第二章 四つのマインドフルネス
3ヶ月後、天宮と村本は仕事帰りに居酒屋に立ち寄っていた。二人は料理を注文するとビールを注ぎ合って乾杯した。
「研修の後マインドフルネス続けてる?」と天宮が村本に質問した。
「うん、続けてるよ。ストレスを感じなくなって仕事に集中できるようになったよ」
「俺も。やっぱマインドフルネスめちゃ効果あるよな! 俺なんかマインドフルネスやる前はこの業界は仕事きついしもう辞めようかとも思っていたけど、なんか最近は全然へっちゃらになってきたよ」
「研修の時マインドフルネスの上級コースあるって言ってたよな?」
「そう言ってた。俺も受けたいなって思ってたんだ」
「明日、浅田課長に相談してみよう」
「そうだな二人で課長に相談に行こう」
翌日、天宮と村本の二人は浅田課長の席の前に立って話ていた。
「課長、この前のマインドフルネス研修を受講してから日々実践していて、とても効果が感じられたので是非上級コースも受講したいのですがいかがでしょうか?」と天宮が課長に話した。
「マインドフルネス研修については、会社として実施しているのはこの前の『マインドフルネスの基礎1日コース』だけなんだ。もし上級コースを受講したいなら、個人で直接マインドフルネス研修センターに申し込むことになるんだ」
「そうですか。わかりました」
「マインドフルネスはそんなに効果が実感できるものなんだ。そう言えば君達二人の仕事ぶりは最近急に積極的でスピーディーになってきたと思っていたんだ。俺も今度機会があったら受講してみるよ」
「是非受講してみて下さい」と天宮は相槌をうつと二人揃って自分の席に戻った。
数日後、天宮と村本の二人はマインドフルネス研修センターに来ていた。二人が応接室で待っていると、三十代くらいの女性が入って来た。
「初めまして。マインドフルネス研修センターの木村です。上級コースを受講希望ということですので、上級コースについて説明させて頂きます。上級コースには四つのコースあります。一つ目はうつ病やその他の精神疾患をマインドフルネスと投薬を併用して治療する『医療コース』です。期間は患者の状態によって変化します。このコースだけは精神科医が担当します。二つ目は『ビジネスコース』です。このコースはマインドフルネスと心理学の成果を応用したワークを組み合わせることで、ビジネスマンの能力の開発を目指します。期間は半年で、その間は月に1回の研修会があります。三つ目はスポーツコースです。スポーツ選手が上達する為のメンタルトレーニングをマインドフルネスとルーティンやイメージトレーニングなどによって行い、ゾーンに入ることを目指します。期間は1年間です。そして、四つ目は瞑想の本来の目的である悟りを目指す『悟りコース』です。期間は2年間です。その期間中は月に1回の研修会があります」と木村が説明したところで天宮が質問した。
「悟りって何んですか?」
「悟りとは約2,500年前にお釈迦様がこの世と自己の本性についての真理を実際に体験されて悟りを開かれたことを言います。つまり、悟りコースではお釈迦様の悟りと全く同じ悟りを開くことを目的としています。お釈迦様の悟りというと仏教という宗教だと誤解されがちですが、悟りとは何かを信じることではなく、瞑想をすることで実際に体験できる事実であり、科学的に見てもなんら非科学的な要素はありません。つまり、悟りとは仏教だけの真理ではなく、普遍的な真理なのです」
「お釈迦様の悟られた普遍的な真理ってどういうことなのですか?」
「悟りの内容については説明すると長くなるので今は時間的に説明できませんが、研修の中では詳しく説明しますよ」
「この世と自己の本性についての真理ってことは私達が普通に思っているこの世と自己は間違いってことですか?」
「そうです。私達の認識には思考や錯覚が入り込んでいて、ありのままの真理を見ることができないのです」
「お釈迦様の悟りと全く同じ悟りにたった2年間で到達できるものなのですか?」
「当センターの過去の実績では悟りコース受講者の72%が悟りに至っています。それだけ高い確率で悟りに至れるのは、研修内容を工夫してより効率よく悟りに至れるようにカリキュラムを組んでいるからです」と木村は話すと更に続けた。「悟りに至るにはどうしても必要な条件があります。それは、必ず悟りを開くと固く心に誓って、真剣に実践することです。本当に真剣に実践した者に限って言うとほぼ100%の方達が悟りに至っています」
「ほぼ100%ってすごい確率ですね!」
「そうです。真剣にやりさえすれば必ず悟りは開けるのです。ではどのコースにされますか?」
「悟りコースにします」と天宮は即座に答えた。
「ビジネスコースにします」と村本は少し間をおいて答えた。
木村は二人から申し込み書を受け取ると「本日はどうもありがとうございました」と言うと二人を建物の出口まで誘導して見送った。
天宮と村本の二人はマインドフルネス研修センターを出て駅の方に歩き、駅前にある居酒屋に入った。生ビールのジョッキが運ばれて来ると二人は乾杯した。
「どうして悟りコースにしたんだ?」と村本が質問した。
「お釈迦様の悟られた普遍的な真理って何なのか気になって……」
「俺は宗教とか興味ないからビジネスコースにしたし、天宮もてっきりビジネスコースにするものだと思っていたからちょっと驚いたよ」
「俺も宗教には興味ないよ。でも、大学の時に一般教養の選択科目で哲学の授業を受けていて、この世界には普通の人達には隠された真理があるんじゃないかと気づき、哲学書を読み漁ったりしていたんだけど、結局何も解らずじまいになって真理の探究も諦めていたんだ。それが今日、悟りは仏教だけの真理ではなくて普遍的な真理だって聞いたから興味を持ったんだ」
「そうなんだ。マインドフルネスでは別々の道を行くことになったけど、お互い頑張ろう!」
「『瞬間瞬間』に意識を向けながら頑張るぞ!」
二人は呼吸に意識を向けながら歩くことに集中して居酒屋を後にし、駅の改札を通って行った。
天宮は商談で物流会社に来ていた。ネット通販の急拡大で荷物の仕分作業が追いつかなくなってきた為、コンピューターを使用した仕分システムを導入したいということだった。
商談が終わり、事務所を出ると休憩室で今から作業に入る作業員達が始業前のマインドフルネスを行っていた。20名ほどが長椅子に座って呼吸を観察する瞑想を行っていたのだ。
「これはもしかしてマインドフルネスですか?」と天宮が物流会社の担当者に尋ねた。
「その通りです。ここで呼吸を観察する瞑想を行った後、作業場の広い所に移動して、更にマインドフルストレッチ体操を行います。マインドフルネスを導入してから作業効率が上がったし、皆も生き生きとして来ました。なにより一番効果があったのは労災が減ったことです。マインドフルネスのおかげで一挙手一投足に皆が注意を払うようになったからです」
「大きな効果があって良かったですね。実は私も今マインドフルネスにハマっていまして、今度上級コースを受講するんです。それでは今日はどうもありがとうございました」と天宮は言うと帰路についた。