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3.テレビのなかの人、みたいな

 翌朝、私はもう少しで遅刻するところだった。

「ぎりぎりの時間に来るの、珍しいね」

「うん、ちょっとね」

 体調でも悪かったのかと気遣う香織ちゃんに、申し訳ない気持ちが沸いてくる。

 私はまだ、朝陽くんのことをなにひとつ打ち明けていなかった。最近仲良くなったことはもちろん、彼を遠くから見つめていたことも。


 隠し続ける気はなかったけれど、なにせ展開が早すぎた。きっかけがあって、会話が増えて、話が合うことに気がついて――そんなふうに段階を踏んで徐々に話すようになっていったのなら、その過程で『最近朝陽くんと親しそうだね』と聞かれることもあっただろう。


 だけど、朝陽くんはいきなりだった。家を調べて夜に私を訪ねてきたし、約束もしていないのに二学期初日の朝に迎えに来た。

 私が好意を持っていたからよかったものの、そうでなかったらただのストーカー野郎だ。

 その件も含めて説明しないと、話を聞かされた側は眉をひそめるに決まっている。



 朝陽くんは教室のうしろのほうで友達と盛り上がっていた。私が登校したことにも気づいていない様子。知らん顔の演技をしているようにはみえない。


 私一人がもりあがってたってこと?

 今日は、私を迎えに来る日じゃなかったってこと?

 朝陽くんのぶんのお弁当を用意して家で待っていた自分が、ばかみたい。




 朝のうちに手渡しはできなかったけれど、せめてお弁当を食べてもらえたら、と午前最後の授業のチャイムが鳴るときから朝陽くんの動きを目で追っていた。

 クラスメイトの真んまえで渡すのは恥ずかしい。呼びだして、人目の少ないどこかで落ち合って、渡したら速やかに立ち去る――これでいこう!

 怪しいものを扱う密売人のように慎重に作戦を練りあげたところで、ターゲットに動きがあった。


「あさひー、飯どこで食う?」

 友達に呼ばれた朝陽くんの手にさがっているのは小さいトートバッグだ。水筒の先がバッグからのぞいている。


 え。嘘でしょ。

 それって持参ですか? お弁当、持参ですか?


「天気いいから中庭にしようぜ。おまえ、弁当は?」

「俺? 持ってきてない。食堂かな」

「だったらどこで食うとか聞くなよ」

「購買でパン買うって手もあるじゃん」

「そうだけどさあ」


 私が呆気にとられているうちに、ターゲットは友達と談笑しながら教室を出ていってしまった。

 声をかけるのさえできなかった。



「幹仁くん。よかったらこれ食べない?」

 廊下に出たところで、背の高い後ろ姿を呼び止める。振り向いた幹仁くんはいったん私に目を留めてから、私の手のなかにあるものに視線を移した。

「弁当? え? え?」

 心底驚いている様子。

「マジでもらっていいの?」

「うん。あの、漫画借りてるから、そのお礼ってことで」

「そんなの別にいいのに」

 でもサンキュ! と満面の笑顔を向けられる。

 私も微笑みを返したつもりだけど、うまく笑えていたかどうか。



 教室に戻って、香織ちゃんの席のそばで自分のお弁当を開く。

「なんか、嫌だな」

「え」

 食事中に陰鬱なつぶやきを漏らすマナー違反を恥じながらも、私は私を止められない。

「あれはお礼とか、そんなんじゃないし。お礼ならはじめからお礼のつもりで作りたかった。こういうの、すごく嫌。うまく立ち回れない自分がすごく嫌」

「紗菜ちゃん。なにか、あった?」

「ごめん。心配してって言っているようなものだよね。今の私」

 もっともな香織ちゃんの問いかけさえ、また自己嫌悪の材料になる。頭を抱えそうになる。


 と、そこに聞き覚えのある声が近づいてきた。

「なに、外で食うとか言ってなかった?」

「暑すぎて無理だった」

「だろうな」

 中庭だの食堂へ行くだのと話していた朝陽くんとお友達、それに幹仁くんの三人が笑いながら空いている席同士を寄せるところだった。

 椅子が私の背もたれに当たって音をたてる。背後にきたのは朝陽くんだった。


「お。悪い」

「ううん」


 たったそれだけの短いやりとり。でも真後ろに朝陽くんが座るとなると、私はがちがちに緊張してしまった。

 それに今、お友達のほうに向き直ったはずの朝陽くんがもう一回こちらを見たような気がする。しかも笑みを浮かべていたように思う。

 私にしかわからないような笑いかたで、いたずらめいた秘密のにおいがした。私は制御できないほど胸がどきどきして、ごはんがうまく飲み込めなくなった。


 さらに追い打ちをかけるような出来事が起こった。

「朝陽、唐揚げ食う?」

「あー、食う食う」

「どう?」

「普通にうまい。え、なんで聞くの? もしかしてお前の手作り?」

「ばっ……ちげーよ」

 幹仁くんが私の作ったお弁当のおかずを朝陽くんに勧めて、そのあとの反応から察するに、どうやら朝陽くんは食べたらしい。


 まさか! まさか! まさか!

 私は彼らに背中を向けたまま、恥ずかしいやらうれしいやらで、顔が熱くて堪らない。


 諦めていたのに、食べてもらえた!

 というか――恥ずかしいんですけど!! 

 幹仁くん、それ絶対わざとでしょ!?

 私がいるの知ってて、私の気持ちも知っててやったでしょ!?


 とにかく興奮を抑えるのに必死で、知らんぷりを貫くのが精一杯で、できることなら机に突っ伏してしまいたかった。



 放課後になるやいなや、幹仁くんはにやにや笑いながら空になったお弁当箱を私に返した。

「聞こえてた?」

「なにが」


 聞き返しつつも、私にだってすぐにわかった。幹仁くんは唐揚げを味見した朝陽くんの反応のことを言っているんだ。

 で、見てるんだよね、幹仁くん。こっちをじっと見てる。

 お弁当箱をしまう私に刺さる、観察するようなこの視線。

 なんか嫌。


「聞こえましたけど」

 やむなく私は素直に認めた。

 うつむけていた顔をあげると、白い歯を見せる幹仁くんの笑顔があった。

「よかったね」


 迷ったものの、そこは素直に頷いておいた。


「幹仁くん」

「うん?」

「あの。ありがと」


 ひったくるように自分の荷物を抱え込むと、私は返事を待たずに教室を飛び出した。私の朝陽くんへの気持ちのすべてが見透かされている気がして、一刻も早く消え去りたかった。

 どうして届いてほしい人には届かないのに、そうでない人には筒抜けになってしまうんだろう。



 私に好きな人がいる、と香織ちゃんは薄々勘づいていたようだ。朝陽くんとのことを話しても特にびっくりした様子はなかった。

 アイスコーヒーに落としたガムシロップを入念に混ぜてから聞いてきた。

「告白とか、するの?」

 アイスティーを飲もうとしていた私の動きが一瞬止まる。

「しないよ。しないというか、ええとね、少し説明がいるんだけどね」


 学校に程近いハンバーガーショップは放課後すぐの時間帯と部活終わり頃に混雑する。

 そのあいだを狙ってきたものの、肩すかしを食うくらいに空いていた。

 それでも室内はあの独特の味の濃い食べ物の匂いが立ちこめていて、それは人がいてもいなくても変わらない、いつもの雰囲気を作り出す企業努力のようでもあった。


 四人掛けの席にはす向かいに座り、堂々とかばんを置いた私と香織ちゃんは、飲み物とLサイズのフライドポテトひとつと携帯をテーブルに乗せていた。

 この時間にハンバーガーなんて頼もうものなら、夕飯がお腹に入らなくなる。


 口にしたアイスティーにむせると、香織ちゃんのほうが困ったように笑った。

 あのね、と私はつっかえつっかえ話しだした。

 見ているだけでいいという感覚を言葉で伝えるのは難しい作業だった。


「調理室からグラウンドがよく見えるの。部活でお料理しているといっても、オーブン使ったり、蒸し器で蒸したり、冷蔵庫で固めたり、ちょっとした空き時間ってあるから、洗い物や片づけをしつつ、なんとなく眺めていたんだ。新入生ならともかく、私たちもう二年生で、はじめの頃にあった緊張感なんてもうなくって、だから他に目が行くわけで。天気のいい日に元気に動いている人たちを見て、あー今日もやってるなーって。もうそれは自分の部活の風景の一部になっていて」


 背格好で判別できない人たちだったのが、次第に見分けがつくようになった。

 全員じゃない。ある特定の人だけ、目で追うようになった。

 サッカーをやっているときの姿形がきれいに思えた。

 好きという気持ちで動いているのがぐんぐん迫るように伝わってきた。

 彼の活躍でこちらの口元が緩んだし、それを調理部の人たちに見つからないようにするのに苦労した。


 九月の残暑のなかにも夕方には少しだけ冷えた風の心地よさがあるように、グラウンドを駆ける集団のひとりが際だって素敵に感じられたということ。

 私には特別に映ったということ。


「でも、窓の向こうで動いている人だったの。同じクラスにいる人だってわかっていたけど、私にとっては調理室の窓から見ているあの人、という位置づけで」

「テレビのなかの人、みたいな?」

「そうそう」

 あー、わかるかも、という相槌に力を得て、もう少し現実の話をする気になった。


「おはようくらいの挨拶しかしたことがなくって、でもたまたま夏休みの宿題を一緒にやる機会があって、それもたった一日だけのことで」

 つい先日の出来事だ。忘れもしない八月三十一日。

 朝陽くん以外にもサッカー部の男の子たちがいた。

「ふたりになったときに、気持ちを探るような会話があって――そう感じたのは私だけかもしれないんだけど、すごくどきどきした」

 その翌朝、なんの前触れもなく朝陽くんは私の家に――。



「あれ、朝陽の新しい彼女さん?」

 声をかけられて驚く。

 見ると、なんとなく見覚えのある男の子がちょうど店に入ってきた風情でこっちに笑いかけていた。後ろには友達らしき人たちもいる。


「だよね? このまえ朝陽と登校してた人だよね。ちはーっす!」

 ちわーっすに返す挨拶を見つけられないまま、ぎくしゃくと小さく会釈をするまに、男の子たちは勝手に盛りあがっていた。


「え、どこ? どれ?」

「ふたりいるんだけどどっち」

「どっちだっていーじゃん。でさ、さっきの続きだけど」


 そうだ、朝陽くんのお友達だった。

 朝陽くんと並んで登校したあの日、朝陽くんのほうから声をかけた男の子。

 名前はなんだったか思い出せない。

 彼は友達を誘導して注文カウンターへ向かった。



「びっくりしたね」

 小声で香織ちゃんがささやく。

「そうだね」


 相席までいかなくても、近くの席に来られたらどうしようかと心配だったけれど、そんなふうにはならなかった。

 注文を終えた彼らは、壁際のポスターの下に集まるなり楽しそうに会話を展開している。

 知っている顔があったから挨拶をしただけのようだった。


「私のこと、彼女だと思ってるのかな」

「それより、新しいって言ったのが気になる。朝陽くんってまえにつきあっている人がいたんだね」

 香織ちゃんの声には非難の色が滲んでいる。

 私は宥めるように笑顔を向けた。

「仕方ないよ。いないほうが不思議だよ」

 言ってから妙に納得した。

 いつも感じいいもんね、と同意した香織ちゃんだったけど、今思い出したという様子で笑みを引っ込めた。


「私も困っているときに助けてもらったことがあったよ」

「いつ?」

「一学期の終わりごろ。私が日直で、黒板の上のほうの文字を消そうとしてて、背伸びをしても届かないのを見かねたのか、ささっとやってくれたよ。お礼を言ったら、はいって言って笑って、爽やかにいなくなったよ」

 光景が目に浮かぶようだ。

 朝陽くんって、見ていないようで見ている人。

 私が抱いているイメージと重なる。


「うまくいくといいね」

 香織ちゃんは言った。

「お弁当まで作ったんだから、紗菜ちゃんの想いが届くといい」


「うわ……」

「え、どうしたの」

 顔を腕で覆うと、今度こそ私はテーブルに突っ伏した。

「自分の行動が恥ずかしくなってきた。彼女でもないのにお弁当作っちゃって」

 勢いって怖い。流れって怖い。

 少しだけ勇気を出したつもりが。

「私、端から見たらただの勘違い女になってない!?」



「でも、そうしたかったんでしょう?」

 降りてくる香織ちゃんの言葉が優しい。

「嬉しそうな顔が見たかったんでしょ」

 私の気持ちを汲み取ってくれる。

「それに、朝陽くんに紗菜ちゃんのこと、もっと知ってほしいよ」

 天使。


 香織ちゃんに話せてよかった。

 黙っている後ろめたさを解消するためだったのに、急に楽になった。

 そう言うと、香織ちゃんはおかしそうに笑った。


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