二重窓
7/8くらいの現実のお話。
長い旅行から帰ってきた朝、長年寄り添った俺の友達がいる直方体の窓の近くに便箋が置いてあった。そこではそれなりの達筆で、こんな文字列が並べてあった。
「君、諦めた方が君の名誉のためだよ」私の昔の上司が言い放った。その言葉には嘲笑の意を感じた。僕はなぜ、こんな事をしているのか。
話せば結構長い話になる。文通には不都合だろう。しかし、こうするしか君には伝える事が出来ないだろう。
私は、元は一人のサラリーマンだった。それこそ、人並みかそれ以上に働くように心がけていた。実際、それで妻子を養う事も、事足りていて、ある程度贅沢な暮らしをしていたと自分でも思っている。外面だけは確かに贅沢だったかも知れない。だが、内面はどうだったかと言うと、これは家族や友人には話せなかった事だったが…
さて、私が妻子に飯を食わす為に、何をしていたか。それを今明かそう。
「文章が重いんだよ」私は鼻で笑い飛ばした。友に睨まれた気がした。
「さてと…暇だし続きを読むか。どんな文章が目に飛び込んでくるか楽しみになって来たよ」
そうしてやる事に困っていた俺は続きを読んだ。
そう、私は、給料を手に入れる為に、心を削っていたのだ。(みんなそんなものだろう)
私は、常に人に頭を地面につけ、人の靴を舐め、常に媚びへつらう人間に上司からの評価で負けてしまったのだ。
こんな事を言えば馬鹿と謗られる事を承知で明かすが、そこで私は一つの過ちを犯してしまった。そいつの二番煎じに奔ってしまったのだ。私はその男の策略に、完全に嵌ってしまった。
そうしているうちに、私は確かに地位は上になった。それと同時に、周囲からの視線が一気に変化した。
その男は周りから人気を集めていたが、私は、そんな中贔屓に勤しみ、いつしか仕事に対する意識が低下していった。
そう、確かに私は仕事が出来るだけの人間だった上に、張り詰めた意識が仕事への内燃機関であった。
そこから意識が朽ち果てれば、末路は火を見るよりも明らかである事は間違いないだろう。
私はそれから暫くしてリストラに遭い、職を失った。そうして、妻子は私を見放し、私は一人になった。
最後の所持金はせいぜい数千円程度、他は妻の財布の中であった。
どこかで最期に身を投げようと、最寄りの崖を調べたら、どうやら樹海の先らしい。かくしてそのまま獣に屠られる覚悟を持って樹海を歩いた。
気がつくと、身体が滑りを帯びていた。地を足で掴めなくなって、まるで立てない。しかしあれは、人生において極めて新鮮かつ奇妙な感覚だった。自分の背中がとても強くなった気がした。自分をいつまでも支えていられるような気すらした。
そんな時だったな、君が私のいた樹海でばったりと私を見つけ出したのは。
生物としては異質かつ少数派に属するであろう白色をしていたばっかりに、すぐに見つかってしまったか。もう少し潜伏して謀って遊ぼうと思ったんだがなぁ。
君は僕の胴体を、よりにもよって鷲掴みにしやがった。背骨が丈夫じゃなければ俺死んでたぞ。
まあその話はさておいて、君は私を見つけた時、何て言ったか覚えてるか?
「お前はきっと相当に心、凝ってるだろうなぁ」
その時、やっと何かから解放された気がしたんだ。他人に理解されるのは、正直初めてだった。
まだ挨拶もしていなかったし、ここでしようと思ったから、唐突だとは思うけれど、
〜これからも、宜しくお願いします〜
「流石は、元サラリーマンの挨拶、といったところか(ちょっと浮世離れし始めてるけど)」
休日だから、あんまり時計の針は気にしなくてよかった。
「要するに、その白蛇の口にペンを咥えてスラスラこれを書いていたと。さてはお前…」
友が怪訝そうに私の貌を覗き込んだ。
私は馬鹿らしくなって、
「よっぽど暇だったんだな」
友は、私を睨みつけた。
朝一番の飛行機で戻って時計は真上に針が寄り添っていた。私はゆっくりと真っ白い友の頭を撫でた。真上に登って誇る太陽は、二重の窓に構わずに彼の白い鱗をどうだとばかりに照らしていた。
そんなエピソードがあってから少し経った頃だったか、一匹のマングースが俺の母さんから送られてきた。どうも父さんがジャワ島に生体研究に向かった時、ずっとついてきたらしい。だからといって俺に寄越すなと思いながら、餌の情報をスマートフォンで検索し始めた。その時、白蛇とマングースが睨み合っているとは、考えてもいなかった。
「そもそもなんでマングースをこんな雪国に連れ込むんだよ」俺は半ばイライラしながらペットショップを散策した。しかし、昆虫類という事で、近くにイナゴが売ってるところがあったので、そこに味付けなどを全くしていないイナゴを購入した。買った店のおじさんからは怪訝がられた。
家に帰ると、もう一つの文書があった。ペンには僅かに獣臭さをのこした唾液らしき液体がついていた。そしてそこには、人が書いたのと大差ないほどに正確に文字が刻まれていた。俺はイナゴを少しマングースにくれてやり、その文章を読み始めた。
「僕は、この蛇を追いかけてきた者です」俺は、愕然とした。このような偶然が存在しうるのか。何故こんな境遇が巡ってくるのか。そんなことはさておき、俺は元社員の白蛇の時と同様に読み始めた。
僕は、この白蛇が白蛇になる前まで、この白蛇の同僚でした。そして、何より彼は私を裏切りました。
まず、彼と僕が勤務していた商社では、上司によるパワーハラスメントが毎日のように行われている場所でもありました。
そして、何より胡麻擂りがいつまでも続くような、時代に置いてかれた会社でもあったのです。まあそれはさておき、僕が彼を裏切り者と呼んだ理由が気になっているでしょうから、ここに書き記しておきます。
読もうとした瞬間、マングースが白蛇に襲いかかろうとしていたので、全力で止めに入った。
その手紙には、こんなようなことが書かれていた。
白蛇とマングースは、密かにボイスレコーダーを忍ばせて、内部告発の準備をしていた。
某日、都内某所、普通に白蛇とマングースは出勤している最中であった。白蛇は当日、ボイスレコーダーを家に忘れて、取りに行った結果、会社に遅れてしまった。それを取りに行った理由を問い詰められ、言葉に詰まった白蛇をマングースが擁護しようとした時に、ボイスレコーダーを白蛇が落としてしまった。その時白蛇はメモを引っ張り出そうとしていたとのこと。そしてボイスレコーダーは上司に取り上げられ、白蛇はクビになった。それだけで済めばよかった。よりにもよって白蛇は、マングースを道連れにした。その事により、マングースも会社をクビになり、銀行から失業手当もアウトローな手段で尋問にかけられ賠償に消えた。それ以来、いつか白蛇のことを手にかけようと、復讐を誓ったのである。
しかし、ある日、白蛇は行方不明になった。マングースが探し始めていた時にはすでに、白蛇は心に人を残すだけだった。そして、世界のあらゆる所を探し続けた果てに、自分まで異形に身を窶したのだという。
俺は、白蛇の間抜けさに呆れてしまった。ただ、これから先、こいつらを和解させてやるのもまた、面白いかなとおもった。
どうもこの世界では、感情が人の身に与える影響が強いらしく、平静で凍てついている心を持つ俺には、今ではまるで縁のない話だが、このように身を変える伝説も数多く残っていた。
その昔、毛に肌を侵略されていた時の事を俺は思い出していた。
感情を獣に初めて例えた人にとりあえず賞賛を。