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6.私たちのあいだには、知らないことが多すぎる。

 朝陽くんが学校帰りに女の子と揉めて泣かしていた、という話は瞬く間に学校内に広がってしまった。

 相手が私だという言及はされなかった。私が地味な女子だからというのもあるけど、それ以上に考えられるのはあのとき手で顔を覆っていたから、傍目には誰かわからなかったってことじゃないかな。

 朝陽くんだけが好奇の目に晒されていて、良心がちくちく疼く。


 朝陽くんは廊下ですれ違う上級生からも声をかけられているらしかった。気になったので一応メールで聞いてみたら『ドンマイって励まされたよ』と歯の見える笑顔の絵文字つきで返信があった。

 そっか、と私は安心してスマホを置く。



 泣き乱れて朝陽くんを責め立てる事態になってしまったけれど、冷静になってみれば私にも非はあった。

「話しかける勇気がなかったの。つまんないこと聞くって、思われたくなかった」

 あのあと、打ち明けついでに白状すると、朝陽くんは困ったように笑った。

「実は俺も似たようなことを思ってた。紗菜の興味がありそうな話じゃなきゃ負ける、少なくとも幹仁に持っていかれるって、かなり焦っていたよ」

「そんなことないのに」


 私たちのあいだには、知らないことが多すぎる。

 だから知っていける。

 これからどんどん近づいていける。


「私は朝陽くんの話なら、なんだって聞きたいって思う」


 やばい、と呟いた朝陽くんは、自転車のハンドルを押したまま顔をぐっと俯けた。

「紗菜の発言、どきどきしすぎてやばいんだけど」

「やばい?」

「ぎゅって、したくなる」

 しないけど、もうしないけど、と慌ててしつこく繰り返すのが滑稽だった。


 それに朝陽くん側の事情がもうひとつあった。

 サッカーの地区予選があるので、朝も昼も夕方も、それから休みの日も部の練習で忙しかったというのだ。

 メールも電話もなかったのはそういうことだったのか。

 身体を酷使してくたくたになっていたら、用もないのに連絡なんてできないよね……。


「てっきり知っているものだと思ってた。大会が近いって、俺、言わなかったっけ?」

「……聞いてないです」


 でも、思いあたるふしもあった。

 お弁当の材料を買いにいったとき、部活帰りの幹仁くんに会った。あれはそういうことだったのか。


「紗菜、怒ってる?」

「ううん。私が勝手にぷりぷりしてたんだなあ、と思って」

「やっぱ怒ってるんじゃん」

「過去形だよ」

 憶えておくよ、と朝陽くんは言う。

「紗菜は怒るとすげー怖いから、肝に銘じておく」

「そんなことない……と思うよ」

「悪いとは言ってないよ。怖いけど、なんか可愛いっていうか、あえて怒らせたくなるっていうか」

「はい?」

 理解不能な風向きを感じ取った私は、そこのところ詳しくとばかりに続きを促した。

「叱られたい気持ちもちょっとあったりして。俺もこんな自分、知らなかったんだけど」


 やっぱりそうだ。

 私たちのあいだには、知らないことが多すぎる。

 だから、不安、疑問、興味、浮かんだことはまずは声に出して『ああそれはね』って返る言葉を待って、ふたりで共有していけばいいんじゃないかな。

 今は、そんなことを思う。



 体育祭の朝は快晴だった。

 澄みわたる青空のもと、次々に午前の競技が執り行われ、私は今から香織ちゃんと参加種目の集合場所に向かうところだ。


「私、これだけはなぜか強くて、一位にしかなったことないんだ」

 争いごとや人と比べることに興味がなさそうな香織ちゃんでさえ、こんなぎりぎりになって、むかで競争の資質を打ち明けてくる。


 組ごとに学年縦割りのチーム編成で、私たち白組は三位だった。

 上位とも下位とも得点は僅差で、勝敗は午後の団体種目にかかってきそうだ。


 そうはいっても、みんな自分の出場する競技に意識は向いていた。

 どうしても勝ちたいという運動部同士の熾烈な争いもあれば、結果を捨ててウケ狙いにひた走る上級生もいて、見ず知らずの人が出ているのであってもなんとなく見逃せない気持ちになる。

 応援する側も俄然熱がこもるというものだ。


「じゃあきっと勝てるね。楽しみだね」

「甘いな」


 香織ちゃんに言ったのに、別の方向から横槍が入る。

 男の子の声だ。

 振り返るまでもなかった。

 私にこういうことを言ってくる男子は朝陽くんしかいない。

「勝負事に『きっと』も『絶対』もない。わかった?」

 朝陽くんは私の隣に並び、香織ちゃんにも言い含めた。

「わかりました」

 私も香織ちゃんも素直に返す。


「そういえば朝陽くん、部活対抗リレーに出るんじゃないの? 召集かかってた気がするんだけど、平気?」

 香織ちゃんが朝陽くんの出場種目を知っているのは、私がこのあいだ話していたからだ。

「ああ、それは」

と、朝陽くんがなんでもなさそうにグラウンドの遠方にあたる本部席まえに目を向けた。


 つられて見ると、横並びの選手たちが乾いたピストルの音を合図に一斉に駆け出すところだった。

 部活対抗だけあって、派手なユニフォームや柔道着、袴姿に競技用水着と格好だけでも多種多様だ。

 剣道部は竹刀を持って素振りをしていながら駆けているし、水泳部の第一走者は背泳選手らしく、水をかく動作をしながら背面走行に徹していた。


 ラケットやバットを振る人の周囲は不自然なくらい距離が空いていて、その後ろにはハンデとして遅れてスタートするランニングシャツ姿の陸上部とあともうひとり、レモンイエローの半袖を着た長身の人がスタートライン上に留まっていた。


 あれ、あの派手な色の人はなんの部なんだろう。

バスケットボール部、バレーボール部、と主要な部活を数えあげ、消去法で残ったのはサッカー部。

 よそ見をしているうちにむかで競争の選手召集場所に着き、そこでああとなった。

 ここにいるはずの幹仁くんの姿がない。


「香織ちゃんと一緒。才能あるヤツっているもんだな」

 ハンデの時間を満たした陸上部がスタートを切ると、その脇にいたレモンイエローのその人は足元にサッカーボールを置き、一蹴りすると同時に走り出す。

 ボールは第二走者に向かって正確で大きな弧を描き、飛んでいった。

 ゴールキックさながらだった。



「え、じゃあなに? むかでは朝陽くんが出るの?」

「なに、俺じゃ不服?」

「そんなこと言ってない」

 焦る私を見て朝陽くんは楽しんでいるとしか思えない。

 第一グループの香織ちゃんと別れて、第二グループに合流する。


 私たちのチームの並び順は簡単だった。背の低い順だ。

 私が先頭で次が三年生の女子の先輩で、次が……。

 縦一列に並び、かがんで足を結わえる。

 右足は右の紐、左足は左の紐。


「あれ、待って。待って。待って」

 朝陽くんだけが慌てている。

「なんかおかしくないですか? こういうのって男女交互じゃないの!?」



「んなこと誰が決めた?」

 最後尾を務める体格のいい男の先輩が重低音を響かせる。

「色物競技もあるけど、ここは勝ちにいこうって話に落ち着いたんですよ」

「不服かい? 女泣かせくん」

 ここでもあの帰り道の件を持ち出されるとは!

 私以外の女の子たちはくすくす笑っている。

「そんなこと言ってません」

 じゃあ勝ちますよ、とまとめるよく知った声が後ろから聞こえた。



 結果は二位だった。

 香織ちゃんの第一グループは一位。ジンクスは健在だった。


「驚かそうと思って、出場種目交代したことをぎりぎりまで言わずにいたのに、なんだよこれ。幹仁と代わった意味ないだろ」

 朝陽くんと並んで応援席に戻る。

 言っている内容の割に声色は明るい。

 香織ちゃんは気を利かせたのか私の後ろをついてきている。


「サッカー部のほうはどうだったのかな」

「あ、私、見てたよ。二位だった。陸上部の次」

「そう、二位でした」


 私に被せるように声がして、見ると幹仁くんがにっと笑っていた。

 手には安全ピンのついた、二位を示す赤いリボンの端切れが乗せられている。

「見ててくれたんだ。すっげー嬉しい」


 幹仁くん、わかっていてやっているんだろうな。

 明らかに私に向かって言ってくれていて、私は吹き出しそうになるのを堪える。

 私の右側、つまり朝陽くんに不穏な気配が沸きあがるのを気づかないふりでやりすごす。


 幹仁くんにしてみたら、本来なら私と同じレースに出るはずが、朝陽くんが交代してくれたお陰で私に走りを見せられたのだから満足、ということなんだろうね。



 告白された次の日に、幹仁くんには丁重にお断りを入れていた。

 わかっているよ、という顔つきで幹仁くんは頷いてくれた。

 返る言葉はなかった。

 嘘でも、建前でも、返ってこなかった。

 彼の本気を表しているようで、彼の想いに対してなにもできない自分が切なくて、でもそれほど純粋な好意を持ってもらえたのが嬉しくもあった。


 長身の彼から注がれる視線は、私の意識していない箇所まで見通せているのかな。

 だとしたら、ごまかしは一切効かないはずだ。

 応えられないならせめて、一番いい私を見てもらえたらいい。

 好きになってよかったんだ、そう思ってもらえたら最高だ。



 私は朝陽くんが好きで、朝陽くんも私を好き。

 お互いの気持ちは確かめられたものの、そういえば未だに『つきあおう』という話はしていなかった。


 午前のプログラムが終了したとのアナウンスが流れ、午後の開始時刻が告げられて、生徒たちは席を離れはじめた。

 私は朝陽くんとは違うので、サプライズにはしない。

 体育祭当日はお弁当を作ってくるね、と前もって宣言していた。

 周囲の音が遠く聞こえる。緊張してるね、私。


 私がこのあと誰に声をかけようとしているかを知っている香織ちゃんが、そっと肩に触れる。

「先に行ってるね」



 さすがに、学校でふたりきりでお昼を食べるのはレベルが高過ぎるので、香織ちゃんに加勢してもらうことになっていた。

 朝陽くんも友達を誘ってくれるらしい。

 もしかしたらそれは幹仁くんかもしれないけれど、今の私には余計なことに気を回す余裕なんてなかった。



 あの、と周囲の人がはけたのを見計らって朝陽くんを呼び止める。

「予告通り、作ってきたよ」


 一瞬の間があった。

 緊張が最高点に到達する。

 なにか、まずかったかな。


 そうではなかった。

 片手で口元を覆い、すぐに離した朝陽くんのその顔は真っ赤になっていた。

 サンキュ、と小さい声がする。

 猛烈に照れている様子。見たことのない表情。


 可愛いかった。

 もっとこういうところを見たいと思ってしまった。

 馴れ馴れしい約束だったかと気にしていたけど、彼に踏み込んだからこの顔が見られたのだから、ひとつ勉強になった。


 そのまま朝陽くんを見つめ続けた。

 確かめるなら今だ。

「私、まるで彼女みたいなことしちゃったけど。彼女と思っていいですか?」


 私は朝陽くんが好きで、朝陽くんも私を好き。

 奮い立たせる呪文を心で唱え、焦がれている言葉が彼から出てくるのを待った。



- end -

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