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1.約束はしてなかったよ

 家族全員のお弁当を詰め終えたときのことだ。

 今朝の任務完了とばかりにひといきつきながら飲みかけのコーヒーの残りをあおるように飲んでいると、リビングにここにいるはずのない人の姿を見つけた。


「終わった?」

 その人物が軽い調子で聞いてきたものだから、私もうんと頷いた。だけど、思考が先へと進まない。


 その人は、あっそう、とまたもや軽く受け流すと、視線をそれまで観ていたテレビへと戻した。

 彼の身につけている私と同じ高校の--ただし男子の見慣れた制服も、女姉妹しかいない我が家で見ると新鮮だった。一見、お呼ばれしてきたお客様みたい。ソファから伸びる脚の長いこと長いこと。深く腰かけているのに膝が完全に飛び出していて、膝の裏とソファのあいだに空洞ができている。



 違和感があるのは彼の鎮座する場所のみで、ほかは普段と変わらなかった。

 ソファの正面、テーブルの向こうにはテレビが朝のワイドショーを明るく映し出していた。ここのところよく見かける背の高い個性的な顔立ちのアイドル俳優と大河ドラマで人気沸騰中の若手女優が、並んでにこやかに受け答えしていた。秋からの新ドラマの宣伝に来ているらしい。マンガが原作で、私も気になっていた物語だ。何曜日にやるんだろう。録画予約いれておかなくちゃ。


 観察を経てようやく血の巡りはじめた頭でそんなことを思っていると、ダイニングテーブルからはごちそうさまという声があがり、椅子の動く音がした。

 父は食事を終えても動き出さずに新聞を読む人だし、母は食べるのが遅い。

 だから、ごちそうさまを言ったのは妹の深雪だ。見なくてもわかる。

 ほら、いつもの光景。いつもの情景だ。


 ――で?

 その、いつもの景色のなかに、さっきから何度も言うように、いるはずのない人物が紛れこんでいるんですが?



 重ねた食器を手に、妹の深雪みゆきが私の脇をすり抜けた。

「お姉ちゃんのこと待ってたんだよ、あの人。お姉ちゃんてば、お弁当作るのに夢中で、声かけても気づかないんだもん」

 だからお母さんが気を利かせて上がって待っててもらったの、と深雪はさらに続けた。 流し台で食器を洗いながら。


「私、そんなこと頼んでない」

 水音でかき消されるとは思いつつ彼に聞かれないようにと小声で言う私に、深雪は冷たかった。

「だめじゃん。迎えに来るってわかってたんなら、お弁当、彼氏のぶんも作っておかなきゃ」

 深雪に倣ってうしろを振り返る。リビングのソファには八分の一にカットされたリンゴを楊枝で刺して、のんきにむしゃむしゃやっている山内朝陽やまうちあさひくんの姿があった。


 迎えに来る? そんな話、した?



 心当たりがあるとすれば昨夜だ。朝陽くんと私とで、日付が変わるころまでスマホのアプリで盛り上がっていた。

 朝陽くんのレスポンスはかなり速かった。単語を選んで慎重に応じていた私も途中からは親友を相手にしているときのように言葉のラリーを繰りひろげていた。


 昨日初めて連絡先を知ったくらいなのに、こんなに砕けた会話しちゃっていいのかという心配もあった。

 けれど、朝陽くんが私に向いている、私のことを考えてくれているというこの一瞬一瞬の喜びのほうが遙かにうわまわっていて、つまらない不安はいつのまにか消えていたっけ。



「約束はしてなかったよ」

 通学鞄にお弁当を詰めて学校の支度を整え、靴を履いて家を出るなり聞いた私に、朝陽くんはしれっと言った。

「そのほうが紗菜も驚くと思って。驚く顔が見られるかと思って」

 だけど、とそこで笑みを含ませる。こちらをのぞきこむようにして。

 この仕草に私はとても弱い。なにを言われてもどきどきしてしまう。


「おれが来たことも、リビングに案内されたことも、まるで気づかないんだもんな」

「ごめんなさい」

 謝ったほうがいいよね。これ。腑に落ちなかったけど言っておくことにする。


 勝手に家まで来たのは朝陽くんだけど、私のほうが悪いことになっている。

 約束なんてなにもしていなかったのに、あたりまえの顔をして我が家の玄関先のチャイムを押したものだから、今こうして並んで一緒に登校している。

 変なの。

 でも、彼と過ごすということは、こういう意外性の連続になるのかもしれなかった。


『予測不能』は朝陽くんの専売特許だ。考えが人のほんの少し先をゆく。親しく話せるようになったのが最近ということもあって、私は驚かされてばかりだった。



「やっと同じ学校のヤツがいた」

 ほら、と彼の声の差すほうに目をやると、猫背気味の男子生徒の後ろ姿があった。朝にいつも見かける人だった。先輩だったと思う。

「このあたりから私たちの学校に進学した人って少ないんだよね」

「どうして? ぎりぎり徒歩通学できる距離だろ」

「このへんの公立中学は運動部が強かったの。運動のできる人が強い運動部に入るから、もうずっと伝統的に、決まった部活ばかりどんどん強くなっちゃって。だから進学先も、同じ学力レベルなら部活動の強豪校を選ぶ人が多いみたいで」


 テニスや陸上をやっていた親友たちはこぞって電車通学の学校へ進んだ。私ばかりが取り残されたように淋しく感じた時期もあったけれど、今では仕方のないことだって思えるようになった。


 私は私の学校の緩さが好きだ。強い部はないけれど、みんな楽しんで思い思いの活動に励んでいられる。



「紗菜がスポーツできる子じゃなくてよかった」

 朝陽くんが心の底から安心したように言ったので、怒りを通り越して笑ってしまった。彼は予測不能であり、ときどき失礼なことを言う人でもあるのだった。

「運動できなくてよかったと言われるのなんて初めてだ」

「だろうね。そうだ、運動といえば体育祭あるじゃん。紗菜はなにやるの?」

「むかで競争か綱引きか大玉送りをさせてもらえたらなあ、と」

「あはは、全部団体種目! しかも答えの速さに迷いがない!」

「個人のに出たら悲惨だもの。やる側も見ている側も」

「そこまで言う?」

「朝陽くんはなににするの?」

 んー、と思わせぶりに返事を延ばすと、朝陽くんは、

「考え中」

と言うだけで、結局教えてはくれなかった。



 さすがに学校の近くまで行くと周囲の目が気になりはじめた。朝陽くんと一緒に通学しているところを知り合いが見かけたら、なにか言ってくるんじゃないかと気が気でなかった。


 朝陽くんはそういうの、平気そうだった。

「おー、久志!」

 声を掛けられるまえに自分から声を掛けていた。しかも、すごく遠くにいる人に。

 呼ばれた相手も心得ているみたいで、ごくごくふつうに挨拶を返してくる。

 フレンドリーな人だった。朝陽くんもお友達も。


「珍しい組み合わせじゃね?」

 あーほらね、来たよ。いつか来ると思ったよ。こういう問いかけ。

 私に目を留めるお友達に、朝陽くんがはきはきと答えた。

「うん。今までになかったな。初めてかな」

 ね、と話を振られて、どぎまぎしながらも私もうんと頷く。


 へえ、と相手もそれ以上は追及してこなかった。気を利かせたのか男の子同士のつきあいってそういうものなのか知らないけれど、久志くんというお友達はそのまま私たちよりも先に校門をくぐっていった。


「朝陽くん」

「ん」

「もっとおもしろい受け答えしたほうがよかったのかな、私」

「あはは! なーんの心配してんだか」


 笑う朝陽くんにはまっさらな明るい気配しかなくて、私は朝っぱらから胸がきゅうんとなってしまったのだった。

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