116 夏の開会式
よし!! ギリギリセーフ!!
高校球児の夏の甲子園。開会式前も、かなり忙しい。
全国各地から集まってきた代表校の面々は、宿泊所に着いてからすぐ、開会式に向けての準備を始める事となる。各校それぞれの支度や持ち物の確認、応援団や地元後援団体などとの連絡なども含まれるが、球児にとっては大会や開会式に関する準備が最も重要なのではないだろうか。
その中に、甲子園球場そのものについての説明、というものがある。屋内練習場や医務室などの施設の配置、使用上での規則、通路の配置、立ち入り禁止場所など。
もちろん基本的には団体行動であるし、案内係が居るので不具合は無いはずだが、緊急の際には、自分自身や学校関係者だけで何とかしなくてはならない状況も有り得る。また、禁止行為を未然に防ぐという意味もあるため、説明と確認は重要だ。もちろん弘前高校野球部の上級生のように、現地を経験済みの人間であれば、復習するつもりで説明を受ければいい。
「使う通路だけは、覚えてるんだけどねー」
「グラウンドまでの通路とか、屋内練習場までの通路とかな」
などと話しつつ、通路を歩く俺達。現場経験値は相応に積んでいる上級生組なので、屋内練習場の近くのトイレの場所とかには詳しい。それでも、よく知らない場所に迷い込んだら戻って来られるかどうか自信が無い。地元の県営球場と違って、スタンド下とか半地下の施設などは、とてもとても広い。弘前高校の上級生といえど油断はできないのだ。そんな感じで案内係の人から説明を受けつつ、俺達はグラウンドへと、少しずつ歩いてゆく。
そう、今日は甲子園球場でのグラウンド練習を行う日なのだ。限られた時間ながらも、甲子園球場での練習を行える日だ。多くの選手にとっては、初めて甲子園の土を踏む機会となる。もちろん、ウチの1年生もだ。
「 …… ここが、フェンスの向こう側…… 」
「 ……おおお………… 」「これが、甲子園の土の感触…… 」
「グラウンドから見るバックスクリーンの凸は、また趣が違いますね」
「バックスクリーンのアレ、商標登録されてるんだっけ」
初めて甲子園球場の『フェンスの向こう側』に足を踏み入れる1年生達が、感慨に満ちた言葉を漏らしている。俺達も、去年はあんな感じだったなぁ。
今日の甲子園球場は、雲もまばらな快晴。ここ最近は雨が降ったり降らなかったりだったが、そのおかげか、球場の空は見事な青空だ。初めて甲子園の土を踏み、甲子園の空を見上げる1年生達にとって、最高のコンディションだろう。まるで俺達を、弘前高校野球部を、甲子園が歓迎してくれているようだ。などと考えてしまう。
「どう? 広いような、狭いような。不思議な感じでしょ? 」
山崎の言葉に、うなずきを返す1年生たち。
グラウンドの両翼は地元の県営球場とほぼ同じはずだが、フェンスの高さは全然違うし、客席はプロ球団のホーム球場に相応しく広く、高さもある。地元の県営球場との細かな違いを挙げればきりが無い。今日はそんな、視覚的な、感覚的なギャップを、地元球場との感覚の違いを理解して、甲子園球場に順応するための練習だ。限られた時間で効率的に、できるだけ頑張る方向で。足りない部分は勝ち抜く事で経験値を積む事になる。
「さて、守備練習を始めるわよ。打ち合わせた通り、できるだけ甲子園の環境に慣れてもらうからね。ほーれ、散った散った」
「「はいっっ!! 」」
それぞれの練習位置へと散っていく仲間達。そして俺と山崎は、監督やマネージャー達と一緒にボール出しとノックの準備。去年もそうだったが、ウチの学校で自由自在にノックを行う技術を持っているのは、山崎と俺の二人だけなのだ。平塚監督は言うまでもない事なのだが、それほど上手ではない。特にキャッチャーフライなどは壊滅的だ。
今日の俺達は、時間の許す限り、球の供給が続く限り、限界まで打って打って打ちまくる打撃マシンと化すのである。これが地元やレンタル球場であれば、ピッチングマシンを使った守備練習も出来るのだが。もちろん普段の練習であれば交代でノッカーが変わるところだが、今日に限ってはそうもいかない。
「時間は無いからね!! 情報共有は大事よ!! 」
「「はいっ!! 」」
山崎がそう言う間にも、打球が次々と飛んでいく。
キィン!! キィン!! キィン!!
山崎が久しぶりに振るう金属バットから弾き返された打球が、甲子園球場の土を跳ね、宙を舞い、風に乗って流れていく。金属バットの打撃音、青空に飛ぶ白球に、観客の大歓声を聞いたような、そんな気がした。
今年はどんな試合が出来るのか。そして、どこまで勝ち進む事が出来るのだろう。もちろん可能ならば最終試合まで勝ち上がりたいものだが。そればっかりは、試合をやってみない事には分からない。
―― よく来たな。さあ、お前の力を見せてみろ。
もしも甲子園の妖精が居るとしたら、そんな一言を言うのだろうか。いや、それを言うとしたら、開会式かな。
そんな事を考えつつも、甲子園の土へ、空へと、白球を飛ばし、飛ぶ白球を追って走る俺達だった。大会前の俺達の一日が、こうして過ぎてゆく。
※※※※※※※※※※※※
開会式に向けての一日を、また迎える。
大会前の準備、そして関係者の、お楽しみイベントの一つに、『 本抽選 』というものがある。3回戦までのトーナメント表を埋めていく、参加者がドキドキできるイベントだ。人によってクジ引き結果の良し悪しの判断基準は違うだろうが、誰もが良い結果が出る事を望んでいる。
俺達も部員が迷子にならないように注意しつつも、抽選会場で主将のクジ引きの様子を部員全員で見物する事にした。予備抽選で決められた、弘前高校のクジの順番は少し遅い。トーナメント表が半分くらい埋まった後、我らが主将、松野キャプテンがクジを引く。
『 ―― 弘前高校、5番!! 』
おおお――――!!
注目校っぽい歓声が上がってる!! 俺達の試合は開会式当日、初日の第3試合か。
…… あれ? そうなると、開会式が終わってから、宿に戻って少しだけ休んで、また球場に向かう事になるのか。意外に忙しいスケジュールかもな。試合が終わったら、すぐ戻って晩飯の時間だし。初日は試合後に素早くシャワーだけ浴びて晩飯、そして温泉かな。
ちなみにトーナメント表の配置から、今年も最終試合までの試合数は6試合となる。弘前高校として『クジ引きの結果は良かった』と言えるだろう。無論、とある選手の価値基準に感化されていった結果のものだ。今となっては誰も違和感を感じない。
次々とクジが引かれて、次第に完成していくトーナメント表。ときおり『うおー』とか『ひょおー』とかいう声が上がっているが、あれは悲鳴なのか歓声なのか。
「あたし達の1回戦の相手、『水城大 附属』ですって。知らないなあ」
「全国的に名前が売れていないからって、弱いとは限らないけどな」
去年の弘前高校の例もあるし。自分達の例を無視はできない。
「問題は、試合の開始時間よね。終了時間もだけど」
「気になるのは、晩飯の時間? 」
俺が気になっている事を口にしてみる。
「もちろん量は出してもらえると思うけど…… デザートとかローストビーフとか、1回の食事に出せる量が限られてる料理が減っちゃう可能性を考えると…… 」
「あんまり遅くなると、ビュッフェスタイルじゃなくなるかもなぁ…… 」
まあ、おかず大盛り!! 山盛りのご飯!! みたいなのも悪くないけど。去年みたいに、宿までガマンできないくらいに腹が減るような状況でなければ良いと思うよ。普通に3時間以内の試合時間で収まれば問題ないんじゃなかろうか。
「タイムアタックでも…… やるか」
「そんな器用なマネ出来るの? 」
攻撃時間も守備時間も最小限にする、とかいう工作をしないとダメな気がする。そもそも甲子園…… 全国大会の本選においては、得点差によるコールドは無い。9回裏までプレーを行うのが前提だし、天候不良によるコールドゲームが発生する場合も、7回終了まで試合が進行している事が前提となる。普通に考えれば、ジャンケンに勝った上で後攻を選択し、得点のリードを得たら両チームが三者凡退の状況で試合を進行させ、9回表を終了させてサヨナラゲームにする必要があるワケだが。
「シナリオはこう。まず、ジャンケンに勝つ」
「まあ、勝ったとしよう」
山崎が何やら語り出した。いきなり運任せからスタート。
「後攻を選択する」
「うんうん。サヨナラ狙いだな」
順当だな。予想通りだ。
「あたしがマウンドに登る。三者凡退にする」
「まあ、不可能では無いだろう」
「ウチの攻撃、1番から4番までの間に1点以上を入れる」
「1回戦なら、まあ無理じゃないだろうなぁ」
「相手チームの打者は素早く三者凡退にして」
「打ち取るよりも確実性を重視かな? 」
「次からはウチの攻撃も三者凡退する」
「わざと? 俺達も?? 」
「この調子で最終回まで素早く処理する。うまくすれば1時間で試合は終わる」
「どう考えても外聞が悪すぎるだろ」
相手が弱かったから舐めプしました、みたいな感じで叩かれる事は請け合いだ。ぜったいに止めておいた方がいいと思う。今までの大会記録での最短時間記録とかも、わざとそうした訳じゃなく、結果として早く試合が終わっただけだろうし。
故意三振さえしなければ、普通に完全試合で話題になる試合の流れだから、そっちの方でも狙ってみたらどうなのかな。相手チーム次第では、可能なんじゃなかろうか。
「ダメかぁー。第1試合と第2試合に期待するしか無いかなぁ」
「試合展開が早いといいな」
そればっかりは、当日になってみないと分からない。それに、第3試合で試合開始の時間が遅くなるのは開会式で時間が遅くなる1回戦だけで、ここを勝ち抜けば、あとの試合は時間的にも問題ないはずだ。
トーナメント表が完成した後、インタビューを少しだけ受けてから帰る俺達。宿に戻った後、山崎が先生と何やら話をしていたが、たぶん大会初日の夕食に関しての話だったと思う。なぜなら翌日、『遅くなった場合、唐揚げと京野菜の天ぷらの山盛りが出るそうです』という話からミーティングが始まったからだ。
とりあえず山盛りの揚げ物は約束された。
これで安心して開会式を、大会初日を迎える事ができる。俺達に死角は無い。
※※※※※※※※※※※※
そして、全国高等学校野球選手権大会、開会式の日が来た。待ちに待った、夏の全国大会が始まる日。そして俺達の、最初の試合の日でもある。
「 ―― 空は突き抜けるように青く、灼熱の陽光が燦燦と降り注ぐ。球児たちの夏の物語が、今、新たなページを開こうとしていた ―――― 」
「去年の開会式の情景描写かな? 」
まさに入場行進が始まろうとしている、そんな時。目の前の風景とは全然違う、適当なナレーションが隣から聞こえたので、適度にツッコミを入れる。
「こういうの、コピペでいいんじゃない? 」
「実際の光景と違い過ぎるだろ? 」
―― 本日、甲子園球場の空。これでもかというくらいの曇天である。燦燦と降り注ぐ陽光など、欠片も見当たらない。
雲は厚く、低く垂れこめている。頭上の雲は灰色で、青空は地平線の彼方まで見当たらない…… ような気がする。さらに遠くには真っ黒な雲すら見える。暗い。まだ午前中だというのに、まるで夕暮れのようだ。
台風が接近しているという訳では無い。接近してきていた台風は海上で熱帯性低気圧に変化した。しかし、その低気圧の波が波状攻撃のように押し寄せてきている。降水確率の予想は3日前の本抽選日までは30%程度だったが、今日の6時に更新された予報では、午後の降水確率は80%に達している。降水量は分からないが、にわか雨くらいは降っても不思議ではない数値だ。もしかしたら開会式中に、ひと雨あるかも知れない。
そしてこの数字、向こう1週間ほど、ほぼ変化が無い。こんな日に開会式を強行したのも、『待つだけムダだ』という判断が下されたからだろう。
過去に開会式の予定日に台風が直撃して、開会式を2日ほど遅らせたような話はあるが、今回は適用されないようだった。
きっと、もっと前の天気予報…… 予測では、きっと晴天だったんだろうな。実際はこんな天気だけれど。
―― 遠くの空に浮かぶ黒雲から、時おりゴロゴロという雷の音が響いてくる。雷鳴と呼ぶには微妙な感じの、まだ小さい音ではあるが。不穏な空気を感じる、低い響きだった。
「 ―― 黒雲より遠雷が響き、ただならぬ景色であった」
「教科書に載ってる感じの描写をするんじゃありません」
山崎がどこかで読んだみたいな、何かの引用みたいな、パクリみたいなセリフを言っていた。
「夏の甲子園の期間は、『比較的、晴れ間の続く時期』を選んで決めたっていうのを、どこかで見た気がするんだけど。最近はアテにならないのかしらねー。地球温暖化の悪影響かしらね」
そんな事を言っている間に、弘前高校のプラカードを持った女生徒に続いて、俺達も歩き始める。ともかく入場行進の始まりだ。TV中継されているのだ。キレイに見栄え良く行進せねば。俺は口を閉じて姿勢を正すが、山崎は腹話術のような話し方で、まだ独り言を口にしている。
「小雨なら涼しくていいんだけどね。雷とかは―― 」
そのとき、パラパラと小さな雨粒が俺達の帽子を叩く音を聞く。そして。
「あっ。光った」
山崎の言葉の後、しばらくしてからゴロゴロと遠雷の音が聞こえてくる。どこか遠くの雲の中で雷が走ったのだろう。光と音の間隔からして、まだ遠い。まだ大丈夫だ。
「音だけならいいけど、雷雲が近づいてくるようだと…… 」
「もう黙ってろよ山崎」
耐えかねて一言を口にする俺だった。
山崎の言葉に、現地の妖精が気を利かして変な演出を加えるような事があっては困る。雨くらいなら開会式も続行するだろうが、雷警報が出るレベルで稲光が近くで閃いたりしたら、中断の可能性もあるのだ。甲子園の妖精がサービスしすぎるような状況は避けたい。そんな事を考えつつも、リハーサルで覚えた通りに行進して並んでゆき、方向転換して短く行進、整列を完了する。
ちょっぴり早口で進めているような司会の声、大会役員や文部大臣の言葉を聞き、開会式は着々と進行してゆく。
『 ―― 宣誓!! 』
響く遠雷の音をバックに、今年の選手宣誓が始まった。
「 ―― その時」
山崎の一言に応えるように稲光が閃き、数瞬の後、身体の芯に届くような、今までになく大きな雷音が響いた。
「 ―― あらやだ」
「だから黙ってろよ!! 」
この天気の荒れ模様。山崎が『ちょっとくらい荒れた方が面白いのになー』とか思った結果では無いのか。だとしたら、今年の大会参加選手と関係者全員に謝って欲しいぞ。
そんなこんなで、ときおり雨に降られながらも。俺達の今年の開会式は進行していった。今年の大会はどんな感じになってしまうのだろう。とりあえず、今日の俺達の試合が無事に済めばいいなぁ、と。そんな事を考えている俺だった。
―――― さあ、お前たちの力を見せて見ろ ――――
響く遠雷の音が、そう語り掛けてきているかのような。
そんな錯覚を覚えつつ。
俺達の大会は始まったのだった。
だいぶ遅れて申し訳ありません。少し削って開会式前の話として突っ込んでも良かったかも知れませんが、結果としては何とかギリギリ良かったと思います。更新日に開会式の予定ですよね。ギリギリセーフ。
前回の更新の時点で『開会式の天気が悪い』というのが決まっていたのですが、本物の大会の開会式はどうなるんでしょうか。降水確率、かなり高そうなんですけど……筆者が確認した時は神戸の降水確率が90%くらいだったような……
1週間以内に更新するつもりが、気づいたら1カ月経過していたぜ!! とかいう困った状況になっていたわけですが(この1カ月の間にワクチン接種2回とか色々発生したりしてました)、寛容な気持ちで付き合っていただけると助かります。更新は不安定ですが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。とりあえず初日の録画をセットしておく筆者でした。