21 走る山崎
打たせてもらえないので走ることにした。
【2回開始・チェンジコール直後の雲雀ヶ丘ベンチ】
「ぜったいに抜けると思ったのにー」
「っていうか、山崎さんが凄いよ。なにあの超反応とジャンプ」
「すっごいジャンプだったよね。鈴木以上じゃん」
「セカンドの子も反応すごいなー。車道に飛び出した猫みたい」
「それ轢かれるやつだよね」
私たちのチームメンバーに、絶好の得点の機会を逃した、というショックは見受けられない。まだ試合は始まったばかり。相手チームの守備能力を見た。そして手ごたえも感じた。互角には渡り合える。であれば勝ち目は充分だと思う。それが私たちが積み上げた経験。
手伝ってもらいながらキャッチャー防具を装着しつつ、『これなら心配はいらない』と確信する。守備はいつも通りに、油断しなければいい。
「いやはー。山崎さん、けっこう面白い人だったよ!」
佐藤が戻ってきてヘルメットとバッティンググローブをポイポイと投げ置く。
「なに?なんか話した?」「キャッ。てやつか」「あとで聞かせてね!」
準備ができたチームメンバーから、順に守備位置に走っていく。
惜しかった。そして、こりゃ持久戦かもなぁ、とも思った。内野を簡単には越せそうもないし、ランナーが得点圏内で狙った一発が出せるとは限らない。こちらも内野守備は自信のメンバーだけれど、弘前高もショートの山崎さん、セカンドの北島くん(2人とも強打者で守備も堅いとかすごい)の運動能力は相当なものだ。というか山崎さんの守備圏内を抜けるような気がしない。絶対に届かない高さで飛ばす必要がある。
そして相手攻撃では、1点もやれない。まずは同点にしないと。
※※※※※
「分かってるとは思うけど、『どうにか』してきて下さい」
ウチの暴れん坊からの宣言。まぁ言いたい事はわかる。
1番山崎、4番北島は敬遠策で歩かされるのがほぼ確定している。残りの打者でどうにかしなくてはならない。…仮に1番4番で確実にランナーが出るのなら、やはり上位打線の時に得点チャンスが来るはずなのだが…。あるいは、山崎の前にランナーをためて、山崎を敬遠できなくするか。
押し出しを選択されても、1点は入るしな。ともかく6番、7番、8番、9番。お前らで点を取るか、何とか出塁して、塁を全部埋めてこい。そういうオーダーである。
しかしそうは問屋が卸さんよ。と言わんばかりの展開。
上下と緩急をつける田中投手の投球。アンダースローも的確に織り交ぜて投げてくる。高めは一切なし。直球もなし。真ん中なんて当然なし。そしてミスのない守備陣。
タイミングを狂わされて引っ掛けてゴロ。速い打球もファインプレー。ライト前に打ち上げたボールは予測していたかのような前進守備に、あっさりキャッチ。
見事な三者凡退である。
「やるな小娘どもめ。しかしまだこちらが優勢よ!」
「その悪役スタイル、最近の流行りですか」
そのスタイルだと、俺たちが討伐されてしまいそうなんだが。
※※※※※
そんな思いがフラグとなったわけではないだろうが――ないだろうが!状況が動いたのは、6回裏の雲雀ヶ丘の攻撃の時だった。
ランナー2塁でツーアウト。外角へ逃げるスライダーを投げたときだった。タイミングを合わせて振り出されたバットがボールを捉え――速い速度で1塁に飛んだ。
狙ったわけではないだろう。だが、速い打球は1塁守備を抜け、そのまま1塁を直撃し――わけのわからない転がり方でライト線外側へと走っていった。
『フェア!!』
そんなん言われなくても、などと思う余裕もなくライトがダッシュし、捕ったボールを1塁方向に返球した頃には、2塁ランナーはホームを踏んでいた。打者は入れ替わりで2塁。
『キャ―――――!!!』『同点!同点!!』
『ナイバッチ!!』『雲雀ヶ丘!ファ―――イ!!!』
失点の直後に響き渡る黄色い声援と、ブラスバンドの曲、鳴らされるメガホン。
きっっっつぅ。心がへし折られそうだぜ!!
「ピッチャーきにすんな!」「えー、ドンマイ?」
「おめーら!もっとちゃんと励ませよぉ!!」
仇役、汚れ役の投手つらい。俺だったらきっと泣いてるな。
『気を取り直して!あとひとつ!ツーアウト!!』
雲雀ヶ丘女子の応援の中、キャプテンの声がなんとか届く。そうだ。まだ同点だ。そしてツーアウト。ここで切れば、振り出しに戻っただけだ。
カキ―ン!!
ボール高く上がった。しかし打球は遅い!ライトとセンターの間、ちょい前。遅くて高い打球。ライトかセンターが余裕で間に合う。助かったぜ。――しかし。
「あっ」「おっ」
直前でお互いの動きに気づいたライト西神(先輩)、センター小竹(先輩)が、一瞬譲り合い――そのまま動作がどたばた遅れて、お見合い(譲り合いのエラー)。
馬鹿!てめぇら声出せよ!!!
先輩じゃなかったら口に出してる。ウチの守備、アドリブきかねー!!
後続はなんとか止めた。しかしこの回2点を失点し、逆転されてしまった。
『やったぁ――!!!』『このままいけるよ――――!!!』
『雲雀ヶ丘――ファイっ!!』『ファイっ!ファイっ!ファイっ!!』
ブラスバンド、チアリーディング、メガホンの音に大声援。雲雀ヶ丘が守備につくまで、大熱狂が続いた。当然ながら、ウチの先発投手の岡田(先輩)は沈みまくっている。
雲雀ヶ丘はわりと球を選ぶし、それでいて打つし。バント攻勢の時は、ピッチャーも走らされている時がある。けっこう球数を投げている上に、この有様。もう散々である。
「川上先輩。アップお願いします」
ベンチに戻ってすぐ、山崎から控えの川上先輩に指示。ほんとこいつ監督だな。平塚先生の存在感がどんどん薄れていくわ。
「それと小竹先輩。あそこは先輩が指示を出すところです。自分が捕れると思ったら声を出して、西神先輩が捕るべきだと思ったら指示を出してやってください。もちろん、西神先輩も自分が捕れると思ったら、どんどん声出して!早め早めにね。皆も!きっちり声出していこう!!きっちり守って、逆転するわよ!!」
「「「「おお――――っス!!!」」」」
コーチング業務もやっているためか、キャプテンが言いそうなセリフもかっさらっていく山崎。まったく頼もしい。『山崎 桜とゆかいな仲間たち』だもんな。ウチの高校。
「あとそれから、悟!」
「えっ?はい?!」
えっ俺なんかしたかな。自分では気づいてないだけで。
「ちょっと耳貸して」
山崎が指をクイクイと動かして『こっちへ来い』と。俺が顔を寄せると同時に、自身も顔を寄せてくる。近い近い!ほぼくっついてるじゃん!さすがに照れるよ!
「小娘をこのまま、ちょうしに乗せるのはまずい」
少し低めに出した、悪役っぽいボイスに冷静さが戻る。山崎さんマジだ。
「7回。リードを得たけれど、相手も1点を守るプレッシャーがかかった。落ち付く前に、ここで仕掛けるわよ。この回、1番のあたしから打順が回る。そこで――」
山崎から『一度しか通用しない』作戦を聞く。
「…リハーサル無しでできるかどうか、心配なんですけど…」
「大丈夫。悟ならできる。【本気で】周りを見ておきなさい。視線で気付かれないように」
一発勝負の博打じゃねぇか。と思った、その時。
『ピッチャー交代します!1番田中に代わり10番、竹内!!』
雲雀ヶ丘の選手交代が告げられた。控えの――いや、抑えのピッチャーか。相手もピッチャー交代の準備をしていたようだ。振り返ると、竹内さんと思われる投手が投球練習を始めていた。
左投げの投手。投げ方はオーソドックスなスリークォーターの上手投げ……
―――待て!!左投げだと?!!
驚いたのは、右投げ投手から左投げ投手に変わった事ではない。
左投げの投手という事が、わずかながらに。山崎の博打作戦に都合がいいからだ。俺が山崎に顔を戻すと、山崎は俺を盾にして、相手チームに見えないように。
にたり。と、今すぐ口裂け女に転職できそうな笑顔を見せていた。
なんなのこの人。え?【みらいよち】とかの特殊技でも持ってるの?
そういえば元・未来人だっけか。いや、歴史の詳細なんて覚えてる一般人なんかいるわけないじゃん、とも言われたし、超能力なんか持ってないわよ、とか言われたことも。
「天は我に味方せり。この勝負、もらった…」
ふひひひひ。そんな笑いを漏らす山崎。
やぁあああだぁああ。なんなのこの人。怖ぁい。
オカルト的なやつ、苦手なんですよぉ―――!
※※※※※※※※※※
よし。このまま抑えきって、勝つ。
交代した2年の抑えピッチャー、竹内の調子もいい。全力で3回投げてもらう。
キャッチャーマスク越しに弘前高ベンチをチラ見すると、山崎さんと、4番の北島くんが話し込んでいた。北島くんがこっちを見て、『ええっ?!』というような驚いた顔をしていた。それはそうかもね。弘前高には、控えも含めて左投げの投手はいなかった。少なくとも、ここまでの3試合では出ていない。
であれば、左投げの打撃練習なんてできていない、はず。それだけで打ちにくいはずだ。
まぁもちろん、1番の山崎さんと4番の北島くんとは勝負しないけどね、悪いけど。
そしてうちの竹内は、スリークォーターの投げもするが、サイドスローもできる。特にサイドスローのスライダーは切れ味抜群。コントロールもいい。慣れる前に切って落とす。
「おねがいしまーす」
山崎さんがバッターボックスに入る。
―――そして予定通り、山崎さんは敬遠する。山崎さん、1塁へ。
田中以上に強気な竹内は、『一球だけでも』みたいな事を言っていたが、そこはキャプテンとして押さえつけた。山崎さんはそんな甘くないんだよ!!
山崎さん、1塁から1メートルも離れていない。走る気ないな。
タダでさえ左投げ。普通に1塁は丸見えだ。リードを大きく取れば、すぐさま牽制球が飛んでくる。普通に盗塁のためのリードなんてできない。
山崎さんは、じぃ―――っと。ただ、竹内を見ている。
そして竹内が、投球モーションに入ったと同時に。
―――山崎さんはすでに走っていた。えぇ?!
私が立ちあがって投げようとした時には、山崎さんは2塁へと足からスライディング開始していた。余裕で盗塁成功。
どういう事?投球モーションに入る直前に走ってたよね?!モーションを盗まれた?いやいやいや、投球練習しか見てないでしょ?そんな馬鹿な!!あの人、いったい何を見ていたわけ?!気配でも読めるの?!忍者か!サムライか!!
とにかく後続を切るだけだ。いつも通りに。―――しかし。
続く2番打者はショート前のゴロで打ち取った。が、3番打者は1塁側への速いゴロ。ツーアウトで、山崎さんは3塁に進塁。この試合通して、初めてのサードランナー。
あの山崎さんが3塁にいるというだけで、何やら圧を感じる。でも、やる事は決まっている。4番の北島くんを敬遠し、5番で勝負。ランナーが多くなればフォースアウトだって取れる。いざとなれば満塁策だ。ホームランバッターの北島くんと勝負するより、はるかに安全。試合開始の時からの予定どおりにする。
敬遠球を、けして打てない場所に――おいちょっと近いよ。まぁ振れないけどさ。
「ちぇぇい!!!」
北島くんが叫び声とともに、右手一本でバットを突き出していた。バットの先端、それもヘッドの丸い部分がボールに当たり、ボールがはじかれる。ボールは…!軽く浮き上がって、ラインの上に乗り、そして外に逸れた。
「あーあ」
山崎さんは3塁から数メートルほど進んで、3塁に戻っていった。
「「「あああああ―――」」」『『『ふぁああ――――』』』
弘前ベンチから大きなため息。雲雀ヶ丘応援席からは安堵の声。
やっば!やばかった!なにあの4番!北島くん!フェンシングか剣道でもやってたの?!いくら男子でも片手一本で金属バット支えるのは大変でしょうに、突き出してボールに当てるってどんな技術?!
今のはちょっと近かった。振れないからって油断は禁物。いい勉強。
もう少しだけ、30センチほど立ち位置を変えて距離を多く取る。これでいい。
※※※※※※※※※※
…今のでフェアになってボールが走れば、それでも良かったかもな。しかし今のはボールをはじいて転がすのが目的だ。ちなみにチップにして捕られていた場合、俺は死刑になっていただろう。…本当によかった。
現在のところ、山崎の予定どおりだ。俺は視線をピッチャーから逸らさず、覚醒感覚で辺りをうかがう。山崎はほっといても大丈夫。問題はキャッチャー大滝さんと、ピッチャー竹内さん。近かったらバットを当てるぞと、グリップ端を右手で、左手を支えるように持つ。今、キャッチャー大滝さんはチラリ、と山崎を見た。山崎は塁の上から動いていない、はず。その予定だ。守備位置はほぼ通常。しかし1塁3塁は、ほんの少し前進。
万が一の、バント紛いのボールの処理に備えているのだ。
放られたボールは、遅くも速くもない速度で、大滝さんのミットに収まる。大滝さん、またも山崎をチラ見。ベースの上のはず。そして視線をピッチャーに戻して、返球を。
大滝さんが視線を山崎から逸らした瞬間。
山崎は音もなく動き、コーチングボックスの手前まで移動。
山崎と大滝さんの軸線上には俺。大滝さんの視界から山崎は消えた。
左投手の竹内さん、気持ち体をひねりながら、右手グローブを前に。キャッチの姿勢。
人間の視界は、ほぼ正面に限られる。左右180度まで見えない事はないが、両脇に近づけば近づくほど、よほど意識していない限り、見えていないも同然となる。ピッチャーマウンドの位置、ホームベースから約18メートル。各塁間、約27メートル。通常でもサードランナーに対して5メートル近い死角のあるピッチャー。
加えて左投げのピッチャーが右手を前に出して体を少しでも左に捻れば。おそらく竹内さんは塁間の中央近くにランナーが迫るまで、ホーム狙いのランナーに気づけない。
大滝さんがボールを放つモーションに入った瞬間。山崎は走りだした。
3塁手が3塁線の外を走り抜ける山崎を認識したのは、山崎が3塁とホームの中間に達しようとするところだった。すでに10メートル以上走っている。ピッチャーもキャッチャーも、山崎の姿は視認できておらず、意識の外。
『は、走ったぁ!!!』
3塁手の声を聞いて、俺は急いでバッターボックスから離れる。5メートルは退避だ!ここなら守備妨害もとられんぜ!ボールはピッチャー竹内さんの手に届いた。
急速接近する山崎を確認した大滝さんが、『ここ!』とミットを差し出してボール要求。投げられたボールを捕ると、ホームに振り返り――
クロール泳法の息継ぎのような体勢でスライディングしてくる山崎と目が合った。
近づき、タッチする間も与えられず。
ホームベースを引っ掻くようにして、山崎の手が通過した。ゴロゴロ横転する山崎。
『セーフ!セ――フ!!』
主審のコール。
「「「おおおお―――!」」」「「ひゃっは――!!」」
一瞬遅れて、弘前ベンチとベンチ上から歓声が上がる。そして
『『『いやぁあああああ――――!!!』』』
雲雀ヶ丘ベンチ上から、嘆きの声が上がった。
『そんなぁああ!』『ひどいよー!』
『やだぁああああ』『うわぁああああん』
―――弘前ベンチの歓声は一瞬にして消えた。
きっっっついわぁ。ほんとキツイわぁ。
女の涙には男の戦意を喪失させる力があると、どこかで聞いた事があるが。大勢のうら若き女性の嘆き声を聞きながら、「ざまぁみろ」などと言える男がいるだろうか?
いるとすればそれは人面獣心、人の心を失った何者かに違いない。
「はっ。ざまぁ」
女であれば関係ないようだった。
ベンチに戻る山崎の小さな声を、俺は確かに聞いた。ベンチでハイタッチを要求した山崎、スポーツドリンクをごくごく飲んでいる。ほんとメンタル強ぇなアイツ。
「ほんと凄いね、山崎さん」
大滝さんが誰に言うともなく、口を開く。
「でもまだ、試合は終わってないから。みんな!落ち着いていくわよ!!」
この人もまぁ、メンタル強い人だよなぁ。キャプテンなだけはある。
確かにまだ同点。
7回表の攻撃はまだ終わっていないし、雲雀ヶ丘の攻撃は9回までに3回ある。山崎は『この勝負もらった』とか言っていたが、まだ分からんよなぁ。あと1点は入れないといけないし。今の派手なプレイで、雲雀ヶ丘のプレーが乱れてくれれば儲けものなんだが。
―――訂正。
やっぱり、山崎は【みらいよち】とか使えるモンスターではないかと疑う。
気持ちによる波の上下の大きいプレイヤーなのか、抑えの竹内さんはその後調子を崩したようで。8回終了までの間に、弘前高は1点を追加した。
弘前 対 雲雀ヶ丘。得点 3-2 にて、9回を迎える。
今までの野球漫画等で見かけた事のある、印象的なシーンをやってみるキャンペーン。
ホームスチールとランニングホームランは走る野球のロマンの一つですよ。
雲雀ヶ丘戦は次話でラスト。話数を使いすぎな気もするなぁ…他が相当おざなりになる気がする。
全体のバランスは無視していただけると助かります。
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更新頻度と時間などは筆者の余裕と睡魔などの都合によりますので、気楽に気長にお付き合いくださると幸いです。




