第三章 一日中マインドフルネス
天宮はマインドフルネス研修センターで悟りコースの最初の瞑想会に参加していた。教室でしばらく待っていると年齢は四十代くらいの男性が入って来て話し始めた。
「初めまして。悟りコース担当インストラクターの小森です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」と受講者達から一斉ではなく、パラパラと返答があった。
「悟りコースは、今まで神秘のベールに包まれていた仏教の悟りが実は普遍的な真理であることを実際に体験して頂き、悟りを誰にでも身近なものにする為に開設されました。悟りコースは2年間のコースです。最初の1年間で【一日中マインドフルネス】【ただ観る】という悟りを開く為には絶対に必要な二つをを身に付けて頂きます。そして、次の1年間で悟りへと導きます。まず最初にマインドフルネスにどういった心構えで取り組むべきかということから話します。まず第一に【100%ポジティブ】であること。何事も積極的に取り組むということです。例えば、皿洗いとか掃除といった日常の雑用もマインドフルネスのプラクティスであると認識して積極的に実践するということです。第二に【真剣に実践】することです。ジョン・カバット・ジン教授の言葉に『マインドフルネスとは今この瞬間にまるで人生がかかっているかのごとく真剣に注意を向けることだ』とあります。つまり何をするにも積極的に真剣に実践することが大切です。そして積極的で真剣なマインドフルネスの実践を朝起きてから夜寝るまで、1日中ずっと継続することがとても大切です。そのように1日中ずっとマインドフルであることが悟りを開く為の条件の一つです。もちろん、最初からそんなに長く継続することは難しいので、初めは1日の内の30%くらいから始めて、徐々に長くしていき、1年後には100%になればよいのです。例えば、今こうして講義を聞いている時も雑念を消し、呼吸に意識を向けながら真剣に聞きます。会話をする時も同じように雑念を消し、呼吸に意識を向けながら真剣に会話をすればよいのです。ポイントは呼吸に意識を向けることを忘れないことです。そしてもう一つ、毎朝必ず45分間の呼吸を観察する瞑想を行って下さい。基礎コースでは1日30分間と言われたと思いますが、悟りコースでは45分間行って下さい。これは絶対に1日も欠かさないと決意して行って下さい。それくらいの気持ちがないと悟りに至ることは難しいからです。では、今から各自悟りコースを始めるにあたっての決意表明をして頂きます。テキストの表紙をめくって1ページ目は決意表明を記入するページになっています。今からここに各自の決意を記入して下さい。そして、その決意を毎朝見て、今ここで決意したことを忘れずに実践し続けて頂きたいのです」とインストラクターの小森が話終えると、皆が決意表明を記入した。天宮は「絶対に悟りを開くぞ! このひと呼吸に人生がかかっているのだから真剣に! 一日中が真剣勝負だ!」と記入した。
「では、講義はこれくらいにして呼吸を観察する瞑想を行います」とインストラクターの小森が言い、更に続けて話し始めた。「今日は特別に脳波計を着けてうまく瞑想ができているか確認をします。瞑想状態にはいると脳波はβ波からα波に変わります。ですから脳波を見ると瞑想がうまくできているかどうか一目瞭然なのです。脳波計は5台しかありませんから、5人づつ15分間行います。順番を待っている方達は自主的に呼吸を観察する瞑想を行いながら待っていて下さい」とインストラクターの小森は話すと名前順に5人を呼び、5人が前に出てくると脳波計を装着して計測を開始した。
約1時間後、全員の脳波の計測が終わり、インストラクターの小森が話し始めた。「はい、全員の計測が終わりました。どうでしたか? 計測中は今までで一番集中して瞑想ができたのではないかと思います。今回の脳波の計測は瞑想状態を確認することよりも、実は真剣に集中するとはどういうことかを実際に体験して頂きたくて実施しました。今日の体験を忘れずに、今後の瞑想でも今回と同じように真剣に集中して行って下さい」
その後、歩く瞑想、食事の瞑想、ストレッチ体操瞑想、ボディスキャン瞑想などが続き最後に再度呼吸を観察する瞑想を行った。
「今日1日研修お疲れ様です。最後にこれから毎日夜寝る前に今日1日何%マインドフルだったかを確認して下さい。例えば、カレンダーに今日は1日の内20%マインドフルだったら20と記入するのです。こうすることで必ず1年以内に1日中100%マインドフルネスが達成できますから。それでは次回お会いする時の皆様の成長を楽しみにしております」とインストラクターの小森の挨拶が終わると研修会は終了した。
天宮は家に帰り着くと、早速テキストに記入した目標である「絶対に悟りを開くぞ! このひと呼吸に人生がかかっているのだから真剣に! 一日中マインドフルネス!」という言葉を大きな紙に書いて壁に貼った。もちろん、文字を書く時も紙を壁に貼る時も雑念を消し、呼吸に意識を向けながら真剣に集中して行った。
「よし! これで毎朝初心を忘れないようにして、必ず2年間で悟るぞ!」と決意を声に出して言った。
マインドフルに食事をして、マインドフルに風呂に入って、寝る前にカレンダーの今日の日付に35と記入した。今日の研修会で「毎日夜寝る前に今日1日何%マインドフルだったかを確認して下さい」と言われたからだ。天宮はできるだけマインドフルでいようと努めたが、出来ていたのは始めのうちだけで途中から呼吸に意識を向けることをすっかり忘れてしまっていたことが多かったと反省した。
翌朝、天宮は起きるとマインドフルに歯を磨き、マインドフルに顔を洗った。そして昨日書いた「絶対に悟りを開くぞ! このひと呼吸に人生がかかっているのだから真剣に! 一日中マインドフルネス!」と声に出して言うと、すぐに45分間の呼吸を観察する瞑想を行った。昨日の研修会で毎朝の45分間の呼吸を観察する瞑想を1日も欠かさずにするように指導を受けたからだ。呼吸を観察する瞑想が終わるとマインドフルに食事をしてマインドフルに着替えて家を出た。
天宮は仕事中も可能な限りマインドフルであろうと心掛けていたが、パソコンに向かっている時は大抵呼吸に意識を向けることを忘れてしまっていた。自宅に帰った天宮はこの問題をどうにかできないかと思案していた。そして、一定間隔で音を鳴らすアプリを作成し、音が鳴ったら呼吸に意識を戻すと良いのではないかと思い付いた。早速天宮はWindows用のアプリの作成に取り掛かった。まずアプリの外観を作成し、続いてソースコードと呼ばれるプログラムを記述し始めた。
Private Declare Function ShellExecute Lib "shell32.dll" _
Alias "ShellExecuteA" _
(ByVal hwnd As Long, _
ByVal lpVerb As String, _
ByVal lpFile As String, _
ByVal lpParameters As String, _
ByVal lpDirectory As String, _
ByVal nShowCmd As Long) As Long
Const SW_SHOWNORMAL = 1
Private Sub Command1_Click()
Timer1.Enabled = True
Command1.Enabled = False
Command2.Enabled = True
End Sub
これはほんの一部であるが、このようなソースコードを長々と書いていくのだ。天宮はさすがにプロのプログラマーだけあって、この程度の小さなアプリはあっという間に出来上がった。早速出来上がったアプリを起動してみた。音を鳴らす間隔を120秒に設定し、試してみた。丁度120秒後に音が鳴り全く問題なく動作することが確認できた。その後、天宮はパソコンでインターネットを雑念を消し、呼吸に意識を向けながらやっていた。初めのうちはマインドフルにできているが、しばらくすると雑念が生じ、雑念に完全に心を乗っ取られ、呼吸に意識を向けることさえ忘れていたが、120秒後に音が鳴って心が雑念に乗っ取られていることに気づき、呼吸に意識を戻した。
翌日、天宮は昨日作ったアプリ「Mindfulness Timer」を会社のパソコンでも使ってみた。雑念が生じても120秒後には呼吸に意識を戻せるので、仕事の効率もあがり、効果は上々だ。
「今の音何?」と村本が聞いた。
「ああ、この音は自作アプリの音で、一定の間隔で音が鳴り、音を聞いたら呼吸に意識を戻すことでマインドフルな状態を維持するんだ」
「へー、そんなの作ったんだ。俺にも使わせてくれよ」
「ああ、いいよ。村本のメールアドレスに送信しておくよ」
「サンキュー」
数日後の土曜日、天宮は会社が休みなので今日は掃除をしようと思った。研修会で【100%ポジティブ】と言っていたのを思い出し、実践しようと思ったのだ。雑念を消し呼吸に意識を向けながら散らかった物を片付け、掃除機をかけ、雑巾で拭き掃除をした。今この瞬間に完全に集中するように真剣に行った。何事も積極的に真剣に行うことでマインドフルネスの実践になり、またそうすることが楽しいことを体で理解した。