84 罪なき1年生
責任はワシが取る。存分にやれ。
――清水 良子。
弘前高校野球部1年生。身長180センチちょい、左投げ左打ち。
弘高野球部では2人しかいない女子選手のうちの1人であり、1年生の中では最も身長の高い部員であり、その突き出た胸部のボリュームはマネージャーを含めた1年女子の中では最強かつ、野球部の女子の中でも2番手につけるほどの強者である。
目鼻立ちも整っており、これで所属が陸上部で肌色面積の広い陸上競技試合用ユニフォームでも着ていれば、その容姿だけで男性観客を集客できる事は想像に難くない。そんな彼女が世にも珍しい打撃フォームで立っていれば、肌色面積の少ない野球ユニフォームを着ていたとしてもインパクトは充分。観客の歓声を浴びるのは当然とも言える。
そんな清水の姿を見ながら、同期である芹沢 純一は、つい2日前のファミレス会議の事を思い出していた。『試合前日までに話し合って打順を決めておくように』との通達があった日の夜。1年生部員だけで行った会議の事を。
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――時は少し、さかのぼって。
弘前高校から、さほど遠くない位置にあるファミリーレストラン『ボーノ』の店内。いちばん広い角のテーブルを2面占領した弘高野球部1年生(選手)軍団は、一枚の紙を前にして押し黙っていた。
「……さて、どうしましょうか」
独り言のような安藤の言葉を聞いても、誰もが口を閉ざしたままだ。
「実質、今日明日中に決めておけ、という事なんですけどね」
それも全員が理解している事だ。試合は週末、土曜日の午後。今日は木曜日だからだ。
「……正直、打順も作戦も、好きにやっていい、と言われるとは……」
「責任が重い」「これも試練か」
てっきり普通に背番号一桁台の先輩からスタメンになると思っていたし、打順も作戦も監督か監督の意向を受けた主将が決めると思っていた。なぜこうなってしまったのか、と。一同の前にあるのは清書前の打順表。監督に提出するための用紙である。無論まだ未記入のままだ。
うーむ。と、唸りつつも紙を睨んで動かない一同。……しばらくの沈黙の後、一人が動き、口を開いた。清水 良子だ。
「――ねえ皆、もしかして……私達全員、少し『勘違い』をしているんじゃ、ないかしら」
「「「……どういう事なんだ清水」」」
一同そろって清水の方向に顔を向ける。
「私達、『勝てるように』考えて、打順を組んで、作戦を立てておけ――と、そう言われたものだと、思い込んでいたんじゃない?」
「違うのか?普通はそうだろ?」「試合だもんな」「実力テストみたいなもんだろ?」
清水の言葉に、中島、田辺、山本が答える。
「――安藤くん。監督が最後に一言、言っていたわよね。憶えてる?」
「……はい。確か……『責任は私が取る。好きにやれ』……と。なるほど……」
得心がいった、とばかりに頷く安藤。電球頭が照明の光を反射する。
「ただ単に勝ちたいだけなら、普通に上級生を軸にスタメンを組めばいいだけよ。山崎先輩達が何度となく繰り返し、平塚監督が初日から口にしている事。思い出してみて」
「「「……野球を、『楽しもう』……」」」
一同が、ハッとした顔つきになった。悟りを一つ得たものの顔だった。
「試合に勝ちたいと思うのは、野球をより楽しむため。でも、それは『楽しむための手段』であって、目的そのものじゃ、ない。むしろ今回の『課題』は、『楽しくプレーする』という目的のための自由な方針を決めよ、という事じゃないかしら?」
清水は一言一言、かみ砕くように言う。
「つまり我々は、監督の言葉を……メッセージの意味を、勘違いしていたという事です。より上へと勝ち抜くのに情熱を注ぐのは、より大きな喜びのためではありますが、負けた瞬間にすべてが無意味になるような意識でのプレーは、弘高スタイルではない、という事ですね。我々はまだ、修行が足りないようです」
そう言いつつ、深く頷く安藤。
「つまり、俺たちがより『面白い』と思えるように打線を組め、って事か……」
「山崎先輩も言ってたな。『俺たちがエンターテイナーだ』って」
「どうやったら盛り上がるか、って事か?」
「俺たちがまず第一に面白がれるように、って事だぜ」
「あれか。文化祭の出し物の企画みたいなもんだな」
「よく考えりゃ、危なくなったら先輩たちが出てくるだけだしな……」
「スタートから飛ばさないと、もったいねーな」
「とりあえず俺は先発じゃないから、交代イニング早めにして欲しいかな……」
それぞれが思ったことを口に出し、議長のいない1年生会議が動き出す。
と。その瞬間。またも清水が動いた。
スッと手を伸ばし、打順表を手に取ると【1番】の欄に、自分の名前を書き込む。
「1番打者もらったわ」
「「「なにしやがんだ!!!!」」」
ほとんど全員がツッコミを入れる。ぽいっとテーブル中央へ放られた打順表の一番上には、『清水 良子』の名前がサインペンで書きこまれていた。
「コイツ……ボールペンならまだしも、サインペンで書きやがった……」
「なにげに筆圧高い」「裏写り寸前じゃねーか」
あちこちから『げええ』『うわあ』などという声が上がる。
「では、私は2番で」
きゅぽん。という音を立てて安藤が筆ペンのキャップを外すと、2番打者の位置にスラスラと自分の名前を書き込む。見事な楷書だ。あまりに自然な動作だったためか、紙がテーブル中央に戻されるまで、誰も動く事ができなかった。
「……え……普通に筆ペン持ち歩いてんの……?」
「いや、それより早い者勝ちみたいな感じになってるじゃねーか」
「「そんなんでいいの?そんなんでいいのか?!」」
一斉に騒めき出す一同。議長がいない会議ゆえの混乱とでも言うべきか。
「私は足も速いほうだし、左打者だし、1番打者としては妥当でしょ?それに自分の打順でやりたい事も色々あるし。打席が多い方が楽しいもの。やりたい事があって、相応に自信のある者が立候補するのは、別におかしくないでしょ?」
「私はバントもそれなりに出来るようになってきた自信がありますし、柔軟に打って、清水さんを得点圏に進めてみせましょう。任せておいてください」
何も悪びれず、自己アピールする2人。うまく反論できずに黙り込む一同。
「どうせホームランバッターなんて居ないんだし、誰がどこに入っても、そんなに大差ないでしょ?むしろ『自分がここに入りたい』とか『自分がここで目立ってやる!!盛り上げてやる!!』みたいな意気を見せるべきなんじゃない?」
「監督の言葉を思い出して下さい。『好きにやれ。責任は私が取る』――と。我らはこの件に関して『一切の責任を持たなくて良い自由裁量』を任されたのです。我々は自由に、面白く、楽しんで好きにすれば良いのです。――監督の責任において、我らは自由を与えられた。我らに罪無し――むしろここで結果を気にして気兼ねする方がおかしいのです。やりたい事があれば自由にやればよろしい。特にやりたい事が無くとも、状況を判断して最良の方法を取捨選択する方法は、座学とケーススタディの練習で学んだでしょう?悔いの無いよう、全力を出せば良いだけです。我々の打順希望は、ただのきっかけですよ。さ、皆さんもどうぞどうぞ」
一同は、清水と安藤の言葉を聞き――お互いに視線を交わす。
次の瞬間、打順表へと一斉に手が伸ばされた。
「俺3番!!」「俺6番な!!」「俺は……7番で」
「ちょっ!!ちょっと待って紙くれ紙」「俺が先だよ」「俺だよ!!」
「俺は控えだから」「余裕かよ」
わずかな喧噪の後、ほぼその場の勢いによって打順が決まった。
ちなみに松野キャプテンは5番に指定しておいた。先代のキャプテンも5番だったはずだから、これでよかろうという判断である。
その後は安いメニューを頼んで食べながら、『チームとして何かやってみたい事』とか『憧れのある攻撃シフト』みたいなものについて意見交換し合い、ルーズリーフに書き出す事で会議は進んだ。どうせ実戦経験の少ない自分達だから、どこかのタイミングで上級生と次々入れ替わるだろうから、破綻して総入れ替えとかになる前に、やりたい事は可能な限りやっておこう、という方針となったのだ。
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(……その結果、その場の勢いで、俺が4番打者に決まったんだけど……)
芹沢は、壁のルーズリーフをチラリと見る。ルーズリーフの真ん中くらいに
【4番がタイムリーヒットを打って次につなぐ】
という項目が見えた。やりたい事、というよりは『見てみたいシチュエーション』というべき項目なので、今見ると何だかおかしく感じるのだが、当時はすごくいいアイデアな気がしていたものだ。なぜだろうか。中には『キャプテンがホームランでランナーを一掃する』とかいう項目もあるが、さすがにKYコンビでもない限り無理な気がする。
――しかし、やる事は単純だと、芹沢は思考を切り替える。単純にヒットを打ち、出塁すればいいのだ。今までの弘高野球部の練習を通して「無駄に悩まず気楽に構えるべし」という事を学んだ芹沢は、1番打者の清水の様子を見守るのだった。
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清水が、一本足打法の構えで立っている。大沢木のピッチャーは戸惑いながらもサインに頷き、第1球を投げた。外角低めを狙った速球――とはいえ、1年生が最近になって使用を解禁された、【未完の最終兵器・改】ほどでは無い。迫るボールにタイミングを合わせて――
――コン!!
小さな音を立てて、ボールが3塁方向へと転がる。
『『『セーフティかよ――!!』』』
「「打たんのかい」」
観客が揃って声を上げる。俺たち上級生も同時にツッコミを入れてしまった。
いかにも打ちそうな雰囲気と独特の打撃フォームからのセーフティバント。全く予想していなかった大沢木の内野陣は処理に手間取り、清水は悠々と1塁を駆け抜ける。余裕のセーフだ。弘前ベンチの1年からは「やったあ」「ウケた――」との声が上がり、壁の予定表にチェックを入れている奴がいた。
『御願い致します』
ランナー1塁で、2番打者の安藤が打席に入る。すぐさまバントの構え。
『送りバント……だと』『弘前高校が、打撃以外を……』
『セーフティといい、これは……』『連携プレーを仕込んできたのか……』
ざわめく観客。だが、もう罵声は飛んできていない。
しかし送りバントで驚かれるウチの学校の対外評価は、いったいどうなっているのか。確かにバント練習はほとんどやっていない、のだけれど。
そう思っている間にも、牽制をはさんで安藤へとボールが投げられる。
――キン!!
『『『プッシュだ――!!』』』
「安藤、バントうまいな」「頭抜けて隙間に入った」
バント処理のために飛び出したサードの頭を越して、上手に3塁方向へと飛び、転がる打球。ショートがカバーに入るのが遅れ、2塁1塁ともにセーフ。
『おねがいしまーす』
3番打者の中島がバッターボックスに入る。
ランナー1塁2塁。うまく打てば1点は固い。犠牲フライでも場所が良ければ清水は3塁まで行ける。5番の松野キャプテンまで回れば、ツーアウトの状況でも得点の可能性は非常に高くなる……先制点の期待は高いな。
――キィン!!
特に何のひねりも無い普通の打撃……という言い方は悪いのだろうが、ベースカバーの関係で少し空いた内野守備の隙間から、ライト手前まで転がるシングルヒット。打球の速度が速すぎなかったため、どこもアウトにならず、清水も3塁で停止。ノーアウト満塁で、4番の芹沢の出番だ。
『お願いします!!』
芹沢くん。4番サード。どこかで聞いたようなフレーズだ。それはそうと、1年生で一番背が低くパワーも控えめな彼を4番に起用するとか、どういう判断なのだろうか。守備位置がサードという理由じゃあるまいな。
『あいつが4番?!背ぇ低いな!!』『待て。意外に打つかもしれん』
「「「せーりざわ!!せーりざわ!!」」」
どっちの観客席も、けっこう盛り上がってきたみたいだ。かなりの音量になってきた。俺はチラリと『計画表』を見た後、「チャンスだぞー!!」と叫ぶ1年生達を見る。双方の観客が見守る中、芹沢に第1投が投げられた。
キィン!!
打球はレフト手前。落球が確実になると判断した瞬間、全ランナーがダッシュ。位置が微妙だったためホームに帰ってきたのは清水だけだったが、またもノーアウトで満塁。5番、松野キャプテンが無死満塁という絶好の舞台でバッターボックスに入る。
『盛り上げすぎだろ』
松野キャプテンがボソッと言いながら、バッターボックスへと歩いていったが、確かに俺もそう思う。
とりあえず松野キャプテンは変に引っ掛けてアウトになる事もなく、ちゃんと2塁打を打って打点2を入れた。良かったと思います。
※※※※※※※※※※※※
「一巡しちゃったなあ」
「ツーアウトだけどな」
竹中の言葉に答える俺。松野キャプテン以外の上級生は、観戦モードでのんびりだ。バッターボックスに歩いて行く清水を見送っている。
正直なところ、山崎みたいな反則級の戦闘ユニットが組み込まれていない状況で、ここまで打線が繋がるとは思ってなかった。確かに大沢木は去年の俺たちでも練習試合で5回コールド、若干手加減した夏の県予選でも5回コールドで沈んでもらっていた。去年と同程度の実力だ……という情報通り、あまり投手能力も守備能力も向上していない。バント処理も上手くないし、守備もエラーが多い。しかし、なんというか、このままでは……
「まさかの5回コールドも有り得るか」
「相手は大沢木だしな」
まだ1回表なのに、もう5点入ってるしな。現状はツーアウト2塁3塁。シングルヒットでも追加点が入ってしまう。
『お願いします』
バッターボックスに入ると、やはり一本足打法の構えを取る清水。
「ところで北島、あの変な一本足?フォームって、何かいい事あるの?」
「あれは見た通り、最初のテイクバック動作の一部を省略してるんだよ。タイミング取るのが苦手な打者の打率改善には、それなりに有効なんだ。軸足が相当しっかりしてないと向いてないし、今は振り子打法とかの方が主流だけど」
ほおー、と。気のないリアクションを返す竹中。
清水は女子だ。筋力の総量は男子に著しく劣っている。が、それはあくまでも、同程度の体格の男子を比較対象とした場合だ。彼女は身長が180センチを超えているし、入学から今までのトレーニングによって、かなり筋力も上昇している。身長が170センチ前後の男子と比べても、けっこう勝負になるはずだ。
そしてスイングのパワーの大半は、下半身の強さ、筋力と、胴体のねじりの力が大きく関わる。下半身の筋力は、男子も女子も上半身ほど差がないし、もともと下半身の作りがしっかりしていて腰回りの柔軟性も高い彼女であれば。
入学よりこちらの訓練で鍛えられた現在は、充分なバットスイング速度が出せる。つまり清水は、並みの男子よりも飛ぶスイングを繰り出せても不思議ではないのだ。清水に一本足打法を仕込んだ山崎は、こう言っていた。
『――必殺技には、ロマンがあるわよね。役に立つかどうかはともかくとして』
違った。これじゃない。
『――できると信じる事、それが力を十全に引き出すカギになるものよ』
こっちだ。彼女が一本足打法を身に着けた自分を信じる事。それが肝心だ。現に彼女は、あの打法を身に着けてから、手打ちではない打撃ができるようになっていたはず。
『――まあ、引き出しの中に何も入ってなきゃ意味ないけど』
余計な事を言うんじゃねえよ、俺の記憶の山崎め。台無しだろうが。
などと脳内ツッコミを入れているうちに。ピッチャーがボールを投げる。
――カキィン!!
『『飛んだ!!』』『『でかいぞ!!』』
「こいつは――」
「振り切ったな……。ここからは、長打狙いの宿題を消化、か?」
ベンチの皆も、バッターボックスの清水も、打球の行方を見ていた。
……確か、あのルーズリーフには、こんな項目があったな。
【全員が打点を入れる】
【全員がホームを踏む】
【ホームランを打つ】
とかいうやつ。
清水の打球は、ライトスタンドへと飛び込んでいた。
『――いやった――!!山崎先輩、やりましたぁ!!』
『えぇ…………』
やったやったと、はしゃぎながらベースを回る清水。
そして長身ではあるものの、女子選手に打球をスタンドへと放り込まれたピッチャーが、茫然としてライトスタンドを見続けていた。
『バカな……本塁打だと……』『あの女子、足だけじゃなかったのか……』
『データには無い飛距離だぞ?!』『そもそもあの打法が初見だろ』
『素質があったという事か……?』『これが、平塚監督の育成マジックか』
『そうか……これが、去年の弘前だったんだな……』
観客席が騒然としていた。
記者らしき人を含め、カメラで清水を追う人が多数。おそらく最新の県内高校野球ニュースの記事の一角に載る事だろう。後で――いじめられなきゃいいけどな、山崎に。
そして俺は確信する。
この試合、上級生の出番は無いなぁ、と。よっぽどボコボコに打たれない限り、打点の差で「松野キャプテンと1年生チーム」の勝利となるだろう。予想以上に仕上がってしまった1年生の活躍で、初戦は突破だと思います。
などと考えていると、後ろの方から平塚先生の『んん――』という唸り声が聞こえた。そして清水がベンチに戻ってきて仲間達とハイタッチをしていく。
「平塚監督の株がまた上がりそうだよな」
「ストップ高で取引中止じゃなかったっけ?」
竹中と俺が雑談をしている間にも、カキィンと金属バットの打撃音が響いてボールが外野へ飛んでいく。
当分1年生の調子は良さそうだ。今のうちに記者へのインタビュー回答を用意しておいた方がいいかもしれません、平塚先生。
ワシが責任を取る……って言ってくれるボス、なかなかいないのが現代社会。キャー平塚監督ステキ―!!
責任の取り方は人それぞれですが。
ノートPCをWin10入ってるやつ(今回も中古)に変更して最初の投稿です。どうせこのノートで資料作成なんかするつもりないので、店で売ってた一番安いWord互換ソフト買って入れたのですが、ところどころ使い勝手が違うのに戸惑ったり、変換窓が変換中の文字の真上に出てくる仕様に慣れるまでキレかかったりしましたが、どうにか原稿仕上がりました。あとテンキーがついてないので微妙に数字打ちとか面倒になりましたが(スコアボード記述が前より面倒になった)。
でもPCの処理能力が高くなったので文章編集の総合的な使い勝手は良くなったかと思います。投稿画面での編集作業が断然速くなりました。あとは慣れかと。
誤字報告機能の活用をしていただけるユーザーデバッガーの方には毎度お世話になっております。いつの日か、あまり手間をかけないようにしたいものです。とりあえず今後ともよろしくお願いいたします。更新速度は不安定ですが、ゆっくりとした気分でお付き合いくださると有難いです。




