タイワ
1
妹・歴木と僕の部屋は隣接しており、ドアは一つずつ設けられているが、二人を仕切る壁はかなり薄い。
日常生活の環境音で迷惑することはないが、やはり気遣う一面は忘れてはいけない。日頃において、歴木は極度の夜行性であり日が登る時刻には死んでいるかのように睡眠に耽っているので物音一つすら起きないのだがそれはそれで心配の種ではあった。
妹は寝相も良いのかもしれないかと思うほどの静寂さ。
兄としては健康面には気遣って欲しいものなのだが、歴木に釘を指したところで妹は赴きすら変えないだろう。
僕は眠気と戦いながら時計を視認すると、もうすぐ7時になろうとしていた。
ギリギリまで寝溜めたい僕にとってはまだ起床時間ではないので、もう一度布団に意識を落とそうとする。
朝の7時、まだ寝ている人もいるまさにその時間である。
鳥達は早朝の知らせを鳴き声で空に伝達し、人は支度の準備せっせと始める時間。
曲がりなりにも大声を上げる者など何人たりとも許されることはないし、そんな出鱈目な人間はまぁ、まずいないだろう。
ただ1人を除いては。
「ガッガーーーン!時刻は7時になろうとしてまぁす」
声を上げ散らす妹がいた。
しかも壁越しである。
やはり、いくら兄妹といえど、あと板三枚は欲しいかもしれない。
板と板の間に防音シートを挟めば百点満点といえよう。
そんな妄想とはお構い無しに、
「朝御飯は、ひー姉特製サンドイッチですよー」
と、再び飛ばされる歴木の声。
歴木がここまでテンションが高いのも理解してしまった。
理由は歴木が言った通り。
ひー姉こと、陽織特製サンドイッチ。
そう、
陽織は恐ろしく料理が上手いのである。
僕は二度寝と陽織お手製朝御飯を天秤にかけ、少しの間吟味する。
やはり、冷めたご飯ほど寂しい物はない。
僕は布団を吹き飛ばし、ドアノブに手を掛ける。
ドアの向こうから吹き出る光に少しだけ目を細めながら。
ーーーーーーー
静が卓上に向かうと既に歴木は自分の特等席に座り、今か今かと待っていた。
歴木の特等席は、静が座る席の対面に辺る場所にある。
因みに母の席はお誕生日席となっている。
テーブルには陽織が作ったであろう料理が並んでおり、サンドイッチ以外にもラップが掛かったサラダが母除いて人数分作られていた。
しかし、静だけは少しだけ歴木と違っていてサンドイッチとサンドイッチの隙間に一枚紙が挟まっていることが確認できた。
間違って食べてしまえば病院登校になってしまいかねないが、平気で陽織はしているのだろう。
そわそわと身体を動かして早く食べたそうにしている歴木をほんの少し悪戯心を混ぜながら、静は紙に書かれたメモゆっくりと読んだ。
内容は、
『先に行ってる。教室より先に保健室に来るようにー。あ、静のやつは飛びっきり愛を込めて作ったからね(はーと)』
とのことだった。
メモを読み終わると、席に座り二人して手を合わせた。
「いっただきまーす」
「ます…」
歴木は目をキラキラさせながら、モグモグとサンドイッチを貪っている。
さぞかし美味しいのか、空いた右手が静の方へとやってくる。
歴木は自分のテリトリーだけではなく、静の皿の領域まで侵略しようとする。
「こらっ」
僕はそれを止めるべく、手を上げ、叩くふりをする。
「おっとっと、なんだか手が止まっているように見えたからさ、愛しい妹君への献上物かと思っちゃったよ」
「これは僕のだ。お前のと違って陽織の愛情が飛びっきり入ってる…ってメモ書いてあるから、これだけは渡せないぜ」
「にぃちゃんはひぃ姉のことを嫌いっていうけどさ、そうでも無かったんだね。嫌よ嫌よも幕の内ってやつなんだね」
「時事ネタを俗語と組み合わせるんじゃない」
「弁当の方」
「僕は俵形の握り飯だったのか…生きている意味が誰かに食われるだけの人生になっちまった」
「にぃちゃんにお似合いだね。『誰か』に『食べられる』人生なんて」
歴木は妙に一部を強調したかのように聞こえ、手が止まってしまう。
変に鋭い歴木の発言だからこそ、心の臓に深く入り込んでくる。
「なにか言いたいことがあるなら言えよ」
「べつにー。私が言わなくても周りが言ってるはずだしさ。特にひー姉がね。にぃちゃん自身も分かっているんじゃない?自分が解らないように分からなくしていることくらいね」
歴木は食べ終えたのか、席を立ちながら静の方を見据える。
さっきまでの歴木とは違い、怒りの感情が目から流れ出している。
「僕が間違ったことでもしてるってか」
「間違ってはいないかもね。誤ってはいるけど」
「僕の周りは敵だらけで、これじゃあまるで四面楚歌じゃないか」
「周りは『鏡』だよ、にぃちゃん。映っている本人が変わらなきゃ、周りは変わらないし、周りが自発的に変化するなんて期待しちゃ駄目だよ。周りが間違っていると思うなら、自分の意志を貫き通すくらいしかないんじゃない?」
「回りが僕を否定して、それに対して反発して、僕の意思を、意志を貫いたって周りがいなくちゃ意味がないんだよ、歴木。僕の周囲が居なくなろうとも、彼女の周りからは一人でも欠けちゃあいけないんだ」
「どうして?」
「それは内緒。僕の大事な妹にだって言えない」
「そうやって自分一人で抱え込んだふりしちゃってさ。それは、にぃちゃんの執着?独占?支配?それとも、贖罪?」
「僕が僕であるための理由だよ。それにいつだってあいつはーーー」
ピンポーンーーー
遮るようにインターホンが鳴り響いた。
フッと我に返ったが、早朝から言い合いすることなんて無かったかなと、我ながら思ってしまう。
歴木も静と同じだったのか、テーブルにあった『ナイフ』を手から溢した。
カランーーーという軽々しくも重い音と共に席を立った歴木は自室に籠るようにリビングを後にした。
歴木は席を立つ瞬間ボソッと何かを言ったような気がした。
最後まで聞き取ることは出来なかった。
けれど、昨日陽織に言われたことを思い出していた。
『…自己犠牲は醜いだけだよ、静』
それと、少しだけ似ていたような気がした。
自己犠牲は自己を満たすだけの薬でしかない。
歴木は今日も今日とて、学校には行かないようだった。
それと同時に来訪者も僕に任せるようだ。
こんな気分の悪い食事になってしまったことを後々悔やむのは目に見えているので、それを考えないように玄関に足を向ける。
『後悔』なんて、自分を正当化するための手段でしかないのに人間はいつだって自分に甘い。
人間サイコー。
人間大好き。
自分なんて大ッ嫌いーーー。