105 球場へと向かうバスの中で
まだ試合が始まらない
県立・雲雀ケ丘高校。
正式名称は、このようになっている。だが、女子高であるためか、一般的には『雲雀ケ丘女子』ないしは『雲雀ケ丘女子高校』と呼ばれている。校訓は『 友愛・誠心・努力 』であり、『 社会で活躍できる現代女性を育成する 』事を理念としている学校だ。
偏差値が高めで治安が良く、校風も穏やかな女子の園。部活動は文化系の部活も運動部も、人数の揃った同好会のようなモノであり、同好の士が仲良く楽しく和気あいあいと過ごすためのもの――――というのが校内での認識だったのだが、去年の1学期末からは少々事情が変わってきた。
前年度までは大会に参加しても初戦敗退が当たり前だった硬式野球部が夏の甲子園大会の県予選で活躍し、ベスト8まで勝ち進んだ。それだけでも校内が野球部のニュース一色になるほどの快挙だったのだが、対戦相手だった弘前高校野球部の野球女子、山崎 桜 選手がスポーツメディアで間接的に雲雀ケ丘女子野球部を宣伝して以降、野球部を中心に注目を集める事となった。そして弘前高校の、夏の甲子園での大活躍を期に、爆発的に高まった県内高校野球を軸とする学生スポーツムーブメントに乗っかり、雲雀ケ丘高校野球部と、雲雀ケ丘高校は大きく飛翔の時を迎えたのだった――
「――という感じなんだけどね。そして入学希望者も大幅増と」
「そしてとりわけ野球部の人材が充実したと」
移動中のバスの中、俺と山崎はいつものように、隣の席で雑談を交わしていた。もっとも雑談と言っても、本日の対戦相手であるところの、雲雀ケ丘女子に関する内容のものだったのだが。
「そりゃまぁ確かにそうなんだけど、そうそう上手くもいかない」
「どういう事?」
今の話を聞いていたところでは、特に問題も無さそうなんだけど。
「ウチの県下では、中学生の一般硬式野球部……シニアなんて、ほんのわずかな数な上、女子の部員をまともに鍛えてる所なんて存在しないはず。少なくとも、あたしは知らない」
「まあ、お前が潜り込めるチームが近所に無かったくらいだからな」
コイツが中学時代、硬球(と木製バット)を使用した実戦を経験するために、合法スレスレとも言えるような手段で社会人野球チームに潜り込んでいたのは、それが理由だ。あと、中学野球部に回状が回っていたという理由もあるのだろうが。
「つまり、中学の学校野球部、軟式の中学学生野球でレギュラー未満の新入部員に、本当の意味で一人前になるほどの訓練を施す事は、一般の公立野球部では無理がある」
「確かに、ウチも1年生部員の守備に関しては無理を通してる部分があるが……」
「だから雲雀ケ丘の1年生部員も、ナックルボーラーとして急遽育成された子達の他は、まだまだこれから。宝石の原石みたいなものよ。雲雀ケ丘はウチより部員が多かったから、秋以降に試合ができなくなる程じゃなかったけど。今日の試合はピッチャー以外、3年と2年でメンバーが埋められてるでしょうね。昨日の明星戦とは違って、より守備を充実させてくるでしょうから。実際、【 充実したと実感 】できるのは、今年の秋か、来年以降じゃないかしら」
「1年のナックル姫は、使い切り……と言ったら悪いが、普通のリリーフとして出すと思う……って事か?昨日みたいにナックルボーラーを次から次へと回してきたりしないの?相手が打てなかったら問題なし、って感じなら一緒だろ、明星もウチも」
ウチの打撃陣(打撃能力)は明星の打撃陣と比べても引けは取らない、という自負はあるけれど。俺と山崎の二人を除けば、明星を遥かにしのぐ、という程でも無いし。つまり俺と山崎を敬遠したり、それに近い手段を取って無力化を図れば。明星の打撃陣とほぼ同様の対応は可能なのではないかな?
それに、いくらピッチャーを多く抱えているとは言っても、自由な入れ替えが効かなくなってしまったら、その幻惑効果は少なからず低下するのではなかろうか。
「それ多分、やりたくてもできない、と思うのよねぇ」
「なんでさ」
「悟と、あたしが。本塁打はともかくとして、外野にそれなりに飛ばすでしょ?何かの間違いでランニングホームランでもされたら目も当てられないじゃない。外野もそれなりの守備力を保っておかないと困るでしょうよ。ピッチングに訓練を偏重した結果、外野守備の練習はできて無いんじゃないかなぁ、1年のナックル姫さん達は」
「敬遠すればいいんじゃない?あるいは、それに限りなく近いボールを投げるとか」
「無理なんじゃないかなぁ」
「なぜに?」
去年はそれに近い事やってきたじゃん。というか、ほぼ全打席の敬遠とかされたじゃん。雲雀ケ丘は女子チームだし、山崎に対して『 男のプライド 』的な見得で無茶をしてくる必要性とかも無いんじゃないかな。
「こう言っちゃなんだけど、山崎 桜さんは、県下の野球女子の間ではスターなのです」
「本人が言うと価値が下がる内容ではある」
「そりゃもう、目標です!!とか、夢です!!とか、神様です!!とか言われるくらいに」
「それ、報道関係者の前で言うなよ」
「つまるところ、この決勝戦が全てです、とも言えるわけよ」
「どういう事??」
最後の部分が、ちょっと分からない。話が繋がってない気がするぞ。
「あのね、【 校風 】とかいうの、あるでしょ。部活においては【 ナントカ高校スタイル 】みたいな事を言われるやつ。正しくは【 その学校の〇〇部の芸風 】みたいな事を指す言葉であって、実際は学校そのものの気風だとか芸風とは違うヤツね。【 部の伝統スタイル 】とか、そういうの」
「ウチの『 弘前高校野球部の芸風 』だと、『 とりあえず打って点を取る。他は成り行きまかせ 』みたいなヤツかな。伝統は去年から始まったので存在しない」
「雲雀ケ丘女子野球部だと、どんな感じだと思う?」
「うーん……『 守備練習を重視、まずは点を与えない、1点を守り切る野球 』……かな?打撃は基本的に高校野球らしい『 つなぐ野球 』で、大量得点ではなく1点ずつ得点するタイプの、機動力野球。強打者が居ないからだろうけど。あと打者相手には、並みの男子野球部以上にロジカルかつクレバーな対応を取る傾向がある。男子のプライド的なものが無いのが特徴というか、強味というか」
「まあ、だいたいそんな所よね。少し違うけど」
「どこら辺がだよ」
「あそこ、基本的に【 部の伝統が存在しない 】のよ」
「そうなの?!」
あの『勝利のための一芸を身に着けよう!!』みたいな雰囲気が伝統的な芸風かと思ってたよ!!確かに去年まで雲雀ケ丘女子が高校野球の大会で活躍する事は無かったはずだから、よくは知らないというか、そんな気になってたような感じだけど!!
「ほら、私立とかで専業の雇われ監督がいたり、ボランティアでも経験者の監督がいたりする部活だと、【 部の芸風は監督の芸風 】だったりする訳だけど、それ以外の場合は先輩からずっと引き継いできたモノだったりするじゃない?ウチは違うけど」
「あえて言うなら、上下関係の緩さかな」
「そして大抵の場合、3年生が幅を利かせるわよね。文化部、運動部を問わず」
「ウチには横暴な3年生は存在しなかったけどな」
OBの皆さんも優しい人ばっかりだし。というか、横暴なのは去年に入部した女子部員だ。それが唯一の存在だ。もちろん俺の隣に座っている女子の事だが。
「去年からこっちの、雲雀ケ丘女子野球部の芸風って、基本的には去年の主将だった、大滝さんの性格と方針によって出来てたものなのよ。というか、主将の方針に同調した3年生で部の方針が決められたという……よくある『特に指導者の居ない部活動』のアレね。まあ、それがうまく機能して、去年の成果があるんだけど」
「あー。あそこも、経験者の指導員が居ない部活だったのか…………」
ウチの弘高野球部と、意外に共通点が多いな。それとも、弱い運動部あるある、というヤツなのだろうか。
「だからね?ある意味『 勝利のために手段を選ばない 』……というか、【 勝利のために最適解を選択する 】というのは、去年の『 大滝主将のスタイル 』なワケよ」
「それ、基本的には、どこの学校の主将でも同じだろ。勝つために、手段を選択するのは」
「今年の雲雀ケ丘女子野球部の主将、野崎さんは違うわよ?」
「そうなの??」
どういう事なんだろう。でも事前情報からすると守備力重視のスタイルとかは、以前のままだった気がするし。どこがどう変わったのだろうか。
「野崎さん、めっちゃ気が強い子なの」
「それ今、関係あるのか?」
あと、山崎が言っても説得力が無いというか、何を基準にしているのかが良く分からん。
「野崎さんてね、今はキャッチャーやってるけど、昔はピッチャー志望だったらしいの」
「そうなんだ」
相変わらずの友達情報。こういうの、スパイ行為と関係が無いのだろうか。
「野球に限らず、どんなスポーツでもさ。『誰かに憧れて始めたもの』だったりすると、存在するじゃない?【 理想のスタイル 】みたいなもの。それが自分で実現できるものであろうと、なかろうと。これは本来、こうあるべきなんだ!!……っていうの」
「それは、確かにある。目指すべき理想の姿、というヤツか」
「だから野崎さん、去年はけっこう我慢してたのよ。3年生を支える2年生としては、主将の方針に異を唱える訳にもいかないし、戦力不足という事実も理解していた訳だし。だけど今年は自分が主将だし、明星戦にはナックル姫軍団が間に合ったし、もうやりたい放題という訳よ。……準決勝の再抽選で、明星と当たっちゃったからナックル姫軍団の披露が早まっちゃったけど、彼女の【 理想の野球 】を実行したのは間違いない。今日もきっと、方針は変わらない。彼女にとって、『県予選の優勝』は、理想の野球を体現する事よりも価値のあるものじゃない、はず」
「……去年の雲雀ケ丘女子は……大滝主将は、『より良い結果を出す事が第一』という方針だった。だが、今年の野崎主将は、それを最上の目標……いや、目的としてはいない。彼女の【 理想の野球スタイル 】とは、いったい何なんだ?」
去年の大滝主将は、女子野球部の地位向上、みたいなものを目標としていた節もある。もちろん自分達の力を世間に示したかったのだろうが、それは『 結果によって形にできるもの 』だった。だが、今年の野崎主将は、結果以外のものを求めている。それはいったい、どんなものなのか。何を理想としているのだろうか――というか、明星戦で彼女が実行した【 何か 】が、よく分からないんだけど。
「正面からの殴り合い」
「――は?」
それ、どういう事なのかな。
「どんな強打者だろうと、どんなピンチの場面だろうと、【 敬遠という選択はしない 】というのが彼女の理想よ。打者は三振に取るか、打球を捕ってアウトにする。先の事なんて考えず、その場その場で正面から勝負する。単純明快でしょ?」
「それ、俺と山崎に対しても?前にランナーが居たらどうするの?外野に飛ばされたら打点が入っちゃうじゃん。そりゃ確かに、絶対は無いって言えば無いけど…………」
――そうか。
だからこそのナックル姫軍団。
強打者と勝負できる投手を、球種を。
彼女は欲していたのか。そして、今年の大会は。
もう、我慢する必要は無いと。だからこそ、好きなようにやると。
「野崎さんが憧れた野球の最高のシーンっていうのは、【 極限状況での、強打者との対決シーン 】なんですって。――退かず、怯まず、白球に想いの全てを込める。それを現実のものに、自分がその舞台の登場人物になる事こそが、彼女の望みなのよね」
「――甲子園に出場すれば、全国区の強敵が大勢出てくるが」
「あたしと、悟。それ以上の打者と、必ず対戦できる保証があるかな?」
「……つまり、彼女にとっては……今日の試合こそが、最高の舞台、という事か」
全国屈指の打撃陣を擁する学校。そして、おそらくは全国でも五指に入る強打者が存在する……というか、山崎に至っては前年度の最強打者に間違いない。
高校球児にとっては、甲子園という『全国大会の会場』は、それこそ最高の舞台だ。しかし野崎さんにとっての【 夢の舞台、夢のシチュエーション 】であるか、と言えば。甲子園という舞台が理想と言えるかどうか、それは定かではないのだ。
野球が好きになった理由、始めたきっかけ。そのいずれか、あるいは両方が、その『夢の舞台に立つ事』なのだとすれば。県内どころか全国野球女子のヒーロー、県内高校球児のスター、全国区における高校球児の中でも最高賞金額の賞金首であろう山崎、次点で俺。チームとしても弘前高校はかなりの賞金額。その弘前高校との試合は、文句なく【 彼女にとっての夢の舞台 】なのかも知れない。去年の弘前高校の、夏の大暴れを知る以前ならば甲子園の本選に出場するという事はすなわち、夢の舞台に立つ権利を得るという事に他ならなかっただろう。
だが、去年の俺達は当事者が言うのも何だが、やりすぎなくらいに大暴れしてみせた。チームとして、個人として、甲子園大会の記録を何割か塗り替え、初出場にして準優勝の実績を残した。試合でホームランダービーとか意味が分からないくらいの変な事すらやってのけた。
そんな【 ある意味で全国で一番の高校野球部 】を相手にする試合ならば。その舞台で力が及ぶかどうか定かであろうとなかろうと、戦うための武器を手にした時点で。もう、逃げる理由など見つからない、という事なのかも知れない。勝つために手段を選ぶのではなく、理想のための手段を貫く。試合結果は二の次だと。
もう、誰にも、自分自身にも。『やりたい事を諦める言い訳』なんて、する必要が無いとなったら。それはもう、突っ走るしか無いのかも知れないな。
「――誰でも、『 物語の登場人物になってみたい 』なんて、一度は考えた事があるでしょう?彼女は、ついにその権利を得たのよ。そして試合は始まってしまえば、どう転がるなんて分かったものじゃ無いわ。相性だとか何かで、多少の有利があったとしても。あたし達だって勝てる保証なんか無いんだもの。人事を尽くして、天命を待つのみ――。これは、『人事を尽くした者』にだけ許される言葉よ。ただ、全力を尽くして戦いましょう。自分達に出来る事を精一杯、プレーに反映する事。それこそが、最も楽しい野球のはずだわ!!」
「――そうだな。人事を尽くそう」
正面切っての対決は、俺達にとっても望むところだ。野球少年が野球を始めるキッカケになったような、野球漫画の名シーンのような場面が生まれるかどうかは分からないが。精一杯、自分に課せられた役目を果たそう。それが高校球児としての役割……いや、与えられた権利を最大限に行使するという事なのだから。
そう、想いを新たに胸に刻む。一片の悔いも残さない、最高の試合にしようと。
「……あれ?」
「どうかした?悟」
……野崎さんが正面対決を決定したのは、なぜだ?
もちろん彼女が『理想の野球スタイル』と考えているからだ。しかし、勝敗を完全に無視して決定したのだろうか?正面対決を決断した、決定的な最後の材料……それは……勝率を上げるための武器を手にしたから。ナックル姫の養成に成功したからだ。
その武器を与えたのは、アドバイスをしたのは誰だ?山崎だ。
山崎がアドバイスをしたのは、雲雀ケ丘女子野球部が友達だからか?本当にそれだけなのか?他に理由は無かったのか??
山崎と俺を含めての、強打者との正面対決姿勢。それは、山崎と俺にとっては、願っても無い条件だ。それは軌道予測が困難極まる、ナックルボールを主体とした投球だったとしてもだ。困難という事は、不可能という事ではない。バットが届く距離をボールが通過するというのなら、予測が当たりさえすれば打ち返す事は可能なのだから。加えて言えば、ナックルボールを投げる投手が多い、投球回数が増える、という事は――――
――これは後日、取り調べの調書を作る必要があるかも知れない。何かこう、未必の故意的なヤツとか、マインドをコントロールする系のヤツとか、情報操作系のスパイ行為的なヤツを山崎が行った可能性が、高いような気がするぞ…………
そんな事を考えつつ、座席に体を預ける俺。
何かに気づいた時には、もうどうにもならない事ばかりなんだなぁ、と。そんな事をボンヤリと考える間にも、バスは着実に県営球場へと近づいていくのだった。
更新が遅くなって申し訳ございません。
でもまぁ結果オーライ!!書き直しの数だけ正解に近づいた感があるもの!!
これで試合が始まった瞬間に終わるようなマッハ処理だったりして………………いえ、そんなつもりはありませんが。次回をもう少しだけお待ちください。
更新期間が開いちゃったので、校正さんが仕事をストライキしてしまう可能性も考えて、ときどき見直ししようかと思います。何か不具合が見つかりましたら、いつものようにフォローしていただけると最高に助かります。この作品の半分は読者様の優しさでできています。あと推敲が足りない気もするので、あとで少しだけ修正していくかも。
今後も寛容な気持ちで、のんびりと楽しんでいただけたらと思います。




