106 彼女達が決めた試合の形
あっ。もう3月……?!
薄い雲が、わずかに漂うだけの快晴。風は微風。気温と湿度を除けば、絶好のスポーツ日和の日曜日。
県営球場の観客席は8割以上が観客で埋められており、一塁側も三塁側も、それぞれの応援席では全校応援と思われる大勢の生徒達が、応援の手順やフォーメーションの最終確認に余念が無い。周辺には住宅の密集地域も無いという事情もあり基本的に鳴り物の制限も無いため、互いの高校の応援団も、持ち込めるだけの鳴り物を持ち込んでいる。音を確認する楽器の音色や、メガホンを打ち鳴らす音が聞こえてくる。
『――応援、よろしくお願いします!!』
守備練習を終えた雲雀ケ丘の野球部員がベンチ上の応援席に向けて頭を下げると、わぁ――っという歓声が応援席から上がった。
あとは係員がグラウンド整備を行い、試合開始を待つばかりとなる。内野も外野も、応援団も一般観客も。すべての観客が今か今かと、試合の開始を待ち構えた。
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【 F県TV専用 放送席 】
「――いよいよ我らが県の、今夏の代表校が決まる決勝戦。間もなく試合が始まろうとしています。本日の実況はF県テレビ、スポーツ部門担当、私こと東田が。解説は先日の準決勝で惜しくも敗退した明星高校の、藤田監督でお送りします。藤田さん、今日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
「二年連続の、明星 VS 弘前、という決勝の対決を期待していた高校野球ファンも多かったと思いますが……今日の試合は、別の意味で注目されていますね」
「そうですね。雲雀ケ丘高校は、野球部の歴史としても、県大会の決勝まで勝ち残るのは、これが最初のはずですが……『女子野球部』が夏の県予選の決勝に進出する、というのは全国的にも初でしょう」
「弘前高校は弘前高校で、去年は無名からの大躍進、として注目を集めましたが。雲雀ケ丘高校はそれに続いた、とも言える形でしょうか」
「これで雲雀ケ丘が優勝すれば、全国初の、女子野球部による甲子園出場校の誕生ですね」
「その可能性は、あるでしょうか?」
「……高校野球は何が起きるか分かりませんし、能力の数値化も困難です。見た印象を比較して、単純に力の勝っていると思われる方が勝つとも限りません。いみじくも、昨日の我々の試合がそれを証明しています。もっとも、雲雀ケ丘の対戦相手は弘前高校、雲雀ケ丘野球部の技術指導をしていた山崎選手が居ますからね。簡単ではないでしょう」
「やはり弘前高校が有利、でしょうか??」
「内野のエラーを含めた出塁、内野安打の可能性は両校ともに低いでしょう。となれば、外野へ速い打球をどれだけ飛ばせるか、長距離の打球を数多く飛ばせるか……ノーアウトでランナーが一人でも出れば、選択肢は多くなると思いますが。いずれにしても、『 敬遠策を取る事が最も安全な打者 』を二人も抱えている弘前の方が攻撃する側としては有利、と言えるかも知れません。ランナーを確実に出せる機会が増えるとなれば、作戦の幅も広がります」
「やっぱり、KYコンビは敬遠されるでしょうか?」
「状況次第では、迷う必要も無いかと思います。山崎選手は足も速いので塁に出せば厄介ですが、走ると分かってさえいれば対応策もありますしね」
「しかし、今日の弘前高校のオーダーは、少し驚きました」
「そうですね。トップバッターが山崎選手なのは相変わらずですが、北島選手が3番手です。これは雲雀ケ丘としては、かなり嫌でしょうね」
「今まで4番を打っていた北島選手を3番手に上げてきた、というのは。どういう意図があるのでしょうか?」
「上位打線で、確実に1点を入れるためでしょう。山崎選手は足もありますから、仮に山崎選手が単独スチールで二塁に進塁した上で……おそらく、第二打者の1年生、安藤選手はバント要員だと思われますが……ワンアウト三塁で北島選手とか、もの凄く嫌ですね。大量得点を得られるとは思っていないのでしょう」
「北島選手は、敬遠もあり得ると思いますが?」
「その場合はワンアウトで三塁一塁。失点の可能性は高く、状況はかなり厳しいでしょう。もちろん、点を取り返せば問題ないとも言えますが……先日を含めて今までの雲雀ケ丘の試合展開から考えて、ロースコアの1点差勝負のような試合展開を想定しているのではないか、と思います。それはおそらく、弘前高校としても同じではないか、と」
「北島選手の打席を1つ上げた理由ですか」
「どちらの立場としても、理想的に事が進んだ場合ですけどね。今までのように、山崎選手と北島選手の間に打者が2人いれば、山崎選手が三塁に進むまでの間にアウト2つを取っておく事もできた、とも言えます。これなら敬遠した後で勝負しても、一塁で打者走者をアウトにすれば三塁走者の得点は防げます。もちろんプレッシャーは感じるでしょうが、ワンアウト三塁一塁で捕球後の送球判断を迫られるのと、ツーアウト三塁一塁で、ほぼ何も考えずに一塁に送球できるのとでは、圧力にも大きな差が出てきますよ。もちろん、どちらの立場としても『想定通りに状況が進めば』という前提がありますが」
「平塚監督としては、雲雀ケ丘のナックル姫投手陣に対しての、緊急対応策、という事でしょうか。ピンポイントで確実に得点できるような状況を作りたい、と」
「だと思います。昨日の試合を見るに、それぞれの投手の変化球は中々のものでした。情報によれば……特殊な情報源ですが……まだ投げていない投手もいるみたいですし、ね。この試合で、ぶっつけ本番で勝負しながら対応する事には違いありません。互いに長打が難しい場合、送りバントやスクイズの成功率が得点に大きく影響するかも知れませんね」
「ありがとうございます。では、ここで両校のオーダー表と、前日の準決勝のダイジェスト映像をどうぞ」
――――ここで、映像が切り替わる。
「……はい、音声映像、大丈夫ですか?間違いない?以後も確認よろしく……。いやぁ、藤田さん。今日は解説を引き受けてくれて、本っ当にありがとうございます!!」
「それ程ですか……」
「ですよ!!等々力監督はちょっと……」
「うーん、まあ、ちょっと……まあ、確かに。仕方ないですね」
「今日は音声映像確認は逐一ダブルチェックする事になっていますし、本当によろしくお願いします」
「昨日はある意味、郷土史に残るアレでしたからね」
「すみません。ウチの局の不手際で」
「まあ、色々と面白かったのは間違いないですが」
「仕事してる側としては、最悪でしたよ…………ところで、藤田さん」
「なんでしょうか?」
「雲雀ケ丘の『ナックル姫の投手陣』ですけど、何かいい呼称ありませんかね?実は、いまだに『これだ』という呼称が無いというか。メディアによってナックル姫部隊だとかナックル・プリンセス軍団だとか雲雀ケ丘ナックル姫騎士団だとかもうバラバラで」
「姫というのは外せないですしね」
「ですよね。これまでの前例だと、エースか控えで一人いればいい方でしたから、特に呼称に困った事も無かったんですが」
「そのうち適当に収束するんじゃないですか?あ、もう始まりそうですよ」
――――中継本部から連絡が入り、映像が切り替わる。
「――はい、選手に集合がかかりました!!いよいよ始まる、県下の高校野球ファンが待ちに待ったこの一戦、おそらくは全国的にも、結果、試合内容ともに注目されている試合だと思われます。一校は大方の予想通り勝ち残った、前年度の夏の甲子園大会の準優勝校、弘前高校。KYコンビと呼ばれ勇名を馳せる、山崎・北島の両選手を主軸とした強力な打線、そして抑えの切り札としての山崎選手の存在は誰もが知るところです。――そしてもう一校は、県下唯一の女子高による参加校、雲雀ケ丘高校です。もちろん構成メンバーは女子ばかり。ですが安定の守備力と、現在話題の【 ナックル・プリンセス軍団 】の力によって、県下の野球名門である明星高校を僅差で破り、決勝進出を決めてきました!!弘前高校が優勝すれば、二年連続の夏の甲子園への出場、そして雲雀ケ丘高校が優勝すれば、雲雀ケ丘高校の甲子園初出場はもとより、大会史上初の、女子高野球部による甲子園本選への出場、という偉業を達成する事になります!!試合の行方に御期待ください!!」
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『――お互いに、礼!!』
『『『『 お願いします!!!! 』』』』
両校の選手が互いに礼を交わすと、観客席から大きな歓声が上がる。
先攻は俺達、弘前高校。雲雀ケ丘の選手が守備位置に散り、マウンドの状態を再確認しつつ、今日の先発を務める、3年の川埼 美智留さんが投球練習を始める。
右サイドスロー。そして去年から決勝戦では使用する事に決まったのか、今日も機能している県営球場のスピードガンは、スコアボードの隅に球速を表示していた。
【 121 ㎞/hr 】
女子としては充分に速いし、サイドスローの投手はあまり経験していない。もっとも、おそらくは変化球が主体で、直球そのものが一種の変化球扱いで投球される事だろう。この直球と同程度の速度の変化球を投げてくるのだとしたら、そこは読み合いになるはずだ……一部の選手を除いては。
その『 例外となる一部の選手 』が、ネクストサークルでバットのスイングをしている。今日も木製バットの、山崎 桜。そして山崎は例外中の例外すぎて、まともにボールがストライクゾーンに飛んでくる可能性すら低い。さて、どうなるのだろうか。
『プレイ!!』
「おねがいしまーす」
山崎が軽く礼をしつつ、バッターボックスに入り、サインを確認した川埼投手が、第一投を投げた。――その、ボールは。
『――ストライーク!!』
一瞬の間を置いて、球審がコール。山崎はボールを見送った!!
その直後、おおお、と。一塁側、三塁側のスタンドを問わず、どよめきの声が響く。誰もがストライクゾーンを通過したボールを、山崎が見送ったという事に驚いているのだろう。おそらく、今日の解説を受け持っているはずの、明星の藤田監督が的確な解説をしながら実況が景気よく声を張り上げているはずだ。
「結局、全員が投げれるワケぇ?!」
俺の声に、ベンチの仲間から『あ、やっぱり今の、そうだったんだ』と、少し気の抜けた声が上がる。そうだよ!!今のもナックルだよ!!山崎の話だと、新人の投手候補とか2年生には仕込んでおいた、みたいな話をしていたけどさぁ!!3年生も練習してたんじゃんか!!もう雲雀ケ丘ナックル姫軍団でいいよ!!
山崎が一球目を見送ったのも、川埼さんのナックルの軌道を学習するためだろう。ナックルボールである以上、軌道を完全に予測する事は困難だが……山崎の覚醒視力と、野球学習能力をもってすれば、回数をこなせばこなすほど、予測の精度はどんどん上昇するはずだ。
それに相手がフェイクをかけるつもりで普通の直球や、甘い変化球を投げれば一発も発生する。一般的なボールカウントの有利不利に関係無く球数を投げさせる事は、山崎や俺に対しては有利に働くのだ。
だからといって、何球投げさせれば絶対に有利になるか、と言えば。断言できる基準など無い。そもそも山崎の性格からして、そんなに耐球するとは思えない――
カキィッ!!
「あ、打った」
当てられないワケじゃないのかな。2球目もナックルだったし。
しかし。
打球は速い速度で三遊間を抜けたものの、レフト前でバウンド。前進守備のレフトに捕球された。山崎、シングルヒット。
山崎、シングルヒットである。
おおおおおおおおおおお
その現実を目の当たりにした観客が、またも、どよめきのような、うなりのような声を上げている。ヒットを打って出塁した、ノーアウトで第一走者が出た、という歓声は無い。むしろ驚き、困惑の声が大きい。
――頭上の応援席も同様だ。お前ら仕事しろ。もっと歓声とか上げたらどうなんですかね??
「……おいおい、マジか」「スゲーな、姫」
「他人事ではないのに、素直に感心する」「俺には普通のボールだよな?」
ダメだこりゃ。
ベンチの中も同じだった。むしろ相手チームの『ナックル姫1号(仮)』に、感心する声しか上がってない。というか、ナックルか……ナックルボール。ナックルを実戦で経験したのは、去年の夏の甲子園で、1試合だけ。あと、たまーにウチの【 未完の最終兵器・改弐 】が投げてきたりする事があるけど、アレは単なるイレギュラーというか不意打ち以外の何物でも無いし。まともに練習したの、昨日の練習くらいなんだよな……そもそもウチのチームでは山崎しかナックルを投げられないワケで。つまり山崎の打席でのナックルボール経験量が、いちばん少ないという事なのでは????あれ??もしかして、けっこう厳しいのかな?今日の打席ってば。
というか、俺はもうネクストサークルに出ないといけないのか。今日は3番だ。そして、2番の安藤がそれなりの働きをして山崎を2塁に進めた後の、俺の打席。
『 ――ストライーク!! 』
俺にも初球からナックルボール。そしてすぐさま、キャッチャーは三塁へ送球。山崎の三盗を阻止する、素早い対応。捕手で主将の野崎さん、本当に女子かと疑いたくなるぐらいの肩をしている。……そして、山崎から聞いている、『 野崎さんの希望する試合スタイル 』というモノが。本物だ、という事を確信した。
――そう、俺とも勝負してきたのだ。一塁が空いているにもかかわらず、だ。一発の可能性がある強打者として、山崎と同じくらいには警戒されている、俺にも、だ。
トップバッターの山崎を相手にした時の状況とは違う。ワンアウトで二塁走者。おまけに走者は俊足の山崎。一撃あればシングルヒットでも1点入る。万が一のツーランもありうる。だのに、勝負だと。これは確かに、去年の雲雀ケ丘スタイルでは無い。これが、野崎さんの……今年の、雲雀ケ丘の本気スタイル、という事なのか。
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【 F県専用 実況席 】
「――バカな?!なんでストライク?!」
「え?!藤田さん、今の判定が、そんなにおかしかったですか……?」
「いえ、そうではなく!!ここは敬遠して当然でしょう?!相手は北島、一塁は空いてる、二塁は山崎。シングルヒットでも点が入る状況で、わざわざ北島と勝負する理由は無い。ランナーを二塁一塁にしても、状況としては大して変わらないどころか、次のバッターと勝負する方が、失点するリスクは各段に低い!!確かに、山崎選手に本塁打を打たれはしなかったが……この状況下で、高いリスクを犯して勝負する必要性は皆無でしょう?!」
「確かに……。続けて、第二球!!打った!!またも三遊間抜けた!!――しかし、レフトで危なげなく捕球!!ボールは三塁へ!!二塁ランナー、進塁できず!!これは運が無かったか、打球が進塁を妨害した形になりました!!」
「……それと、徹底した前進守備のおかげ、ですね。外野の奥に飛ばさせない事を前提とした、ロースコアゲームを考慮した守備体制ですが……今の打球、センターとライトの方向だったら、1点入ってましたよ。危なっかしいとしか言いようが無い」
「監督指示でしょうか。どういう思惑があるんでしょうか?」
「いえ。雲雀ケ丘の監督は、野球経験はもとより、あまり口出しするタイプでも無いと聞いていますから……おそらくは、選手の意向でしょう」
「選手の意向、ですか?」
「試合の早い段階での、一種の度胸付け、でしょうか?よく分かりませんが。とにかく、選手が、やりたい事をやっている、としか」
「ここ最近のセオリーに従った試合展開になるとは限らない、という事ですね。ますます目が離せなくなってきました!!」
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「ちょっとー!!なに変なとこに打ってんのよ!!あっち打ちなさいよ!!」
「そこまで狙って打てねーんだよ!!」
一塁の走者の俺に、二塁から文句を言ってくる山崎だった。自分だって狙いを外されて上手に打てなかったくせに。
それはそうと、こんなギャンブル性の高い試合スタイルというか、正面から殴り合うようなスタイルを取らせるなんて……まさか山崎のヤツ、野崎さんを洗脳でもしたんじゃなかろうな。試合が終わったら問い詰めてやる!!
そして。
もしもこれが、山崎の洗脳によるモノではない、のだとしたら。
野崎さんの【 目指す野球の姿 】とは、いったいどのようなモノなのか。望むべき試合の姿、望むべき最高の野球。山崎が言うところの、最高の野球ドラマの展開とでも言うべきもの。野球を続けていく事によって心に宿った風景、あるいは野球を始めるきっかけになった、原初の風景とでも言うべきモノが、今の試合の、この姿なのだろうか。
そういった事は、きっと試合が終わってから、山崎が雲雀ケ丘野球部に遊びに行った時にでも聞き出して来ないと分からない事だろうけど。今の俺にも、一つだけ分かる事がある。
――今日の雲雀ケ丘ナイン、めちゃくちゃ気合いが乗ってる。決勝戦のプレッシャーとか、そんなの全然感じられない。
なんかもう、昨日の試合と比べても、動きのキレが違う気がする。特に昨日とは違って最初から外野守備に入ってる2年3年が。俺の打球だって、うまくいけば山崎が三塁に進塁できそうだったのに、レフトの捕球から送球までのモーションが、めちゃくちゃ早かったというか。最適化されていたというか。なにあれスゴイ。ウチの外野手に見習わせたいですわ。
こりゃ、簡単には得点できそうにないなー、と。そんな事を考えつつ。
結局、続く二人を打ち取られて無得点で残塁した俺達は、チェンジの声を聞いてベンチへと走って行ったのだった。
気長にお待ち下さっていた皆様、遅くなって申し訳ございません。いつもの時間に少し(だいたい1時間)遅れつつ、更新させていただきます。言い訳ではないのですけど、どうも最近ノリが悪いというか何と言うか。家庭的な仕事も少々。次回の更新こそは本当に早いですよ、ええ本当に。今度こそ間違いございませんホントですよホント。ストレスって多すぎると何もできないけど、少なくてもテンション上がらないんだよなぁ、と最近は思ったり思わなかったり。
妹の方はそれなりに更新しているのに(ストックがあるのに)説得力が無いと思われるでしょうが、どうか見限らないでお付き合いくだされば幸いです。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。




