの保有量を無視した力を出す事はできない。物理限界は存在するのだ。だからしっかり食べないと、体はできないし、イザという時に力は出せない。根性と努力に支えられたトレーニング、そして食事。その結果が完成された肉体なのだから。
しっかり運動して、しっかり食べよう。俺は部員の中で、最も完成された肉体を見ながら、うんうんとうなずき、今日の練習後の炊き出しを食べるのだった。完成された肉体は素晴らしいものである。それが世界の真理だ。
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夏の甲子園の出場権を賭けた県予選も、次で勝てば折り返し地点を迎える。勝ち残ったチームはいずれも、次の試合を、そして今年こそはと、必死に練習している事だろう。
「清水も注目されてきたし、対策を取られているかもな」
「ま、来年や再来年の選手にとっては現実問題だろうけど。まだ早いんじゃない?」
「だよなー。ちょっと早いよな。山崎の対策はともかく」
「でも、でっかい野球部だと分かんないわよ?」
「一部の育成投手をアンダースローにしたり?」
「あー、それってありそう。やらされる方は大変ね」
「160キロ台のピッチングマシンを導入したりとか!!」
「お金かかりそうよねぇ」
県内のライバルの事を思いつつ、そんなちょっとしたバカ話をしながら、今日も家路につく俺達だった。
それぞれの真剣な雰囲気が出ていれば良いと思います。
前回は何気に誤字とか(ほんと差し込みミスの誤字『早生まれ』→『遅生まれ』とか)酷かったりして、ちょっと凹んだりもしましたが、筆者は元気です。今後も見つけた誤字などありましたら、よろしくお願い致します。毎度助かっております。
それはそうと、閑話含め合計で、今回どうも99話目らしいですよ!!
次は100話目なので、100話目に相応しい(かもしれない)閑話を(えー)用意しております。
……ウソです。くだらない話です。ちょっと前から書いていたやつです。あまり御期待されると困ります。そういう訳で、次回は更新が少し早いです。今後ともよろしくお願いします。




