85 【大沢木高校キャプテン 柳田 幸雄 の決意】
聞こえる……あの人の声が
僕たちの通う市立・大沢木高校は、特に目立ったところの無い公立進学校だ。
教育プログラムレベルの指標である偏差値においても中堅どころという評価であり、部活動においては文系の部活が時々何かのイベントで入賞したりするくらいで、スポーツを含めて何らかの特技で高評価を得ている有名な生徒なんかは、まず入学して来ない。
進学目的の、『比較的素行のいい生徒が通う普通の学校』という意味では一定の良い評価を得ているが、そんなところだ。成績優秀な学生の集団でもなければ、不良学生の巣窟という訳でもない。平凡、平和。安穏とした穏やかな生活を愛する校風。小さなトラブル、小さな喜び、ちょっとした季節イベントに一喜一憂する小市民で形成された学校。
穏やかな学生が多く生活する事もあって、いじめ問題も滅多に発生しないし。定期的に職員会議で取り上げられるのは「バレンタインイベントの許容範囲はどの程度にすべきか」みたいな事ぐらい。そんな学校なのだ。平和こそが身上の学校、それが大沢木高校。
もちろん僕らの野球部も、実績無しの有名選手無し、弱くて地味なエンジョイ系部活として細々と平和にやっていた。
――しかし去年の夏、弘前高校が甲子園に初出場して県下のトレンドワードを弘前高校野球部関連で総なめにした上で、山崎さんが一種の地方アイドル化して弘前高校野球部応援グッズが飛ぶように売れ始めた後、大沢木高校野球部の知名度は局所的に上がった。『あの弘高野球部の記念すべき撃破第一号』みたいな感じで。
万年ネタ不足の零細文化部である新聞部が頑張ったせいで、校内では知らない者などいないレベルで『弘前VS大沢木』の試合内容は拡散され、友達はもちろん、ほとんど話をした事の無い知り合いまでが野球部員に『山崎と北島どうだった?』『弘前高校の打線てスゴイの?』『山崎さんどんな感じ?』みたいな質問を浴びせるのが流行したのだ。
特に人気だったのは、卒業した木島先輩。理由はキャッチャーだったから。間近で見た山崎さんはどうだったか、山崎さんのプロポーションはどうだったか、そして『おっぱい大きかった?』みたいな事を聞かれていた、と言っていたと思う。僕も聞いたし。
ちなみに、家族や近所の人にも似たような事を聞かれた。近所の人まで知っていたのは、たぶん両親があちこちで話していたからだと思う。
そして今年の夏大会の県予選。僕は組み合わせ抽選のクジで弘前高校との対戦を決めてしまう。思わず『ぐわ――っ!!』と叫んでしまった。仕方ないと思う。クジ運が無い。
その後は、平穏とは程遠い事が連続で発生した。
まずは予想通りの質問攻勢。クラスメイトを含む学校の連中諸々から。
高校野球の記者関連からの取材依頼。こんな事今までになかった。
山崎さんが緊急入院した後は、今までに処理された事がリフレインされた。
そのうえ、差出人に全く憶えの無い県内各所の様々な人から、弘前高校野球部のデータ書類やら、スポーツ飲料やプロテイン等の差し入れが届けられるようになった。
もう生活の一部が何かしら『弘前高校関係のイベント』に侵食されていて、何かニュースや新しい情報が入ると、『それって弘高関係なの?』と勝手に脳内処理されるほどだった。夕暮れにカラスがカァ、と鳴けば『弘高との試合大変だな』と言われているような気がしたくらいだ。
あとは謎の怪情報が一時期流れた事もあった。『大沢木高校には呪術同好会があり、野球部が儀式を依頼したらしい』とか、『山崎が虫垂炎になったのは大沢木高校の化学部で開発した虫垂炎誘発薬のせいで、野球部が一服盛ったからだ』とかいうものだ。すぐに『どちらも存在しません』という公式発表を行ったが、まだ一部でまことしやかに噂されているらしい。
うちは普通の公立高校だよ。変な部活も同好会も無いよ。
――――そして、ここ最近のゴタゴタに区切りがつく、弘前高校との試合の日。メンバー表を交換した僕らは、また新しいゴタゴタの発生を確信した。
『『……ほぼ、1年生のみ、じゃないか……』』
主将以外は今年入部の1年生。対する僕らは3年生メインという普通の構成。ちょっとこれはどうなんだ、という思いと、そりゃウチは舐められても仕方ないけどな、という思い、さすがに簡単に負ける訳にはいかないぞと、少しばかり気合を入れる思い。
そんなモヤモヤした思いで試合が始まると、近くの観客席から罵声のような応援が飛んでくる。
『ナメられてんぞ大沢木ぃ――!!気合い入れろ!!』
『レギュラー引きずり出してやれぁ!!』
あれ絶対にウチの生徒じゃないな。空気感が違うから分かる。
キャッチャーボックスで座りながらそう思っていると、『お願いします』と声がして、1番バッターの清水さん……背の高い女子選手がバッターボックスに入ってきた。彼女はスポーツ女子らしく体格もいいし髪も短く揃えているけれど、山崎さんに迫る勢いで胸が大きい。キャッチャーボックスから見上げていると一種独特の迫力を感じる。もしかして、去年の木島先輩もこんな光景を見ていたのだろうか。いや、山崎さんはもう少し大きいはずだから、迫力は今以上か。うらやましい。
……それにしても弘高野球部には『巨乳女子の採用枠』でもあるのだろうか。謎だ。そして彼女が『軸足1本で』立つ、変わった打撃フォームを取る。なんだこれ。弘前高校は本当に訳が分からないよ。
その後は弘高野球部の好き放題だった。
いかにも打ちそう、という雰囲気からセーフティバントをされたり。
バント処理のために1塁3塁前進守備していたらプッシュバントで内野安打。
どんどん打たれて塁が埋まる。全然アウトにできない……と思いつつも1つずつアウトにして、やっとアウト2つ、と思った時には打順が一巡していた。
『お願いします』
清水さんがバッターボックスに入ってくる。また1本足で立つ。
……いい加減にチェンジにしたい。清水さんはセーフティで走るほどには足があるが、打撃のパワーは無いのかもしれない。女子だし。当てるのは得意だろうが、何とか詰まらせて、どこかの塁でアウトを取りたい。ランナー2塁3塁。フォースアウトにできるのは1塁のみ。身長が高いし、内角低めで引っ掛けてくれれば助かる――。あの胸が邪魔して内角低めは苦手かもしれない。
――カキィン!!
鋭い振り。女子とは思えない速度。
いや、女子のスイングを間近で見るのは初めてだけど。ああでも、彼女は僕よりも背が高いか。鍛えてたら僕よりも力が強いのかもな。完全に振り切った、長打を狙うためのスイングに飛ばされた打球は……ライトスタンドに届いた。
『――いやったぁ――!!山崎先輩、やりましたぁ!!』
清水さんが嬉々としてベースを回っていく。ちょっとスキップしていた。かわいい。
その後はもう散々だった。
弘高の誰も彼もが長打を狙いだし、飛べば打球速度の速いライナー性の打球か外野フライ。打ちそこないを捕ってアウトにできたものの、再び満塁になった時は冷や汗ものだった。結局、1回表だけで8点の失点。
裏の攻撃は全く振るわず、出塁するも得点には繋がらず。清水さんのピッチングは特別に球速の速いものでは無かったけれど、長身の左投手というだけで僕らには厳しい。
清水さんは3回表で交代して、裏からは控えの1年投手が出てきたけれど、こっちはこっちで変化球を多用して(まだ1年生なのにだ)まともに打たせてもらえなかった。試合を通して打たれたホームランは2本だったけど、誰も彼もが長打狙いのスイングを試していたような気がする。弘前の守備でエラーは出なかったけど、カバー等の連係がまだ上手くできていなかったようで、少しは得点できた。
『――礼!!』
『『『ありがとうございました――!!!!』』』
試合結果、【弘前 18-3 大沢木】で、5回コールド。
無得点でなかっただけ、よくやった方だと思う。結局、控えの2年生3年生は一人も出てこなかったけど。
さすがに空気を読んだのか、僕への取材が無かった事だけが救いだった。
※※※※※※※※※※※※
学校に戻り、部室で落ち着いた後。
――僕はここ最近の『怪しげな差し入れ』に入っていた、『弘高1年生のデータ』という資料を見返していた。
◆新入部員歓迎会で見せた運動能力(実力に関する推察)
◆各新入部員の中学軟式野球時代の成績(公式記録の無い選手がほとんど)
◆ゴールデンウィークの強化合宿(日中は行方不明)後での紅白戦での運動能力
◆その後の練習試合等からの成績、得意不得意に関する資料、推測
今日の試合結果からすれば、比較対象が大沢木高校だから良く分からない……と。他の高校の生徒ならば言うかもしれない。だが、当の本人である僕らは違う。資料を見比べて、そして体験した結果に、感じた事。言えることがある。
――去年の弘前高校も、こんな感じだった。そして入部当時の彼ら……今年の1年生は、入学当時は本当に、僕らと大差ない実力だったに違いない、と。
去年の僕は3年生の試合を見守るベンチ要員だった。けれど間近で彼らと先輩達との試合を見ていた。練習試合で、そして去年の夏の1回戦で。練習試合を決めてきた監督も、過去の戦績等を調べていた先輩達も言っていた。『弘前高校野球部は、ウチと同じくらいの実力だと思っていた』と。
弘高野球部の変化点は明白だ。去年の弘前1年生、KYコンビの入部で間違いない。彼らが平塚監督の下で他の部員を指導するトレーナーとなり、弘高野球部を変えたのだ。
今日の試合の1年生は、僕らより遥かに上の実力者だった。足腰が強い。ボールがよく見えている。強い打球にも恐れを抱かない。守備の際のエラーが無い。バットスイングの速度が速い。スイングに迷いがなく、思い切り振りぬいている。
腕力どうこう、反射神経どうこうという細かい所はわからない。なぜ、彼らがこの短期間で実力を上げたのか、その根本の部分、その練習方法、何をどう教育されているのかは分からない。詳細な情報は完全に不明だ。だが、分かっている事が一つだけある。
――――やりようによっては、僕らも弘高野球部に、近づける。そういう事だ。
もちろん簡単じゃないだろう。今や弘前高校は地元ファンの多大な支援を得て、専用グラウンドを始め、潤沢な設備を使用できているからだ。現在の環境は僕らと大きく違う。……だが、去年の弘前高校は、僕らと大差のない環境だったはずだ。設備の違いは……ピッチングマシンを父兄の寄付で手に入れた、という事か(どこかの資料に書いてあった)。だが、それだけ。グラウンドの広さも使用条件も大差ない。
この試合までの間、やれる事はやってきた、と思っていた。だが、思い知った。
練習方法も、もっと効率的な方法がある。僕らが知らないだけだ。守備や打撃の考え方についても、もっと勉強すべき点がある。僕らが知らないだけだ。身体づくり、体力づくりに関しても、まだ知らない事がたくさんあるはず。
彼らはまず、足りない環境でどうすれば強くなれるのか、『考える』事を徹底して、それを実践する事で進化したのだろう。あの平塚監督が、いつか選手が揃った時のために、日々研究して温めていたプランを実行したのか……。彼らと僕らの大きな違いは、きっとそこにある。
――試合前は何となくモヤモヤしていたが、今は目の前の霧が晴れた気分だ。
試合が終わった後に悟りを得ても、もう時間は戻せない。
……しかし、大沢木高校野球部が無くなったわけじゃない。僕らの野球部は2年と1年を合わせて18人いる。まず秋季大会があるし、来年もある。弘前高校の超高校級選手は、今のところKYコンビの2人だけ。彼らが在学中は正直勝てる気がしないけど――来年の秋以降なら、リベンジの機会はある。今日やられた弘高1年生、彼らに追いつく事は不可能ではないはず。素材に大した違いは無いのだ。
「もっと野球理論を、効率的なトレーニング方法を勉強しよう。……特に打撃を。早い引退だったけど、秋以降を戦う後輩のためにできることは、沢山あるはずだ」
試合中、ずっと腕を組んで試合を見ていた、弘前ベンチの『知将』にして『名将』とも呼ばれる、平塚監督の姿が脳裏を過ぎる。
――解答は示した。条件を推測し、過程を再現してみなさい。
平塚監督の声が聞こえてくるような気がした。KYコンビの入部という、舞い込んだチャンスを逃さず、弘高野球部を県下屈指の……いや、全国屈指の強豪チームへと進化させた、あの知将の声が。これは――平塚監督から僕らへの、宿題なのだろうか。
「……そういえば、平塚監督は数学教師だっけ」
まさか。他校の僕らも間接的に教育しようというのだろうか。一部の学校以外は特に目立つところのない、この県の高校野球レベルを……底上げするために?
目指すべきは、弘前高校野球部。KYコンビ以外の部員のような成長を……それが可能であるという事は、すでに今日の試合内容で証明されている。いや、すでに去年の夏から始まっていたのか。だとすれば、恐るべき深慮遠謀だ。これが知将・平塚監督か。そしてこの策に込められた願い、想いは、どれほどの情熱なのだろうか。
……これからは、『打倒・弘前』を目標に掲げよう。かつての彼らに出来た事だ。きっと僕らにも……僕らの野球部にも、できる日がくるはず。謎の情報源から集めた資料に加えて、僕ら引退する3年生が集める資料、育成プランを次の世代に引き継ごうと、そう思う。
「……平塚監督に教えを乞えれば最高なんだけど……できれば、合同練習をお願いするとか……ダメでもともと、先生を通して頼んでみるか。県下の公立高校つながりで何とか」
なんというか。
この試合で自分の高校野球も最後なんだなあ、と思っていたけれど。野球部の先輩として、後輩のために出来ることは色々ありそうだ。これも結構楽しい気がする。後輩が勝てるようにするために、色々考えてプランを練る。まるでプロデューサーのような、監督のような気分だ。
「……そう言えば、資料の中に『平塚監督はノック等の実作業を含めたコーチングは苦手な策士タイプ』みたいな事が書いてあったな……あの平塚監督も、こういうのが楽しいのかな」
なるほどなあ、と。また一つ悟りを得た気分になる。
自分が活躍できなくても、仲間の力にはなれる。3年間しかない高校野球の世界だけど、次の世代に夢を託す事もできる。自分たちよりも強くなってもらう事もできる。負けた事、弱かった事からも学び、生かす事は掴める。あの平塚監督だって、生徒の助けがあったからこそ現在の弘高野球部を作れたんだ。僕が後輩を助ける事で、きっと大沢木高校野球部は強くなれるに違いない。フォア・ザ・チーム。それが野球だ。
「――よし、【 打倒、弘前高校 】これをウチの野球部のスローガンにしよう。なあに、野望はでかい方がやりがいがあるって、よく大人が言ってるしな!!」
これを聞いた後輩の『うわぁ』という表情を想像して。
そしていつの日か、弘高野球部にリベンジする日を想像して。
ニヤニヤしながら――資料を漁り始める僕だった。
想いを後輩に託す先輩の姿。
色々と盛って託すのが先輩のささやかな楽しみな場合もあります。「伝統」が世代を経るごとに増えたりするやつも、そういう感じじゃないでしょうか。そして言葉にしない想いを受け取り、影響を受けて若者は成長してゆくのです。さすが平塚監督。
――日本人の美徳は、『察しと思いやり』だって、偉いお姉さんが言ってた――
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