2.女子はアイスだろ
お昼の用意がいるくらいだから、二学期初日から午後まで学校に拘束された。といっても授業ではなくロングホームルームで、今月下旬の体育祭の参加種目と係を決めることになっていた。六クラスある学年ごとの縦割りのチームになるのだそうだ。
一年生の私たちにとっては初めての体育祭だ。部活の先輩からは『盛り上がるよ~』と言われているけれど、いまいちぴんとこない。
長引くのが嫌だから、と気を回した学級委員が昼休み中に黒板に種目を書き出していた。ひとり一種目は出なくてはならないので、参加したい競技の空欄に必ずひとつは自分で名前を書き入れるようにとのことだった。
そうなると、順当に決まる種目もあればそうでもない種目もあるわけで。
「次、むかで競争の希望者はまえに出てください」
わたしは席の離れている友達の香織ちゃんと互いに目配せをして、やむなく学級委員の脇に進みでた。
むかで競争じゃないとだめ、というわけではなかった。朝陽くんに漏らしたのは本音で、大玉送りでも綱引きでも団体種目ならなんでもよかった。
みんなが思いつくような選手枠の多い種目ではなく、逆に人数の少ないほうを選んだほうが希望通りにいくのでは、という私の根拠に乏しい裏読みが見事にはずれた格好だった。かっこ悪。というか。
「ごめんね、なんかこんなことになって」
「ううん」
お昼を食べながら一緒に参加する種目を相談した香織ちゃんと教卓のそばで短いやりとりを交わす。
人数枠二名に対し、希望者は女子四名。ふたりがほかにまわらないといけない。
じゃんけんの結果、私も香織ちゃんも勝って希望種目に残れた。
よかった、という思いは席に着くまで抑えておいた。負けてしまったふたりのことを考えたら、あからさまに喜ぶのは申し訳ないから。
席に戻ると机のなかのスマホに香織ちゃんからメール着信があった。よかったね! だって。
私は窓側の香織ちゃんのほうを向いた。私もメールしようと考えてたのに! 自然と笑みがこぼれた。
むかで競争は男子も希望者が多かったようで、女子のときと同じ要領でじゃんけんをしていた。そのなかには朝陽くんもいて、あっと思った。
朝、私が言ったのを覚えていて、それでもしかして同じのにしようとした、とか?
もしそうなら、どうしよう! 一緒にできるかもしれないんだ!
なぜかわからないけれど男子のほうが女子のときよりも競争率が高かった。六人とか七人とか、そのくらい。いっぺんにじゃんけんするから、なかなか勝敗が決まらない。
そのうち何人かが、黒板に残された女子の結果を見て、やっぱりやめると言い出した。つまり、私と香織ちゃんの名前――って失礼な!
でも、言いたいことはわかる。私たちにじゃんけんで敗れたふたりはお化粧をばっちり決めている派手めの顔立ちのかわいい子だった。
むかで競争は男女交互に縦に並んでまえの人の肩に手を置き、右足は右足同士、左足は左足同士を紐で結わえ、前進して順位を競う競技だ。これを機に気になる女の子とお近づきになりたいとか、一緒に練習できるとか、考えたんだろうね。
朝陽くんは辞退しなかった。ますます高まる私の期待。あー、勝ってほしい!
残った三人でじゃんけんとなった。じゃーんけーんぽん。
がんばれ、と心で一回唱えた。朝陽くん、とまで唱えられなかった。それほど短時間で決着がついた。
朝陽くんは負けた。
そのあと、教卓から離れる朝陽くんと目が合った。一瞬だけ苦笑いして、あとはなんでもないような顔つきで席に戻っていった。
どうしようかな。
家に着くなり制服のままベッドに横になった。自分の部屋で誰も見ていないのをいいことに、スカートの裾のめくれるのなんてそのままに、ごろりと転がる。
スマホを片手に逡巡する。
『今日の種目決め、残念だったね』
『同じのに参加できるかと期待しちゃった』
『結局、どの種目になったの?』
朝陽くんへ送る文面が頭をかすめては入力されないまま消えていく。
変かな、こんなこと送るの。
朝陽くんと打ち解けてからまだ一週間もたっていなかった。
話しかけていいのかさえわからない。迷惑じゃないかな。
もっとかわいらしい、女の子っぽい表現はできないかな。
使い慣れない顔文字まで探しだす始末だ。
「お姉ちゃん、帰ってるの?」
「帰ってるけどなに?」
「ご飯は?」
出入り口にいる深雪がアイスキャンデーをなめながらこっちを眺めていた。思わずベッドサイドの目覚まし時計を振り返る。十八時半を過ぎていた。
「うわわ!!」
夕飯、支度しなきゃ!
慌てて部屋を出ようとしたもののまだ制服のままだった。回れ右してTシャツと半端丈のパンツに着替える。
「お姉ちゃんにしては珍しいね。どうしたの。部屋もなんか散らかってるし」
「なんでもない」
言われてカーペットの上に散乱している雑誌やらカードやらを足で隅っこに追いやった。
これはあれだ。どうしよう、どう思っているのかな、とあれこれ物思いにふけっていたら、雑誌の恋愛体験談に手が伸びて、バックナンバーを遡っているうちに今度は占いまで気になりだしたんだ。
とはいっても朝陽くんの星座はおろか、生年月日も血液型もわからない。
できることといえば――。
「なーにそれ。タロットカード?」
「なんでもないってば!」
「へー。お姉ちゃん、そんなの持ってたんだ?」
「うるさいよ」
うん、持ってた。小学生の頃、クラスで大流行したときに私も本屋さんで買った。それを思い出して、押入の奥から引っ張り出してきたところだった。
使わないけど使えるからと捨てずにおいた私冴えてる! とさっきひっそり興奮したのは内緒だ。
「今日はカレーだから! ヒマなら野菜刻むの手伝って」
「ヒマじゃないもーん!」
逃げ足の速いヤツ。ま、はなから手伝いはあてにしていなかったけどね。
それでも共働きの両親が帰るまでに夕食を整え、私と深雪は先に食事を済ませた。
お風呂場に向かう深雪に声をかけて家を出るところで、父とばったり顔を合わせた。
「なんだ、今から出かけるのか」
「ん、ちょっと買い物に」
実は今朝の深雪の言葉が気になっていた。
『だめじゃん。迎えに来るってわかってたんなら、お弁当、彼氏のぶんも作っておかなきゃ』
作ったほうがいいかな、と思いはじめていた。
別に苦じゃないし。お弁当なんて、四つ作るのも五つ作るのも一緒だし。
なにより、朝陽くんの驚く顔が見てみたい。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなった。
鶏のから揚げだったら嫌いな人はいないはず。
もし好みじゃなかったとしても、次はがんばるねって言えばいい。
ついでに好きなおかずも聞けたらいい。
というわけで、まずは買い出しに行くことにした。
「車、出そうか」
「いらない。すぐだから自転車で行ってくる」
過保護なんだから、と父のそれ以上の絡みを逃れるように自転車を出した。
二十時をまわった空は思ったよりも暗かった。もう九月だ。夏の終わりを意識させられた。
「紗菜?」
スーパーの駐輪場で低い声で呼ばれた。それでなくても急ごうとしていた私は飛び上がるほどに驚いた。駐輪場の奥の暗がりから大柄の影が近づいてくる。
聞こえなかったフリして逃げることも考えたものの、
「やっぱり紗菜じゃん」
と砕けた調子で再度声をかけられたから、自転車のハンドルを握ったまま影のほうを向いていた。
「幹仁くん」
知り合いだった。同じクラスの男の子で、朝陽くんと同じくサッカー部に所属している。彼ともこの夏、少年漫画を借りる程度にはお近づきになれた。そういえば続きをまだ読んでいない。次の展開が気になっていたのに、朝陽くんとのことがあってほったらかしになっている。
「アイスでも買いにきたの?」
「違うよ。なぜ断定して思うの」
笑いながら答えると、
「女子はアイスだろ」
と、古典文学の一節のように決めつけられた。当たっているような違うような。
でも、深雪も夕飯まえに食べてたっけ。それじゃやっぱり当たってるのか。
「ええと、幹仁くんは部活の帰り?」
まだ制服姿だったし、塾の帰りにしてはスポーツ用品メーカーのロゴ入りナイロンバッグはしっくりこない。
「うん。遅くなったから腹減っちゃって」
よいしょ、と幹仁くんは駐輪場の縁石に腰をおろした。なにをするのかと思って見ていると、白いスーパーの袋からプラスチック容器に入った食べ物を出し、右手に持った割り箸にかみつくようにして器用に割っておもむろに食べはじめた。
ごま油の匂いから察するに、食べているのは中華丼だ。
入口から遠い側とはいえ、駐輪場は駐輪場だ。仕事帰りに立ち寄る人の多い時間帯だから、人目もなくはない。
他人の自転車と自分の自転車のあいだに座り込んでご飯をかきこんでいる姿を目の当たりにした私は、場を離れるきっかけを失っていた。
「食う?」
「は?」
聞き違えたかと思って問い返す私。
幹仁くんはというと、箸を持ったまま右のこめかみを指先でかいている。
「いや、食いたいのかなと思って。じっと見てるからさ」
「違います!」
もう帰るから、と自分の自転車のところへ行ってバッグのなかの鍵を探る。待ってよ、と声が追ってきた。
「送るよ。暗いだろ」
「ありがとう、でも大丈夫だよ」
「ほんとに?」
なぜそんなに送りたがるの、と聞くまでもなかった。
辺りが急に騒がしくなった。ちょうど他校の男子生徒の集団が、向かいのコンビニから出てきたところだった。一見してガラの悪そうな人たちだった。
「……大丈夫じゃないかも」
送ってもらうといってもお互いに自転車なので、私がまえを走り、幹仁くんが追走する形になった。
声が届きにくくても、構わずに幹仁くんは話を振ってきた。紗菜はなんに出るの、とここでも話題は体育祭のことだった。むかで競争、と正直に答えたところ、反応がない。振り返るわけにもいかず、そのまま歩道のない道を慎重に走り抜ける。
信号に差し掛かったところで隣を向くと、反応がないわけではなかった。幹仁くんは笑いをこらえていた。
「え、そんなにおかしい?」
また団体種目だの成績が団体責任の種目だのと言われるんだろうか。
「ちょっと思い出しちゃってさ。いや、朝陽もそれに出たがってて結局別のにまわされたの知ってただけに、余計にさ」
赤に変わったばかりの信号はしばらく青になりそうになかった。家路を急ぐ車の流れも途切れがちだ。時折、しんとしたなかに秋の虫の声が響く。どこかの家の庭に生息しているんだろう。
さっきのコンビニまえの柄の悪い高校生たちは違う方向だったみたいで、それきり姿は見えなかった。平和な夜だ。車が来ないのを確認してこのまま渡ってしまいたくなる。
「今日の部活のとき、朝陽がやたらと見物客を気にしてんの」
一気に話に引き戻された。朝陽くんが、なに?
「公道に面したグラウンドだから、一般の人もフェンスで立ち止まっていくことはあるけど、うちのサッカー部は弱小だからさ。そう熱心に見る人なんていないんだよ」
ああ、サッカー部は弱小だったのですね。
朝陽くんはそこのレギュラーで……ま、いいか。
「あれは特定の誰かを探してたんだな。あまりにひどいから、集中しろって先輩に怒鳴られてたよ」
誰かを探してた?
「それって……」
「あ、信号変わった。行こう」
「う、うん」
朝陽くんが探していたのは、もしかして私かもしれない。
私の所属している調理部は今日は部活は休みだった。活動日だったなら、きっと窓からサッカー部の練習風景を見ていたはずだ。
でも調理室に人気がなかったから、朝陽くんは気になって、見物人のなかに私がいないか探した、とか?
放課後の朝陽くん情報を半端にリークした幹仁くんは、それ以上を教えてはくれず、私の推測が合っているかどうかはわからずじまいとなった。
幹仁くんの発言もあって、ますます朝陽くんに連絡しづらくなってしまった。
私を探してたの? なんて聞いて、もし違っていたら恥ずかしい。
メールならともかく、たとえば電話だったら勢い余って聞いてしまいそうだ。
結局、その日は朝陽くんからも音沙汰はなかった。