第八章 覚醒体験
悟りコースが始まってから1年と10ヶ月が経っていた。天宮は今日は仕事が休みなので、自宅の近所にある寺に向かって歩いていた。もう歩く瞑想をしようとは思わなくても自然に自動的に歩く瞑想になっていた。寺に行くのは自宅で呼吸を観察する瞑想をするよりも外でやった方が集中できるからだ。無名の寺なので人が来ることは滅多にないし、拝観料を取られることもないので瞑想をするにはうってつけの場所なのだ。
寺に着くと天宮はいつもの通りに住職に挨拶すると、池のある庭の縁側で呼吸を観察する瞑想を始めた。息を吸いながら息を吸っている私を『今ここ』で実際にしている体験の中で探すのだ。もちろん探そうと考えてはいけない。ただ観るのだ。天宮は見つからない私をひたすらただ観続けた。夏の暑い盛りなので蝉が喧しく鳴いていたが、瞑想が深まるに従って、まるで庭石に蝉の鳴き声が吸い取られているかのように、その鳴き声は徐々にフェードアウトしていった。しばらく瞑想していると一羽の鳥が飛んで来た為、蝉達が一斉に飛んで行ってしまい、あたりは完璧な静寂に包まれた。瞑想中の天宮には「シーン」と静寂の音が聴こえていた。どれくらい静寂が続づいただろうか、突如「ポチャン」という水音がその静寂を破った。一匹の蛙が池に飛び込んだのだ。その音はそれほど大きな音ではなかったが、天宮にとっては稲妻が体を貫いたかのような大きな衝撃だった。その時不思議なことが起きていて、天宮の肉体が無くなっていて「ポチャン」という音が天宮だったのだ。そして、池や庭石や木々がまるで初めて見たかのように新鮮であり、愛おしく感じられた。瞑想によって思考が完全に停止し、思考によって生み出された自我意識が崩壊し、蛙が飛び込んだ水音をきっかけに「今ここ」の全てが本当の自分だと実体験したのだ。そして物質的な存在であることから解放され圧倒的な至福感を感じていた。
「これが覚醒体験なのか!」と天宮は思わず独り言を言った。
そして、あまりの至福感のため天宮の頬を涙が流れた。
あとがき
本作品を最後までお読み頂き誠にありがとうございました。
マインドフルネスで悟りを開くというのは本作品がフィクションであり、そんなことができたらいいないう願望を作品にしてみました。実際に悟りを目指すなら「人間禅」「釈迦牟尼会」「三宝禅」といった在家者の為の坐禅道場があり、実際に多くの人達が悟りに至っています。下記URLをご参照下さい。
マインドフルネスについて更に詳しく知りたい方は瞑想会などで実際に指導者から指導を受けられることをおすすめします。ただ、今の日本ではまだマインドフルネスを学べるところが十分にあるとは言えませんので、そういう場合はお寺などで開催されている坐禅会などに参加されることをおすすめします。坐禅もマインドフルネスと同じ効果があるからです。また、その他の瞑想でも同じ効果がありますので、坐禅会・瞑想会情報を載せておきます。
http://zen468.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
小説の中で主人公がパソコン使用中もマインドフルであるために一定の時間間隔で音を鳴らすアプリ
「Mindfulness Timer」 (Windows専用)を作り、音が鳴るたびに呼吸に意識を戻しました。
そのアプリをダウンロードできます。(無料)
http://zen468.blog.fc2.com/blog-entry-44.html