41 甲子園の主役
あの時。彼女は輝いていた
優勝候補の一角と目される、野球名門、私立聖皇学園。
弘前の暴れん坊こと山崎に言わせると『食べ放題のバイキング』らしい。
『焼肉、から揚げ、豚の角煮にローストビーフ。大トロの握りに揚げ春巻き。カレーライスにスペアリブ。あとそれから――』
『お前が脂っこいものを好きなのはよく分かった』
とにかく腹いっぱい食いたい、という気持ちはよく伝わってきた。
御馳走を眼の前にした野獣のごとく。山崎は初回からハイテンションだった。
『いただきます!』
『じゃねぇよ!ちゃんと挨拶してこいよ?!』
初回のバッターボックスに歩いて行く山崎に、すかさず突っ込む。
そして塁を回って帰ってきた山崎。
『めちゃうめぇ!あんた達もいっぱい食べてきなさいよ!』
こんな御馳走めったに食えねえど。今のうちに食いだめしとけ、とでも言いたいかのような山崎。すごくいい笑顔だった。
『聖皇!!最高!!さすが名門!ひゃっほう!!』
敬遠なしで2回を終えると、聖皇を絶賛していた。立場とプライドで敬遠をせず、あくまで実力で勝ってやるぞとチーム全体の気力が尽きない聖皇。山崎の好みのタイプとしても県大会決勝で対戦した明星の上位互換というところか。
『なにこれぇ!めっちゃ楽しい!甲子園サイコー!』
打って打たれての乱打戦の展開で4回の裏を回ると、山崎が完全にヒャッハー状態だった。弘前が先行するも、打って打って追い上げる聖皇。派手な展開がツボに入ったのか。
そして回が進み、8回表で弘前が再び聖皇を突き放し、30対27で8回裏を迎えた。この状況でようやく山崎が投手になる事となった。8回裏の守備の準備をしている少しの時間に、山崎は息も絶え絶えの前田にこう言ったものだ。
「ねぇねぇ、もうお腹いっぱい?残りほんとに食べてもいい?」
「お腹いっぱいだよ!おかわりいらねぇよ!」
直後に、こいつ何とかしろよ、と言わんばかりの視線が俺に向かって飛ばされる。前田がここまで引っ張られたのも、山崎が「もうちょっと」と言い続けた結果であって、監督はもとよりチーム全体としても、「もう代わってやれ」という空気が7回が始まる前には出来上がっていたのだ。
ええ皆さん。言いたい事は分かるんですけどね。基本的にこいつ、どうしようもないんですよ。あくまで俺は通訳のようなものであって。基本的に山崎の考えをどうこうできるような立場じゃないんです。だってこいつの方がずっと強いんだもの。
準備が整ってさぁベンチから出るぞ、と。その時、山崎がまた口を開いた。
「リードを逆転されちゃうと、『勝利投手』の権利が消失するんだっけ?以降は、勝利への貢献度が高い投手に勝利投手の権利が与えられるんだったかなー?この勝ち越し状態で、あたしが抑えて勝てば…『開幕試合の勝利投手』の権利は、あたしのものかな?」
その言葉を聞いた皆が、一斉に山崎を見た。気持ち怖れを含んだ目で。
……こいつ。まさか、そのためだけにギリギリを見極めていたんじゃぁ……
「やだなぁ。ふと思っただけよ。さぁ、気合い入れていこーか!!」
うん。そうだな。学級裁判は試合の後でだ。とりあえず守るぞこんちくしょう。
「勝ってるから大丈夫…かってるから……」
ベンチの奥では大槻センパイが自分を落ち着かせるためか、壁に向かって呪文のように独り言を繰り返していた。相手チームはどうか知らないが、弘前ベンチは混沌と化している。すでに試合時間は4時間超。5時間に達する前に終わりたい、というのが正直な気持ち。
山崎がマウンドに登ると、弘前応援団から歓声が上がり、聖皇応援団の応援曲が気持ちパワーアップした。統制の取れた応援の声が響き渡る。
「ふひひ。いーい学校よねぇ、聖皇。これが全国大会」
プレート前後を足で整える山崎の声が聞こえる。
軽く投球を開始する山崎。甲子園のマウンドの感覚を確認している。
2球ほど投げた山崎、プレート周りを少しだけ踏み固める。
「充分に強い。情熱も、誇りもある。技術も、自尊心の高さも申し分ない。これぞ高校球児。まったくもって教育のし甲斐がある」
こいつ今なんと言ったか。教育?
投球練習を進める山崎。返球されたボールを受け取り、また口を開く。
「人の限界はもっと上だと。人間はもっと鍛えられるのだと。野球の能力の限界を目指すとはどういう事なのかを。さあ、挑むべき目標を、倒すべき敵の姿を見せてやるぞ」
お前はいったいどこの魔王だ。
あえて勇者を鍛えてから叩きのめす系のやつか。
――山崎がそんな事を言いながらも、投球練習は終わった。
聖皇バッターがボックスに入り、構える。試合終了まで、最短であと6人。
三振で終わるならば、最短で18球。
その1球目を、おおきく振りかぶり。
ハイテンション山崎が投げ込んだ。
ズバァ――ン!!『…スットライーク』
若干の間を置いて、球審のコール。打者は見送り。
投手としての山崎、甲子園においての初投球。
速度表示、【 161 km/h 】
『『『――おおおおぉぉぉ―――――』』』
聖皇応援団のBGMをバックに、球場観客全体の、どよめき。
「見たかね。諸君。これが、全国だ」
まるで我こそが全国高校球児の代表である、とでも言いたげな山崎のセリフ。うむ、何かおかしい。我々弘前高校は初出場であるし、まぁ他の高校も根本的にはそうではないかと思うのだが…我々は『挑戦者』ではないかなぁ、と思う訳だ。
なのになぜこいつは『挑戦者ではなく王者』みたいな物言いなのかな。おかしいな。
「はははは!私は、ここに、いるぞ!!かかって来るがいい!!」
こいつはいったい何様のつもりか。無冠の帝王とかそんなのか。ともかくハイテンションすぎる山崎に対し、俺が言う言葉はひとつだけだった。
「いい加減にしとけよ。そろそろ怒られるぞ」
「へぇーい」
ちょっとだけ落ち着いた山崎、次の投球のためのモーションに入った。
※※※※※※※※※※※※※※※
【 国営放送 実況席 】
『―――まぁた入った!ど真ん中、山崎選手の剛速球です!!球速は変わらずの160キロオーバー!都市伝説とまで言われた山崎選手、打撃に続いて投球も、これが現実だと言わんばかりに実力を見せつけます!これで2者連続三振です!!』
『これは…本当にすごい。今日の解説を引き受けた時、彼女のプロフィールも調べましたが…機械の故障ではありませんね。速さも球威も、他の投手と段違いです』
『はい、確かにすごいですね。とても女子選手とは思えない球ですね』
『並の女子選手を比較にはできませんね。上背もある方ですし、筋肉のつきもいい。小柄で細い男子選手よりも、体格はいいくらいです。しかし、それでも同程度の体格の男子選手と比べれば細身ですし、体つきも女性的です。これは秘密がありますよ』
『秘密…ですか?それは――今度は速い変化球!空振りです!』
『たぶんシンカーですね。アンダースローも使うという事ですが、サイドスローも状況に応じて使い分けてきますか。技術の幅が広い』
『ところで、山崎選手の秘密、とは』
『ああ、秘密と言っても、ドーピングの類じゃありません。あくまで技術的なものです』
『技術、ですか』
『単純に筋肉だけの話でいけば、例えば聖皇の後藤選手と同程度の体格、同程度の筋肉の付き方の投手であれば、みんな150キロ台の球を投げられないとおかしい、という事になってしまいます。しかし、実際はそうはならない。投球技術が違うからです。突き詰めていけば、体の筋肉の使い方が違う』
『体の筋肉の使い方ですか――今度は剛速球!インコーナーに突き刺さる!見逃しストライク!ノーボール、ツーストライク!またも160キロオーバー!』
『あの速度と球威で、コントロールもいい。すばらしい』
『山崎選手の、筋肉を使う技術が凄い、という事でしたが?』
『少なくとも、現在の一般の野球指導者の誰もが分かっていない、山崎選手だけが知っている、効率的な筋肉の動かし方、使い方、あるいはバランスの取り方などが――あえて言うなら【山崎メソッド】とでも言うべき技術があるはずです』
『山崎選手だけの技術、という事ですか?』
『現状においては。ある程度は、彼女の体質、女性ならではの体の性質などがある可能性もありますが…おそらくは男子にも転用できる技術があるはずです。現在のスポーツ科学技術者、トレーナーが気づいていない、理解していない、人間の体の使い方というものが』
『そんな技術がある、と?』
『そうでもないと、説明できないですね。女子は筋肉が男子よりも少ない。同じ体格であれば男子の方が女子よりも力が強いんです。そして分かりやすい比較対象として、聖皇の後藤選手。彼は山崎選手よりも身長が10センチ近く高い。ですが、速球は山崎選手の方が速い球を投げる。筋肉の力だけでは説明がつかない』
『なるほど。たしかに』
『あるいは…筋肉の力の出し方そのものが違う可能性もありますが…』
『それはどういう―――投げた!コーナーへと入る速い球!三振です!バッターアウト!チェンジです!給水時間の後、9回の表になります』
『少しですが落ちましたね。噂のジャイロですかね?』
『…スロー再生でます…これは…回転が通常のバックスピンとは違いますか…?』
『カーブ回転とも違いますね…これが、おそらくはジャイロ回転…私もはじめて見ます。あとで詳しく解析したいですね…』
『ところで、筋肉の力の出し方が違う、というお話でしたが』
『ああ、あくまで仮定の話ですが。【火事場の馬鹿力】というのがあるでしょう?』
『あ、はい。ありますね』
『野球における筋肉の力は、基本的には瞬発力です。持続的に、じわっと出し続ける必要はありません。持続的に出し続けると筋肉を著しく傷つけるような限界近い力を、瞬間的に、意図的に使う事ができれば、と思っただけです。ほら、子供を助けるために大型乗用車を一人で持ち上げる一般人みたいにね。とはいえ、意識的にそれを行う、という事は、それは【自分の肉体を、意思の力で完全に制御】するという事ですので、やはり普通の人間には無理な事です。どんな人間も自分の身体を間違って壊してしまわないよう、無意識に余裕を持って扱っているわけですから。コンピューターで制御されている機械のようにはいきません。そもそも、どこに限界があるのか、どこまでなら壊れないぎりぎりのポイントなのか、人間には分かりませんからね』
『確かにそうですね。いずれにせよ、何らかのノウハウがあると』
『彼女の秘密が解明されるか…彼女が自分の技術を体系的に、教育・指導する事にでもなれば、野球界の、もしかすればスポーツ界の常識が変わるかもしれません』
『この先、まだまだ楽しみがある、という事ですね。さて9回表の弘前の攻撃、打順は7番からです。打者が1人でも出塁すれば、山崎選手の出番があります』
『勝負を選択している聖皇としては、3人で終わらせたいところですね』
※※※※※※※※※※※※※※※
「というわけで。大槻センパイ。9番の前田くんと交代する事は伝えてあります。ちなみに裏の守備位置変更も伝えてありますので、9回裏になったらセンターへ行ってください」
「………………」
体をプルプルさせながら沈黙を続ける大槻センパイに、山崎は淡々と説明する。
ストライーク。バッターアウッ。
「ほら大槻センパイ。一人目がアウトになりました。ネクストサークルに行って待機してください。大丈夫です。相手投手の直球はたいした事ありません。ウチの未完の最終兵器の直球にも、きまぐれビーンボールにも及びません。直球が来そうだなー?と思ったら、練習のつもりで、いちにのさん、でバットを振ればいいんですよ」
「………………」
大槻センパイ、沈黙を続けている。動きがない。プルプル震えるのみだ。
「ボールが飛んだらバットを3塁線の方に放って、あとは一塁へ向かって走る。オーケー?」
「ふにゃああああああああ」
大槻センパイが猫みたいな鳴き声をあげている。
鳴きながらふにゃふにゃ揺れる。だだをこねているのか。
ストライーク。バッターアウッ。
「ちょっと!!もう出番じゃないですか!怒られるから早くボックス入ってくださいよ!ああもうしょうがないなぁ!山田キャプテン、ちょっとこの人のお口に、ぶちゅっと一発かまして送り出して」
「行けばいいんでしょ!いけば!ちくしょうしんでやらぁ!!」
※※※※※※※※※※※※※※※
【 国営放送 実況席 】
※場内アナウンス※
――バッター、11番、前田くん、に、代わりまして、12番、大槻 京子さん――
『おおっと。弘前高校、3人目の打者に補欠の12番、もう一人の女子選手である大槻選手を出してきましたね。彼女は…どうなんでしょうか?』
『うーん。得点はリードしていますし、何かの記念出場という可能性も…確か彼女は県大会の初戦で出場していますが、空振りすらしていませんからね…。おそらくは人数合わせのメンバーだと思うんですが…いずれにせよ、山崎選手への信頼の表れかと』
『大槻選手、第1球――見送りです』
『打ち気がありませんね。せめて振って欲しいところですが』
『大槻選手、第2球――見送りです』
『うーん。見ているのか、ただ立っているだけなのか…』
『大槻選手、第3球―――打った!!ボールはゆっくりとライト線へ!これは面白いところへ飛んでいった!落ちました!フェア!ライト落下地点を読み間違えたか?ボールを追います!これは2塁打余裕!いやー、意外にやりますね彼女!』
『…よく見てください。まだ1塁線を走っていますよ』
『――えぇ?!』
※※※※※※※※※※※※※※※
俺たちは、その衝撃的な場面を、ベンチから見ていた。
「――山崎!お前、知っていたのか?!」
俺は思いのほか強い口調で山崎に問うた。
「まさか!知らなかったわ!!」
なんだと。であれば納得もいくが。しかし、これは。
「「「――なんという、鈍足―――」」」
ベンチの弘前ナインも、ベンチ上の弘前応援団も、そして聖皇ベンチ、聖皇応援団、さらには外野の一般客達でさえも――声もなく、大槻 京子の走りを見ていた。
瞬間。ほんの一瞬であるが、甲子園から音が消えた。ように思えた。
どたばた。どたばた。
そう形容するほか無いような、大槻センパイの走り。ここまで遅い足だったとは。
「あいつは…100メートル28秒台の健脚なんだ……」
山田キャプテンの、絞り出すような声が聞こえた。
『…が、がんばれ――――!!!』
誰が言ったのか。
それは分からない。弘前応援団の誰かだったかもしれない。
外野席の誰かだったのかもしれない。
もしかすると、聖皇応援団の、誰かなのかも。
しかしその声が次の声を呼び、走る彼女を励ます声は、瞬く間に大きな声援へと成長した。
『がんばれぇ――――!!!』
『走れ!はしるんだ―――!!!』
『いけー!がんばれ―――!!』
『まだだ!間に合うぞ!!』
『すべりこめ――――!!!』
球場内の声援を一身に受けて、大槻 京子は走った。走る大槻。無情にもボールに追いつくライト。ライトはセカンドに返球しようとする。が、「1塁に投げろ」という指示を受けて「え?なんで?」と不審な表情。直後にセカンド付近にランナーがいないことに気づいて驚愕の表情。動揺を隠せないまま、慌てて1塁にボールを投げる。ボールはファーストの捕球範囲を超えてしまい、塁を離れて球を捕るファースト。
ボールを捕ったファーストが1塁を振り返ると、ようやく1塁に近づいた大槻が、ダメで元々とばかりに頭から1塁に飛びこもうとしているのか、倒れこむような体勢になっているところを発見した。
頭から1塁に飛びこむ大槻。ジャンプしてグラブを1塁に叩きつけるファースト。直後、塁審の判定がコールされる。
『……セーフ!セーフ!!』
球場を、割れんばかりの歓声が包んだ。
この瞬間。甲子園の主役は、大槻 京子だった。
のちに、大槻 京子はこう言ったという。
――人間。しぬ気になって頑張れば、何かを掴めることもある。と―――
※※※※※※※※※※※※※※※
【 国営放送 実況席 】
『――根性みせましたね、大槻選手』
『なるほど。打撃がそこそこできても、レギュラーにはなれませんね。しかし見事なガッツでした。いいもんを見ましたよ』
※※※※※※※※※※※※※※※
弘前ベンチでは、監督を含めナイン全員が大きな拍手を大槻センパイに送っていた。
「よぉーし!大槻センパイの走りに応えるわ!あたし感動した!!」
「山崎。あとで大槻センパイに謝っとけよ」
「…しょうじき、すまなかったと思ってる」
ふと見ると、上半身泥だらけの大槻センパイが1塁の上に座っていた。
ぜぇぜぇ。はぁはぁ。
3塁側のベンチからも分かるほどの、大きな息をついて。まさに息も絶え絶え。かぶっているヘルメットすら重そうだ。もう一歩も動けない。そんな声が聞こえてきそう。給水タイムでもとった方がいいんじゃなかろうか。
「ホームランか、三振か。それ以外は許されないなぁー」
山崎はそう言いながら、バッターボックスへと歩いて行く。
大槻センパイはもう限界です。『あるく』以外は出来ないと思うぞ。
結局。
大槻センパイへの申し訳なさが立ったのか。
山崎は律儀に勝負してきてくれた球をホームランに。
裏の守りを三者三振に抑えた。
センターには死にかけの案山子が立っていた。
―――ゲームセット!選手集合!!
試合終了の号令がかかった後、観客席から盛大な拍手が送られる。
その何割かは、よろよろとセンターから駆け寄る大槻センパイのためにあるのだと、俺は思ったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【試合結果】 32-27 で弘前高校の勝利
弘前 866511032 |32
聖皇 453425400 |27
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
わー(拍手)
大槻センパイ!わー!
大槻京子の超鈍足設定を出す予定どおりに進めました。高校3年女子の50メートル平均は9秒弱、11秒以下になると「すごく遅い」ようです。なんか更新が遅くて一部で心配されていたようですが、相変わらずの平常運転です。すみません。筆者はどこかでボケないとしぬ体質です。
演出です。あくまで演出。わー(拍手)
更新速度や文章量は筆者の余裕やその場のノリに左右されます。気楽に気長にお待ちください。
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