1-1
優しい日差しに麗らかな午後、青空に咲く桜が今日もヒラヒラと儚く散っていく。気温24度、暖かな日差しと緩い風が窓のカーテンを揺らしている。まさにお昼寝日和。
「夜神・・・、やーがーみ」
暖かい陽だまりの中、自分の名前を小声で囁く妖精の声が聞こえる。
「夜神!おい、起きろ!」
て、男かよ。これは隣の・・・田中。そう、隣の席の田中の声。席・・・教室の・・・学校の・・・学校?
「―――では、次の段落から訳してください・・・次の席のヤツ、どうぞ」
「おいってば!」
田中の力のこもった小声が夢を破壊したと同時に、意識が急に戻ってきた。今は5限の英語の授業中だったのだ。
「あー・・・次は夜神だな。25ページだぞ~」
「は、はい!」
先生に名指しされていることに気づくや否や、ガタッと勢いよく席を立った。頭がまだ状況を整理できていないが、マズイ状態なのは理解できる。
「こころ、25ページ2段落目の訳よ。宿題のやつ」
今度は後ろの席の那月が、小声で助け舟を出す。
予習、本当大事。昨夜の自分に感謝をして、こころはこのピンチを無事脱した。
「は~・・・疲れたぁ。主にメンタルが疲れたぁ~」
就業のチャイムと同時にざわつき始めた教室内で、夜神こころは力なくうなだれる。
「いやメンタル的に無駄に疲れたのはこっちだよ!なかなか起きねぇんだもん」
「あんた田中に感謝しなさい?あたしは新作のアイスでいいわよ!」
「あ、ずりー!俺もそれ!」
「ありがとう田中。はい、チロルチョコ。きな粉味だよ、ありがたく食べてね」
おもむろに鞄からチロルチョコを取り出し、田中の机に置く。学校の鞄にお菓子を仕込むのは、女子高校生の嗜みだ。
穏やかな高校3年生の春、よくある風景。日本の日常はとても平和だ。
「それにしてもアンタ、よくこころが寝てるの気づいたわね。この子頭動いてなかったわよ」
「そりゃ気づくさ。スースー寝息が聞こえりゃな」
田中は受け取ったチロルチョコの銀紙を外しすばやく口に放り込みながら、サッカーシューズやスポーツドリンクが入ったスポーツバックを肩にかけ、身支度を始める。
「いやいや、夢へ誘ったのは妖精田中だから。すべては田中のせいだから」
「はぁ?」
何故自分のせいになっているのか理解できない田中から変な声が出た。
「よくわかんねぇけど、ちゃんと予習してて良かったな夜神」
「それな!那月と昨晩電話しながらやったんだ〜」
ドヤ顔するこころ。それを受けて那月は呆れた顔で返す。
「夜中にいきなり、「ヤバイ宿題忘れてた!答え教えて!」とか電話してくるんだもん。もう寝る時間だったのに!」
「感謝してます大先生!」
こころは那月に ははー! とひれ伏すポーズをして見せる。
「お前ら本当仲良いよな・・・」
そのやり取りを見て、田中は素直に立直な感想を述べた。それを聞いて、こころは「エヘヘ」と照れ、那月はセミロングでまっすぐな黒髪を耳にかけながら「まーね」と困ったような笑顔を作る。基本的に、那月がこころの世話を焼いていることが多いのだが、那月はこころの世話を焼くことが生きがいとすら感じている節がある。
3年2組の教室で、他愛の無い会話を楽しみつつ、そろそろ各自放課後の予定に移る。
「じゃ、俺部活行くから。またなー」
「なー」
「がんば~」
身支度を済ませた田中は、颯爽と教室を後にする。
こころと那月は一緒になって力なく手を振り、こちらも身支度を始める。
「さ、お待ちかねの放課後スイーツタイムよ!5限終わり最高!」
「帰宅部最高~!」
那月は学校指定の学生鞄を右手に持ち、こころはサブバックを背負って教室を出た。
今日は水曜日。週に3日、月、火、木は6限まで授業があるが、水曜と金曜は5限まで。すこし早い自由時間が与えられるのだ。
校門を出た二人は、本日のお目当てであるアイスクリーム屋に向う。そのアイスクリーム屋というのは東京にある。休日のお昼に放送しているトレンド番組で取り上げられていたのをきっかけに知ったのだ。スイーツが大好きな平凡女子高生夜神こころが、これを見逃す手はなかった。
すぐに大親友:那月に連絡し、日取りを決めて計画を練ったのが4日前。その行動に無駄はなかった。
お目当てのアイスクリーム屋に向かうにあたり、ここ千葉からだと電車を乗り継ぎ1時間ほどかかる。時間に自由が利く5限終了の14時半だからできる行動だ。東京を移動する電車の中で、興奮気味にこころが話しだす。
「ここが!東京!!ビルいっぱーい!人多い~!あ、ほら那月!あそこテレビによく映るとこ!」
目を輝かせて、今時珍しい折りたたみ携帯(通称:ガラケー)で写真を撮るこころ。さらにこの携帯の珍しいところは、折りたたみ部分が壊れ、むき出しの配線で辛うじて繋がってる状態にも関わらず機能している点だろう。
「ちょ、ちょっとやめなさいよ!田舎者丸出しじゃない。一緒にいる私まで田舎者にみられるでしょ!」
「千葉は田舎です!」
「他の千葉県民に怒られるわよ・・・。それとアンタ、いいかげんそのケータイどうにかしなさいよ。てかなんで動いてるのよソレ」
「この子は中学からの相棒なの!“物持ちが良い”と言って欲しいね!」
漫画やアニメ、ドラマなどでよく舞台となる東京は、こころにとって憧れとなっていた。ましてや若者の聖地と言われる渋谷にこれから行くのだから、ワクワクは止まらない。
対照に、都内から越してきた那月にとっては、東京という場所にそれほど魅力を感じることはなかった。しかし顔を輝かせて外を眺めるこの友人のことを、それなりに面白いと感じている。
「はいはい。ほら、着いたわよ。人がたくさんいるから、迷子にならないように付いて来てね」
「はーい」
都内の地理に慣れている頼もしい那月がいてくれて、本当によかったとこころは思った。
こうして、高校3年生になったばかりの夜神こころは、初めて東京・渋谷に降り立った。