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62 人の心と戦慄の魔女

都市伝説は信仰の一種なのかも。力を得る時もあれば、力を削がれる時もある。

【 国営放送 実況席 】


「さて、台風通過により一日順延となった全国高等学校野球選手権大会、本日は準々決勝の試合になります。第一試合は初出場の弘前高校と、過去に春の甲子園での優勝経験もある、大場高校との対決です。当試合の解説は、社会人野球では樋田自動車の監督を務めていた、広瀬寛治さんでお送りします」

「よろしくお願いします。弘前高校と大場高校、どちらも打撃力では定評のあるチームですから、今日の見所はやはり打撃戦という事になるでしょうね」

「台風一過で涼しいですし、選手達には思い切りプレーして欲しいですね」

「気温も湿度も低いですしね。今日は一日、気温低めでプレイしやすい気温でしょう。ですが……今日の甲子園、ちょっと今までとは勝手が違いますからね。そこに適応できればいいんでしょうが。特に外野守備がですけど」


「と、おっしゃいますと?」

「バックスクリーン上の旗を見てください。いつもは左へなびいているのに、今日は右へ向かって流れているでしょう?それもかなり勢いよく」

「……ああ、確かに。風向きがほぼ逆ですね、いつもとは」

「甲子園球場は、通称『浜風』と呼ばれる、ホームから見て右から左へ吹く風が名物です。特に上空では風が巻いている場合もあって、フライの飛び方や落球の流れにも影響が出るという、選手泣かせで有名なやつですが。今日はレフトへ飛ばす打球よりも、ライトへ飛ばす打球の方がよく飛びますよ。右打者なら流し打ち、左打者なら引っ張る打撃の得意な選手が有利かもしれませんね」

「なるほど。投手も外野守備も、それに対応したプレイが必要になると」

「確か、大場高校の主砲の円谷、万代、クレヴァーの3選手はライトへの打撃を得意としていましたね。甲子園でもほぼ毎試合の本塁打を打っている3人ですから、今日もきっと飛ばしてくるでしょう。もちろん、左右への打ち分けができる弘前の山崎、北島の両選手も同様でしょうが」


「山崎選手の剛速球も、本塁打にできるでしょうか?例のジャイロとか」

「アレですか……当たれば飛ぶはずですよ。大場高校の主砲は3人ともパワーがありますし、今日の風なら、外野奥まで飛ぶ打球なら、スタンドに入る可能性がありますしねぇ。まあ、山崎選手は一日休みがあったとはいえ、前試合でも後半の登板でしたし、基本的に抑え投手として起用されますから。その勝負は後半でしょう」

「どちらも前半での得点争いになると思われますか?」

「おそらく。大場高校も得点力に自信のあるチームです。ランナーが出ていなければ敬遠策は取ってこないかもしれません。序盤は打点争いになるでしょう」

「実に楽しみですね。では、両チームのスターティングメンバーを……」



※※※※※※※※※※※※※※※



「今日は後攻なのね」

「キャプテンがジャンケンで勝って後攻めを選んだんだよ」

 そっかー。と、山崎がベンチの中から整備中のグラウンドを見ながら言う。


 学生野球においては、試合直前に両チームのキャプテンがジャンケンをして、勝った方が先行か後攻かの選択をする。なお、全国大会ではジャンケン開始前に、立会いの審判から『どんなタイミングでジャンケンをするか』の確認が必ず行われる。これは各地方でのジャンケンの掛け声(合図というか合言葉)が、わりとバラバラなためだ。もめ事を事前に回避するためには必要な措置である。

 そして。

 野球においては【 後攻有利 】という考え方がある。これは先攻はサヨナラが無い、得点リードして逃げ切るしかないため、精神的に追い込まれるとか、後攻は得点リードされても最低でも同点にすれば次回へ進める、という精神的余裕があるから。という理由が主なものだ。そして、山崎いわく。


『馬鹿馬鹿しい迷信的な都市伝説よね』

 などとバッサリ切り捨てるタイプの話だった。あくまで山崎の言い分なのだが。


『精神的な有利不利の話だけど、後攻の有利さと、先攻の不利さだけを口にしてるでしょ?後攻がリードされてる時の【どうしても追いつかなきゃいけない】っていう精神的圧力の不利さと、先攻がリードしてる時の【やった勝ってる!!あと3人で勝ちだ!!】みたいな精神的高揚感の有利さを無視してるじゃない。接戦になった時の【絶対に失敗できない】なんて重圧は、攻撃も守備も同様にかかるもんでしょ?まともに比較されてないのよ』

 という理由である。確かに、この手の話は詐欺紛いの詭弁に似ている。


 まあ、コンピューターのデータだと、同じ能力のチームを戦わせると数をこなせばこなすほど勝率は五分に近くなるそうだし、そもそも精神的な有利不利なんて、選手個人の資質が大きく関わってくるから、どちらかというと【 後攻有利らしい(・・・) 】という、誰かが以前に口に出した都市伝説的なものが幅をきかせているだけ、という事なのかもしれないが。あと、そもそも『1点を争うようなロースコアゲーム』の場合の話なわけで、大量点差がある場合は特に関係ないというか。そして別段後攻が得点しやすいわけでもない。先制点で重圧をかける事が有利なら、先攻有利という見方もあるし。

 それでも特に高校野球で【 後攻有利信仰 】が未だに根強いのは、過去に劇的な逆転劇が何度もあったからだろうが……


『それも馬鹿馬鹿しい。僅差で逃げ切った試合なんて、それ以上にあるでしょうに』

 山崎に言わせれば、そんなもんである。心の強い者には見えない幻影だと。


 そして弘前高校野球部としては、今年の県大会では、弘前が先攻になった時は山田キャプテンが負けて相手が後攻めを選んだ場合ばかりなのだが、先攻のトップバッターで景気よくやってやるぞ、とばかりに山崎が初弾ツーベース以上とか本塁打とかで相手に重圧をかけたりして先制点を奪い、序盤で相手チームを凹ませてきた試合がほとんどだ。むしろ先攻上等とも言える。


 全国大会の甲子園では、先攻も後攻もやってるけど、特に有利不利は感じなかったしな。相手が強いかどうかだけだったよ、ホントに。


 あと、弘前高校野球部は基本的にお気楽な精神性が長所の一つであり、全国大会を物見遊山の一部と考えている節がある。負けて元々のチームが、山崎という特異な存在というか一種のウイルスのようなものに汚染されて、お祭り気分で頑張った結果、勢いに乗って結果を出し、ピンチの時には山崎が力技で乗り切る(苦境というよりは山崎劇場と呼ぶべき代物であったのだが)事によって全国大会に出場できたのだ。もとより全国大会優勝を狙っての事ではなく、全国大会に出場して甲子園のグラウンドに立って相応に目立てればそれでオッケーという目標だったしな。人にはちょっと言えないけど。


 精神的優位性という意味では、ある意味、弘高野球部は最も優れたチームと言えよう。負けて失うものも恐れるものも基本的には存在しない。どこで敗北しようとも、涙を流す選手は一人もいない……可能性があるのだ(断言はできない)。


 野球に関わらず、人と人が対決するスポーツにおいては、個々のプレイヤーの精神状態が実力の発揮状態に直結する。実力以上の力なぞ発揮はできない。実力を十全に発揮するために精神状態をベストに保つ必要があるのだ。

 先攻、後攻に何の意味も無い、と思う人間には本当に何の関係も無いし、たとえ10点差がついていようと精神的重圧に弱い人間は、最終イニングでエラーを頻発するものだ。

 大場高校が「後攻を取られた」事を気にしたりする、僅差の状況で余計にプレッシャーを受けるような、山崎が言うところの『後攻有利の都市伝説に洗脳されてる人』だったりすると、後々で効いてくることも……あるのかな?


「へーい、皆の衆。ちょいと傾注」

 山崎が皆に声をかけていた。しかし傾注ってなんだよ。お前どこの軍隊出身だよ。もちろん俺を含む全員が、山崎に向き直って耳を澄ませた。


「今日も楽しく野球をする時間が近づいてきました。そして本日の試合、注意すべきは、甲子園球場の風向きです」

 うん、と皆がうなずく。いつもと逆向きの風は、守備練習でかなり慌てたやつだ。


「相手チームが強いのは全国大会だから、いつもの事なんだけど。今日の台風の吹き返し、相当強いわよ。っていうか、よくこんな強風で試合を強行したっていうか。甲子園球場のレンタル料金とか大会開催スケジュールの費用とか、相当なものなのねぇ」

「そういう生臭い事を言うな」

 思わずツッコミを入れざるをえない。確かに球場を押さえる日数が増えればその分だけ金がかかるし参加校への宿泊補助金とかもあるから、日程が延びれば延びるほど高野連の金庫に負担がかかるんだろうけど。事ある毎に金の話を出してくるんじゃないよ。


「とりあえず、センターとライトは守備位置ずっと奥で。レフトもセンター寄りで。3塁線は完全無視でもいいかもね。打たれたらしょーがないって事で。悟も守備位置は深めで、ライト前の浅い打球に対応できるように。キャプテンは基本的に、左方向へゴロを打たせるように組み立ててください。甘い打球は全部あたしが捕りますから」

「おう。了解だ」「打撃が強いし、コントロール重視でな」

 山崎の言葉へ普通に返事を返す俺達だが、他の学校なら監督が言う事なんだよなぁ……ウチの監督は『滅多に口出ししない、静かな知将』的な評価を受けてるから、これでいいのかも知れないが。


「ま、あとは成り行き任せで。やれる事やっていきましょう!!」

「「「「おおおお――――――っ!!!!」」」」

 ちょっと気の抜けたセリフで、気合を入れる俺達。すぐに選手集合の合図がかかって、試合が始まる。俺達、弘前高校野球部の、全国大会、準々決勝の試合が。



※※※※※※※※※※※※※※※


【 国営放送 実況席 】


「打った!!大きい打球、ライト方向へどんどん伸びます――スタンド入った――!!またもや(・・・・)ホームラン!!これで3本目です!!」

「さすがに大場高校の打線は打ちますね。今の万代選手の打球、かなりの速さでした」

「第1打者から安打で始まり、第2打者でいきなり本塁打、そしてクリーンナップも3番4番と連続本塁打ですよ。これで無死4点。大場高校、絶好のスタートです」

「ヒットの連打で得点ならともかく、本塁打の連発ですからね。今日の試合、やはり風を味方につけた方が有利に働きますかね。立て続けにライトへの本塁打ですから」


「やはり、今日の風ですか」

「ボールが上がらないと分かりませんが、かなり強いですよ。いつもの浜風よりもずっと。これは野手もフライの処理に困りそうですね」

「確かに。1番打者の打球も、そんな感じでしたね……続けて5番のクレヴァー選手に、第1投!!――これも初球打ったぁ!!打球はまたもライトへ伸びる!!」

「あー、また入りましたね。こりゃ今日のライトスタンドは凄い事になりそうですねぇ」



※※※※※※※※※※※※※※※



「……すまん」

 1回の大場高校の攻撃が終わり、3塁ベンチに皆が帰ると。さっきまでマウンドで投げていた川上先輩がションボリして謝っていた。


「川上先輩、そんな落ち込まないでくださいよ。大場の打線なら打たれる事は仕方ないし、そもそもホームラン5本も打たれたのはキャプテンのリードが悪かったせいと、今日の風のせいでしょー?気にしない気にしない」

「……ぐぅっ」

 山崎の無慈悲な言葉に、山田キャプテンが呻く。


 大場高校の1回の攻撃、1番ヒット2番ホームラン、3番4番5番ホームラン、6番ヒットで7番ホームラン。8番9番1番を何とか抑えてチェンジしたものの、打者一巡して失点が7点という惨状。投手としては気にするな、という方が無理だし、捕手としては責められても文句一つ言えない状況だ。

 なお、ホームランは全てライトスタンド入り、ヒットはセンター前とライト前。想定通りの展開であり、想定した状況の通りにしてしまったとも言える。こりゃダメだ。


「さて皆の衆。今はそんな事よりも、重要な!!お話があります」

 7失点を【そんな事】扱いした山崎。もっとこっちに顔を寄せろと、皆を手招きする。


「もっと寄りなさいよ」

 お互いの体がくっつきそうな距離になっても『まだだ』と言う山崎に従い、中腰で顔がくっつきそうなくらいの距離になってみると、山崎は語りだした。


「大場高校の打撃、見たよね?」

「……ああ、見たけど」「飛んだよなぁ」「あの筋肉三人衆、すげえ打球速度だった」

 と、そこで山崎。

「あー、違う違う。あの3人じゃなくて、2番と7番の打撃よ」

「……ええと、風に乗って曲がって飛んだやつ」「あれも飛んだよなぁ」

 その言葉を聞いた山崎は、ニタリと笑う。


 ……山崎は美人だし、年相応の愛らしさもある顔立ちだ。しかし、魔女のような邪悪な笑いを至近距離で見せられては、まともな高校球児としては戦慄せずにはおられない。

 そんなビクつく俺達を前に、邪悪な笑みを浮かべたまま、山崎という名の戦慄の魔女は、俺達にこう言ったのだった。


「今がチャンスよ。ホームラン競争といこうじゃない」


 いひひひひひ。

 魔女の笑いを至近で聞きながら。

 俺達は、山崎の次の言葉を待つのだった。

 恐ろしさと同時に……抗い難い、誘惑を感じて。


 スポーツにおいて、精神状態は実力の発揮に大きく影響する。たとえその精神状態がどのようなものであろうとも。そのきっかけを、誰がどんな言葉で作ろうとも。

 俺達にとって、山崎の言葉は、そんな一つのきっかけになるものだったと。そういう事なのだと。そんな実感を得るのは、もう少し後の事だった。



そして人の力を引き出す心の安定を与えるのは、洗脳とかでも同じ場合があったり。

当作品はフィクションです。あらゆる文章は特定の団体や思想を批判するものではありません。


毎度毎度の誤字報告機能の活用など、まことにありがとうございます。今後ともよろしく。

当作品は読者さまの優しさで支えられております。お気楽に楽しんでいただけると幸いです。

「やれやれ、バカだなぁ」くらいに軽く構えていただけると丁度よいかと。今後ともよろしく。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この後の展開がめっちゃ気になる…あっ、いつも楽しみに読んでます!更新楽しみに待ってますね!
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