118 とある応援観客の風景
またちょっと遅くなりました。申し訳ない。
今年の夏の甲子園、開幕日の第3試合が始まる、ほんの少し前。
天候不順により遅れた試合の開始を、今か今かと待ち構える観客の姿が、全国の各地に存在した。ようやく始まる試合を、それぞれの場所、それぞれの環境で、喜びをもって迎えている。
「おう、そろそろ始まるな」
「やっとやなぁ」
温泉旅館・不朽苑。
大浴場の近くにある休憩エリアでは、大勢の人間が思い思いの恰好でくつろぎながら、大型TVモニターの画面を見つめていた。画面に映し出され、これから始まろうとしているのは、夏の甲子園大会、初日の第3試合。弘前高校と、水城附属高校との試合だ。
時刻はそろそろ19時を回ろうとしている時間。味も重要だが肝心なのは量とばかりに、食堂でビュッフェ形式の夕食を食べまくっていた野球部員の高校生でも無い限り、自室で夕食を食べながら、部屋に備え付けられているTVで試合を観る事もできたはずだ。それでも館内の各所に設置されている大型TVモニターの前に人が集まってしまっているのは、特別なイベント気分を楽しみたい、という事なのかも知れない。もちろん飲み物が飲める場所では、大人は当然のように缶ビールの類を手にしているし、あちこちに混ざっている余慶高校の野球部員も、それぞれペットボトル飲料を手にして、観戦のための準備はバッチリ整えていた。
TVでは弘前の地元紹介と、弘前高校と野球部の紹介映像が流れている。弘前高校野球部の紹介をする、山崎 桜の元気な声を聞きながら。試合開始のサイレンを待つ宿泊客たちだった。
※※※※※※※※※※※※
本日の最終試合が始まるのを待ち構える、コアな高校野球ファン、あるいは試合関係者の中で。お小遣いや余暇に余裕があるか、住んでいる地域的に都合の良い人達は、甲子園の観客席でサイレンが鳴り響くのを待っていた。その中には弘前高校を応援するために、県が支援する格安応援弾丸旅行ツアーに参加している、一般応援団も含まれる。
伸びに伸びた開始時刻。第2試合が終わるまで、試合予定時刻がハッキリとするまで、移動バスの中で寝ていたり、甲子園駅や球場周辺の喫茶店や近所のショッピングモールで軽く買い物をしたり、あるいは甲子園ライトスタンド側近くの『甲子園神社』に参拝してみたりと、思い思いの方法で時間をつぶし、試合開始の予定時刻が決まると入場手続きを行うために集結し、今はこうして座席に座っているのだ。
「おおたきー!! いよいよ始まるよ!! 山崎さん出てきた!! 」
「待ってましたぁ!! 」
守備側である水城附属の投手が投球練習を始め、第一打者である山崎 桜がベンチから出てきてネクストサークルで素振りを始めると、試合開始に期待する空気が急激に盛り上がって来るのを感じる。
三塁側のアルプス席に陣取る、弘前市民による一般の大応援団、地元で通称『Tシャツ組』と呼ばれている、例の『アニメキャラ風の野球女子』がプリントされたTシャツを着た大集団が、応援団扇やメガホンを手に、好き勝手に歓声を上げつつ山崎 桜を見たり手を振ったり、あるいは動画を撮ったりしている。
その一方、三塁側ベンチの真上に居る弘前高校生徒による統制された応援団、通称『制服組』は、応援練習で訓練された動きを始めるぞと、少しばかりの緊張感のこもった空気に包まれているようだ。
昨年度の雲雀ケ丘女子高校の野球部キャプテン、大滝 玲香と、同じく昨年度のラクロス部キャプテン、本田 陽子が混ざり込んでいるのは、当然ながら一般応援団であるTシャツ組の一角。無事に地元の国立大学に現役合格して、現在はJDにクラスチェンジしている彼女達は、現在の弘前市民にとって夏のスポーツ関連レジャーの一つとして認識されている雰囲気の、『高校野球・甲子園大会応援弾丸ツアー』へと参加して、今ここに居るのだった。
「どぉーですか、開始直後に一発ありますかね、どう思いますか、大滝さん」
「そうですねぇー。とりあえず試合開始直後に敬遠なんかしたら、悪い意味で伝説になっちゃいますから、敬遠だけはないと思いますよ。まあ今大会から『申告敬遠』が導入されていますから、やったとしても『監督の指示だ』っていう事で、選手が責められる事だけはないかも知れませんが。まぁ、ランナーも居ませんし、とりあえずは勝負だと思いますよ、本田さん」
大滝 玲香と本田 陽子が、そんな会話をしている。
もちろん、これからの試合展開を予想して楽しんでいる観客の姿、という体ではあるのだが、わざわざ自分の言葉の最後に相手の名前を口にしているあたり、地元の学生スポーツ界隈では伝説となっている、例の【 伝説の放送事故 】の冒頭部分の雰囲気をマネしているのだろうと思われる。
「相手のピッチャー、どう思われますか? 大滝さん」
「うーん…… 投球練習のボールだけでは、まだ何とも。それよりもキャッチャーには、コース指示など注意して欲しいですね。判断をミスると、1発もってかれますよ。まあ、我々としては景気づけにレフトスタンド辺りへ打ち込んで欲しいところですけどね、本田さん」
あくまで三塁側の応援団観客として、好き勝手に解説みたいな事を口にしている二人だった。観客である上に弘前応援団の一部でもあるため、プロ解説のような公平性はカケラも無い。
「コース指示が大事ですか、大滝さん」
「キャッチャーのリードは責任重大ですよ。今年のKYコンビには、去年と比べて『物理的な弱点』というモノが増している、と言ってもよい状態なんですよ。リードひとつでカウントを稼ぐ事も可能です、本田さん」
などという二人の会話に、大滝と本田の近くに居る観客の数人が、『なかなか野球スキルの高い解説をしているな』と、聞き耳を立て始めていたのだが。もちろん二人はそんな事を知る由もない。
「弱点ときましたか、大滝さん」
「今年からKYコンビは『木製バット』を使用しています。おそらくはプロを意識しての事だと思われますが、現状の金属バットと木製バットを比べた場合、まだ金属バットの方がバットの芯…… 反発力の高い、バットのスイートスポットの範囲は広いですし、金属バットの方が反発力そのものも大きいですからね。打たれるにしても、飛ばしづらい木製バットの芯を外すようなリード、配球をする事ができれば、うまくすればシングルヒットに抑える事ができるかも知れませんよ、本田さん」
おおー。
と、声に出さないけれども。心の中で感心した声を上げる、大滝と本田の周囲で聞き耳を立てている数人のTシャツ組たちだった。
「ほかに相手校バッテリーが注意するべき点はありますかね、大滝さん」
「あえて挙げるとすれば…… 『おっぱい』かも知れません。本田さん」
この娘、何を言ってるんだ。
「あんた何いってんの? 」
聞き耳を立てている周囲の人間たちと同様の意見を、アナウンサー役の本田が口にしていた。
「うんまあ、バカな事を言ってるな、と思われるのも仕方ない。でもね、最初の打席に限って言えば、わりと切実な事もあるんだよ」
「意味わかんない」
意味わかんない。
聞き耳を立てる周囲の人間もそう思った。中には『うんうん』と小さくうなずいている者も居る。
「でもさー、相手の『水城附属高校』って、男子校らしいんだよ。弘高の応援サイトのさ、今年の対戦高校データブックのページに、そういうのが書いてあった」
「えぇ―― 。それ何の関係が」
「男子校で野球一筋で、もしかして彼女が居なかったりしたら、キャッチャーにとって山崎さんの初打席は集中力を乱されるかなー、って。だってスゴイもん、アレ」
「そんなに?? いやまあ、確かに以前、部室で見た時はスゴかったような気が…… 」
「山崎さんってさ、いつでもフルスイングする姿勢で待ち構えてるようなバッティングフォームでしょ。すごい身体をねじって、前傾姿勢ぎみで待ち構える、例のアレ。あの姿勢でキャッチャーの位置からだと、見える景色がスゴイんだよね…… 」
「あー。アンタもキャッチャーだったもんね。対戦してるし」
そんな会話に聞き耳を立てている連中の一部が、『もしかして雲雀ケ丘女子の生徒か? 』と、二人の正体に気づきつつあった。もちろん試合には何の関係も無い事だったが。
「あんたなら、どうする? 」
「とりあえず1球目は、外角低めに外す全力のファストボールを要求する。下か外へ変化するムービングファストでもいいな。木製バットだし、山崎さんも今年からはボールを選んでくると思うし。今日の審判の判断基準も調査できるじゃない? まあ内角は無いな。身体に直撃コースでも無い限り、たぶんレフトスタンドに運ばれると思う」
今は浜風がイイ感じに吹いてるからねー。と口にする大滝。そうしている間に投球練習が終わり、軽く礼をしつつ山崎 桜がバッターボックスに入り、審判がプレイを宣言する。
試合開始を告げる、甲子園のサイレンが鳴り響いてゆく。
弘前高校ブラスバンドが楽曲を始め、バッターである山崎 桜がバッティング姿勢を取り、ピッチャーがセットポジションに。サイレンがもうじき鳴り終わるか、というくらいに時間をいっぱいに使い、投げられた、第一投は――――
カキィッ ――――
鋭いスイングと同時に聞こえる、木製バットの打撃音。
叩き返された内角高めのボール球は、浜風に流されながら、レフト上空へと運ばれていく。
「いったぁ―― !!」「入ったか―― ?! 」
わぁぁぁ―――― っっ !!
木製バットの打撃音とともに、三塁側応援団と外野観客が大歓声。白球は甲子園の夜間照明を受けて白く輝きながら、レフトスタンド上段へと吸い込まれていった。
わぁーい、とばかりに笑顔の駆け足で、三塁側に手を振りつつ塁を回って行く山崎 桜の姿に、大歓声を上げている応援団と観客達だった。
「今の内角だった? 」
「内角高めだね。まあ、内角高めのボール球の印象を残してあるうちに、次は外角低めの変化球でカウントを取るとか考えてたんなら、まあ普通は問題ないと言えば問題ない配球なんだろうけどねー。山崎さん相手だと、それは違うんだよなぁー。判断ミスかなー。まあ今の一発で、ちょっとは目が覚めたと思うけどさ。あのスイング、超高校級とかいうレベルじゃないからね」
弘前高校野球部の応援をしつつ相手チームの批評をする、経験者目線の解説のような会話をする二人。とりあえずお祭り騒ぎに便乗した感じの観客からは『便利な解説だなぁ』と思われつつあったが、それも二人にとっては関係のない事だった。
選手は全力でプレーをして、制服組の応援団も声を張り上げて選手を鼓舞して、Tシャツ組の一般応援団はとにかく騒いで試合を楽しむ。地元から集まってきた観客も思い思いに、ある者は軽食をつまみつつ麦茶を、あるいは泡の出る炭酸飲料を飲みつつ、球児たちの熱戦に歓声を上げていた。日没からのナイターという、高校野球の公式戦としては珍しいシチュエーションも手伝ってか、すべての観客が楽し気に声を上げ、思い思いに試合を観戦し、楽しんでいた。
年に一度の、夏祭り。
そんな雰囲気を醸し出しつつ、弘前高校の1回戦は進んでゆく。
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【 スコアボード状況 】3回裏 終了時点
弘前 4 3 4 |11
水城 0 2 1 | 3
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「さすが弘前の強力打線!! どんどん点が入りますね、大滝さん!! 」
「水城附属も落ち着きを取り戻してきましたねー。さすがに県代表だけあって、総合力は侮れません。それと弘前の1年生のプレーに固さが見られます。打席でも当たってませんし、守備も外野に大穴が空いてますね、本田さん」
「辛辣ぅ―― 」
「去年の夏も最初のうちは、こんな感じだった気はするんだけどね。でもまあ、今日は外野席も一杯お客さんが入ってるし、プレッシャーがスゴイとは思うけど。今日は観客の圧力がスゴイと思うよ。地元じゃ外野も内野も、こんなに入らないでしょ」
「全部で5万人くらい入ってるかな? 」
「それ満員御礼だから。…… でも、今日の入りだと、4万人、いやもしかすると、4万5千人ぐらいは…… ヤバいね、今日の試合。ナイターだし、色々な意味でプロの試合みたいだよね、決勝戦でもないのに。1年生にはキツそう」
大滝と本田の解説を聞いて『うんうん』とうなずきながら、それでも弘前高校の得点に大いに盛り上がる応援団。隅っこの方ではビアガールを呼び止めている者も居る。すでに夏祭りの、お気楽気分なのだろう。得点差に安心しきっているとも思える。
「まあ弘高は選手の育成方針が、自由な感じだしなー。7番8番の1年生、どんどん交代させてきてるでしょ? 『せっかくだから』とか言って、大観衆のプレッシャーとか経験させようとしてるのかも。全員出すつもりかな? 」
「山崎さんとか、けっこうスパルタだしね」
「本田はいきなり叩きのめされたもんね」
「いい想い出だよねぇ」
弘前応援団に気楽で楽し気な、お祭りムードを提供しつつ。試合は進んでゆく。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【 スコアボード状況 】6回表 終了時点
弘前 4 3 4 1 0 2 |14
水城 0 2 1 2 1 | 6
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「よーしイケるいける!! そろそろ山崎さん登場だしね!! 」
「…… ちょっとヤバいけどね」
「えぇ―― ?? 余裕じゃん。まだ8点も勝ってるよ。まあ申告敬遠?? ていうので、KYコンビがホームラン打てなくなってきたけど」
「いや、点差よりもね、雨が」
「あー、さっきから強くなってきたよね。なんか降水確率も80%くらいみたいだし、もう止まないかも。寒くはないけど、びしょ濡れだよー」
「7回裏の終了前に試合中止になって、再試合にならなきゃいいなー、と思ってね。明日から予定を入れちゃってるんだよなー」
「「「えっっっ」」」
その直後。
大粒の雨が、叩きつけるように降り注いできた。
「うわぁ―――― !! 大滝が変な事を言うから!! 」
「関係ないでしょーが!! 」
刻一刻と酷くなる雨の中、試合は続く。
びしょ濡れTシャツ応援団は、ちょっとだけマジメに声を出して応援する事にした。せめて、このまま8回まで進んでくれ、という気持ちを込めて。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【 スコアボード状況 】6回裏 終了時点
弘前 4 3 4 1 0 2 |14
水城 0 2 1 2 1 4 |10
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「なんで相手チーム調子に乗ってんの?? 学校名に『 水 』ってついてるから、雨が降ると調子が出てくるの?? アマガエルの友達なの?? 」
「雨のせいで、弘前の守備が内野も外野もエラー出しまくったせいでしょ。山崎さん達は安定してるけど…… 青空球場は、こういうもんだから」
その直後。
また雨足が強くなり、風も出てきた気がした。
「もう大滝だまれ。この雨女め」
「関係ないって言ってんでしょーが」
その後。
びしょ濡れTシャツ応援団は制服組応援団といっしょに、雨にも負けず、風にも負けず、半ばヤケクソ気味に応援を続けたのだった。応援団が心配する中、雨足は強くなったり弱くなったりしたものの、結果として試合は中断にも中止にもならず、規定通りの9回まで消化する事ができた。
大粒の雨が降り遠雷の音が響く中、弘前高校の校歌が流れ、校旗が掲揚されていく。風はあったものの、降り注ぐ雨に濡れた校旗は風にはためく事もなく、他の旗といっしょに、しょんぼりと垂れ下がっていたという。大粒の雨に打たれつつ校歌を歌う弘前高校野球部員は、けっこう楽しそうだったが。
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【 試合結果 】 弘前 18 ― 14 水城 附属
弘前 4 3 4 1 0 2 2 0 2|18
水城 0 2 1 2 1 4 4 0 0|14
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【弘前高校、1回戦を突破。2回戦へ進出】
年に一度の、甲子園の夏祭り。
その初日は、雨に降られつつ始まり、雨に降られて一日が終わったのだった。
そんな訳で。弾丸応援ツアー客の風景でした。弘前高校野球部は相変わらずです。
そして今回もまた少し遅くなってしまい、申し訳ありませぬ。こんなに遅くなるハズでは…… まあ何度か書き直して、雰囲気的には良くなった気がしているので結果オーライという事で。次回はもう少し早く投稿いたします。ぜったい。きっと。たぶん。
毎度の誤字報告機能の活用、ありがとうございます。過去の投稿の不具合もときどき見つけていただき(ぇ)拙作の品質向上と維持にはユーザーデバッガー様と読者様の優しさが必要だと毎度感じているところ。今後とも、どうぞよろしく。寛容な気持ちでどうぞ、気長にお付き合いをば。
そりゃそうと。
今回の夏の甲子園!! 筆者がネタとしてやろうとしていた事、半分くらいリアルでやってくれましたね!! 進捗が遅いのが悪いんだけど、もう完全に後出しじゃん!! まさに現実は小説よりも奇なり。現実が許可を出したのです。特に天候不順の関係、何やってもいいんだって思いました。わーい!! 今後も好き勝手にやるぞ――!!