63 飛ぶ白球
神風が吹けば。
『ホームラン競争』
プロ野球のオールスターゲームの試合前に行われる、規定時間内に何本のホームランを打てるか、という余興だ。メジャーリーグでは前夜祭として行われる余興である。
もちろん山崎の言う『ホームラン競争』は、プロのホームラン競争と同じものではない。おそらくは『ホームランの本数で大場高校と競おうじゃないか』という意味合いのものだ。であれば、山崎と俺の2人だけでなく、他のチームメンバーにも本塁打を希望する、という事だろうが……山崎と俺、それ以外の弘高野球部員で公式戦の本塁打を経験しているのは、山田キャプテンくらいしかいない。
「さて皆さん。私達は、今、何を目標としてここにいるのかな?」
山崎がホームラン競争とは関係の無さそうな事を語りだした。
「夏大会を制覇して、真紅の大優勝旗を勝ち取るため?いやいや、そんなの最初の目標としても、今現在の目標としても本気で考えてないわよね?だってあたし達、夏の甲子園の本戦に参加するのが目標だったし、さすがにそこまで欲をかくほど地力もないし」
「ああまあ、そりゃそうだが」
「応援団には言えないが、さすがにそこまではなぁ」
いつ負けてもおかしくないから、全力を出すけれど、のびのびやろう。そんな雰囲気でいつもプレーしているのが弘高野球部のいいところだ。勝ちを意識しすぎて緊張しても意味無いしなぁ、と。仲間のそんな言葉を聞きながら、山崎は続ける。
「甲子園でプレイできれば、目標は達成できているのが弘前高校野球部。となれば、今現在の目標というか目的は、全国大会という舞台での試合を『楽しむため』にプレーする、という事じゃないかしら?『今、この時しか楽しめないプレイを、全力で行う』という事。全国大会でもないと出会えないチームと、思いっきり。そういう事よね」
確かにその通りだ。ただでさえ予算の少ない弘前高校野球部。県外遠征なんてできる訳もない。今後だってどうなるか分かったもんじゃないしな。全国レベルの強豪校との試合なんて、二度とないかもしれないわけだ。まぁ、当座は予算も潤沢な気がするが。
「だったらさ、ホームラン打っていこうよ」
「なぜそうなる」
話が飛んだぞ。それこそ本塁打レベルで。
「そりゃ、『今この時、この甲子園でしか出来ない刹那的な最高の楽しみ』が、『ホームランを打つ事』に他ならないからよ」
そこんとこ詳しく、という視線を受けて、山崎が続ける。例の、悪辣で嫌らしい魔女のような笑みを浮かべて。
「大場高校の2番の打球、あれは本来ならライト中間のイージーフライよね。それが実際には、ライトスタンド中央へ飛び込んだ」
山崎の言葉を聞いて、さっきの2番の打撃を思い出す。確かに、それほど強い当たりというわけではなかった気がする。
「7番の打球はもっとおかしい。あれはライト前、というか、下手するとセカンドの守備範囲で捕れちゃうようなフライだった。ただ、高さだけは充分にあった。いつもだったら浜風で吹かれてセンター前に落ちてたかも。でも、吸い込まれるように……それこそ、2段階で加速するというか、排水口に吸い込まれるゴミみたいに、急に加速してライトスタンドへギリギリ届いてホームランよ」
……確かに、曲がったと思ったら急に加速したよな。排水口とかゴミみたいとか表現が悪い気がするけど。皆の目が真剣さを帯びてきたのを確認して、山崎は続ける。
「今、この時。甲子園球場には、ただのライトフライがホームランになっちゃうボーナスゾーンが発生してるのよ。別にセンターとライトの中間でもいいけど、レフト方向以外なら、打ち上げれば勝手に甲子園の妖精がボールを運んでくれるって訳よ。ね?ホームラン狙い以外、今現在のあたし達に優先すべき事なんてあると思う?ないでしょ?!」
山崎の目が邪悪さを増した気がする。山崎は畳み掛ける。
「甲子園の本選が始まる前にも話したけど、あたし達の夏大会での主目的は、【 見せ場を作る 】って事だったでしょ?今なら打てるのよ?!ホームランが!!今までホームランを打った事のない人でも、比較的簡単にね。それも、この、『甲子園』でよ?!こんな一生ものの思い出を生み出す御膳立てができてて、他の事なんてする意味ある?無いわよね、全然!!今この弘高野球部は、甲子園でホームランを打つためだけに存在している!!」
山崎の熱のこもった言葉に、皆の喉がゴクリと鳴る。
「弘前高校の打線は、あたしと悟、次点で山田キャプテン。この3人を除けば、外野奥まで飛ばす打球は、ほとんど打ったためしが無い。純粋にパワー不足。でも、ミート打撃はこの夏大会に参加した学校の中でも、上位に入るほど上手い。これはあたしが保証するわ。さっきの攻撃でホームランを5本打った、大場高校よりも上よ」
皆の目の色が変わってきた。
「いつもの打撃の基準で言えば、打つのはセンターからライト方向への、犠牲フライよ。少しタメて、打ち上げる事だけを考えればいい。初見のピッチャーの投球に適応するために、あたしがサイン無しで投げまくった打撃練習、未完の最終兵器の容赦ない暴投でも打ち返す打撃練習を思い起こせば、なんて事ないでしょ?」
ここで若干、苦い表情を浮かべつつも、うなずく皆。人間の高校生投手とは違い、躊躇なく体に当てに来る、未完の最終兵器のビーンボールを思い出したのかも知れない。
「加えて言えば、アレよ。今、投球練習を開始した、大場高校の先発投手」
山崎の視線に連れて、マウンドを見る仲間達。
「左投げの小森くん。右打者がライトに打ち上げるには、格好の獲物でしょ?内角に来るにせよ外角に来るにせよ、左のサイドスロー投手のボールなんて、引き付けて打てば勝手にライトへ上がっちゃう。普段ならイージーフライを打たせて捕るような投球でも、今日のこの時に限って言えば、鴨がネギしょってウロついてるようなもんよ」
いひひひひ、と。またもや嫌らしい笑い声を上げる山崎。
「甲子園の妖精がイタズラをしてると知ってたら、風が弱くなるまでは右投げの投手で内角をひたすら突くような投球もできたんでしょうけどねぇ……運が無いというか。ひひっ」
山崎、皆に向き直る。邪悪さを漲らせた満面の笑顔で。
「天井の無い青空球場では、風を利用するのは当たり前。甲子園をホームにするプロ球団の選手でも、浜風に乗せてレフトへ流し打ちをするのが得意なホームランバッターがいたそうだし。そもそも環境なんて、対戦チームも同条件なんですもの。卑怯でも、なんでもないわ。ただ、得意不得意の差が出てくるだけよ。……でもまぁ、『後攻有利』って言葉、今この試合のあたし達に限って言えば、ピッタリはまったかもね。だって、先攻の大場高校が、【 とってもいいお手本 】を見せてくれたんですもの!!あたし達は、あの2番と7番の打撃をマネして、より洗練した打ち上げを行えばいいってわけよ!!」
そして山崎はニタリと笑い、こう続けた。
「もちろん、これが机上の空論では無い事を、これからあたしが証明してみせます。あたしはこれからライトへホームランを打つ。それも、今までの中でも特大の飛距離のやつを」
ふひひひひ。と小さく笑いつつ、山崎はバットを持ってベンチを出て行った。
大場高校の投球練習が終わる。
そして甲子園の妖精の化身、あるいは欲望の切り込み隊長とも言うべき弘前高校の先頭打者、山崎が、バッターボックスへと立つ。
「お願いしまーすっ!!」
うひひ。という声が聞こえてきそうな、少し浮かれた声色の挨拶とともにボックスに入った山崎は、いつものように柔らかい構えでボックス中央に立ち、第1投を待った。少し時間をかけたサインのやり取りの後に、ピッチャーが振りかぶる。
「今までの中でも、特大の飛距離か……」
「うちの県の県営球場で、確か場外に飛ばした事あったよな、あいつ……」
「……となると、ライトスタンド奥か、もしかして……」
甲子園の両翼までの距離は、規定どおりに作られている、うちの県の県営球場とほぼ同じだ。しかし外野フェンスは甲子園球場の方が高いし、外野席の高さと広さは比較にならないほど甲子園の方が広い。甲子園球場は全国の球場でもトップクラスに収容人数が多い球場なのだ。その外野席のどこまで飛ばすのか。それとも、あるいは。
――キィン!!!!
外角を余裕で外れたボール球を、山崎がすくい上げるようにして打った。打球はライト方向へと、高く、高く上がって――――
※※※※※※※※※※※※※※※
【 国営放送 実況席 】
「――上がった!!山崎選手の初球打ち炸裂!!ボールはライトへ高く上がる!!これは間違いなく入った――――!!飛距離も方向も充分!!……いや、これは……!!」
「……場外弾だ!!しかも……今の見ましたか?!外野照明の上を飛んでいきましたよ!!私の見間違いじゃないですよね?!」
「再生でますよ……!!間違いなく、ライトスタンドの照明の上です!!あのボール、どこまで飛んでいったんですかね……」
「こりゃ、球場史に残る長距離弾の発生じゃないですかね」
「……今日の風の影響ですか?」
「間違いなくそうでしょう。こりゃ、この風が吹いている間は恐ろしい事になりますよ」
「青空球場ならでは、ですね」
「甲子園は普段から風の影響が出る球場ですが……これは、新しい魔物の登場と言ってもいいかもしれませんね……とんでもない事になりますよ。まだ1回裏なんですから」
※※※※※※※※※※※※※※※
「やりやがった」「間違いなく球場記録を塗り替えたぞ」「計測不能だろうな」
ベースを悠々と回る山崎を眺めつつ、弘高部員が口々につぶやく。そして皆、台風一過で雲ひとつ無い甲子園の青空に、真夏の妖精の姿を幻視した。高らかに笑う、甲子園の魔物の姿を。その魔物の顔は、白いホッケーマスクに覆われていた。
「――どうよ!!いつになく飛んだでしょー!!」
特大場外弾を打った山崎がベンチに戻ってきた。真夏の妖精の化身の帰還である。
「ボーナスタイムはまだまだよ!!さー、ばんばん打っていこーか!!」
「「「「……おおお!!」」」」
予告通りに放たれた超特大の場外弾に、こりゃ自分もいけるかも、と。弘高野球部員の気勢が上がる。そんな部員が見守る中、第2打者の竹中がバッターボックスに入り、投げられたボールに対してバットを合わせて振るった。
パキィン!!
「……あれっ?!」「ああ――」「あああああ」
明らかに変な音と当たり。
狙い通りにライト方向へと打ち上げたものの、どう考えても飛距離が足りない。確かに高さだけは出ているが、勢いがまったくないというか、こりゃどう見てもライト前に落ちるボールだ。さすがに現実はそんなに甘くないなぁ……
――――と、思った次の瞬間。
ボールは何かの力に巻き込まれるようにして勢いよく動き出し、慌ててボールを追うライトの上を、ゆっくりと落下して。ライトのフェンスの真上で跳ね、スタンドに入った。
「えっ?!入った?!」「フェンスで跳ねたけど、あれオッケーなの?」
「確か、フェンスが守備境界だから、フェンスの上で跳ねて入れば本塁打……」
「うそ?!あんなのでも入っちゃうの?!」「マジか……」
口々に驚きの声を上げる3塁ベンチの仲間達。
――――ハハハハハハハハ
俺達は、青空に笑う何者かの笑い声を聞いた気がした。たぶん幻聴だと思うのだが。
しかし少なくとも、今現在の甲子園上空には、ライト流し打ちに都合の良すぎる強風が吹いている事だけは現実だ。そして、弘高ナインは確信する。
【 今なら いける 】と。
それが夏の妖精のイタズラだろうと、甲子園に新しく追加された魔物の仕業だろうと、細かい事情なんかどうでもいいのだ。とにかく今なら、いつもの調子で少しだけ上手くやれば。この全国大会の舞台で、ホームランの記録を残せるのだ。全国放送のオマケつきで、だ。
「ヒィアーッハー!!」
なんか変な声を上げながら、竹中がホームベースを踏んで帰ってきた。
「ヒャッ!!ひゃあ――――!!」
なにやらえらく興奮していて、人間の言葉が出ていない。目つきもあやしい。しかしその興奮と喜びはベンチの仲間に上手に伝わり、皆も喜びの声を上げてハイタッチする。
「ヒャッヒャッヒャッ」
「ヒィアーッ!!」「ヒャーイ!!」
ベンチの異様な興奮をバックに、第3打者の小竹先輩がバットを振る。
キィン!!
凡庸なライトフライ。言い換えれば、上手なライト方向への犠牲フライ。3塁ランナーがいれば間違いなくタッチアップ成功で1点が入るフライ。しかし、今この瞬間は違う。打球は最大高度を迎える瞬間、何かに蹴飛ばされるようにして加速し、ライトスタンドへ吸い込まれていった。その不思議な光景を、俺はネクストサークルで見守る。
「ヒャァァ――――!!」
小竹先輩も奇声を上げつつベンチに戻っていった。ベンチ内からは『ヒャッヒャッ』という奇声のみが聞こえてくる。……俺もアレやらないとダメなんだろうか。
そして4番の俺の打席。外角をいっぱいに外れた、山崎に向けて投げられたような球。バットの先端部分でしか当たらない、まともに飛ばせないボール球がきた。
――キィン!!
無理やり当てて、ただ高さのみを重視して打ち上げる。こんな当て方しても、ヒットになるわけがないのだが……
「――ええ……なにコレ、なんか気持ちいい……」
上がった打球がライトの守備範囲に入った途端、変な加速でスッ飛んでいく。自分以外の謎の力によって、よく分からない飛球へと変化する白球。不思議な光景。
「ヒャーい!!!!」
気づけば俺も変な声をあげつつベンチに戻っていた。
「ヒャッヒャッ」「ヒャッヒャッヒャッ」「ヒャッヒャッ!!」
ヒャッヒャヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ
謎のハイテンションで奇声を上げて踊る3塁ベンチ内の弘高野球部員。
「……先生、なんかバリ島の民族舞踊で、こんなのあったような」
「……アレもなんか呪術的な要素があった気がするが……今日の試合、何か神懸かっているのかもしれんな……これが、甲子園なのか……」
3塁ベンチ内でただ2人だけ、大槻センパイと監督のみが冷静に会話していた。
ヒャッヒャヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ
――キィン!!
ヒャッヒャヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ
――コキィン!!
ヒャッヒャヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!
――パキィン!!
奇声に包まれた3塁ベンチ内の盆踊り会場から送り出された打者は、その謎の興奮のままに打球をライトへ打ち上げ、塁をスキップするように回ってホームに戻り、今後二度と見られないかもしれない奇跡的な光景に大興奮する応援団の歓声を浴びながらベンチに戻る。今や3塁側はベンチの中も上の応援席も、異様な興奮の坩堝と化していた。もう表の攻撃で7点を取られた事を気にしている人間など、ただの1人もいない。
――今までの全打者が本塁打を放ち、無死で山崎が2打席目を迎えていた。
『『『うおおおおおおおおおおお』』』
ヒャッヒャヒャッヒャッヒャッヒャッ
3塁側応援席と、ベンチの興奮に押されて。山崎がバッターボックスに立つ。
「ひゃーっす!!」
ちょっと挨拶がおかしくなっている山崎だった。まあ、高校球児の許容範囲であるが。そして山崎は、9打者連続被安打(そのすべてが本塁打)という状況に陥って死にそうな顔つきの大場高校の先発投手に対し、2本目の場外弾を放った。
――ハハハハハハハハハハハハハハハハ
またも幻聴が聞こえた気がした。
大きな大会には、魔物が潜むという。
この甲子園、夏の大会には、特に魔物が頻発するという都市伝説もある。
運も実力のうち、という言葉もある。
状況を、勢いを味方につけ、対戦する相手を勢いで圧倒する。
勢いに負けた者は実力を発揮できず、勢いに乗った者は十全に力を発揮する。
甲子園の魔物を味方につけ、実力を充分に発揮した弘前高校は、ベンチの中で謎の盆踊りを踊りながら2回を迎えるのだった。
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【 スコアボード 】1回裏終了
大場 7 | 7
弘前 14 |14
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なお、当試合で現時点の本塁打数は、大場高校が5本。弘前高校が11本である。学生スポーツとは、全国大会とは、何が起きるか分からないものだ。それが甲子園となれば、なおさらである。その事を、球場にいる全ての人間が実感していた。
お調子者が踊り狂う。
ちょうしに乗ったもん勝ち。楽しければそれでいいじゃない。
ふざけられる時にふざけておかないと後悔しますよ。真面目な時とバランス取らないと。
場外弾ってどのくらい?さあー?近くの公園まで飛んだんじゃないですか?
天井のない球場ですから、何が起きてもおかしくないです。今年も台風明けすごい逆風だったし。
誤字報告機能の活用、まことにありがとうございます。助かっております。ちゃんとできるようにがんばります。皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
そりゃそうと、なんか運営の方でイベントやってますね。賞とかに引っかかるとは思えませんが、何かの間違いで応援イラストもらえたらうれしいので、タグ追加しようかと思ったり。ホント、応援イラスト当たらないかなぁ……




